吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2010年3月30日/〈津屋崎の四季〉538・おや、とおせんぼ

2010-03-30 22:47:37 | 風物
写真①:「新堤池」から農道に〝上陸〟したカルガモの群れとオオバン(右端)
     =福津市的岡で、2010年3月30日午前7時8分撮影

 30日朝、いつもの散歩の途中のことです。福津市的岡の「新堤池」東の農道にさしかかると、カルガモ(カモ科)の群れと冬鳥のオオバン(クイナ科)1羽が池から上がって餌取りの真最中=写真①=。

 このままでは、とおせんぼ状態です=写真②=。少し近づいても、こちらには気付いていません。迂回路を行くことにしました。

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写真②:とおせんぼ状態のカルガモたちとオオバン
     =福津市的岡で、30日午前7時9分撮影

 迂回して農道の北側から振り返って見ると、まだ餌探しに夢中のようでした=写真③=。

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写真③:餌探しに夢中のカルガモの群れとオオバン
     =福津市的岡で、30日午前7時17分撮影
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2010年3月30日/〈日記〉393・「なにもない」「田舎」のまつりに来ちゃんしゃい!

2010-03-30 09:03:49 | 日記
写真①:「津屋崎千軒 うみがめ祭・町家まつり」チラシ表面

 ふるさと・津屋崎小学校の同級生は、「津屋崎にはなにもない」と言って福岡市のマンションへ移住しました。福岡県立福岡高校の同窓生からは、「津屋崎のような田舎のツアーにだれが行くと思うか。お前がもっと宣伝せい」と喝を入れられました。

 そんな「なにもない」(実は、世の中「ものがありすぎて、なにが大事なものか見分けられない」からでは?)「田舎」(都会ではないから、いいのでは?)の津屋崎で、4月17日(土)、18日(日)に「津屋崎千軒 うみがめ祭・町家まつり」というのをやります。

 以下は、福岡高校第15期卒業同窓生のメーリングリストに29日送った私の
「なにもない」「田舎」のまつりに来ちゃんしゃい!
の気持を込めたメッセージです。

〈津屋崎千軒〉散策ツアーのご案内

柔剛会メンバーの吉村勝利です。
きょうは、4月18日(日)に福岡市の天神から無料送迎バスに乗って約50分の福津市・
〈津屋崎千軒〉散策ツアーへのご案内をさせていただきます。

柔剛会のO君からツアー企画のご提案をいただき、私が実行委員会の事務局長を務めさせていただき主催する「津屋崎千軒 うみがめ祭・町家まつり」の2日目に、不肖私のガイドで町並み案内をさせていただくことになりました。

 〈津屋崎千軒〉は、平成18年に水産庁から全国の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選定された玄界灘に面した港町で、平凡社刊『日本の町並み』にも伝統的町家が残る町と紹介されています。江戸時代に千軒もの商家が並ぶほど栄えた町として、〈津屋崎千軒〉と称され、その繁栄は、筑前の製塩量の90%を占める福岡藩直営の「津屋崎塩田」と海上交易が支えました。初代藩主・黒田長政の出身地である岡山県の福岡も、かつては宿場町で「福岡千軒」と言われています。1623年、京都で死去した長政の柩は、船で博多へ運ぶ途中時化に遭い津屋崎の善福寺(本尊・馬頭観世音)に上げ、垣を巡らせて安置したことから〝垣の内観音〟とも呼ばれ、今も長政の位牌を祀っています。長政の父如水の異母弟養心(ようしん)の屋敷も、津屋崎にありました。

 さて、18日のガイドでは白砂青松の海岸と“A Quaint Town(古風な趣のある町)”の雰囲気から「九州の鎌倉・江の島」と言われる町並みを約1時間、そうついて(博多方言で「散策」の意味)いただきます。

主な見所は
①裕福な商家でないと建てられなかった「卯建」の建つ町家「麦屋惣平衛邸」

②明治時代に九州一の清酒生産高で全国酒造家番付に載り、漆喰壁に龍の鏝絵が描かれた「豊村酒造」http://blog.goo.ne.jp/magpie03/e/8d9b069e0cb9fd507ad272dd09ed7109(試飲もできます!)

