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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

『君たちはどういきるか』深層分析

2023-07-21 09:13:11 | 映画

きのうは、
30℃の夏日だったが、
熱中症予防に
厳重なクーリング対策をして
朝食に教え子から頂いた
菓子類を頂いてから
劇場に出かけた。

コロナ禍の間は
全く行ってないので、
何年ぶりかである。

宮崎作品は、
『風立ちぬ』来
10年ぶりだという。

前作は、
つまらなかった。

今回は、
監督の集大成というが、
評価が分かれてるとのことで、
これまで宮崎作品を全て観て
2冊ほど分析本も上梓したので、
久石 譲とタッグを組んだ
本作の出来栄えは気になった。

結論から言えば、
あまり面白くなかった。

いささか唐突感のある
エンディングに
“おいてけぼり”感を抱いた
観客も少なくなかったかもしれない。

いちおうは「ファンタジー」系の
作品だが、宮崎タッチが
鼻につき過ぎて
食傷気味になった。

それでも、
深層心理学的に分析してみると、
少年が「死者の世界」を訪れ
現実界に戻ってくると
内的な変容(魂の成長)を得る、
という典型的な『冥界往還』物語の
仕立てになっている。

最近、コミック界では
『異世界』物がトレンドになってるが、
その二番煎じ・亜流に乗じた感もある。

物語の出だしは、
病院の大火のシーンから始まり、
それにより少年(中2くらい?)の
「眞人(マヒト)」は、
助けに走って向かうも
無残にも母を失ってしまう。

愛着対象の喪失と
己れが助けられなかった
自責と悔恨の念は
哀しみと共に苦しみをも
彼にもたらす。

ここに思春期の
「癒されるべき魂」
「救われるべき魂」
が提示される。

夢分析で「火事」は
激しい変化の象意でもあり、
彼の尋常ではない形での
内的な変化・成長・発達が
「母の死」から始まるという事が
のっけからシンボライズされている。

時代は戦中で、
父子は母の実家に疎開し、
父は母似の妹と再婚するが、
すでに胎児を宿している。

マヒトにとっては、
「実母の死」「母似の継母の登場」
「母以外の女性を愛する父」
「田舎への転居」「転校」
「やがて生まれる異母同胞」
・・・という、多くの葛藤が
多変数的なストレス因子として
一挙にのしかかる。

実母の急死だけとっても、
ストレス指数は「100/100」点だが、
更なる環境ストレスも加えれば、
思春期の未熟な自我強度では
何らかの心身症が発症しても
まったく不思議ではない。

そう考えれば、
転校直後の「いじめ」ケンカ後に、
自分の頭を石で殴って
大出血するほどの自傷行為も
衝動的・短絡的な病的心理の
アクトアウト(行動化)とも
考えられないでもない。

物語の王道を辿るなら、
翌日に正々堂々と再戦を挑み、
やがて、少年たちのコミュニティに
受け入れられ、めでたしめでたし、
となるものだが、
マヒトは自傷行為という歪んだ
病的な解決により、それを忌避した。

ここには、愛する母に死なれての
自暴自棄心もあるかもしれないが、
無意識下では、虚栄心の強い父や
胎児に関心の強かろう母似の継母への
「承認欲求」が働いての
退行的な自傷行為とも考えられる。

タイトルの
『君たちはどう生きるか』というのは、
思春期の多感で複雑な思いを抱く
一人びとりへの
「あるべきようわ」を問うている。

主人公の「眞人」は、
「まことの人」になる、
「しんの人」になる、
という意味で、
ユング的に言えば
「自己実現」
「個性化の過程」
の物語に相応しい名ではある。

元型的な解釈で見れば、
『英雄の夜の航海』であり、
『死と再生』が
コンステレート(布置)されている。

物語のキーパースンとして
「アオサギ」が登場するが、
その善悪両方を有する
両義的存在は、まさしく、
二つの顔を持つヤヌス神のような
トリックスター的存在である。

