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日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「今日から、新学期。さて、二年生は、みんな、やって来るかな…」

2014-04-14 08:21:26 | 日本語の授業
 曇り。少し、寒い。来る時に、雨がパラパラと降っていました。

 4月も中旬に入ったというのに、「涼しい」と言うよりも、寒いのです。そういえば、かなり暖かいなと思っていても、来たばかりのベトナムの学生が、寒いと言って厚着をしていたことがありましたっけ。日本人の若者が長袖のシャッツ一枚で、フラフラ歩いていそうな真昼に。

 ちょうど、そんな感じなのです。もう4月ですから、もう少し暖かくてもよさそうなものなのに、今日はちと寒い。花冷え…は、過ぎたのでしょうね。桜も、「ソメイヨシノ」は、「蕊桜」姿も終わって、今は若葉を楽しんでも良さそうな具合なんですもの。

 今年は、桜が、パッと咲いて、パッと散ってしまいました。…しかしながら、それも、もしかしたら、桜に対する思いが、自分の中で、だんだんと重くなり、それが「心残り」という形になっているだけなのかもしれませんが。

 さて、学校です。

 今日から新学期。

 日曜日に、スリランカからの最後の二人が成田に到着し、あとはパキスタンの一人を待つばかりとなりました。

 「インド」にしても、「バングラデシュ」にしても、日本でビザが下りているというのに、向こうの国の方で揉めて、許可が下りない、あるいは、なかなか下ろしてくれないということが少なくないのです。

 「パキスタン」も、そうなのかもしれません。在日の兄弟もいて、しっかりとした後ろ盾があるというのに。私たちの方(日本人)からすれば、何が何だかわからないのですが、とはいえ、向こうの人たちからすると、「きっとこうだ。こうにちがいない」と思えるところもあるようなのです。

 こうなりますと、日本人の手には負えません。日本のビザが下りないというのであれば、(入管に)聞きに行ったり、それなりの手段を講ずる(説明の文書を出す。必要な書類を出す等)こともできるそうなのですが…、あちらではね。何が常識なのかもわかりませんし、何が問題になっているのかも判りませんし…。こちらでは手の打ちようもないのです、お気の毒なのですが。

 で、昨日着いた学生のことなのですが。

 ぎりぎりに間に合ったスリランカの学生は、今日、学校に手続きのために来る事になっています…。でも、来るでしょうかね、定刻に。どうも、スリランカの学生も、「あっ。あれしなくちゃ」とか、「急がなくちゃ、間に合わない」とかいった、いわゆる「焦る習慣」が、ない人たちが多いようですから。ましてや、来日したばかりです。どうしようかなと、のんびりしている間に、日が暮れて、今日が終わったなんてことにもなりかねません。

 とはいえ、この学校の学生が、迎えに行き、きっと「日本は、こうなんだよ」と話してくれているでしょうから、最初の頃のスリランカの学生に比べれば、もう少し早く、時間の観念が身につくかもしれません。

 さて、3月の末から、4月の新学期が始まるまで、新しい学生のことばかり書いてきたような気がするのですが、二年生は、どうでしょう。新しい人たちは、一時と言えば、一時に来る人が大半でしょうが、二年生は、まだ安見の習慣が抜けきっていない人も少なくないでしょう。それどころか、休みの間に、以前学んだ頃がきれいに消えてしまっている人だっているでしょう。

 今日から2週間ほどが大変です。きっと教室で厭になるくらい「…だって、忘れました」という言葉を聞くことになるでしょうから…。

日々是好日
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「春。また、もう一組のベトナム人学生が来ました」。

2014-04-11 12:16:12 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨夜から強い風が寒気を運んできたようで、今朝はちょっと寒い。風はないのですけれども…。

 水色の空に、綿菓子のような薄フワフワした雲と、刷毛でサッと引いたような白い雲が浮かんでいます。今日もいい天気…かな。

 今日、ベトナムから学生が三人、着く予定です。きっと(空港に)着いてから出てくるのが遅いのだろうな。まだ出てこないという連絡がありましたから。

 ベトナムからは、主に、三つの学校から来ています。ただ、今年の四月生には、去年、ベトナムのフェアで知り合った人が、個人的に寄越した、彼の友人の子どもという人も含まれています。最初は、(一人だけでしたから)馴染むかなと思っていたのですけれども、先に来ていた二人と、至極普通に話しているのを見て、ホッとしました。

 男子学生は、却って、一人の方がいいのかもしれません。女性はなかなかそうは行かないようですけれども。

 今年、2月から3月、そして4月に入ってからも、よく在日の方から「ここで勉強したい」という連絡が来ています。住所を聞いて、(ここは)そこからは遠いので、近場の日本語学校に行った方がいいと勧める場合もありますし、レベルが合わない時も、そう言っています。

 実際、連絡があった方はみんな入れて差し上げたいのですけれども、ここは小さな学校ですから、そう、たくさんはクラスを作れないのです。今、いる留学生達に合わせたカリキュラムで進めていっているものですから。無理に入っても、合わなければ、意味がなくなってしまいます。本人に力量があり、どのような教室にいても、自分に必要なものを酌み取っていけるというのでなければ。

 そういうわけで、現在、授業の進め方も、補助教材も、時には主教材もその時々に応じたものにしつつあります。もちろん、その時だけ、という場合もありましたが、それでも、今いる学生達にとってどういうものがいいのかを常に試行錯誤しながらやっていっています。

 1年ほどで「N1」レベルになる中国人が多かった時には、そういう(彼等に適した)進度では、「非漢字圏」の人たちがついて行けないであろうと断ったこともありましたが、今は中国人学生がほとんどいないので(いても、まだ始めたばかり、『初級』です)、既に、「N2」に合格しており、7月に「N1」を目指すという中国人には、そういうクラスが作れないからといって断るしかないのです、残念なことですが。

 「非漢字圏」の人たちは、「初級」教材から「中級」教材へ行く途中、すぐに中短編を読ませるのではなく、ワンクッション入れた方が良いと思われ、実際、そうしているのですが。とは言いましても、短期間で、とにかく「N1」に合格したいという人にとっては、そういうやり方も、まどろっこしく感じられることでしょう。

 中国人の場合は、漢字、文法、読解と三つを一つの教材にまとめてそのまま進めていけばよかったし、「非漢字圏」の学生でも、能力の高い人たちには、同じようなやり方でも大丈夫でした。

 けれども、普通の(アルバイトもせねばならないし、うちで勉強する習慣というものもほとんどない。つまり、宿題をする習慣もあまりない)学生には、それでは、ちと、酷なのです。

 と、書いているうちに、迎えに行かねばならない時間になりました。

 で、迎えに行こうと、手伝いをしてくれるはずの、水曜日に来たばかりの学生を呼びに言ったのですが、いない…、三人とも…いない(昨日、ちゃんと今日の10時頃か11頃に駅に行くから待っていてと言っておいたのに…)。困って、先週の金曜日に来た学生と、月曜日に来た学生の部屋へ行ってみると、これもまた…いない。

 イライラして待っていてもしようがないので、一人、駅へ行ってみます。すると、そこに一人、先週の金曜日に来た学生がいて、声を掛けてくれました。「三人で出たけれども、残りの二人はどこかへ行ってしまった」。早速覚えたての「迷子」をつかって、「迷子ちゃんになった」。そして、水曜日に来たばかり(本来なら、駅に迎えに行くはず)の学生達は、二年生の女子学生が、ハンコと郵貯を作りに連れていったと言います。

 まあ、彼は水曜日も抜群の働きをしてくれたし、一人で三人力だからいいか、と駅のベンチに腰かけて、二人で話していますと、迷子の二人がのんびりとやって来ました。そこで、(新しい学生が着いたら、彼等の)荷物を運んでくれるように頼んで、三人で日向ぼっこをしながら待っています。

 高校を出たばかりの学生に、時間になったら駅の改札口の所へ行って手を振るのだと言いますと、一人で恥ずかしがっています。そのうちに、例の女子学生がやって来て、(水曜日に来た)三人はまだ郵貯の通帳ができるのを待っていると言います。

 定刻に、新しい学生三人と、教師一人、迎えの学生二人が降りてきました。早速、前に来ていた学生達が重い荷物を自転車に載せると言って持っていきます。ふと気がついて見ると私の自転車の荷台に置いています。そして私にあっちの荷台がない方の自転車に乗れと言います。そう言って、サドルを下げてくれるのですが、「あの自転車は難しいから嫌だ」と言いますと、「大丈夫、大丈夫」と言います。それやこれやで、ああだこうだと他の学生達に出遅れてしまいました。