③古博多人形の面影を伝える素焼きの人形で、1993年の年賀切手の図案に〈太鼓乗りにわとり〉が採用された「津屋崎人形店」

④明治34年建築の紺屋・「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」http://www.city.fukutsu.lg.jp/shisei/shisetsu/ainoie.php(旧上妻家住宅で、国登録有形文化財。藍染めの作品展を開催中)

⑤江戸時代に津屋崎浦の漁場拡張を福岡藩に直訴し、願いはかなったが、翌日、福岡箱崎浜で処刑された庄屋と組頭5人の「義民六人士」(米倉斉加年作の演劇http://blog.tsuyazaki-sengen.com/article/20052219.htmlでも紹介)を祀る「教安寺」(浄土宗。鎌倉時代開基)――などです。

 このほか。フーテンの寅さんでおなじみの葛飾柴又の帝釈天参りで知られる「庚申信仰」の石碑・「庚申塔」が辻々に建っています。小説『化生の海』で津屋崎人形を謎解きのキーに使った旅情ミステリー作家・内田康夫さんは「津屋崎は小さな路地がたくさんあって、素敵な町」と話しています。津屋崎は、山田太一作、深町幸男演出、市原悦子、藤竜也主演で98年にフジテレビ系列で全国放映されたドラマ『大丈夫です、友よ』の撮影舞台にもなり、「風景がよく、昔のままの造り酒屋があり、気に入った」(山田太一氏)町です。

 「津屋崎千軒 うみがめ祭・町家まつり」は、チラシ(写真①,②ご参照を)に「塩と炭鉱王が支えた津屋崎」というキャッチフレーズを付けていますように、「町家まつり」では博多の味噌、醤油、漬物の味には欠かせないとされ、〝津屋崎は塩で保(も)つ〟といわれた津屋崎産の粗塩を再現、外海に面した「恋の浦」のきれいな海水から手作りした塩の実費頒布や、津屋崎塩田時代の写真、塩作りの方法などを展示します。

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写真②:「津屋崎千軒 うみがめ祭・町家まつり」チラシ裏面

 また、筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門が渡半島の曽根の鼻に開設して大賑わいし〝魚に引かれて津屋崎遊び〟といわれた「活洲場(いけすば)」などゆかりの写真展(17日は飯塚市から旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う実行委員で柳原白蓮の娘の聞き書きを出版された作家宮嶋玲子さんも来訪予定)、明治の熊本塩務局津屋崎出張所の赤レンガ造り建物「塩倉庫」広場でのコンサート、津屋崎人形や宮地嶽神社門前町の商店で売られている松ケ枝餅、福岡県知事指定特産工芸品のマルティグラス、まるごとにんにく餃子といった福津市のブランド商品「福津の極み」http://www.e-fukutsu.com/kiwami/index_flash.htmlの販売を行います。

 私が会長を務めています町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が発行した〈まちなみ散策地図『津屋崎千軒そうつこう』英語・日本語併記版〉A2判、表裏カラー、八つ折り)http://blog.tsuyazaki-sengen.com/article/34387365.htmlを皆様にお贈りし、ガイドいたします。「福津の極み」や藍染め、清酒「豊盛(とよさかり)」、陶器と、「うみがめ祭」会場のお魚センターでの魚介類の買い物のあと、旅館「正直亭」での新鮮な魚料理のご昼食をお楽しみください。

 渡半島の大峰山には、NHKテレビのスペシャルドラマ「坂の上の雲」で話題の日本海海戦紀念碑(東郷平八郎揮毫)が建つ東郷公園や、本木雅弘が演じる主人公の一人、連合艦隊参謀・秋山真之(さねゆき)の書簡も展示されている東郷神社もあります。旧日本軍とロシア艦隊が戦った砲声が響き、壱岐・対馬方面に煙が立ち上ったのが目撃されたという同山頂を訪ねる「坂の上の雲」体験ツアーガイドも行っていますので、別の機会にもまた津屋崎にお越しいただければ幸いです。

※津屋崎紹介のブログhttp://1000gen.com/
:埼玉、京都から移住した若い男女の津屋崎生活から町の様子をご覧ください。

 以上、よろしくお願いします。

◇いかがでしたでしょうか。

 「津屋崎千軒 うみがめ祭・町家まつり」を共催していただく福津市が29日、市長の定例記者会見で、まつり開催の記者発表をされました。31日には、まつりのポスター100枚とチラシ1万枚の印刷が完成、関係者で配布を始める予定です。今朝、津屋崎渡半島にある筑豊の炭鉱主・麻生家の別荘(現在は麻生セメント株式会社の麻生健康保険組合「津屋崎荘」)=写真③=そばの津屋崎ヨットハーバーに行き、潮風の甘い匂いと紺碧の海を眺めて英気を養ってきました。

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写真③:麻生セメント株式会社の麻生健康保険組合「津屋崎荘」
     =2010年3月30日午前8時10分撮影

 ブログを拝見の皆様にも、改めてPRさせていただきます。
「なにもない」「田舎」のまつりに来ちゃんしゃい!
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