写真①:公開された町家・「旧田中薬店」の床の間
=福津市津屋崎新町で、2009年4月18日午後2時6分撮影
何かが変わる、変える
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「津屋崎千軒 町家まつり」を振り返ってー
(10)町家公開
「津屋崎千軒 町家まつり」では当初、チラシの「町家一覧」に掲載した「見所と主な展示内容・サービス情報」に、「室内見学可」と書き入れたのは町家名番号23の「旧田中薬店」だけでした。田中家は明治時代、地主で、昭和になって薬局の『田中泰山堂』を営まれました。
福津市津屋崎新町にある「旧田中薬店」の「展示ご案内」では、見どころを「昔、宗像郡には薬局が赤間、東郷とここ『田中泰山堂』の3軒で、泰山堂は問屋も兼ねていた。家屋は町屋形式で、建築は藍の家を建てた大工と同じ人。瓦は、飯塚市の大浦荘(麻生家)と同じです」と紹介。
このうち、店内については「薬の大・小看板4面。衝立。手作り小物」など、室内については「お座敷の床の間と民具。雪見障子。欄間の細工。縁側のガラス。染物。苔むした燈籠。渡り廊下天井中央の木。畳敷きの脱衣所」と、見どころを挙げていました。
「町家まつり」が催された4月18、19両日、〈津屋崎千軒〉を訪れた福津市内外からの多くのお客様が座敷に上がり、1月で店じまいされた同店の田中文子さんから床の間=写真①=や民具=写真②=、雪見障子、染物などの説明を受け、津屋崎の町屋の素晴らしさに感銘を受けられたようです。
写真②:床の間に展示された珍しい掛け軸に描かれた雛飾り
=「旧田中薬店」で、4月18日午後2時10分撮影
「室内見学可」の町家は、「旧田中薬店」のみと思っていましたが、「町家まつり」が開幕してみると、津屋崎天神町の町家名番号6の「上田製菓」では、ご当主の上田弘美さん夫妻が座敷=写真③=を公開、創業した江戸時代末期から伝わる計りと分銅=写真④=や、明治時代からの「落雁型」=写真⑤=などの製菓道具を展示。筑豊から来た女性客から、「上田製菓の家紋は、飯塚市の伊藤伝右衛門邸の紋に似ている」と言われて、ご夫妻と話が弾んだという。
写真③:障子の左側に坪庭が見える「上田製菓」の床の間
=福津市津屋崎天神町で、4月21日午後4時18分撮影
写真④:江戸時代末期の計り(右)と分銅
=「上田製菓」で、4月21日午後4時17分撮影
写真⑤:明治時代から伝わる製菓道具・「落雁型」
=「上田製菓」で、4月21日午後4時16分撮影
このほか、町家名番号18の「伊藤敏介邸」では応接間で「狐の嫁入り人形」や帆船模型などを公開されたのをはじめ、30番の「旧玉乃井旅館」では築百年になる旅館や家族の写真、パンフレットなどを1,2階で、29番の「西住弘久邸」では江戸末の廻船問屋「唐津屋」(吉原家)のお雛様や明治の糸車などのお宝を玄関や座敷で、それぞれ公開。7番の「鷹取純一邸」では、大正建築の室内に案内されました。
これまで同様、店舗土間を公開、営業された13番の「豊村酒造」や、14番の「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(旧上妻家住宅、国登録有形文化財)、9番の「ギャラリー蔵」、28番の「芹野商店」(〝町家カフェ〟)などを加えると、「室内見学可」の町家は10軒以上に達しました。
08年7月19日、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が福津市文化会館で開催した「〈津屋崎千軒〉まちおこしへの提言」の講演会で、都市計画の第一人者・西村幸夫東京大学大学院教授が、町興しの成功事例紹介で「新潟県の村上という城下町では、人形さま巡りで町屋を公開し、いろんな人が来るようになって、やってる側が誇りを持ち、お客さんにお茶を出してくれるようになった」と講演されました。
〈津屋崎千軒〉の町家でも、室内の見学、公開が増えた「町家まつり」開催で、誇りとやりがいを感じていただけたのではないか、と嬉しくなりました。