柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

後講釈

2008-05-11 08:13:30 | Weblog
何と肌寒いことです。北海道の異常気象を挙げずとも当地でも十分に実感します。この時期ですからこういう不順さは珍しくないんでしょうが、「伊達の薄着」を体感することです。
 阪神強いんですが中日もすぐ側にいます。ここも強いです。この前TVのダイジェストで中村紀の低めの玉をしゃくり上げてバットをパーンと放り投げるホームランシーンを見ました。誰が打ってもホームランシーンは綺麗なんですが、この人のは特別綺麗だと昔から思ってました、その印象通りのフォームでした。なんやかやできっちり中日のレギュラーですからね。いつ本性現れるのかはわかりませんが、殊勝に謙虚に控えめに、今のところこの方針は間違いじゃなかったですね。
 今日は母の日で。だからどうしたって事なんです、誰が決めた?迷惑なこと、なんですが、何とかの日というのが日本人は好きで仕方ないですかね。カーネーションをひっつけてビジネス化する(させる)。クリスマスやら誕生日やら(私の幼少時には誕生日に何かするなんて習慣はなかったですがね、ひとえに親の意識の問題で経済状態の問題、生活様式の問題だったんでしょうが)の金儲けを拡げよう、柳の下のドジョウを捜しているわけです。キャンペーンです。今日はカーネーションを買いましょうです。お母さんにあげましょうなんて目先すり替えて買わせる。子供を騙す(こんな書き方するとまた叱られましょうか)。ま、世の中も適当に乗っていくわけです、カーネーション代で済むなら安いもんだって。そこが業界の狙い目ではあるのでしょう、そう行事化すればこの日の需要は計算できるわけです、するとここから逆算しての計画も立つわけです。この手立ての有効さを実感するのです、女の花好きを利用するいい手ですからね、他にそんな日を創れないかい、バラの日とかボタンの日とかマーガレットの日とかって。なるほど。母親に感謝しましょうなんてのが嫌なんですね。言われてやる事じゃない!って反感です。子供じみてるって言われればその通りでもあるのですが。この人がいなければあなたは(私は)この世に存在しない、なんて理由を持ってこられて。その母親にもまた母親がいて・・あなたのこの世での存在にはどれだけ多くの人が関わっているのか考えて、十分に感謝なさい!。嫌です。こういう考え方が本当に嫌で。まことしやかな感情論をまるで宇宙の真理のように鼻の穴膨らませて強制する。動物行動学学者のよくやる自分(人間)勝手な後講釈です。子供を儲けるときに誰がそんな崇高な意欲意志を持ってますか?全く馬鹿馬鹿しいこと。人として当然な事をしているだけのことでしょう?自分が育てられて成人したら、次は役目を代わって自分の子を育てるだけのこと。そしてこれも順番に年老いて死んでいくんです、親が通ってきた道のままを。この順番、何百何千年も前から続いていることです。こっちは十分に肯きます、こうやって人は生きてきたんです。でも、だから感謝しろなんてのは全くの感情論でしょう?後付け講釈でしょう?そう思うわけです。
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