とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

福井県恐竜博物館見学&永平寺観光

2012-09-20 00:01:32 | 観光
マラニックの前半のコースを走っている時、左側にずっと見えていた銀色のドーム状の建物が気になっていた。福井県で有名な観光地といえば、東尋坊、永平寺が頭に浮かぶが、最近よく耳にするようになっていたのが恐竜博物館である。マラニックの翌日はどこに行こうかと思っていたが、まず恐竜博物館に行くことにした。カーナビをセットして現地に向かうと、やはり銀色のドームが恐竜博物館だった。かなり遠くから見えていたが、近くにきてみるとその大きさが良くわかる。広大な敷地に、巨大なドームが建っており、既に駐車場は大混雑になっていた。


入口近くの駐車場は満車で、遠い駐車場に誘導される。マラニックで疲れた足がなかなかいう事を聞かないので、駐車場が遠すぎると文句を言いながら入場口に向かった。博物館入口では、恐竜博士が出迎えてくれる。


この日は、特別展「翼竜の謎」が開催されていた。翼竜は初めて空を飛んだ背骨のある動物で、恐竜が生きていた時代に史上最大の空飛ぶ生物に進化した。この翼竜についての謎に迫るという事で、いろんな展示がされていた。世界初公開だというダーウィンプテルスの化石も展示されていた。




天井に吊り下げられたキリンのような巨体で空を飛んだという巨大翼竜ケツァルコアトルスの大きさには、ビックリする。こんなモノが人間の生きている時代にいたら、人間はひとたまりもないだろう。


特別展を見終わると、常設展示場にむかった。2階から地下1階までが吹き抜けになっており、地下1階の展示場がよく見える。数多くの恐竜の骨格標本やジオラマが展示されており、その凄さが手にとるようによくわかった。


まずは、2階からエスカレーターに乗り地下へと降りていく。入口の通路には、多くの化石標本が展示されている。こんなにもはっきりとした化石が数多く発見されていたとは驚きだった。


よくもまあ、こんなにもたくさんの骨格標本を集めたものだと思えるくらい多数の実物大の骨格標本が展示されている。






実際に動いたり声を上げたりする恐竜はリアルである。




恐竜が生きていた時代を再現したジオラマ。




この恐竜博物館が出来た背景は、かつて勝山市にある中生代の地層から恐竜の全身骨格が発掘されたことがきっかけで、この地に恐竜博物館を建設しようという気運が高まったという。2000年(平成12年)夏に長尾山総合公園内で開催された恐竜エキスポふくい2000のメイン会場として、同年7月に開館した。建築設計はあの黒川紀章氏だ。広大な無柱空間には、所狭しと恐竜骨格や化石・標本、ジオラマ、復元模型などが展示されており、世界でも数少ない恐竜博物館としてカナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館、中国の自貢恐竜博物館と並んで、世界三大恐竜博物館と称されているそうである。子供と一緒に行けば大いに楽しめる素晴らしい博物館だった。

福井県最後の観光地は、かの有名な永平寺に立ち寄る。永平寺は、今から約750年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創建された出家参禅の道場である。33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの修行の中心となる「七堂伽藍」 など、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら 静かにたたずんでいる。現在も200名近い雲水が、 750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行が営まれているそうだ。




若い雲水の説明のあと、中に入っていく。最初に入ったのが傘松閣という参拝のための控え室に入る。天井には、著名な画家による花や鳥を描いた美しい色彩画が貼られている。


本尊のお釈迦様が祀られている仏殿。




長い階段が続く。常に磨かれているようでピカピカな階段だ。


大庫院にある永平寺名物「大すりこぎ棒」


仏教の守護神である四天王が安置された山門。この山門は、求道心のある者のみがくぐるとされ、一般の人はくぐることができないとされている。






一通り、永平寺を見学したあと、永平寺名物のそばとゴマ豆腐で昼食とし、帰路についた。今回も、観光とマラニックで充実した三日間だった。

2012東尋坊愛の100キロマラニック(後半)

2012-09-19 00:31:21 | マラソン
40キロを過ぎ、折り返し地点まであと少しになってきた。大きなお城が見え、駐車場のトイレに寄って少し休憩する。このお城は、勝山城で、戦国時代に柴田勝家の一族である柴田勝安によって、現在の福井県勝山市に築かれた城郭である。