 遅れてしまいましたけれども、やはり、いいですね。たった、1週間ほどであっても、どんどん(私の話す日本語が)聞き取れるようになっていくのがわかります。授業が始まる前に来るというのはいいですね。やはり、先に来ていた順で、聞き取りができているような気がしますもの。

 それから、やはりベトナムは女子力がすごい。重いトランクを自転車の後ろに載っけて、スイスイと運んでいった、もう一人は、女子でした。夜眠らずにいても、朝には、新しい学生達を郵便局やはんこ屋さんへ連れていったのも女子でした。本当に、その行動力に、敬服。

日々是好日
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「小学校の新入生達」。「新しく来た学生達…六人」。

2014-04-10 08:44:52 | 日本語の授業
 晴れ。

 近所の小学校では、入学式が終わったようで、今朝も真新しいランドセルを背負っている小さな人を見かけました。

 ただ、今日見かけた小さな人は、どうも私立に通う小学生のようで、もしこの近所であったなら、まだ寝ていられた時間です。

 大きなランドセルを背負って、お母さんの後ろから、小走りでついていきます。手にはもう一つ、少し大きめの手提げを持っています。さて、この中には何が入っているのかな。

 金曜日であったなら、洗うために持って帰らされる上履きでありましょうし、もしかしたら、給食の時に使うエプロンかもしれません。けれども、今日は木曜日…ということは、クレヨンかそんな図画工作用のものかもしれません。

 後ろから見ていると、大きなランドセルが歩いているようにさえ見えてしまいます(頭がランドセルに隠れて見えないのです)。

 そして、あと三十分か四十分ほどもすれば、この界隈に、上級生達と一緒に集団登校していく、近所の小学生さん達が現れるはずです。毎年、この時期だけに現れる風物詩の一つ。

 さて、日本語学校の四月生達です。

 2年目を迎えた学生達は、春休みこそ稼ぎ時というわけで、アルバイトに精を出しています。ということは、なかなかこちらが手伝ってほしい時に手伝ってくれる学生が見当たらない…のです。

 ただ一人、寮に住んでいるベトナムの女子学生が、大丈夫といって(本当は夜、全然寝ていないので、大丈夫ではないのでしょうが)よく手伝ってくれています。それから成田へ行く時には、他の(同室になる予定の)学生達に連絡をつけて、行ってもらっています。

 そして、昨日のこと。三人、また来るということで、寮に住んでいる男女一名ずつを迎えに出したのですが、「成田に着いた。それから会えた」という電話連絡の後、遅々として、なかなか戻ってこないのです。

 それで、「もしかしたら…」ということで、先週の金曜日に来た新入生一人と、今週の月曜日に来た一人を連れて、駅まで教員が迎えに行くと、これまた行徳駅に着いたはいいのですが、なかなか(駅から)出てこないのです。電話で聞くと、「荷物が全部で九つある。とても大変…(エレベーターに一度で載せきれない)」とのこと。

 私も後から(三人を)自転車で追っかけていったのですが、出てきた彼等を見るなり「はあ?」。多いし、重いし…「はあ…」

 先週来た新入生と二年生男子学生が二人で、手際よく、一番重い荷物を自転車の後ろに載せていきます。前の籠には女子学生が担いでいた荷物を、背には重いリュックを背負い、先に寮の方に運んでいきます。他の荷物は、残りの学生達が引っぱったり、背負ったりして…学校の方向へ。

 ちょうど「サクラ(桜)」の散り際に間に合うだろうと、公園の横を通っていったのですが、荷物を持っている彼等はそれどころではありませんし、他の学生も「サクラ」が、もうただの風景になり果てていましたし、「何を、今さら」といった感じ。そのうちに、先に行っていた自転車の学生が戻って来て、残りの荷物のいくらかを運んでいきます。

 先週の金曜日に来た学生の時には、「本で重かった」ようなのですが、今度の彼等は「そう(本を持ってくるように)は見えない…」。いったい何で重いんだ!何でこんなに荷物が多いんだ!

 もっとも、先に来ていた三人とも、昨日来た三人とも、会うのは今度で三度目ですから、向こうもそれほど緊張していません。「やあ」という感じなのです。昨日来た三人のうちの二人に(一人は、日本で観光関係の学校に入りたいとかで、日本語の勉強が好きそうなのですが)、「こら。全然勉強していなかったな」と言っても、ニコニコしています。語気からは、怒っているなということがわかったようですが、つまり「へへへへへへ」なのでしょう。

 寮に着いてから、部屋割りをし、1時間半後(二時)に(前に来ていた三人と、昨日来た三人と)学校へ来るように言い、教員達は学校へ戻ります。

 ところが、二時になっても…来ないのです、六人とも…。一人くらいは気がついても良さそうなものですのに…。

 折良く、同じく寮に住んでいる女子学生から電話があったので、彼女に(彼等に)来るように言ってもらい、待っていると、すこしも詫びれる様子もなく、(六人が)ニコニコしながらやって来ました。

 で、新しく来た三人と教員とで、住所登録と、保険証の申し込みに支所へ…ただ、教員はそれからも用事があり、終わると別行動を取らねばならぬということで、彼等、新入生三人を学校に連れ戻すためには、一人、道が判っているものがついていかねばならない…どうするか。

 結局、朝、駅まで迎えに行かずに、皆の料理を作っていた一人が行くことになったのですが、彼、かなり抵抗をしていました(その理由がわかったのは、後からです)。

 さて、すべてが終わり、今から帰らせるという連絡が教員からあって、かなり時間が過ぎました。でも、戻ってこない…。

 はは~ん。道に迷ったな…。しばらく待っていると、汗びっしょりで、四人が戻ってきました。聞くと、やはり道に迷ったらしい。

 この学生、荷物は持てない(力がない)は、何をするのも遅い(「はい、帰ります」とか「はい、出ます」で、一番グズグズしているのが彼なのです)は、それに方向音痴まで加わって、どうも芳しからぬあだ名がつきそうな様子。もっとも、私たちがどう考えているかは、まだわからないでしょうね。「語学留学」というのは、勉強だけじゃ、だめなんだぞ。留学を通して、少しは強くなって下さい。とは言いましても、はて、さて、どうなることやら。

 彼にとっては大変な一日だったのでしょう、それだけで。

日々是好日
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「寮の大掃除」。「『喧嘩したと聞いたけれども…』『いえいえ、そんなことはない』『本当?』」

2014-04-09 10:17:47 | 日本語の授業
 晴れ、時々曇り。

 風もなく、穏やかないい日です。

 今日、ベトナムから三人が成田に着く予定です。迎えに行った学生に聞くと、「まだ」という返事。月曜日は一人だけだったので、心配だったのですが(しかも、高校を出たばかりの学生です)、今回は三人だし、年も少し上だし…多分大丈夫でしょう。後は彼からの「無事に着いた。会えた。今から戻る」という連絡を待つばかりです。

 昨日は、今日来る学生のための大掃除、そしてゴミ捨てなどで明け暮れました。これは先週から、いえ、もしかしたら先々週から続いていたのですが…(引っ越しする学生がいましたし、卒業生もいましたから)。何が難しいと言って、「立つ鳥跡を濁さず」という習慣のない国の人たちに、「(寮を出る時に)出る時にはきれいにする。つまり、自分のものは自分で片付ける、持って行けないものは捨てる」を徹底させることほど難しいことはないのです。

 「学校の寮」と言いましても、学校近くのアパートを借りて、「四人住めるところは四人で、三人しか住めないところは三人で」というところなのですが。彼等の考えは、今まで住んでいたし、まだ一年生が残っているから、ゆっくり運べばいい(つまり、まだ後でいいだろう)なのです。

 こわいのは、その「また後で」が、ずっと続くところなのです。いつまでという期限を切るという考え方がないのです。ダラダラとそれが続き、こちらが気がつくと、数年分の垢(置いていった荷物の山)で、身動きが取れなくなってしまっている…。

 けれども、そんなことをされたら、新しく来た人達は、どこに自分達の荷物を置けばいいのでしょう。今までいたから、その延長線上で、すべてのことを運ぼうとするのです。勝手に入って(鍵を閉めるという習慣はありません。こちらが口を酸っぱくして言っても、なかなか徹底できないのです。ですから、気がつくと、鍵は閉まっていない…)、かつての自分のベッドで寝ていたりする…もちろん、布団は新しい学生の新しい布団なのですが…。それもお構いなし。まあ、同国人ですから、彼らの国ではそうなのでしょう。けれども、それは日本の習慣にはない…。日本に居る間は、日本の習慣でやる。

