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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年5月15日/〈大分・町歩き〉004・安心院町の鏝絵通り

2012-05-15 05:05:57 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:「縣屋酒造」の白壁に描かれた「毘沙門天・弁財天・布袋」の鏝絵

     =大分県宇佐市安心院町折敷田で、2012年5月11日撮影

 

〈大分・町歩きスポット〉 4

 :安心院町の鏝絵通り

 宇佐市観光協会安心院支部では、同市安心院町の本町通りを「鏝絵(こてえ)通り」と銘打ち、町歩きマップで「ゆっくり歩きたい ~見上げれば夢がある~」とPRしています。明治時代制作の古い鏝絵だけでなく、平成作の鏝絵もあり、「鏝絵通り」の町並みづくりを目指す安心院の人たちの心意気を感じました。

 宇佐市安心院町折敷田(あじむまちおしきだ)にある江戸中期・正徳2年(1712年)創業と大分県最古の酒蔵・「縣屋(あがたや)酒造」の2階白壁には、同町の左官職人江藤智子さんが平成16年に描いた「毘沙門天・弁財天・布袋」の鏝絵=写真①=があります。大きな樽の前で麹を混ぜている毘沙門天さん、その横でおいしそうに酒を酌み交わす布袋さんと弁財天さんの姿が、笑いを誘う図柄です。当家の社長ご夫妻をイメージして作ったという。

  1階の店舗に掲示された「縣屋」の看板の下には、宇佐市下庄出身の大横綱「双葉山」銘柄の薦被りの酒樽が置かれています。軒下に立ち、桁を支える腕木と柱を斜めにつなぐ「持ち送り」=写真②=を見ると、おしゃれな装飾模様が施されていました。

 

 写真②:「縣屋」の軒下にある洗練された「持ち送り」

  「縣屋」前の通りに、鏝絵めぐりの研修に訪れた左官見習いの人たちが、引率教官とともに通りかかるのに出会いました=写真③=。

 

 写真③:左官見習いの研修生が通る「縣屋」前(2階右側の白壁に描かれているのが、「毘沙門天・弁財天・布袋」の鏝絵)。

  下毛にある「安心院印刷邸」の鏝絵は、子どもをたくさん生むので子孫繁栄を託して「鼠」の絵柄です=写真④=。同印刷の社長夫妻が鼠年生まれなので、鼠の鏝絵を左官職人後藤五郎さんへ平成14年に注文。印刷屋なので、ペンとインクが描かれ、鼠は着物姿に下駄履きで、明治時代のバンカラ族風なのがユーモラスです。

 

写真④:ペンとインク、着物姿に下駄履きの鼠が描かれた「安心院印刷邸」の鏝絵

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2012年5月14日/〈大分・町歩き〉003・安心院町の鏝絵めぐり

2012-05-14 05:46:32 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:「賀来信子宅」の母屋2階妻壁に描かれた「唐獅子と竹」の鏝絵

     =大分県宇佐市安心院町折敷田で、2012年5月11日撮影

 

〈大分・町歩きスポット〉 3

 :安心院町の鏝絵めぐり

 宇佐市指定史跡・「重松家別邸」近くにある「賀来信子家」母屋2階の妻壁には、明治20年代に左官職人高吉(正憲)が描いた「唐獅子と竹」の鏝絵(こてえ)=写真①=がありました。唐獅子とはライオンのことで、智慧の菩薩・「文殊菩薩」の使いとされています。賀来家=写真②=の子どもさんが、賢く育つ願いが込められています。高吉は、〝流しの左官〟という。

 