勝山城から、すぐに平泉寺の入口に到着する。ここから緩やかなのぼり道となる。上位の選手が続々と下ってくる。まだ先のようだが、黙々と歩き平泉寺参道入口についた。参道入口のデザートエイドで少し休憩して参道に入っていく。参道は、うっそうとした杉の大木と苔でおおわれた幽玄な雰囲気の場所である。今までの暑さが嘘のように涼しげな雰囲気で気持ちが楽になる。


その昔修行僧たちが九頭竜川の河原から手で運び上げられたと言われる石畳を上がりきると、平泉寺の拝殿である。ここで折り返しと思ったら、裏の本社に回って折り返しとの事だった。


本社で完走を祈願して、折り返す。


再び、参道入口のデザートエイドでケーキを頂く。ここのエイドの関門が12時30分だったので、まだ余裕があり安心して先に進んだ。


九頭竜川にかかる勝山橋を渡る。


74キロくらい。時間は15:50くらいだったが、まだまだ日射しは厳しい。九頭竜川沿いをしばらく走るが、日陰がなくて閉口した。


85キロの関門のエイドに17時26分くらいに到着する。17時30分の関門時間を何とかクリアし一安心する。70キロ辺りから、関門に間に合わないんじゃないかと何度もあきらめかけたが、時計を見ながら必死に頑張った甲斐があった。


大分暗くなり、コースの矢印も見えにくくなっていたが、神社の灯りにホッとする。


18:23。そろそろ日没である。


その後は、時計と睨めっこでエイドを目指して走った。ゴール関門時間は20時である。エイドの距離を確認しながら走るが、なかなか次のエイドに着かない。けっこう頑張って走っていたつもりだが、時計を見ると1時間で5キロくらいしか進んでない。「そんな馬鹿な」とエイドで距離を聞くたびに、距離表示が信用できなくなっていた。GPSを持ってるランナーも距離がおかしいと話していたし、体感での距離も長すぎると感じていた。85キロエイドからの計算では、少し余裕をもって20時までにゴールできると踏んでいたが、その予定が96キロ辺りから狂ってきた。98キロのエイドを過ぎたとき、もう関門に間に合わないことがわかり、一気に気持ちが萎えてしまい走れる気力がなくなった。あとは、時間外完走でもいいからゴールに着けばいいやという気持ちだけでとりあえず歩いて前に進んだ。真っ暗な夜道には、誰もいない。もうゴールも撤収されてるかなとも思いながらも東尋坊の入口に着いた。

しかし、入口付近には、大勢のスタッフが残っていてくれた。スタッフの声援を受けながら最後の力を振り絞ってゴールまで走った!ゴールもまだ残っており、先にゴールしたランナーたちも大勢残っていた。ゴール写真を撮ってもらい、ハート型の完走メダルをかけてもらう。メダルをかけてもらえるとは思ってもいなかったので、「もらってもいいんですか?」と思わず問いかけてしまった。関門を少しオーバーしていたが、完走を認めてくれたことがとても嬉しかった。ゴール時の写真は、うまく撮れなかったが、これがハート型の完走メダルである。


その以後も、85キロの関門を通過したランナーが何人かゴールしていた。時間外でも、100キロ走ったランナーは全員完走としてくれたようだ。さきに、ゴールしていたうっちゃんとよっぴーさんと合流し、大会役員のD倉さんの車で三国駅に送ってもらい、福井駅まで帰った。天気には恵まれすぎて、暑すぎた一日だったが、大会関係者のもてなしに感激し、この日は「つらかったこと」ことが、翌日には「頑張ったこと」になっていた。

(おまけ)

「翌日の福井新聞の記事」


「大会参加賞一式」


一晩、疲れた体を休めて翌日も福井県の観光に出かけた。
「福井県恐竜博物館見学&永平寺観光」に続く。

2012東尋坊愛の100キロマラニック(前半)

2012-09-18 00:02:04 | マラソン
9月15日(土)が100キロマラニックのスタートである。午前3時15分、福井駅前から、シャトルバスで東尋坊のスタート地点に向かった。バスを降り、しばらく歩くともう東尋坊の先端である。真っ暗いなか東尋坊の岩壁を覗いてみる。波は穏やかで、日本海の荒々しさは感じられない。


荷物を置いてスタート地点に向かうと、階段の下でなにやらインタビューされている選手が見えた。よく見たら、マラソンランナーの大南姉妹だった。参加者名簿にも名前があったので知っていたが、彼女たちも一緒に100キロ走るのかと嬉しくなった。