 相変わらず、寮に(自分の)荷物を置きっぱなしにし、なかなか持って行こうとはしない(何と言いましても、学校が借りているアパートは学校に近いのです。だから、何をするにしても便利なのです)。ですから、教員が行って、バッサバッサと切り捨てるしかないのです。

 「えっ、これも(引っ越しを疾うにしている)彼の?」「えっ、卒業したでしょう、まだ荷物があるの?」押し入れを開けてみれば、ざっくざっくと出てきます。特にベトナムの学生は、本棚にするという約束で入れたカラーボックスの数がいつの間にか増えていて、しかもその一つ一つにしっかりと靴が入れてあったりするのです。「…いったい全体、どうしてこんなに靴がいるんだ…」これは、男女関係なしにです。

 で、新しい学生には、もうカラーボックススを配らないことに…。すると、昨日、先週の金曜日に来た学生が一人、「先生…。私も本棚がほしい」「へっ?」

 そうか、彼のいる部屋には、一つ、使っていないカラーボックスが置かれたままになっていたんだっけ…。目ざとい一人が素早くそれを見つけ、我がものにし、本を入れたのでしょう。それで彼も、「箱」とか、「棚」とか言わずに、「本棚」と言ったのでしょう。

 「本を入れるなら…。他のは、靴とかを入れてはだめですよ」と言って、学校に残っていた新品を渡したのですが…。「本棚」と言ってくれるところがいいですね。あの二人は、ちゃんと本を入れるでしょう。

 学校では、大掃除で、私たちがテンヤワンヤしている間にも、タイの学生が上の部屋で自習をしていました。まだ来たばかりです。「(私が)ちょっと出てきますね。ここで勉強していてください」と言うと、(多分、何も聞き取れなかったのでしょうが)にっこり。

 午後になって、四時半は過ぎていたでしょうか、スリランカの学生が二人、一人は国からお金を送ってもらうための手続きに、もう一人は寮費を払いに、やって来ました。

 そこで、他の学生達のことを聞くと、仲が良かったはずの友達の一人と喧嘩していると言うのです。そこで、ひとしきり、そんなこんなの話を聞き、まあ、世間話です。だって、2週間ほども会っていなければ、いろいろな話がありますよ。

 その後、ちょうど話に出てきた学生から電話がありましたので、「今、○○と喧嘩しているでしょう」と言うと、すぐに「していない」と言う。「そんなはずがない。喧嘩しているでしょう」「いいえ、いいえ。違う。ホント、喧嘩していない」「へへへへへへ…。しているでしょう」

 本当にちょっとのやり取りなのですが、3月20日の課外活動で行った「水族館」で会ったのが、最後でしたから、何となく、(学生達と)無駄話でもしたくなってしまうのです。

 さて、そうは言いましても、来週から新学期が始まります。新学期が始まってしまうと、彼等と雑談したくても、なかなかそういう時間は取れなくなってしまいます。でも、でも、早く始まれ、新学期なのです。

日々是好日

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「夜中に、お誕生日で会を催し、大騒ぎ」。

2014-04-08 08:36:09 | 日本語の授業
 晴れ。青空。

 「ああ、暖かい」と言いたいところなのですが、放射冷却とやらで、朝夕はまだまだ寒さが続いています。続いていますが、これを「花冷え」と言うには、昼が暖かくなりすぎるようで、なんとも(我が身の)言葉の貧弱さが情けない。

 古人や、古人とまではまだ行かなくとも、祖父母の時代には、まだ方言が確固とした位置を占めていました。それ故、先祖伝来の、または、その地域特有の「言い回し」や「言葉」が豊富に残されていました。

 けれども、この「口承」という、極めて儚い存在は、「近代化」とか、「普及」とかに隠れて、いつの間にかその存在すら疑われるほどに薄れていき、そして今では探すことすら困難になっています。

 「日本語が消えていく」というのも、おそらくはこのように「豊饒であった存在」から「貧弱な存在」になり果てていくことから始まるのでしょう。それを如実に感じさせられている、ちょうど過渡期の私たちのような者達は、書き言葉としての日本語しか、もはや知らぬのではないかと思われるほどなのです。

 時折、こういう「古代からの記憶を持った」人を父母に持った、あるいは知人として持っている文筆家の文章などを読むと、「こりゃあ、文筆家と称されていても、そのほとんどは、この『先人』の力によるのではないか」と思わされ、「歴史を知らぬ者は滅びる」を地でいっているのが、現代日本人ではないかと思ったりもするのです。

 しかしながら、まだそう思うことのできる我々は、言葉の面であれ、歴史の事実の面であれ、幸せなのかもしれません。それすら、いろいろな思惑からの操作によって知らされていない民がいるくらいなのですから。

 ともあれ、学校です。

 「一昨日、夜中に誕生会を開き、その後、大騒ぎになった」という理由で、何人かに聞き取り調査(これは注意を促すどころか二度どしないとさせる意の叱責も含まれています)、並びに、その後片付けをさせることで、昨日は一日が暮れていったような気がします。

 本来ならば、ある人の誕生会を口実に、普段はなかなか会えない人たちが一堂に会し、楽しむという、悪くはない話なのですが、そこが限度がない(これは日本人の考え方であって、彼等には、こういうものは存在しないようなのです)故に、騒ぎとなるのです。

 学校の寮は、住宅地にあり、夜ともなれば、近隣は静まりかえっている。そこで、集まって鍋料理をする。ビールを飲んで、気も大きくなれば声も大きくなる。最初は単なる話し合い、それがいつしか言い争いとなり、若者達が20名ほども揃っていれば、「おい」「何を」「やるか」と胸ぐらを掴む事態ともなりうる。

 そして、学校の方に通報が来、教員が大急ぎで行ってみれば、皆は蜘蛛の子を散らすようにいなくなって、影も形もない。残っているのは、前後不覚に酔っぱらって置き去りにされた、見知らぬ者、数名。学校の学生ではないと言うことで、外に出せば、「知っている人だから」と他の寮生が担ぎ上げ、うちまで送っていく。

 皆、別に悪そうに見えないのです。

 けれども、「この一線を越えてはならぬ」という自制する心に欠けるのです。もっとも、これはある意味、常に緊張状態を強いられているような日本などの国に於いてのみ、成立するような考え方なのかもしれませんが。

 場所も悪いし、人数も多すぎる。酒を入れたせいで声が大きくなったということもある(酒を入れなくても、声の大きい人はいるのです)。時間も問題です。

 しかしながら、これが大学の運動部で、学食で開かれた「新入生コンパ」などであったら、…あり得るなと思います。ただ、そういうところでは、時間になれば、学食の人が、「もう、終わりなさい」と声を掛けますし、(コンパを)始めると決めた段階から、酔っぱらいそうな人には、酒に強いか、素面の一人がつき、(その人がグデングデンになっても)最後まで世話をするという打ち合わせができているものなのです。こういう、ダラダラとした感じにはならないものなのです、日本では。

 だいたい、一度でも、迷惑をかけたら、次の年度には、開かせてもらえません。きちんと後片付けまでできて初めて、次の年に繋いでいけるのです。

 もちろん、当方にもミスはあった。迂闊であった。春休みの前、卒業式などでごたごたし、「休みの心得」を言い聞かせ、「約束」させるのを怠っていた…。

 日本的な習慣上の常識が、やはり通用しないのです。それを、つい、つい、また忘れていた。特に今回は、言えば判る相手が起こしたことであっただけに、当方としても反省しきり。

 (これは、教員の方。)ところが、そんな私たちを尻目に、新しい人たちは、のんびりとしたもの。

 先々週に来日したタイ人学生、そして先週来日したスリランカ学生が、学校に自習しにやって来ています。自習のやり方を説明すれば、おとなしく一人で(あるいは二人で)コツコツと勉強しています。

 その前までは、ベトナムの「N2」を受けたいという女子学生一人が、アルバイトの前後に来ているだけであった故にか、なんだか、学校が賑やかになったような気がしてうれしくてたまりません。もとより、初級の「あいうえお」からやろうという人達であってみれば、別に賑やかになると言うわけでもないのですが。

 ただ、学生がいないと、教室が死んでいるように感じられて、なんとも可哀想でならないのです。学校に来て勉強していれば、普段は小憎らしいと思っていてもだんだんに情も移るものですし…。