思春期クライシスにあるマヒトの
異界への仲介者として相応しいのが、
狂言廻し的なトリックスターなのである。

「サギ」は『象徴事典』では、
「次世代の礎」(代変わり)
「喪」(象徴的な死と再生)
「司祭」(聖なる仲介者)
という多義性がある。

また、群れで登場するペリカンと
同様に、水辺に棲み、
地上・水面・上空を移動でき、
魚を捕食する。

水も魚も
「無意識」の象徴である。

マヒトが体験した異世界は、
大出血するほどの自傷行為で、
側頭葉に外傷性の硬膜外血種が生じ、
圧迫された脳が意識障害を起こして
コーマ(昏睡)時の長い夢か
白昼夢か、妄想を体験した…と、
解釈することもできるが、
そう言っては身も蓋もないだろう(笑)。

マヒトの辿った「こころの旅」は、
『英雄の旅』という元型そのものである。

ここでの「夜の航海」という
異界・冥界の旅は、
無意識世界と同様に
時空が混沌としており、
「A boy meets a girl」
の物語元型は
「母恋い」として変形され
少女(ヒミ)は現世では
マヒトの母「久子」となる。

図らずも若者の「英雄の旅」に
同伴するはめになった
お手伝いで狡猾な老婆のキリは、
異界では雄々しく精悍な漁師
キリコとしてマヒトを救う。

彼女は怪魚を捕獲し、
マヒトにもそれを解体させ
臓物を破裂させる。

このシーンは言語化し難いが、
「妖しい状況を腑分けする」
と解すると、シンボリックな
シーンではあった。

また、マヒトが自ら作った「矢」や
怪魚を解体する「刃物」
そして、終盤でインコ大王が行う
「世界の切断」…といった事物は、
「塔」がファリック(男根)の
シンボルとして描かれているのと合わせて、
「男性性の獲得」という思春期男児の
テーマが見て取れる。

自傷により
いじめっ子との対決を忌避するのは
「女々しい」男の子であり、
いつまでも亡き実母を思慕し
涙で枕を濡らすのも
子どもじみている男の子の姿だが、
異界の旅(英雄の夜の航海)を経て、
「男性性」を獲得し「雄々しくなる」
という小道具(アイテム)としての
「矢」「刃物」「刀」「塔」などが
描かれているように思えた。

少年の英雄譚の切っ掛けとなったのが、
継母ナツコが、何か霊的なものによって
森へ誘われるように
吸いこまれるように
失踪する姿を目撃する事からだった。

そして、自らも、
それを留めようとする老婆キリと共に
木々のトンネルで出来た
長い小道を辿ってゆく。

このシーンでは
『トトロ』のシーンや
その主題歌の歌詞が
彷彿させられた。

小路→森へのパスポート→すてきな冒険
→魔法の扉が開く→不思議な出会い
→幸せがくる…

さて、妊婦の継母ナツコが、
なんでまた、唐突に寝衣姿で
森に迷い込んだのか…。

これには何の説明もない。

外的要因としては、
悪阻(つわり)が酷く、
マタニティ・ブルーの
鬱性の罪業妄想にかられたのではないか…
と察せられた(笑)。

それは、姉の大切な「忘れ形見」に
傷をつけてしまったことへの自責感が、
傷にふれて謝るシーンで描かれている。

その強い罪業意識が
姉に所縁のある森を抜けた塔への
「お詫び参り」へと
身重で病身の彼女を
向かわせたのかもしれない。

そして、マヒトも、いつしか、
母似で血を分けた叔母を
実母と同一視しはじめて、
大火で救えなかった母の
代償行為としてその救済の衝動に
かられたのだろう。

そのメサイア・コンプレックス
(救済者願望)は、
「自らも助かりたい」という
無意識的な欲求も併存している。

また、外的要因として、
ナツコを森へ誘かった
何か霊的なものがあるとすれば、
それは、まさに、この世に
愛児を残して未練を抱いたまま
逝った姉であり、
まだ未熟な少年マヒトの母である
久子(ヒミ)の魂だったのかもしれない。

物語の大団円は、
マヒトは亡き母の少女時代のヒミに会い、
継母ナツコと共に異界・冥界から
無事、帰還する。

そして、戦争は終わり、
マヒトは「ナツコお母さん」と呼び、
一家は新しく生まれた弟と共に
この世の異界的な僻地空間から
日常生活する都市空間へと戻る処で
「めでたしめでたし」
と物語は終幕する。