そして広場には、参加ランナーが続々と集まってきていた。みんな風船を手に持っている。この大会では、「愛の…」と名付けられているように「愛」という言葉がキーワードだ。風船には、愛のメッセージを書き込んだ短冊がつけられている。参加者は、それぞれ誰か宛にメッセージを書き込んでいるはずだ。




スタート時間が迫る頃、大会実行委員長の挨拶があった。


そして、次に東尋坊伝説にまつわる3人のキャラが登場する。
ここで東尋坊伝説を紹介する。

<東尋坊伝説>
 むかしむかし、勝山の平泉寺に大層力持ちだがまるで働かない坊主がいた。その名は「東尋坊」。年中わがままを言い、手のつけられない暴れようで、百姓からも仲間の僧たちからも嫌われていた。その東尋坊もあるとき、人並みに恋をする。近くに住むあや姫という美しい娘が相手だった。だが実は、同じ寺にいた真柄覚念という寺侍もまた、彼女に想いを寄せていたのだ。寿永元年の4月5日のこと。覚念は東尋坊を「酒でも飲もう」と誘い出し、飲ませるだけ飲ませて酔い潰した。そして寝込んでいるところを海に突き落とし、殺してしまったのだ。すると突然、嵐がやってきて雷が鳴り響き、海は大しけ、地上には滝のような雨が降り出した。その後、毎年4月5日には海が荒れ狂い、東尋坊の怨念と怖れられることになる。

登場した3人は、あや姫、東尋坊、真柄覚念に扮した若者だ。この伝説をヒントに、東尋坊を自殺の名所ではなく「愛」を前面に打ち出した景勝地にしたいという目的で大会の名称を決めたように聞いている。


司会者のカウントダウンのもと、午前5時きっかりに「愛してるよ~!」の掛け声の下、風船を解き放ちスタートする。


開店前のお土産屋の通りを走り抜ける。


空が白み始めた頃、橋を渡る。


最初の5キロエイド。バナナや水を頂く。


日の出の時間に近くなり、空が赤くなってきた。一直線に伸びた田園の道を進む。


鉄橋の向こうに光が射してきた。


5時56分、日の出の瞬間である。


10キロ付近で、大南姉妹の姉である大南博美さんに出会う。彼女たちは、地元福井県若狭町の出身ということで、今回初めての100キロマラソンに出場するとの事だった。


その後、大南姉妹の妹である大南敬美さんに出会う。彼女は、直前に膝を痛めたそうで今回はバイクでのサポートにしたそうだ。


19キロの丸岡城前のエイドに到着する。ここでは、素麺やおにぎりが用意されていた。




鮎街道と呼ばれる長い一本道をひたすら進んでいく。


8:44。30キロ地点を通過する。ここまでは、キロ7分程度のペースで進み、まあまあの走りだった。


31.8キロのエイドでは、笹で捲いたすしやマヨネーズかけのキュウリが出た。地元の特産品でのおもてなしだ。




33キロ付近には、「タンタン清水」という名水が湧き出る水場がある。だんだん気温が上昇し、暑くなってきたので名水を飲んで元気を出そうと立ち寄る。


9:53。気温がグングン上昇し、34度くらいになっていただろうか?折り返し地点の平泉寺は、はるか彼方の山のほうらしい。真っ直ぐ伸びた一本道が、長すぎて恨めしくなる。


39キロのエイドで、オレンジ入りのサイダーが振る舞われた。からからになった喉にサイダーがぐんぐん染み込んでいった。


10:20。40キロ地点を通過する。暑くて、キロ8分くらいのペースに落ちてきていた。


まだまだ、折り返しの平泉寺までの道のりは長い。ここからが踏ん張りどころだ。
「2012東尋坊愛の100キロマラニック(後半)」に続く。

丸岡城見学

2012-09-17 21:43:50 | 観光
東尋坊マラニックでは、19キロ付近の場所に丸岡城がある。
コースの下見をかねて観光に立ち寄った。

丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城であり、霞ケ城の別名をもつ。戦国時代の天正4年(1576年)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせた城である。天守閣は本丸の南西部に位置し、高さが約6.2mの野面積みされた石垣の天主台のうえに聳えている。二重三階望楼型独立式という形式で、通し柱はなく、1階が2・3階を支える構造となっている。また、屋根瓦は全国的にも珍しい石製の瓦(笏谷石)が使用されており、日本最古の建築様式という点では貴重な城らしい。