 学生達は、もしかしたら、こういう教師の心の機微を「知らない」のかもしれません…残念なのですけれども。

日々是好日
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「土曜日に二人、月曜日の今日、また一人、新入生が成田に着きました」

2014-04-07 11:31:19 | 日本語の授業
 晴れ。

 土曜日も日曜日も、おかしな天気でした。晴れていたかと思うと、急に暗くなり、雷がゴロゴロと鳴って、雨がザーッ。そしてまた雲が切れて、青空に。青空になったからと言って、安心もできず、空が暗くなりはしまいかと、常にチェックをせねばならないような状況で、まったく、大変でした。

 そして、その土曜日に、ベトナムから二人の新入生がやってきました。大きな荷物をたくさん抱えて…。迎えに行ったのは二人とも女性でしたから、大変だったようで、いったい何が入っていたのだ…、どうしてこんなに重のだい…というのは、彼女らの弁。

 そして今日、また一人やって来ました。今度は高校を卒業したばかりの学生です。荷物は簡単で、彼一人が楽々と持てるくらい。私たちは前を歩いているだけでよく…よしよし、いい子だ。

 土曜日の二人は、年齢も少し高く、いわゆる大卒者。迎えに行った女子学生によると、きれい好きで、とても厳しそう…とのことでしたから、同室になる今日の彼は大丈夫かな。きっと、ここは汚すなとか言われて、鍛えられることでしょう。

 そうでなくとも、(実際に、空港から出てきた時も)、緊張しまくっていましたから、大丈夫かな。それでも、呼びかけるとこちらを認めて、にっこりしてくれました。

 でも、にっこりで終わり。またカチンカチンに戻ります。そこに、私と一緒に行った女子学生がベトナム語で話しかけますと、ホッとしたように満面の笑み。やはり、心細かったようです。

 帰りの電車の中でも、二人はずっとベトナム語で話していました。ただ、彼女指さした「サクラ(桜)」…には、全く興味を持たなかったようで、彼女が残念そうに、「去年、私が来た時には、サクラはもう全部散ってしまっていたんだけれども」というのを聞いても、ポケッとしています。そして、彼女の手にしているパスモを見つめて、何か聞き始めました。ベトナムには地下鉄がありませんから、花よりもそちらの方が気になるのでしょう。

 せっかくの「サクラ」なのに…でも、これはしょうがないかなと見ています。そのうちに、成田空港第二ビルから乗り込んできた台湾人の女性グループが、車窓から桜を見つけては、歓声をあげ、パチリパチリとやりはじめました。それを見て、あれっ。

 改めて、何をそんなに騒いでいるのだろうという顔になって、「サクラ」を見始めています。どうも、外国人が見ているから、何かあるのかなといった様子です。その顔を見るのも、それも(こちらにとっては)面白い。

 これも土曜日でしたが、新しい学生二人を寮に案内しての帰り。電気代のことが判らないと言う二年生も一緒でした。強い風に、「サクラ」が次々を花びらを散らしていたのですが、その花びらが路面を走りながら、様々な模様を描いていたのです。それを見て、二年生の彼、「本当にきれい…。とてもきれい…」と呟いていましたっけ。

 同じ国の人間でも、感受性は様々。何を美と感じるか、また何に興味を惹かれるかも、三者三様。それも判りきったことですが、それを聞いて、何となくうれしかったのも事実。こういう、同じモノを見て、同じ気持ちになれるというのは、どの国の人であっても関係なく、うれしいことですね。

日々是好日
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「卒業生からの電話」。

2014-04-04 10:24:59 | 日本語の授業
 曇り、時々晴、時々小雨。大雨、雷のところもあり。

 まったく、今日は何でもありのお天気のようです。

 昨日、卒業生から電話がありました。大学卒業後、希望通りのIT関係の会社に入り、そこで幹部となって頑張っていたのですが、先月帰化し、今度は自分の会社をつくるというのです。

 最初に、思わず、口を突いて出たのは、「元の会社の人とうまくいってる?」。彼はちょっと驚いたようでしたが(なぜ、そんなことを心配しているのか判らなかったのでしょう)、「今でもいい友達。みんなといい関係にある。実は会社にいる時から副業として、この仕事を始めていたのだが、こちらの方が忙しくなったので、会社をやめることにしたのだ」と言うのです。「しょっちゅう外国に行かねばならないから、日本国籍にした方が便利だ」というわけです。

 去年、もう一人の卒業生の結婚式で、元気そうな彼には会っていたのですが、どんどん世界が広がっている様子に、あの大学はちゃんと人を育ててくれたのだなあと、今一度、感謝。

 今年は、(去年、彼等卒業生達と久しぶりに会って話をしたこともあって、その大学に)6名、入ることができました。

 1年から1年半ほど(アルバイトをしながら)日本語を勉強しただけの彼等。「漢字圏」の学生ならいざ知らず、「非漢字圏」の学生で、しかも「英語」に疎かった場合は、(大学へ行きたいと願っても)それほどうまくいくわけではないのです。

 あの時(電話してくれた学生が大学に合格した時)も、(大学)卒業まで頑張れたのは、やはり「英語」が祖国にいる時に身近であった学生だけでした。せっかく大学に合格できても、漢字もわからず、「英語」とも疎遠な関係にある学生は、やはり「へこたれてしまった」のです、途中で。

 それもあって、去年、、教師が引率して学生達を(その大学に)連れて行った時も、そして入学試験で、800字程度の「作文」を書かなければならなかった時も、そのことをきちんと伝え、その対応をしてもらえるようにお願いしたのです。

 極端な話、「英語」も、「日本語」も、そして「漢字」というものも、「道具である」に過ぎないのです。日本に居れば、日本語なんてどうにかなる(もちろん、努力は必要ですが)、それよりも学生の「資質」を見てほしい。そして有為な人材にしていくためには、大学で何を教えていく必要があるかということも考えていただきたいのです。

 あの大学は、それをしてやると言って下さいましたし、今年入学する学生も、(大学へ見学に行った時)それを聞いてホッとしていたそうです。

 「教育」と銘打っている以上、私たちのような小さな日本語学校でも、学生の変化に応じて、様々な工夫をせざるを得ないのです。時間にも経済的にも、また人材という面でも、限りがありますから、その中で教員同士が知恵を絞りながらやっていかなければならないのです。それに比べれば、大学は恵まれています。

 「漢字圏」の学生が大半を占めていた時に用いていた「教材」をそのまま、「非漢字圏」の学生達に用いるわけにはいきませんし、「教え方」も変えて行かざるを得ませんでした。

 その時も、最初は「手探り」に近いような形でしかできませんでしたし、失敗したり、ある期の学生達には効果があったけれども、次の期の学生達には「使えない」と感じさせられてお蔵入りになった教材がいくつもありました。

 「非漢字圏」と一括りで言っても、現在多くを占めている「ベトナム」と「スリランカ」の学生達にはそれぞれ特徴があり、対し方を少し考えねば、彼等の長所をうまく引き出すことができません。これは一人一人の個性とは別です。

 もちろん、これは、毎日学校に出てきて、きちんと勉強してくれた場合であって、欠席が多かったり、学校に来てもずっと寝ているだけという学生には成り立ちません。

 「初級」の「て形」に入る前までは、母国でやってきている人が多いので、多少休んでも、すぐに「間に合わせ」で何とかなるのでしょうが、「て形」「ない形」「辞書形」と進むうちに、チンプンカンプンになっていくのです(学校に毎日来ている人達は、毎日これを絵カードで繰り返し言わされているわけですから、否応もなく、口と耳が覚えさせられているのです)。こう言うのは「頭で判った」だけではどうにもなりません。

久しぶりに、卒業生から電話があって、彼等の期の学生達のことを思い出して、ちょっと穏やかな気持ちになれました。

日々是好日
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「すぐに洋服ダンスを買おうとする学生。靴を買おうとする学生。それぞれのお国振り」

2014-04-03 10:14:12 | 日本語の授業
 雨がシトシトと静かに降っています。「菜種梅雨」というには、少々…過ぎたかな、菜の花はもう珍しくないし。また「木の芽流し」と言うにも、ちょっと遅いかしらん。…とはいえ、この雨のおかげで、若葉の美しさに気がつきました。

 「サクラ(桜)」の花が咲く頃は、どうしても、「花」の方に目が行ってしまい、「ヤナギ(柳)」を別にすれば、その他の木々の若葉は等閑にされがち。そんなことを思いながら、下の階の窓を開けると、これまた、「ジンチョウゲ(沈丁花)」の花が盛りを過ぎ、既に色褪せているではありませんか。今年も、「いい香りだね」とも、「きれいに咲いたね」とも言ってやれぬうちに、…「旬」が過ぎてしまった…かのような。まことに申し訳ないことです。

