とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2012東尋坊愛の100キロマラニック(前半)

2012-09-18 00:02:04 | マラソン
9月15日(土)が100キロマラニックのスタートである。午前3時15分、福井駅前から、シャトルバスで東尋坊のスタート地点に向かった。バスを降り、しばらく歩くともう東尋坊の先端である。真っ暗いなか東尋坊の岩壁を覗いてみる。波は穏やかで、日本海の荒々しさは感じられない。


荷物を置いてスタート地点に向かうと、階段の下でなにやらインタビューされている選手が見えた。よく見たら、マラソンランナーの大南姉妹だった。参加者名簿にも名前があったので知っていたが、彼女たちも一緒に100キロ走るのかと嬉しくなった。


そして広場には、参加ランナーが続々と集まってきていた。みんな風船を手に持っている。この大会では、「愛の…」と名付けられているように「愛」という言葉がキーワードだ。風船には、愛のメッセージを書き込んだ短冊がつけられている。参加者は、それぞれ誰か宛にメッセージを書き込んでいるはずだ。




スタート時間が迫る頃、大会実行委員長の挨拶があった。


そして、次に東尋坊伝説にまつわる3人のキャラが登場する。
ここで東尋坊伝説を紹介する。

<東尋坊伝説>
 むかしむかし、勝山の平泉寺に大層力持ちだがまるで働かない坊主がいた。その名は「東尋坊」。年中わがままを言い、手のつけられない暴れようで、百姓からも仲間の僧たちからも嫌われていた。その東尋坊もあるとき、人並みに恋をする。近くに住むあや姫という美しい娘が相手だった。だが実は、同じ寺にいた真柄覚念という寺侍もまた、彼女に想いを寄せていたのだ。寿永元年の4月5日のこと。覚念は東尋坊を「酒でも飲もう」と誘い出し、飲ませるだけ飲ませて酔い潰した。そして寝込んでいるところを海に突き落とし、殺してしまったのだ。すると突然、嵐がやってきて雷が鳴り響き、海は大しけ、地上には滝のような雨が降り出した。その後、毎年4月5日には海が荒れ狂い、東尋坊の怨念と怖れられることになる。

登場した3人は、あや姫、東尋坊、真柄覚念に扮した若者だ。この伝説をヒントに、東尋坊を自殺の名所ではなく「愛」を前面に打ち出した景勝地にしたいという目的で大会の名称を決めたように聞いている。


司会者のカウントダウンのもと、午前5時きっかりに「愛してるよ~!」の掛け声の下、風船を解き放ちスタートする。


開店前のお土産屋の通りを走り抜ける。


空が白み始めた頃、橋を渡る。


最初の5キロエイド。バナナや水を頂く。


日の出の時間に近くなり、空が赤くなってきた。一直線に伸びた田園の道を進む。


鉄橋の向こうに光が射してきた。


5時56分、日の出の瞬間である。


10キロ付近で、大南姉妹の姉である大南博美さんに出会う。彼女たちは、地元福井県若狭町の出身ということで、今回初めての100キロマラソンに出場するとの事だった。


その後、大南姉妹の妹である大南敬美さんに出会う。彼女は、直前に膝を痛めたそうで今回はバイクでのサポートにしたそうだ。


19キロの丸岡城前のエイドに到着する。ここでは、素麺やおにぎりが用意されていた。




鮎街道と呼ばれる長い一本道をひたすら進んでいく。


8:44。30キロ地点を通過する。ここまでは、キロ7分程度のペースで進み、まあまあの走りだった。


31.8キロのエイドでは、笹で捲いたすしやマヨネーズかけのキュウリが出た。地元の特産品でのおもてなしだ。




33キロ付近には、「タンタン清水」という名水が湧き出る水場がある。だんだん気温が上昇し、暑くなってきたので名水を飲んで元気を出そうと立ち寄る。


9:53。気温がグングン上昇し、34度くらいになっていただろうか?折り返し地点の平泉寺は、はるか彼方の山のほうらしい。真っ直ぐ伸びた一本道が、長すぎて恨めしくなる。


39キロのエイドで、オレンジ入りのサイダーが振る舞われた。からからになった喉にサイダーがぐんぐん染み込んでいった。


10:20。40キロ地点を通過する。暑くて、キロ8分くらいのペースに落ちてきていた。


まだまだ、折り返しの平泉寺までの道のりは長い。ここからが踏ん張りどころだ。
「2012東尋坊愛の100キロマラニック(後半)」に続く。