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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

金輝く王位の駒

2023-07-26 08:44:07 | 藤井 聡太

 

きのうから
ソーちゃんの『王位戦』
第三局が始まった。

初日は、
「57対43」の
ややリードの中盤で
「封じ手」となった。

先手番の勝率が
「94%」という
驚異の数字なので、
このまま勝ち切るものと
確率的には考えられる。

そうすれば、
対戦成績「3-0」で、
挑戦者がタイトル奪取するには
4連勝というほぼ不可能な
チャンスになり、
防衛は確実である。

・・・となると、
8/4の「王座戦」の挑戦者決定戦の
トヨピー戦が、注目の大一番である。

この一戦に勝てば、
これまで不敗のタイトル戦となり、
永瀬「王座」から奪取する可能性は高く、
前人未踏の『八冠』制覇が成就する。

***

きのうの対局中、
夕方頃に、不思議な現象が見られた。

対局室に射す西陽が
記録係の背後にある
金屏風に反射して、
なんと、ソーちゃん側の駒だけを
明るく照らし出す・・・という
怪異な現象だった。

『王位』の駒だけが
金色に輝き、
まるで、この一戦の勝利どころか
防衛は必然、八冠も必然・・・と、
暗示されているかのような
シーンであった。

もっとも、
いつものように集中して
盤上没我の彼は、
そのことに気付いていたか
定かではないが、
長らく盤面を直視していた彼が
いつになく目をしばたたかせていたので、
きっと眩しかったのだろう。

今日の対戦で
対局場の調整がされるのかも
見所のひとつである。

*

きのうも36.7℃という
猛暑日で、
まだ体調が完全じゃなかったので、
外出は控えて、出校したカミさんに
夕餉の買い物をメールで頼んだ。

ソーモン・フュメ
(スモーク・サーモン)と
アボカド、アスピック(ゼリー)で
『ガトー仕立て』を創ってみた。

夏らしく
涼し気な見た目に
カミさんも
「キレイ!」
と喜んでいた。

体調も今朝方はだいぶ善くなり、
1週間も続いた夏風邪も
やっと抜けかけている。

今日も今日とて
37℃もの予報である。

なので、午前中に
買い物を済ませて、
キッチンにも冷房を効かせて、
将棋の合間にちょこちょこと
夕餉の仕込みをしようと
思っている。

カミさんは
なんやかや仕事があって
夏休みになっても
毎日出勤しているので、
自分が毎日の夕食係になっている。

*

あと数頁を残して、もうすぐ
狐狸庵センセイの『銃と十字架』を
読了するところだが、
共感した一文があり
我が意を得たりと朱線を引いた。

教祖の生き方、み教えと
死後に組織化された
教団・教会は、
必ずしも同一のものではなく、
「キリスト」と「キリスト教」
「金光教祖」と「金光教」
のように、そこに
宗教的本質が乖離している事を
狐狸庵センセイはさすがの慧眼で
喝破しておられ、感服した。

かく言う自分も
在籍教会の不行状に嫌気がさして
教会から離脱して、
神様と直接向き合う信心・信仰に
切り替えて久しい。

そして、自分の考えに
理解も示してくれた
Tちゃん先生の教会には
お取次ぎに出向いている。

『銃と十字架』のタイトルどおり、
西欧列強の侵略と布教の歴史について、
自らもカトリック信者である
狐狸庵センセイは
真実の追求に一切妥協がない。

なので、かつては、
異端視されて、保守的な神父らに
「恣意的、独善的なキリスト教観だ」
と非難された事もあった。

しかし、ヴァチカンの不正問題やら、
カナダの神父による児童虐殺事件など、
宗教者として有り得ない
不行状・不品行が衆目に晒されて、
狐狸庵センセイの指摘が
正当性を持つことが証明されつつある
現代である。

その教義の中には
『聖戦』の定義もあって、
それは、イスラム過激派の『聖戦』と
なんら違いもない内容で
驚いてしまった。

「唯一の正しい宗教」の名のもとに
どれほどの原住民がその地を侵略され
虐殺され、彼らの宗教を邪教として
弾圧して改宗させたか・・・。

『魔女狩り』『魔女裁判』『火刑』も
「唯一の神」の名のもとに
なされた蛮行である。

日本人は
無宗教とか
宗教音痴として
世界的にも珍しい民族と
見做されている。

もっとも、
「頂きます」
「勿体ない」
「有難うございました」
という言葉や
お彼岸やお盆の墓参のように
明確な絶対的対象(神)を
持たないだけで
日常生活の中には
宗教性が潜んでいたりする。

