とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2018大蔵高丸・ハマイバ丸

2018-12-03 21:48:55 | 山登り
数年前から登りだしていた秀麗富岳十二景の登頂も今回が最後だ。コースは、湯ノ沢峠から大蔵高丸、ハマイバ丸などを経て景徳院まで下る。これらの山々は、秀麗富岳十二景の3番山頂にあたる。

まずは、新東名新富士インターから朝霧高原方面に向かう。途中で寄ったコンビニから見た富士山。傘雲が二重に掛かり面白い形だ。ただし、傘雲が掛かると天気が悪くなるといわれているから、ちょっと天気を気にしながら先に進む。


午前8時。甲斐大和駅に到着し、東京方面からやってくるMちゃんとTさんを待つ。程なく到着した二人を乗せ、道の駅甲斐大和まで向かう。別の車で来たNさんとも合流し、全部で6人のメンバーが集まった。あらかじめ予約してあったタクシーもすでに待機しており、2台のタクシーに分かれて湯ノ沢峠まで向かう。湯ノ沢峠まで向かう林道は冬季閉鎖となるが、閉鎖は12月中旬頃ということでまだ大丈夫だった。9:15。湯ノ沢峠駐車場前を出発する。


数分で湯ノ沢峠に到着する。今回のコースは、右折だ。左に行けば大菩薩嶺方面に向かうことができる。ハマイバ丸への登山者カウンターを6回押して進む。


鹿よけの防護柵の入り口を開けて中に進む。


二つ目の防護柵も開けて進む。この辺りは夏から秋にかけて草花が咲き乱れ花の美しいコースとしても知られているそうだ。ただ、鹿が増えすぎて草花を食べてしまうため、花を守るため広範囲に柵が設けられているらしい。前方に見えているなだらかな山が大蔵高丸だが、雲が空全体に掛かり、展望が期待できそうもない雰囲気である。


9:50。大蔵高丸山頂1781mに到着する。山頂に到着してみれば、30分ほど前の景色がまるで嘘のように見事な眺望が広がっていた。さすが、秀麗富岳十二景にふさわしい富士山の眺望だ。


セルフタイマーで全員入った山頂記念写真を撮る。山頂付近は富士山の眺望に優れ、なだらかな高原状で展望は素晴らしく視界をさえぎるものがないというのがいい。


ススキの原の中をさらに南下していく。


10:25。ハマイバ丸1752mに到着する。漢字で書くと「破魔射場丸」である。なぜこんな名前が付いたかというと、この土地の山仕事をする人たちが、近くの滝子山の西の浜立山(破魔を立てる山)に向かって矢を射て、山神の加護を願い、身の安全、豊猟などを願ったのではないかということだ。


ハマイバ丸からも富士山の頭が見えているが、やはり雲が多くなってきてうっすらとしか見えなくなっていた。


ハマイバ丸周辺は、ミツバツツジの群生地でもありミツバツツジと富士山の撮影スポットとしても知られているそうだが、今は、枯れ木と枯草の草原が広がっている。この風景も晩秋を彩るものとしてなかなかいいものだ。


10:58。天下石前を通過する。これも一つの山とみるのだろうか。


11:13。米背負峠(コメショイトウゲ)に到着する。昔は、コメを背負って多くの人が峠越をしたのだろうか。


11:28。大谷ヶ丸1643mに到着する。


お昼近くにもなり、朝も早かったので大谷ヶ丸山頂でお昼にすることにした。お昼の準備をしていると、Nさんがまず取り出したのが、本マグロの刺身だ。数種類のマグロが流通しているが、そのなかでも一番大きい「クロマグロ」が最高級とされ、唯一「本マグロ」と呼ばれている。まさかそんな高級品が出てくるとは思わなかった。


本マグロを美味しそうに食べるKさん。


今回の山行は、山頂で鍋料理を食べようというのもテーマの一つだ。食材を厳選してくれたNさんの指示のもと、鍋にいろんな食材を煮込んでいく。


ここまで登ってくる登山者は他におらず、我々パーティで山頂を独占しての昼となった。キムチ鍋にうどんを入れると食が進む。


残った汁に、おにぎりと卵を入れて最後の締めはおじやだ。山頂での鍋パーティは食べるものがいろいろありすぎて1時間47分もの滞在になってしまっていた。


13:45。コンドウ丸1392mに到着する。これまでの山にはすべて丸という名前がついている。なぜこのような名前がついているかというと、丸は朝鮮語の山という意味で、朝鮮から甲府にやってきて帰化した人達が、この辺りに多くすんでいたことの名残だという。


落ち葉が山のように積もった登山道をサクサクと進んでいく。


14:15。景徳院への分岐に出ると右方向に下っていく。


しばらく曇っていた空から陽が射し出し、紅葉の木々を鮮やかに照らし出してきた。


15:06。景徳院が見えてきた。


景徳院の本堂。景徳院は、徳川家康が建立した武田勝頼の菩提寺。天正10(1582)年3月11日、田野地区において織田、徳川連合軍との戦いの結果、武田家終焉の地となった。 山内近くに自刃した勝頼公、夫人、信勝公の生害石や墓が並び、将平や待女合わせて50名の墓がある。


境内のモミジをバックに記念撮影。


景徳院山門前で最後の集合写真。


景徳院からは車道を歩いて道の駅甲斐大和まで向かう。15:53。道の駅甲斐大和に無事到着する。お疲れ様でした。


参考1.今回のコースマップ


参考2.今回の高低図