 さて、学校です。

 卒業生の引っ越しが、今「酣」。しかしながら、この「引っ越し」が大変なのです。まず、「捨てるモノにも金がかかる」という「理屈」が判らない。「捨てるでいいじゃないか。いるものだけ持って行くから、後は捨てて下さい」となるのです。「使った人が使ったモノを片付ける。買った人がその始末をする」という「理屈」が通じないから、こうなるのでしょうけれども。来日2年ほどでも、この考え方を理解させ、それに則った行動を取らせることは、難しい。同じ部屋にいる後輩達に見せ、「来年は…」とやっても、どうしても我がこととは考えられないのです。

 「引っ越しする前に、きれいに片付ける」が、なかなか徹底できずに、いつも彼等の去った後には、山のようなゴミと、持って行けずに起きっぱなしにされた諸々の家具が散在しているのです。

 「寮に住んでいる間は、引っ越しに困るようなモノを買うな。ちょっとくらい、不便な方が良い(安住されたら困るのです。今が不便だから、もっと便利な生活ができるように頑張ろうとならなければいけません)」。これが、なかなか徹底できないのです。

 今でもよく覚えているのですが、どこから持って来たのか、すぐに大きな洋服タンスを部屋の中にド~ンと据えたスリランカの女子学生がいました。「タンスより本棚が先だろ、学生なんだから」と、こちらとしては思ってしまうのですが、彼等にしてみれば、それは全く考えられない「理屈」なのでしょう。最近はちょっと変わってきているようですが、「女は服」というのは変えられないようです。

 そういえば、以前知っていたパキスタン人女性も、毎日のように違う服を着ていましたっけ。それが「身分」とか「金があるぞ」とかいうのを表すことになるのかもしれません。そうなると、個人の問題と言うよりも、「家」のメンツが絡んでくるらしく、本来ならこっちが口をだしてもどうしょうもないことなのでしょうが、(もっていけないから)こういうものでも置いていくのです。片付けさせられるのはこっちということになれば、話は別。「あっちでは、皆、そんなモンなのかもしれません」なんて、乙に構えているわけにはいきません。

 それに、寮に着いて、トランクを開けると、中から新品の靴が何足も出てきたベトナム人男子学生もいましたっけ。男子だけに限らず、ベトナムの学生は、部屋の中に靴が溢れていたような気がします。

 服とか靴とか、必要になった時に(大学の入試の時、面接にジーパンと運動靴というわけにはいきませんが)買えばすむことで、金が潤沢にあるわけでもないのに、すぐに服を買う、靴を買うなどしていたら、彼等のアルバイトの金など、あっという間になくなってしまいます。

 総じて、南から来た人達は、お金の計画が立てられないような気がするのです。月に12万円の収入があったとして、12万円、全部遣ってしまうのです。「(日本語学校の)学費はどうするの?あと1年で進学だよ。その時の入学金は?(大学の)学費は?」

 いつものように、彼等は大丈夫と言います。それでいて、「入学金が20万円だったら、そのお金は、アルバイト料、二ヶ月分だよ」と言うと、急に目を丸くしたりするのです。

 来日後半年か1年ほどは、そんな感じです。2年目になってはじめて、金銭感覚が身についてくるのでしょう。それまでは、彼らの国のお金に換算して、「私はお金持ちだ」くらいの気分になっているようです。

 これが、2年目になっても、前と同じように自分のほしいものを無理をして買っていると、いつも金欠病になってしまう。そして「初級」から「中級」に行けば、新しい教科書が必要になってきますから、買わなければならない。ぞの時にも、「金がない」などと言うのです。では、いったい、彼等がアルバイトで稼いでいるのは何のためなのか…。

 もちろん、進学のために、アルバイトのお金を少しずつ貯めていたり、教科書代などをきちんと払っている学生も少なくないのですが、アルバイトをかなりしていながら、いつも「金がない」と言って払おうとしない学生を見ると、勉強するために来日したんだろと腹立たしくなってくるのです。

 とはいえ、時には、いろいろな事情で、急に国に金を送らなければならなくなった学生が出てくることがあります。この小さい学校でも、「急に親が入院した」とか、「手術をしなければならなくなった」とかいった理由で、手元不如意になった学生が何人かいました。けれども、それまでは、きちんとお金も払っていましたし、毎日学校へきて勉強していたのです。だから、私たちも、計画を立てさせた上で、待つことができたのです。

 普通「金がない」といつも言っているような学生は、学校で真面目に勉強もしないし、アルバイトもそれなりなのでしょう。まず、日本語ができませんから(本当に恥ずかしい。日本語学校で勉強すると言って来日しているのに、少しも勉強していないのです)普通のアルバイトは無理でしょう。

 勉強する気で来ているなら、3か月は学校での勉強に集中してほしい。親御さんも3か月ほどはアルバイトなしで生活できるほどの金を持たせてほしい。こう言うと、留学生として来日させるだけで手一杯で、後は本人の頑張り次第という答えが返ってくるのですが、「親の心子知らず」ですね、これはどこの国でもおなじでしょうけれども。

日々是好日
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「桜が、散り始めました」。「日本に来たばかりなのに、もう寂しいと言って泣くスリランカの女子学生」。

2014-04-02 16:13:06 | 日本語の授業
 晴れ。

 弱風。風は心持ち冷たい。

 昨日は風が強く、少し早めに咲いていた日向の「サクラ(桜)」がもう散り始めていました。でも、相変わらず、華やかなのです。もうちょっと踏ん張れるかな…。

 ここ数日、お天気だったからでしょう。桜が急に満開になったような気がします、あちらでも、こちらでも。それで、今日は学校に着いてから、(冬の間はしっかりと閉じていた)窓を開けてみました。もちろん、(杉)花粉は飛び込んできたでしょうね、くしゃみが続きましたから。

 すると、突然、外国語が聞こえてきました。(冬の間)窓を閉めていた時にもきっとあれくらいの声で話していたのでしょう。もしかしたら、彼等には窓を閉めておくという習慣がないのかもしれません。男女の声が、ビンビンに響いてきました、この静かな住宅地に。

 ここは住宅地で、マンションあり、アパートあり、一軒家ありのところなのですが、彼等以外の声は聞こえてこないのです。日本人の子どもの声も、去年までは聞こえていた赤ちゃんの声も…。

 まあ、14日になって、新学期が始まり、学生達がやって来ると、きっとそれどころではない声があたりに谺すことになるのでしょうね。

 かなりうるさいと思われているでしょうが、時々、授業中に、下校する小学生に手を振っている学生を見たりするのものですから、それはそれなりに地域に溶け込んでいるかなとも思うのです。その時は、「授業中、『幼稚園』さんに手を振る人は『幼稚園』さんです。『小学生』さんに手を振る人は『小学生』さんです」と言ったりしているのですが、外国人に構えのない子どものうちから、こういう人達に馴染んでもらいたいとも思うのです、日本人の子どもに。

 さて、近所では、今年も例年通り、「シャガ(著莪)」や「キュウリグサ」が咲いています。この「シャガ」も、以前は、山野草の部類に入っているとばかり思っていたのですが、こう言うところでも咲くのですね。もっとも咲いていたのは植木屋さんの、お庭の一部らしきところなのですけれども。

 そこは、庭と言いましても、別に塀があるでなく、ただ、四季折々の、きれいな草花が植えられていて、道行く人の目を楽しませてくれるだけなのです(本当にさりげなく植えられているのです、「余ったから、ここに植えとく」みたいな感じで)。でも、ここの花は本当に「健康で」「活き活きして」「輝いて」見えるのです。…さすが植木屋サンのお花です。

 ところで、学校です。

 昨日は、新入生の2番手、一昨日、日本に到着したスリランカ人学生が二人、学校に顔見せに来てくれました。ちょうど彼等が来た時に、タイ人学生(四月生)が学校に自習に来ていましたので、早速、互いに自己紹介。

 女子学生の方は、同室になる二年生が、アルバイトを休んで寮に連れていってくれたそうなのです。が、この二年生によると、一晩中、寂しいと言って泣いていたのだそうです。う~ん、それで思い出してしまいました。そういえば、以前、スリランカの女子学生達は、何かというとすぐ泣いていましたっけ。教室の中でも、一人が泣き出すと、連鎖反応で、みんなグスングスンとなり、他の国の学生が、呆気にとられていましたっけ。