量子力学的な世界観で記述するなら、
異界はパラレルワールドであって、
「もうひとつの実在する世界」
という解釈もできよう。

量子の世界でも、
夢や無意識界のように
時空は歪んでおり、混沌としている。

あちらの世界の窓から
現世界を覗くシーンは、
『インターステラー』のシーンをも
彷彿させられた。

時系列的には、
戦中から戦後に変わり、
主人公の思春期前期の
アイデンティティ・クライシス
(自我同一性危機)は、
思春期中期に移行して
“かりそめ”ながらも
拡散状態から少しだけ
豆乳にニガリを打ったように
確立へ向かいはじめた。

それは、心・魂の成長、発達であり、
自己実現へと向かっている、
個性化の過程を
着実に雄々しく歩もうとしている
全うな青年男子の
「あるべきようわ」を示している。

本作は、宮崎監督の
戦中へのノスタルジーを描きながらも、
そこには、スマホやゲーム、ネットに
中毒している若者たちや、
腐敗、退廃しきった政財官の
オトナたちへ絶望や危機感を抱く若者へ
「君たちは、どう生きるのか」
という好々爺の老賢者的な
問いかけなのかもしれない。

その意味では、
意義の深い作品とも言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お中元

2023-07-20 06:40:54 | 頂きもの

夏休み二日目である。

初日のきのうは、
寝起きから頭痛がして
朝4時半にイブプロフェンを呑んでも
なかなか治まらず、
6時間後の10時半に
強めのロキソニンを呑んで、
やっと治まった。

そしたら、
今朝は喉の痛みがあり、
寝がえりを打ったら
クラリと眩暈がしたので、
これは、夏風邪をひいたようだ。

せっかく、今日は、
朝一で暑くなる前に
久しぶりに劇場に足を運んで、
宮崎監督の最新作を
観にゆくつもりだったが、
体調次第では予定断念
になるかも…である。

ゆんべは雨降りだったので、
今朝は22℃まで気温がさがり、
久しぶりに清々しい朝である。

その分、風邪ぇひいてちゃ、
せわぁないや(笑)。

**

 

きのう、
三月に京都散策をした
教え子のツーラから
お中元が届いて驚いた。

これも、一昨日に続いての
「1学期の無事おつとめご苦労さん」
という、神様からのプレゼントかしらん・・・
と、思わないでもなかった(笑)。

 

もう、アラフィフになる
いい歳だが、まだ、
自分のアダチル性格と
子育ての難しさに悩んでおり、
時々、メールで相談にのっている。

義理堅く、その「御礼」らしい(笑)。

そーいや、去年の夏も
同じ「金魚」のゼリーが来た(笑)。

**

同じテニス部のオカリンも交え、
京都散策をしたのが
4ケ月前の春休みだった。

ふたりとも
子持ちの立派なオバはんになったが、
前期高齢者となった元担任・顧問と
まだ付き合いが続いている
稀有な間柄である。

きっと、気心が合う
前世でも因縁のある
ソウルメイトなのかもしれない(笑)。

 

 

 

 

 

 

 


棋聖の『生誕記念日』

2023-07-19 08:43:35 | 藤井 聡太

きのうで
1学期を無事に終業したので、
出勤前に
Tちゃん先生の教会に
「御礼参り」をさせて頂いた。

そしたら、
春休み中に
献納させていた
製本の『御礼』をお下げ頂き、
たいへん、恐縮してしまったが
有難く頂戴させて頂いた。

Tちゃん先生からご紹介頂いた
クライエントのYさんからの
お手紙も預かっておられ、
それには熱中症や体調不良の
『お見舞い』が入っていて、
これまた、恐縮してしまった。

でも、つらつら思うに、
5回も熱中症になりながらも、
1学期を無事に勤め上げ、
生徒たち、保護者たちの
お役に立たせて頂いた事への
神様からの「御労い」と
ありがたく頂戴させて頂いた。

