吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2018年11月21日〈エッセー〉061:鉄道があるということ

2018-11-21 15:43:54 | エッセー

 

写真①:「津屋崎馬車鉄道」の写真パネルなどを観覧する「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」参加の人たち

    =福津市津屋崎1丁目の同市複合文化センター「カメリアステージ」1階で、2018年11月17日撮影

・連載エッセー『一木一草』

第60回:鉄道があるということ

「津屋崎馬車鉄道」廃止後、西鉄宮地岳線「貝塚―津屋崎駅間」開通

さらに西鉄宮地岳線「新宮―津屋崎駅間」廃止後に来るものは?

  地域の宝・津屋崎塩田遺産や津屋崎馬車鉄道の歴史、文化を見詰め直し、後世に伝えたいと11月17日、私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が同市複合文化センター「カメリアステージ」と初めて開催した「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」には、市内外から男女20人の方の参加をいただき、ありがとうございました。午前10時からは、「カメリアステージ」1階に同日まで展示の「津屋崎馬車鉄道と津屋崎塩田」回顧展の写真パネルを観覧=写真①=。この後、明治から昭和初期まで福間―津屋崎間を走った「津屋崎馬車鉄道」の津屋崎駅跡、<津屋崎塩田>の産業遺産・「塩倉庫」(旧熊本塩務局文書庫)などを訪ね、迷路のような津屋崎千軒の路地をそうつく2時間のフットパスを、五感で満喫。

  1頭の馬に引かせた木製の客車(乗客16人乗り)が幅91.4㌢の線路を走り、福間―津屋崎間を結んだ「津屋崎馬車鉄道」は、明治41年(1908年)4月開業、一日15本運行で年間18万人の乗客を運び、〝馬鉄〟の愛称で親しまれましたが、乗合バス利用の時代となり、昭和14年(1939年)3月に廃止。馬鉄津屋崎駅跡は、私が津屋崎小学生だった昭和30年代初めまでは空地で、松の木が何本か立っていました。この松は以前、6本あったといい、馬鉄の終点で馬をなわでつなぐ〝馬つなぎの松〟と言われていたという。

 一方、旧西鉄宮地岳線が大正14年(1925年)、当初開業していた「和白駅」(福岡市東区)までの路線が「宮地岳駅」(福津市宮司)まで延長され、「津屋崎馬車鉄道」廃止後、旧津屋崎町宮司までをつなぐ鉄道として利用されるようになりました。さらに旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日には「宮地岳駅」から「津屋崎駅」まで1.5㌔、1駅路線延長され、旧津屋崎町と福岡市が鉄道で直結。この日、路線延長を全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、津屋崎小1年生だった私も天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員としてラインダンスを披露した記憶があります。しかし、同路線の貝塚(福岡市東区)―津屋崎駅間20.8㌔のうち、新宮(福岡県新宮町)―津屋崎駅間が平成19年3月31日限りで廃線になり、津屋崎駅は解体、今は、駅跡のしるしは旧駅舎跡南側に建つ「電車延長記念碑」=写真②=だけとなりました。

 西鉄宮地岳線「新宮―津屋崎駅間」廃止後の津屋崎に、新たな鉄道が生まれる日は来るのでしょうか。

 

写真②:旧西鉄宮地岳線「津屋崎駅」前に建つ「電車延長記念碑」

     =福津市津屋崎1丁目で、2018年11月21日撮影

福津市内2番目のフットパスの魅力に手ごたえ

 フットパスとは? イギリスが発祥で、ありのままの風景や自然、古い町並みを楽しみながら歩くこと(Foot・フット)ができる小径(こみち。Path・パス)のことで、この小径を歩くことも言います。

  「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、福津市内初のフットパスとして2014年開設した「津屋崎里歩きフットパス」(歩程6.8km。2015年9月に『絶景の道100選』認定)は、ありのままの風景や自然を楽しむコース。フットパス開設後、コースにある宮地浜「夕陽風景時計」や「宮地嶽神社」から宮地浜へ延びる参道を照らす夕陽が〝光の道〟として、全国的な有名スポットになりました。『絶景の道100選』認定3周年を記念し、17日に開催した「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」は古い町並みを楽しみながら歩くコースです。町家に卯建や鏝絵が残る迷路のような路地を抜け、コースわきの軒先に咲く秋の花、港町の潮の香、商家の女将さんとの昔話など、ありのままの古い町並みの風情が楽しめ、市内2番目のフットパスコースとして参加者に魅力をアピールできる手ごたえを感じました。

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