 そんな彼女たちも無事に大学を卒業し、帰国した者もいますが、日本で働きたいと日本に残り、無事に就職できた者もいます。そんな一人が、長野に行くことになったと挨拶に来てくれました。私たちはあいにくと寮の掃除に行っていて(学校を出ていたので)路上で話すことになったのですが、(その彼女と)会っての帰り。彼女が来た頃のことを思い出していました。

 日本へ留学できることも一つ。日本語学校を無事に卒業し、次のステップへ進めることも一つ。そしてそこを卒業し、日本で就職できるのも一つ。こうして、一つ一つ階段を上っていくのでしょう。

 本人は不安だと言っていましたが、本当はそれよりも、初めて日本に来た時の方がずっと不安でたまらなかったはず。「長野がなんじゃい。初めての就職がなんじゃい。頑張るぞ!」くらいの気持ちで頑張れ。だってこれまで頑張れたのだもの。

日々是好日
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「えっ!今日!今日の午後3時45分に到着??(今は2時少し過ぎ…)」。

2014-04-01 08:47:27 | 日本語の授業
 晴れ。

 風は少し冷たく感じられます。もっとも、陽が高くなれば、きっと「暖かいよ」という声が聞かれるでしょうが。

 昨日、スリランカから二人の学生がやって来ました。連絡があったのは、2時頃でしたっけ。「えっ!今日!?」「えっ!3時45分?」まさに、「えっ、えっ、えっ」の連続。(向こうは)時間に追われていないから、こういうこともできるのでしょうが、やはり(当方としては)慣れるのには時間がかかります。

 「聞いてた?」「ううん」と二人で顔を見合わせ、布団はどうなっているのか、迎えは誰か行っているのか。慌ただしく確かめの電話をあちこちにかけていきます。もう一人にも電話をかけますと、同じように「えっ。今日?」と驚いていました。ということは教員三人とも…知らなかった…。

 (来るという学生、二人のうち)一人の男子学生は、彼のいとこが在学中ですので、おそらくは迎えに行っているであろうと、電話をかけてみます。が、留守電です。しばらくすると、彼から返事が…今、成田への移動中であるとこのこと。それでもう一人の女の子の世話も頼んでおきます。まっ、体が大きいから、荷物も持てるでしょうし。

 ただ、(昨日来た)女子学生と同室になるはずの在学生が、アルバイトに出てしまいますので、帰ってから、迎えに行ってもらうことに頼んでおきました。もし、事前に連絡があったら、アルバイトを休んで待っていてくれたでしょうに…。

 本当に…前日でもいいから連絡してもらえたら、こちらの動きようもあるのですが…。向こう(スリランカ)の学校はいいとしても、学生達の親御さん達は不安ではないのでしょうかね。日本だったら、だれが迎えに行くのかとか、後のことはどうなっているなどと大変なはずなのですが。

 二人は今日の午後に学校に来る予定です。少しは疲れが取れているかしらん。

 そして、最初に来日していたタイの学生。彼女を連れてきたおばさん曰く、「日本に来てからずっとスマホをいじっている…。勉強しない…」だったので、「明日から毎日学校に来て少しでもいいから勉強するように…」と言っておいたのですが。

 言ってみるものですね。その翌日の、先週の金曜日に来たので、「おっ。ちゃんと学校に来て勉強するじゃないか」と驚いていると(驚く方がおかしいのですが。彼女は大学卒業後、既に1年ほど経っていますし…)、昨日も来ました。もっとも、来たのは(彼女に告げていたのは、9時から5時までは、学校で勉強しても良しだったのですが、その)終わる一時間か一時間半くらい前。挨拶をすると、そのまま上の階に行き、一人でテープを聞き、そして、少し勉強し、帰っていく…。

 多分、この「頑張らない」ところがいいのでしょう。何事も、「細く、長く」が一番いいのかもしれません。

 しかし、話は戻りますが、他の学生達はどうなっているのでしょうね。来る日の連絡があったのは、ベトナムの三人だけ…また、当日の到着一時間前なんてのはいやですよ。

日々是好日
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「七分咲きの『サクラ』」。

2014-03-31 09:19:20 | 日本語の授業
 晴れ。強い風が吹いています。

 海に近いから、風がそのまま、ここを通っていくのでしょう。とは思うのですが、内陸部の鷲宮などでも、これまた風が強い。(山が近いから)あそこから吹き下ろしてくるのだそうな。

 ところで、桜です。

 まだまだ、
「花散らす 風の宿りは たれか知る われに教へよ 行きて恨みむ」(素性法師)
の候ではありませんが、ここでも、七分咲きくらいにはなっているでしょうか(満開になってしまうと、すぐに、風について行ってしまいます)。都心では、今週半ばほどに、満開になるであろうと言われていましたから、ここでも、多分、そうでしょう。

 「サクラ(桜)」は、蕾が膨らみ始めてからが大変。「いつ咲くか」と、あっちでもこっちでもソワソワし始め、「河津桜」が綻び始めると、この辺りではどうだと騒ぎ出す。咲いたら咲いたで、いつ満開かで大騒ぎ。満開になったらなったで、風は?雨は?と気もそぞろ。面白いことに、一度でも花見をしてしまうと、若者は皆、あっさりとしたもの。もう、今年は終わったとばかりに、サクラの「さ」の字も口にしなくなるのです。

 これが、いつまでも花の追いかけをしているのが、あと何回見られるかと、人生の折り返し点を過ぎた者。他の花だって、大半は1年に一度だけ花をつけ、実を結ぶのですがね、どうも「サクラ」だけに思いを掛けすぎる…。これもサクラが雲のように見えるからでしょうか。雲の向こうには天があり、天の上には人ではない存在がある…というわけで。

 「サクラ」の根っこには人が埋められているとか、不気味な話と縁の深い花なのに…、それでも、単にマスコミに踊らされているとだけは言えないような気がします、この花に対する思いには。

 さて、学校です。

 いつの間にか、グンと暖かくなりました、「サクラ」が咲くほどに。今度、学生達が来る頃には、もう、「帽子を深くかぶり、耳には耳当て、その上、マスクをつけ、目だけを出している」恰好の学生はいなくなっているでしょう。

 この学生達(なぜか、スリランカから来ている学生なのです)、教室でも毛糸の帽子や耳当てを取ろうとはしないのです。最初は「失礼である」と叱って取らせていたのですが、本当に寒いらしいのです。一人が訴えに来ました。エアコンをつけていても、耳だけは、頭だけは、冷たいのだと言います。「本当に寒い(だから、帽子をかぶっていたい)。とてもとても寒い(だから判ってほしい)」。彼等には(日本人とは違い)、寒さは上から来ると思われます。

 これが、二度目の冬となりますと、もうこんなことは言わなくなるのですが。

 残念なことに、こういう状態になるのは、初めての冬の時。つまり、あまり日本語が話せない時なのです。自分達の気持ちを伝えられなくて、「一方的に叱られた…悪いことをしていないのに…」という思いだけが残るのでしょう。

 だったら、二度目の冬を迎えた連中が、代わりに言ってやればいいのに。それもしないのです。どうも、自分達はもう寒くないモンとでも思っているのでしょう。

 とはいえ、彼等には、春や秋の恰好はないようです。「暑い時(夏)」と「寒い時(冬)」しかないらしい。冬の初めには、半袖のシャツの上に、ダウンと相場が決まっています。長袖のシャツとか、厚手のシャツ。あるいはセーターやカーディガンなどを着る習慣がないし、重ね着をするという感覚にも乏しい。それに靴下を穿かない。スリッパを履いていても、気がつくと、時々教室に一人分か二人分のスリッパが忘れられていたりするのです。

 寒さは足元から。だから「靴下を穿いていてもスリッパは脱いではだめ」と、口を酸っぱくして言っても、「気持ちが悪い…」。慣れないものはしょうがないとは言いながら、あれでは風邪を引くのが当然と彼等を見るしかない。そして当然の如く、風邪を引く。しかも、風邪を引いて熱が出ているのに、気がつかない。学校に来た時の顔が赤かったり、頭が痛いとか、お腹が痛いとか言出してはじめて(自分でも)風邪を引いていることがわかり、病院へ行くことになるのです。

 そういう騒ぎも、終わりました。今いる学生達は、もう冬を過ごした経験を持ったわけで、今年の秋の終わりには、もう冬の準備ができていることでしょう。そしてまた新たな「冬知らず」の学生達が来て、同じような騒ぎを引き起こすことになるのでしょう。まっ、それもいいか…という気分になっています。これが、慣れなのでしょう。