拝観料を払って城の中に入る。三階までしかないが、階段はロープを持たないと登ることができないくらい急である。


三階の天守閣からは、近くの学校のグランドがよく見えた。


また、丸岡城の入口には、丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園様式の公園があり、歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されている。


「霞ヶ城」の名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるそうだ。春先には城内の桜が満開となり、お城が幻想的でひときわ美しく見えるという。大きな城ではないが、歴史を感じさせる名城であった。昔は、城の周囲に五角形の内堀があったそうだが、現在は埋め立てられてその面影もない。歴史的価値がある城だけに、内堀があると尚更すばらしい景観が予想される。内堀を復元する計画もあるらしく、是非実現して欲しいものだ。

さて、この丸岡城には、別の事でも有名な場所だった。

丸岡城には、丸岡町ゆかりの徳川家康の忠臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」(「お仙」とは後の越前丸岡城主 本多成重(幼名 仙千代))の碑が丸岡城にある。この碑をヒントに日本で一番短い手紙文を再現し、手紙文化の復権を目指そうということで、平成5年から毎年テーマを定めて「一筆啓上賞」として作品を募集し、平成15年から「新一筆啓上賞」として、日本全国、海外から応募が寄せられていたのだ。


城に上がる石段には、いろんな作品が貼り出されている。一つ一つ読みながら進むのでなかなか前に進まない。どの作品も、短いが的確でなるほどと唸らせる内容だった。


なかでも、一番気に入ったのがこの作品だ。
「自分」へ
今日「つらかったこと」は、
明日「頑張ったこと」になってる。


翌日、100キロを走る我々にまさにぴったりの手紙だといえた。
果たして、この手紙どおりになったかは「東尋坊愛の100キロマラニック(前半)」に続く。

東尋坊観光

2012-09-16 23:47:24 | 観光
「東尋坊愛の100キロマラニック」の前日は、早めに家を出たので昼過ぎには東尋坊に到着した。マラニック当日はゆっくり観光できる時間はないので、前日ゆっくり観光することにした。

東尋坊は、日本海の奇勝であり、柱状節理が約1.5kmも続く北陸屈指の景勝地であり、荒々しい岩肌に豪快に波が打ち寄せるさまは絶景である。東尋坊の安山岩は、約1300万年前に噴出した溶岩が冷えて固まったもので、世界でもたった3ヵ所(東尋坊、韓国の金剛山、ノルウェー西海岸)にしか見られない珍しい岩だといい、国の天然記念物にも指定されている。

駐車場に車を止め、お土産店が並ぶ道を通り抜けていく。


階段を下りると、東尋坊の先端にある広場にでる。翌日のマラニックは、ここからスタートする。


広場から下を覗けば、奇岩の様子を見ることができるが、やはり海から見たほうがよくわかる。観光遊覧船が、常時出航しているので遊覧船に乗って海上から見学することにした。


遊覧船から、東尋坊タワーが見える。


まずは、東尋坊の先にある雄島の近くまで船が向かった。


雄島の先端は、まるでゴジラの背中のような岩が見える。


こちらは、雄島にある灯台と、密入国者の監視小屋。


はちの巣岩。大きな蜂の巣をぶら下げたような形に見える。


雄島と本土を繋ぐ赤い橋。1997年1月2日未明、ロシア船籍タンカー「ナホトカ」号が沈没した際、船体から分離した船首部分が漂流し、この橋の先で座礁した。


岩の上で休む海鳥。


雄島を見てから、東尋坊の沿岸へ船が回った。所々に洞窟が見える。これも波で浸食されたあとだ。


滝が見える。


柱状節理の岩壁に近づいていく。


大池と呼ばれる場所。船がこの中まで入っていく。




大池の上には、大勢の観光客が下を覗いている。


ライオン岩。雄ライオンが前足を出して座っているように見えるというが、私はよく判らなかった。


ライオン岩を横から見る。横から見るとさっぱりわからない。


ろうそく岩。


六枚屏風岩。


観光船が乗り場に戻る。


今度は、東尋坊の岩場まで歩いていく。岩だらけで歩きにくい。




大池の上の岩場に来る。下に観光船が入ってくる。


このあたりがもっとも危険な場所だ。自殺の名所で知られる東尋坊の中で一番高度感があり、下を見ると足がすくむ。テレビのサスペンス物では、大体この辺りでロケが行なわれ、犯人が飛び込んだり、刑事に追い詰められる場面に使われるらしい。