帰りがけには、
『OS1』を一つ頂き、
熱中症によく効くとのことだったので、
頂いた『お見舞い』で
一箱かってこようかと思った。

*

きのうは
ソーちゃんの『棋聖』戦
第四局で、「後手番」ながら
見事な逆転勝利をし、
これで4連覇の防衛となった。

来季、勝てば、
早くも5連覇となり
『永世棋聖』に昇格する。

これまた、史上最年少記録である。

そして、今日は、
ソーちゃんの21歳の誕生日である。

彼が羽生「永世七冠」の記録を
上書きして、タイトル100期超えの
「永世八冠」を達成した頃には、
軽々しく「誕生日」とは言えずに、
楽聖たちのように
「400年に一人の天才棋士」の
『生誕記念日』と称されるやもしれぬ。

 

 

 


祇園祭…『侍』を読む

2023-07-18 08:30:33 | 文学

きのうも
34℃にもなる炎暑で
外出を控えた。

知人のギターコンサートに
行くつもりだったが、
まだ、カラダが暑熱順化しておらず
連日のプチ熱中症に罹ってたので、
大事をとって、カミさんが
代わりに行ってきた。

そしたら、
キャパ100席の小ホールで
お年寄りばっかりで
満員だったと驚いた

この炎天下に
のこのこ出歩ける老人は
達者なのか、命知らずなのか・・・と、
熱中症体質の虚弱爺様は
畏怖とも羨望とも言えぬ
気分になった。

*

ゆんべは
夜のニュースで
京都祇園祭りの
四条河原町での山鉾の
「引き回し」風景を見た。

もう30年前にもなる
8年間の在京中には
よく出かけた繁華街なので
様変わりした風景にも
見入っていた。

京都も変わらず
猛暑のようで、
祭りの見学者に
救急搬送もあったという。

我が家も玄関室礼を
夏の風物詩の
「祇園祭」飾りに
改めようかと思った。

*

ここの処、
25℃を超す熱帯夜つづきで、
4時には陽が出るので
朝の8時半にはもう28℃くらいに
室内が上がってしまい、
東側の窓に遮光カーテンを引いて
エアコンをつけ始める。

明日から、
1ケ月あまりの夏休みになるが、
猛暑日の時は、
陽の入る午前中はずっと薄暗い部屋に
枕灯をつけて読書やら
YouTubeサーフィンをする
毎日になりそうである。

*

昨日から
未読の狐狸庵センセイの
純文学作品を読み始めた。

若い頃から壮年期にかけては、
あまりキリシタン物に興味が湧かず、
年取ったら読むだろう・・・と、
蒐集だけして
書棚に何十年も眠っていた数冊を
この夏休みに読了するつもりである。

まずは、手始めに
野間文芸賞の秀作『侍』を
1/3ほど読み進めた。

最初に読んだ、
巻末の『解説』が秀逸で、
思わずその筆者である
ヴァン・クラーク・ゲッセルという
「遠藤周作の一次翻訳者」として
著名な大学教授で、その功績で
日本から褒章も授与されている
キーン先生みたいな人物であった。

解説文の括りには
「見事な交響曲」という喩えにより
雅味のある文章で閉じていて、
作品の魅力を詩的に伝えていた。

**

文庫本でも
持ってて疲れてくると、
書見台をだして、
クリップで挟みながら、
お菓子を食べながら、
音楽を聴きながら、
たのしんで読書に勤しんでいる。

 

 

 

 


老舗の「串焼き」「白焼き」

2023-07-17 08:10:06 | 食べ物・飲み物

きのうも
34℃の熱暑だったが、
かねてから計画していた
行きつけの鰻屋で
「串焼き」と「白焼き」を
味わってこようと、炎暑の中を
十分にクーリング対策をして出かけた。

大正十年(1921年)創業だから
市内で唯一の
百年を越える老舗である。

 

 