日々是好日
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「四月生が一人来日しました。サクラ(桜)に間に合いましたね」。

2014-03-28 09:20:00 | 日本語の授業
 晴れ。

 昨日の雨雲も去り、今日はまた晴れ。青空に、三分ほど咲いた「サクラ(桜)」花が映えて、これまた美しい。

 「サクラ」という花を見るのは、晴れて良し、曇りても良し、雨でも良し。また朝でも昼でも夜でも良し。三拍子揃っているなと見ていると、はたと気づきました。これは梅も同じ、椿も同じ。草花は皆同じなのです。そうでないのは人だけ…なるほど。これは…気づきたくはなかった…。

 さて、学校です。

 昨日、来日したという4月生が一人、おばさんに連れられてやって来ました。全然日本語が聞き取れない様子ですし、14日まで、何もすることがないので、ゲームしたりして遊んでいるだけだと言いますので、明日(28日)から毎日学校に来て、タイから持って来た日本語のCDを聞くように言っておきました。まずは規則正しい生活をしてもらわなくてはなりません。

 この、彼女を連れてきたおばさんが、「タイ人の印象は」と聞きますので、「頑張ろうとするけれども…、頑張れない。で、…諦める、すぐ(頑張れと言われるのが嫌だから、その人のそばから)逃げる」と言いますと、笑って「そう、そう」と言います。聞き慣れているのでしょう。

 最後に、学校のトイレや図書室などを案内しました。ちょうど、その時、三階の教室で、自習していた学生が二人いましたので、ちょっと彼等と話してもらいました。アルバイトしながら、こうやって休みの日にも学校で勉強している彼女に驚いたようでした。彼女達の前のプリントも「2級(読解)」だったので、それ(漢字の多さ)にも、びっくりしたのでしょう。

 まあ、一応、学校に来るように言ってはもらいましたけれども、多分、来ても、続かないでしょう。ただ、門戸はいつも開いています。来る来ない、やるやらないは、既に大学を卒業している本人が決めればいいことです。自分で決めさせてくれと言っておきましたから。

 最初にフル回転させてしまうと、(これまでの例から言いますと)半年持たないのです。「て形」や「ない形」までは、どうにかついて来られても、それが、三つ、四つとなってしまうと、「えっ、三つ目だ…」で、諦めてしまうのです。それで、何事も、ほどほどにということになってしまいます。細く長くできれば何とか続けられるでしょう。継続こそ力なりですから。

日々是好日
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「休み中の『自習』」。

2014-03-27 09:07:45 | 日本語の授業
 曇り。時々、小雨。

 今日は一日中、こんなお天気だそうです。

 学校へ着いてから、ふと水場の「ラン(蘭)」の花を見ると、蕾がかなり綻び始めていました。この「ラン」は可憐な感じが全くせず、蕾がつくまでは、「あの、寸胴の竹」と、私は呼んでいたのです。ランマニアからは、「不届き者」とか、「美の何たるかを知らぬ者」と蔑まれそうですが。だって、花びらだって、ボッテリとして、あまり可愛くないのですもの。でも、蕾は今年もたくさんついています。この学校の水場と相性がいいのかもしれません。

 さて、学校です。
 
 今週の月曜日から春休みが始まって、そして、今日で四日目。学生達はビザの更新やら、学費・寮費の支払いやら、進学の書類について質問やら、一人、また一人と、ポツポツとやって来るので、それはそれなりに忙しく過ごしています。

 そして、今年は、久しぶりに、自習の学生がやって来ています。皆、上の階に上げているのですが、7月に「N2」を受けたいという学生が二人(以前の、「過去問(2級)読解」をさせています)。

 それから、階段から落ちて足が腫れ上がり、学校に来られなかった学生が、来られなかった分を取り戻そうと、一度やってきました。これは急には追いつけませんね。けれども、やらないよりはやった方がずっとまし。

 そして、何を思ったか、「Eクラス」の学生が一人やって来ました。来るなり、「勉強します。勉強するために来ました。ベンキョウです」と公言しますので、「はあ、どうぞ。上の階に行って下さい」と言いますと、「○○さんは来ていますか。来ていない?じゃあ、△△さんは?」というので、すぐにばれてしまいました。どこかで、他の学生が、学校へ行って勉強すると言っていたのを聞いたので、「じゃあ、自分も」とやって来たのでしょう。けれども、ちょっと考えれば、この「○○さん」も、「△△さん」も、休みの時に学校に来てまで勉強するような人ではないということが判ると思うのですけれども。

 とはいえ、寮に住んでいると、アルバイトがない時間というのは、皆まちまちですから、下手をすると一日だれとも会えないということも起こりかねないのです。すると、スリランカの学生は寂しがり屋なものだから、人恋しくなってしまうのです。となると、よく知っている場所で話し相手が必ずいる所、つまり学校へやって来るのです。きっと彼も、学校には同じスリランカの学生がいて、淋しさを紛らすことができる…くらいに考えて来たたのでしょう。一人ではできそうに見えない学生ですもの。

 ところが、豈図らんや、だれもいない。こわい先生がいて、「さあ、よく来た。何々、勉強したい?よしよし、それでは、これとこれを持って行きなさい。そして、こうやって勉強しなさい。今日の計画は?何をどこまでやるつもり」なんて言う。素直な彼は、縮こまって神妙に聞いてはいましたが、一日だけで終わってしまいましたから、多分、懲りたのでしょう。…ちょっと、やり過ぎたかな…。

 とこころで、「N2」を目指している二人の学生達(一人はミャンマー人、一人はベトナム人)のことです。 

 …中国人学生が多かった頃は、「読解問題」にしても、日本人と同じような感覚で捉えることができましたから、それほど困りはしなかったのですが。もちろん、彼等(中国人)だけの時には、「日本人とは違うなあ」としょっちゅう感じていました。

 東南アジア、西アジアへとやって来る学生達の区域が増えてきますと、また人数も増してきますと(この学校には、中部や北部アフリカからも、中南米などからも学生を入れたことがあります。けれども、せいぜい二人か三人で、同時に十人以上在校しているということはなかったのです。だから、それぞれの国の傾向は、それほど掴めませんでした)、どうもそういうやり方では、特に「読解」などはやっていけなくなる場合が多くなったのです。

 一言付け加えておきますと、私がここで言っている対象の学生というのは、こちらの言う通りに、漢字の練習はし、ある程度は読めるし、書ける、また意味も判っているという学生のことで、休みがちであるし、日本語にはあまり興味を持てないという人たちのことではありません。実際に、一年以上いようとも、漢字が書けるどころか、読めもしないという人も少なくないからです。こういう人は、「読解」以前の問題で、まず、アルバイトに困らないように普通の会話ができることを目指すしかないのです、とにかく、日本に来てしまっているのですから。

 ミャンマー人学生は、在日の方なのですが、よくできます。ほとんど手はかかりません。彼女には、未習の単語を入れればいいだけです。

 そしてもう一人はベトナム人学生です。彼女は日本語が大好きで勉強が楽しいと言います。休み中はアルバイトがたくさんできるので、しっかり働いていると思うのですが、それでも、起きるとすぐにアルバイトの時間までと言いながら学校へやって来て、勉強しています。

 学校に来ると、二人に(一緒に来るということはありませんので、いつも別々です)、プリントを渡し、まず最初に自分で考えて解いてみるように言います。それから、仕事の合間に上へ行き、質問に答えたりしているのですが。

 ベトナム人学生は、まず「いつ、だれが、どこで、何を、どうした」を考えねば意味はとれないということが判っていなかったようです。それで、それを言い、解いてごらんというと、急にスルスルと解けるようになっていきました(もちろん、主語が見えないといった難しい部分はありましたが)。その後は、未習の単語や文法に引っかかりはしたものの、大きな困難はなかったようです。帰る時に、「判った、判った」と言いながら、うれしそうに帰っていきましたから。

 読み取り方も、自分達にとっては少しも大きな問題ではなかったので、理屈で考えたことはなかったのですが、それを理屈で身に付けさせなければならない人もいるのです。「日本人に日本語の文章を」というわけではないので、しかも、常に5カ国か6カ国から来ている人がいるので、それなりに、難しい部分もあるのは確かなのですが、それでも、こういう「普通の文章」(法律や経済などには、別の思想があります。それが理解できていなければ、なかなか読み取れないこともあるのです)でも、「判らない」となってしまうのです。