 写真②:2階妻壁に「唐獅子と竹」の鏝絵がある「賀来信子家」

  宇佐市安心院町下毛には、「一富士、二鷹、三茄子」の図柄の鏝絵=写真③=が移転保存されていました。安心院町龍王出身で、門人14名を抱えたという安心院を代表する左官の大棟梁・長野鐡(鉄)蔵が明治23年(1890年)、同町大仏の上鶴精さん宅の蔵の2階戸袋に描いたのを、平成16年に保存のために取り外し、同町楢本の鏝絵師永田知徳さんが7か月かけて修復したものです。鏝絵の下に「あじむ鏝絵保存会」が設置した解説板には「現在の所有者・本町通り促進会」と書かれていました。

  

写真③:移転保存された「一富士、二鷹、三茄子」の図柄の鏝絵

 左官の大棟梁・長野鐡蔵は明治28年(1895年)、下毛の「佐藤正彦家」2階妻壁の戸袋にも、「恵比寿・大黒・鯛の三番叟」の鏝絵=写真④=を描いていました。家の前に立てられた解説板には〈文楽の三番叟は、お猿さんが舞うめでたい踊りですが、この図では恵比寿さんが鯛に踊らせています。よく見ると、鯛はエボシをかぶり、鈴を持っています。福徳の神様「大黒天」さんも大きな「打ち出の小槌」を振っています。大変ユニークでユーモラスな図柄です〉と書かれています。

 

 写真④:「佐藤正彦家」2階にある「恵比寿・大黒・鯛の三番叟」の鏝絵

 

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2012年5月13日/〈大分・町歩き〉002・安心院町の鏝絵

2012-05-13 06:23:50 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:宇佐市指定史跡・「重松家別邸」の母屋3階戸袋に描かれた「虎」の鏝絵

     =大分県宇佐市安心院町折敷田で、2012年5月11日撮影

 5月11日、大分県由布市湯布院町からの帰路、同県宇佐市安心院町の鏝絵(こてえ)の町並みを散策しました。私が住む福津市・〈津屋崎千軒〉の町並みにも、江戸後期から明治に建てられた町家の妻壁に、漆喰彫刻の芸術品とも言われる鏝絵の装飾が施された町家が「豊村酒造」(明治7年創業)など4軒あり、鏝絵の多い安心院町の訪問は今回の大分旅行の楽しみの一つでした。

 〈大分・町歩きスポット〉 2

 :安心院町の鏝絵

 宇佐市安心院町下毛にある同市観光協会安心院支部に立ち寄り、鏝絵の町並みのボランテイアガイドを頼もうとしたら、ガイドは常駐しておらず、予約制とのことで、代わりにいただいたガイドマップを片手に町歩きしました。

 このガイドマップによると、土蔵や家の戸袋などの平らな面に塗られた漆喰の壁面に、鏝で盛り上げた彩色漆喰で描いた鏝絵は、大分県内では明治20~30年代に多く作られた500点超が残っており、うち安心院には明治初期ごろから最近までの作品80点余りがあるという。

 まず、明治17年(1884年)、左官職人長野鐡(鉄)蔵が折敷田にある宇佐市指定史跡・「重松家別邸」(重松公子さん宅。3階建て)の母屋に描いた鏝絵を紹介しましょう。道路に面した天守閣のような造りの3階戸袋に描かれた「虎」=写真①=は魔除けのシンボルで、神社の狛犬や沖縄のシーサーと同じ役目をしています。製作された当時、コレラや天然痘という恐ろしい病気がはやっていたそうです。1階の白壁には、日本一の「富士山」、当地では「豊後富士」こと由布市の由布岳の鏝絵=写真②=が大きく描かれていました。

 

 写真②:1階白壁に大きく描かれた「富士山」の鏝絵

  3階戸袋に描かれた「龍」の鏝絵=写真③=は、色の鮮やかさ、大きさ、ぶ厚さ、鏝づかいに左官の大棟梁・長野鐡蔵の匠の技が見事に発揮され、「重松家別邸」前に立てられた解説板には「全国の鏝絵作品の中でも五指に入る優れた作品」と書かれていました。夕日に映える眼は、ガラスの内側に金紙を貼っています。龍は「水の神様」、「火除けの神様」で、重松家=写真④=の末永い繁栄を願った鏝絵です。