店には
昭和の大スターで
喜劇俳優の「三木のり平」の
直筆色紙なぞも飾られている。

1999年に没しているが、
『桃屋』CMのアニメキャラとして
茶の間ではお馴染みであった。

1977年には
『男はつらいよ 寅次郎と殿様』にも
ちょい役で出ていて
コミカルに演じていた。

*

日曜の口開け時だったが、
早くも、三つのテーブルに
先客がいたので、
だいぶ待たされるのを覚悟してたが、
それほどでもなく、
「串焼き」が先付けのように
運ばれてきた。

白焼きの「ばら焼き」は
ウナギの香りが馥郁として
七味ミソをつけて味わった。

タレ焼きの「ひれ焼き」は
蒲焼の味だが、
ヒレ独特の食感が楽しめた。

これには山椒の葉を
合わせてみた。

**

ほどなくして
白焼き「定食」が供されたが、
「松竹梅」の「梅」だったので、
鰻はいちばん小さい半身で、
鰯の開き一匹分くらいだった(笑)。

これとて、
「焼き魚定食」の部類だが、
すこぶる高価な“定食”ではある。

辛目のつけダレで
鰻に直接「本山葵」をのっけて
香りの相乗効果を楽しみつつ、
白飯を掻っ込んだ。

合いの手には
定番の奈良漬け。

肝吸いも
上品な合いの手になってくれた。

前菜と定食で、
お昼の天婦羅コースくらいの
値段だったが、
この上には「松竹梅」の
「松」まであり、
「うまき」もいい値段だったので、
ぽちぽちと制覇していこうかと
思っている。

**

猛暑日の車での移動は
熱中症の予防に十分に気を付けているが、
きのうは店ではよかったものの、
帰ってきて、やれやれと
安心してネック・クーラーを外した途端に
クラリ・・・と、きて、
ヤバっ!!・・・と、また巻き直して、
両脇の下にもアイスパックを挟んだ。

室内も30℃を超えてたので、
冷房が効き始める前に
うっかり生命維持装置でもある
冷却装置を外せないものだ・・・と、
思い知らされた。

きのうのクラリを入れると、
この夏、早くも、プチ熱中症に
5回もなったことになる。

今日も今日とて、
35℃の猛暑日になるとのことで、
真っ昼間の2時からある
知人のギターコンサートは、
「行くよ」と言ってたが、
断念せざるを得ないか・・・と、
断腸の思いでもある。

毎年、1000人もの高齢者が
熱中症死してる、っていうから、
命の危険を冒してまで、
音楽鑑賞は有り得ないものねぇ・・・。

だいいち、その症状は激烈で、
苦しみがハンパないものね。

痺れ、吐き気、失神恐怖、不安感に
襲われるのは、パニック障害と
一緒である。

*

Amazonをチラ見したら、
新刊ラッシュで、
読み継いでるシリーズが
次々と出ていたので、
全部ポチッた。

近所の『ツタヤ』が改装閉店したので、
ブラウジングできなくなり、
再オープンの11月までは、
Amazon頼りである。

まとめて発注したので、
夏休み突入直後の
今週の金曜日には
いっぺんにドカッと
配送されそうである。

新刊書の楽しみは
その刷りたての
インクの匂いにもある(笑)。

・・・なので、昭和レトロ親爺は、
真ん中の頁をおもむろに開き、
鼻っ先をあててクンクン嗅ぐのを
新刊開封の儀式としている(笑)。

今年、全巻を揃えたばかりの
『深夜食堂』の安部 夜郎の
新シリーズも出て、
興味が引かれた。

漫画読みとしては、
入れ込んだ作家の作品は
すべて読み尽くしたい
という欲求がある。

**

マンガのついでに
なかなか市販品がない
「カッペリ・ソット・サーレ」
(塩漬けケッパー)の
イタリア産があったので、
これも注文した。

それと、パスタを茹でる時の岩塩も
トスカーナ産のものを注文した。

パスタ・オリオ(オリーヴ油)も
イタリア産なので、
本場の味を追求するには
本国産を使うのが
調理の「理」に適っている。

きょうは、
同じくイタリア産の
アッチューガ(アンチョビ・フィレ)を
注文しようかとも思っている。

猛暑日で、
どこにも出たくない時は、
冷房下の寝室で
Amazonショッピングを
楽しみとするのも一興かもしれない。