 本当に、彼女には、ちょっと「ヒントを与える」だけでよかったのです。

 これも、休み中に来てくれたから、個別に指導できたので、もし、一斉授業であったら、彼女も遠慮して言わないだろうから、「『判らない』は、『判らない』」で終わっていたのだろうと思います。

 「一文」で、ほとんどが終わってしまっている「初級」から、長文とまでは言えずとも、中長文となる「中級」の読解は、まず初めは、できれば個別指導が望ましいのかもしれません。そういう読み取りのコツを母国で学んでいない人が、かなりいるようですから。

日々是好日
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「昨日、『(サクラの)開花宣言」が出されました」。

2014-03-26 09:12:42 | 日本語の授業
 曇り。

 昨日、関東地方でも「(桜の)開花宣言」が出ました。疾うに出されていた高知県では既に満開になっているそうな。

 「さくら折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿」

 浮世絵などでは、華やかな桜の並木をバックに、桜の枝をかざしながら浮かれ歩く伊達男や、桜の枝を手に持つ浮かれ女などが描かれているのをよく目にしていたのですが…、あの桜、あの後、どうなったのでしょうね。

 今は「樹木医」や「桜守」などがいて、何かあった時にすぐ手当をしてくれるようですが…(サクラや老木は、個人の土地のものであっても、半ば公共の財産のような感じなのです)。桜の枝を持つ人の絵を見るたびに、心配になってきます。

 とはいえ、「開花宣言」が出された後は、列島は一挙に花見に突っ走りそうです。二分咲きであろうが、三分咲きであろうが、お構いなし。サクラと言う花は、咲くと決めたら、咲くのですから。満開になるのもあっという間、そして(満開の後)散ってしまうのもあっという間。「曜日を合わせてくれろ」とか、「都合を合わせてくれろ」とかいった人様の都合にはお構いなし。というわけで、うまいこと週末に見頃が迎えられるとは決まらないのです。

 既に咲き始めた「サクラ」の気持ちは、「花開く」となっているのですから、どうしょうもありませんね。もっとも、今日は、今のところ、「花曇り」。夕方くらいから、雨雲がこちらにもやってくるそうですから、一日遅れの「花起こしの雨」になるのでしょう。

 もちろん、人々の思いとしては、春と言えば、「サクラ」。けれども、春を告げるものは、サクラのみではありません。他の花もありますし、それには虫や鳥、魚や動物たちもいます。

 中学生の頃、
「うらうらに照れる春日に雲雀あがり 情(こころ)かなしも一人し念(おも)えば」    大伴家持
の歌と当時の自分とを重ね合わせたことがありました。

 それも、身近にそういう風景が残されていたからでしょう。ずっと年古りてからのこと、同級生だった友人と話している時、彼女もこの歌が印象に残っていたことを知りました。彼女の場合、それが、もっと強烈で、実際に野原で雲雀の巣を見つけ、雲雀が大空に舞い上がるのを見たなんて言っていましたから。もしかしたら、彼女の気持ちには、後半の「心悲しも」がなかったのかもしれませんけれども。

 おそらく、啄木の言うところの「十五の春」というのが、このときの私の気持ち近いものだったのでしょうけれども。

 あの当時と比べ、「自然」が身近でなくなった分、人々の口から、「里山」とか「自然」とかいう言葉が繁く語られるようになってきました。 人というものは、やがては土に帰るものですし、土を懐かしむ気持ちは、どこで何をしていても、結局は在り続けるのでしょう。

 今年、初めて、「サクラ」を見ることになる、留学生達。きっと、「きれい。きれい」と見てくれることでしょう。そして、その中の何人かが、きっと私たちと同じように、「サクラ」と共に年を重ね、思い出を紡いでいくことになるのでしょう。

日々是好日
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「外国へ行くと、人は皆、愛国主義者になってしまう…」

2014-03-25 10:29:20 | 日本語の授業
 晴れ。今は青空が広がっていても、だんだん雲が出てくるそうですが。

 近所に「アセビ(馬酔木)」の花が咲いていました。よく俳句に登場する花なで、それ故にか、あまりいい印象が持てず困っています。見ても「…ああ、こいつか」みたいな感じで…。本当は「可憐な…」と言っても、少しも違和感のないような花なのですけれども。

 先日、川崎大師に行った時、「サクラ(桜)」なのか、「コブシ(辛夷)」なのか、判らない花が咲いていました。そばにいた友人が、「この部分の匂いを嗅ぐと判る」と言って、落ちていた「萼」か何かの匂いを嗅いでいました。なんでも、匂いがあったら「コブシ」、匂いがなかったら「サクラ」なのだそうです。

 私の頭の中には、「サクラ」が咲く前に咲くのが、「コブシ」でしたし、「コブシ」の花は、地味で、白いと思っていましたから、淡いピンクの、この花は「サクラに違いない」だったのですが。結局、「匂わなかった…。でも、これは『コブシ』」で、落ち着いてしまったのですが。…人生、何でも、こんなもんです。

 この時期、野にも山にも、そして街にも、花が一斉に咲くので、「ああ、きれい、きれい。気持ちがいい」で、終わってしまい、またそれがいいのでしょうけれども。時々、ここは「何々の花ばかりを植えているところ」というのがあって、もちろん、きれいですからそれを楽しみに見に行く人もいるのですけれども、けれども、やはり自然に生えてくる花々には勝てませんね。何と言いましても、人の手が入っていないところには、「驚き」や「発見」があって、それが人の心をときめかせるのです。

 山や里を散策していると、時々、思いもよらぬ草花を「発見」したりする。今、その時でなければ、見られないもの、しかも、これらは、行けば、必ず、見つけられるとは限らないのです。

 その度に、こういう「里」に住んで、いつも、こういう発見ができる人は幸せだろうなあと思うのですけれども。とはいえ、住んでしまえば、それが日常になってしまい、別にそれを幸せともなんとも感じなくなってしまうのでしょうけれども。

 外国で暮らしている時、特に、日本を出てから三ヶ月くらい経った頃、どうしてこんな国に来たんだろうと、頭で描いていた姿との違いに、かなり苛ついていました。そして、、「戻りたい」と日本の良さばかり思い出していました。もとより、言葉が不自由であったせいでしょうし、生活がおそろしく不便であったことも関係していたでしょうけれども。

 それが、1年ほども経つと、生活の不便さも、「しようがないな」で終われましたし、言葉も何とか意思の疎通を図れるほどにはなっていましたし、それに、何よりも、その国や他国の友人ができ、国や民族、人による価値観の相違というものが、厳として存在するということにも慣れていました。だって、「それを認めながら、生活するしかない」なのですから。

 これは、今の留学生達と同じです。毎年、新しい学生達が来日して、三ヶ月から半年頃の様子を見るたびに思います。「(あの頃の私と)同じだなあ」と。「そうだ、あの頃は、いつも帰りたい」って思っていたんだっけ。「つまらないところへ来たものだ」と後悔していたんだっけ。

 日本との違いに興じたのも、最初の一ヶ月が限度。それが過ぎると、もう、何もないことに飽きてしまい、また想像していた世界との違いに興ざめしてしまい、「発見」することを放棄していました。本当はいろいろなことがあったでしょうし、できたでしょうに。

 それを思うと、彼等のことも判ります。「私の国は本当に良い国です」と、この頃の留学生達は、口を揃えて言います。そうでしょうとも。自分の国を悪く言わざるを得ない人は本当に気の毒です。だって、この時期は、自分の国が理想化されて脳裏に浮かぶというのが、本当だと思うからです。

 私だって、そうでした。母国にいる時には、悪い所ばかりが見えてしまい、良い国だなんて考えてもいなかったのに、外国へ行くと、人は突然に愛国主義者になるようです。

 ただ残念なことに、こういう小さな学校では、どうしても、ある国からの人々がかなりの数を占めてしまうという「現象」が時々起こり、クラスによっては、一つの国から来た人が大半を占めてしまうと言うこともあるので、この「異文化」や「価値観の違い」が、なかなか判らない人が出てしまうのです。

 これも、毎日学校へ来ていれば、日本人教師とのやり取りから、ゆっくりとではあっても、自分の国とは違うなということが判るでしょうし、また、皆でやる「行事」や「課外活動」に参加していれば、ふとした時に、気づかされることもあるでしょう。

 日本で日本語を学びながら、アルバイトをするということが、日本の文化や習慣に習熟することと相関関係があるように、異郷の人の一人として、他の異郷の人たちを理解していくことにも繋がっていくのです。できれば、この学校の学生達も皆、そうあってほしいと思うのですが。

日々是好日
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