  

写真③:3階戸袋に鮮やかに描かれた「龍」の鏝絵

  

写真④:1階白壁に「富士山」、3階戸袋に「虎」(左の道路側)と「龍」(右)の鏝絵がある「重松家別邸」

 

 3階裏側の戸袋に描かれた鏝絵「三階松」=写真⑤=は、重松家の家紋です。

 

写真⑤:重松家の家紋・「三階松」の鏝絵

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2012年5月12日/〈大分・町歩き〉001・「夢想園」再訪

2012-05-12 09:37:19 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:木立に囲まれた「山のホテル 夢想園」

     =大分県由布市湯布院町川南で、2012年5月10日午後3時25分撮影)

  きょう5月12日から、〈大分・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。

 〈大分・町歩きスポット〉 1

 :「夢想園」再訪

 5月10日、大分県由布市湯布院町の「山のホテル 夢想園」=写真①=を5年ぶりに家族3人で再訪、1泊して福津市津屋崎の拙宅へ戻りました。旧湯布院町(2005年に行政合併し現由布市)当時、高級旅館「亀の井別荘」主人の中谷(なかや)健太郎(1934年、大分県北由布村生まれ)、旅館「湯布院玉の湯」代表取締役溝口薫平(1993年、同県九重町生まれ)両氏とともに、〝町興し三羽烏〟とされたキーパーソン、志手康二(若くして他界)氏が社長だった「夢想園」を07年5月30日、同じ3人で訪ねた時と変わらない洗練された宿でした。

 湯布院南部の山の手にあり、木立に囲まれた静かな佇まいの和風旅館です。2階の和室の窓を開くと、野鳥のさえずりが聞こえてきます。私たちを和室に案内した絣姿の若い女性従業員から、お茶請けに小鹿田焼(おんたやき。日田市)の皿に入れて出された「ゆず(柚子)練り」=写真②=は上品な食感で、マイカー・ドライブの疲れをほぐしてくれました。2階展望喫茶から〝豊後富士〟・由布岳(標高1,583㍍)=写真③=を眺めながら味わった同ホテル名物の手造りプリンは大きく、濃厚な味で美味しかったです。

  

写真②:小鹿田焼の皿で出された「ゆず練り」

 

写真③:湯布院の主峰・〝豊後富士〟・由布岳
     =「山のホテル 夢想園」敷地から撮影

 さっそく、「夢想園」にある空海ゆかりの男性用露店風呂「御夢想の湯」に、ゆったり浸かりました。約6百年前、難病に苦しむ僧侶の夢枕に弘法大師が立って湧出する温泉場を告げられ、湯に浸って病が全快したことから、「御夢想温泉」と名付けられたと伝えられる温泉は、借景にされた由布岳も遠望でき、気分爽快です。

 夕食=写④=や朝食=写真⑤=の席では、しゃれたデザインや色合いの食器を手にするのも楽しいうえ、和牛ステーキの郷土料理の味にセンスの良さを感じました。


写真④:しゃれたデザインや色合いの食器に入れられた料理(夕食献立の一部)
     =「山のホテル 夢想園」で10日撮影


写真⑤:小さなひめカレイの焼き魚も添えられた朝食
     =「山のホテル 夢想園」で11日撮影

 津屋崎では、01年12月から休園した「玄海彫刻の岬 恋の浦」(敷地面積約100㌶)が、所有者の「城山観光」(鹿児島市)から東京・お台場で江戸時代の街並みを再現した大規模な温泉テーマパークを経営している「大江戸温泉物語」(東京都)に売却されたあと、同社は黒川温泉(熊本県南小国町)のような風情を醸したい、と掘削ずみの温泉を利用した施設などを活用した改装計画の構想を進めていたものの中断したまま。津屋崎での温泉施設を起爆剤にした観光浮揚は、当分期待薄なのは残念です。

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