東尋坊を観光したあと、時間がまだあったのでマラニックコース内にある丸岡城の見学に向かった。「丸岡城見学」に続く。

東尋坊なんとか完走

2012-09-15 22:44:20 | マラソン
今日は東尋坊愛の100キロマラニックだった。
今回もよっぴーさんとうっちゃんと一緒に参加する。
とにかく九月半ばというのに異常なくらいの暑さだった。
それでも全員無事完走できた。
もっとも私は制限時間を少しオーバーしてしまったがハート型の完走メダルを頂く。
話によると完走率30パーセントくらいとのことで多くのランナーがリタイアしたらしい。
まずは、完走できてよかった。
詳細は後日アップします。

明日は東尋坊100キロ

2012-09-14 21:34:44 | 呟き
今日は、福井にいる。
午後東尋坊を観光して福井市内のホテルに泊まっている。
いよいよ明日は、東尋坊愛の100キロマラニックだ。
それにしても今日の暑さは尋常ではなかった。
明日も同じくらい暑いらしい。
東尋坊で愛を叫んでスタートするのだが、
果たして無事完走出来るか心配である。

浜名湖ウルトラ全体ミーティング

2012-09-13 23:53:35 | 浜名湖100キロウルトラ




10月7日(日)の浜名湖100キロウルトラマラニックまで、あと3週間程となった。
今日は、浜松駅前近くのビルの会議室を借りて、スタッフ全体でのミーティングがあった。
メインスタッフをはじめ、エイド担当、誘導担当、医療担当、バイクサポート担当、マッサージ担当、
写真担当等の各担当者が一同に会し打ち合わせが始まった。
皆さん、忙しい人たちばかりだが30名以上もの人が集まり、会場は熱気に包まれた。
なにせ、みんなこんなイベントを仕切るのは初めてなので、いろいろ戸惑いや不安は尽きない。
しかし、走ることが好きな人たちが手作りで行なう大会だけに、参加するランナーに喜んでもらえるような大会にしたいという気持ちで一杯である。
本番までは、このような集まりはなかなか出来ないので、あとは各担当ごとで細かいところを詰めていくことになるだろう。
私も、だんだん日が近付いてきて、考えることが一杯浮かんできた。
しかし、みんなが集まって一つのことをやり遂げようとするのは、とてもやりがいがあることだ。
なんとか、参加したランナーに喜んでもらえるようないい大会になることを祈っている。

「美瑛町の青い池」は、世界一美しい

2012-09-12 21:30:54 | ブログ


最近、gooブログで評判になっているというブログを拝見した。
【美瑛町の青い池】が 世界のアップル社でWallPaperになる!という記事である。
http://blog.goo.ne.jp/chimaki-1014/e/db5ea1660b8c7fedd2f671189ed88c3a

北海道美瑛町在住の写真家が撮影した美瑛町の名所「青い池」の写真が、
アップルのMacBook Pro Retinaディスプレイモデルの壁紙に、採用された。
そのブログでは、採用された本人の心境がつづられている。

アップル社のスタッフは「今まで我々が作った中で、世界一美しい画面である」と絶賛したそうだ。
写真を見たが、たしかに美しい風景である。
青い池と、池の中で立ち枯れした木に雪が付着した風景が幻想的である。
これが、日本で撮影された風景だとは思いもよらなかった。

池は、自然の池ではなく美瑛川砂防工事によってできた大きな水たまりだそうだ。
色が青いのは、アルミニウム成分を多く含む地下水と、川の水とが混ざり合って出来たコロイド状物質が、
太陽の光を反射してできているらしい。
パソコンの壁紙にはお薦めの風景であり、美瑛に行ったら是非立ち寄ってみたい場所だ。

今頃になってスイカが大きくなってきた

2012-09-11 19:05:42 | 
6月の台風が持ち込んだ海水を含んだ強風で、スイカの蔓がほとんど枯れてしまった。
もうダメかなと思っていたが、7月に植えた種から延びた蔓と台風で唯一生き残った蔓が段々延びてきて、実が成ってきた。
去年は、数十個も成って知り合いに分けるほどだったが、それでも今回は10個近く成っている。




9月になると、例年だったらスイカはそれほど欲しくないのだが、
今年は残暑が厳しく、暑い日がまだまだ続いていてスイカを食べたくなる。
今週末辺りが、もっとも熟しそうなので、残暑をスイカを食べて乗り越えたい。