写真①:「室津漁港」(右)と室津のシンボル・「甲山」(向こう)
=山口県下関市豊浦町室津下で、2017年4月2日午前10時25分撮影
「室津の鏝絵」巡りリポート⑦
室津のシンボル・「甲山」
海風を遮る「甲山(こうやま)」=写真①=のおかげで、「室津漁港」は、一年中凪です――と、樽本勝一・「室津地区活性化推進協議会」会長は、「室津の鏝絵」巡りガイドの途中の海岸で、「室津漁港」の西側にある「甲山(標高約117㍍)」を見ながら話されました。福津市・〈津屋崎千軒〉の繁栄を支えた交易港・「津屋崎漁港」も入海を隔てた西側対岸の大峰山(標高114㍍)により、玄界灘からの強い西風から守られ、天然の良港となっています。「津屋崎塩田」と同じように、室津の海辺にもかつては塩田があったといい、津屋崎と室津には共通点が多いようです。
明治時代からの町家の白壁や蔵に鏝絵が残っているのも、似ています。「室津」の中村千秋さん宅から「室津公民館」横に移設された龍の鏝絵といい、〈津屋崎千軒〉の町家で一番目を引く明治20年(1887年)に建てられた「豊村酒造」主屋(居蔵造り2階建て)正面に吊るされた杉玉の両脇の漆喰壁に残る龍の鏝絵=写真②=も、かつて室津、〈津屋崎千軒〉双方の町家とも大火で壊滅的な被害を受けたゆえに、水を司る神様で雨を呼ぶという龍に「火伏せ」や火事除けの祈願を託して描かれたものでしょう。
写真②:「豊村酒造」主屋正面に吊るされた杉玉の両脇の漆喰壁に残る龍の鏝絵
=福津市津屋崎4丁目で、2008年12月14日撮影
鏝絵は、静岡県生まれの左官職人・伊豆の長八(ちょうはち。本名入江長八)が、幕末に江戸に上って学んだ狩野派の日本画を生かして考案し、芸術品にまで高め、各地に広まったといわれています。鏝絵の残る町並みといえば、大分県内に全国で最も多い約1,000点の鏝絵が残り、うち同県宇佐市安心院(あじむ)町が市指定史跡・「重松家別邸」(重松公子さん宅)母屋3階戸袋に描かれた「龍」の鏝絵=写真③=をはじめ、明治初期ごろから最近までの鏝絵約100点があるので有名。ほかに、石州左官の作品が多く残る島根県や、長八の古里・静岡県、高知県、富山県、長野県などに多くあることが知られています。安心院の鏝絵は、大分県内の左官職人が長八に鏝絵を学んで帰り、県内の左官職人に伝えたからとされています。
写真③:宇佐市指定史跡・「重松家別邸」母屋3階戸袋に鮮やかに描かれた「龍」の鏝絵
=大分県宇佐市安心院町折敷田で、2012年5月11日撮影
「安心院」と〈津屋崎千軒〉の町並みは交易の繋がりは薄く、出稼ぎで全国へ散らばっていった多くの石州左官の仲間が〈津屋崎千軒〉の町家の鏝絵制作にかかわったのかもしれません。特に豊浦町が発祥地とされる「大敷網」(定置網の一種)漁が約60Km離れた福津市津屋崎=写真④=にも導入され、大正時代に筑前勝浦濱(現福津市勝浦)の漁民が、豊浦町湯玉の「川嶋神社」に豊漁お礼の絵馬を奉納したことが、2日の「豊浦町観光ツアー」でも確認されたこともあり、漁民同士の交流情報から石州左官が〈津屋崎千軒〉で鏝絵を制作した可能性はあながち否定できないのではないでしょうか。
写真④:福津市津屋崎―下関市豊浦町約60Kmの位置図
「豊浦地区まちづくり協議会」は2016年6月26日、室津の鏝絵と町並みを散策し、室津のシンボル・甲山に登るコースの「豊浦フットパスin室津」を開催(共催・「室津地区活性化推進協議会」)。「豊浦地区まちづくり協議会」の33人は、2017年はさらに充実したフットパスを開催したいと、2月13日に福津市の『絶景の道100選』認定・「津屋崎里歩きフットパス」と〈津屋崎千軒〉の「鏝絵と卯建の残る町並み」を視察されました。津屋崎に訪問いただいたお返しを兼ねて豊浦を訪ねた2日のツアーでは、同まちづくり協議会、同活性化推進協議会の皆様から手厚いおもてなしをいただき、ありがとうございました。お陰様でツアーを楽しみ、多くのことを学びことができ、心からお礼を申し上げます。
(終わり)