19世紀フランスの政治思想家・
トクヴィルは、その名著
『アメリカのデモクラシー』で、
民主主義は退廃を歩むというのを
事細かに指摘しており、
その200年前の天才的頭脳が
予言した通りに今日なっている。

彼の悲観的な予言に対する処方箋は、
マテリアリズム(物質主義/拝金主義)の
荒廃・衰亡から脱却するには
本質的な「宗教性」を取り戻す事しかない、
と明言している。

「神」や「魂」について
真剣に考えて、
それとの関係性において
一人びとりが己れを定位することで、
個人の安心立命や
社会の道徳・倫理が保たれる、
という。

まさに、
魂理学を研究するものとして
我が意を得たり、と思った。

**

去年だったか、
市内にも『ビッグモーター』の
大展示場がオープンし、
キチキチに中古車が並べられ、
そのどれもが高値で
驚いていた。

そしたら、
このスキャンダルである。

昨晩は、
社長の謝罪・辞任会見を
ニュースで見たが、
「全く知りませんでした」
「ゴルフボールで傷つけるなんて
ゴルフを愛する人への冒涜です」
なんて、嘘と頓珍漢な事を
白々しく語っていた。

これまで、教育現場で40年間、
数千人もの人間を観てきたので、
(こいつ、ウソこいてんな)
というのがすぐに判った。

その表情、口調、内容で
人はその浅はかさが
バレてしまうものである。

この不祥事に
保険会社も数社絡んでいた
というのだから、
業界の闇は深い。

まさに、双方とも、
ブラック中のブラック企業である。

これもトクヴィルの指摘していた
マテリアリズム・拝金主義・
経済至上主義・・・の
成れの果てなのだろう。

道徳・倫理や
「お天道様が見ている」
「天知る・地知る・我知る」
という宗教性が
まったく欠如しており
「今だけ・金だけ・自分だけ」
の典型である。

ついでに、邪推・
下種の勘繰りをすると、
社長・副社長が潔く辞めた、
というのは世間を欺くポーズで、
息のかかった専務を代行させて
絶対に院政的に介入する筈だろう。

倫理・道徳・宗教性が欠けている
悪党は、軽薄短小なので
見え透いているのである。

*

WHOの馬鹿テドロスが
G20で承認されたのをいいことに、
「ワクチン・パスポート」なるものを
グローバルに機能させると
まるで、「通行手形」を世界に
普及させると言ってるから、
【馬鹿は死ななきゃ治らない】
だなぁ・・・と、つくづく痛感した。

これは、日本政府は
マイナカードとの紐づけを
画策するに違いなく、
未接種者は公共サービスから排除しよう
というトンデモない政略である。

そもそも、WHOは、
国連機関ではあるが、
実質はビルゲイツ財団などの
民間の富豪や製薬会社などによる
莫大な寄付により運営されている。

それが、国家や個人の主権を
制限するというのだから、
馬鹿も休み休み言えである。

*

アメリカでは
貧富の差が拡大しており、
上位1%の資産が
国民の90数%の資産を上回るという。

金持ちは益々金持ちになり、
貧乏人は益々貧乏になる、
という構造が固定化しつつある。

 

 

 


「魂の救済」を学ぶ

2023-07-25 07:42:14 | 勉強

 

夏風邪の諸症状も
だいぶと抜けてきたが、
まだ、寝返りすると
クラリとくるので
カラダを固くして寝ているせいか
背中が凝っている。

それと、
右足の親指に若干の
シビレ感があり、
おとついに右の臀部に
痛みがあったので、
左側に続いて新たな
坐骨神経痛の発症かと懸念している。

顎関節症は、
ブログを辿ると
去年の8月に始まったようだが、
丸々一年で、どうやら
開口度と痛みが
八部まで治ってきた。

夏休みに入ったとたん、
緊張感が緩んだのか、
夏風邪にかかってしまって
長引いているが、
一月ものロンバケなので
ゆっくり養生して、
完治したら、また古楽器製作を
開始したいとも思っている。

**

今朝方、またまた、
ドタリと、ベッドから
落下してしまった・・・(笑)。

打ちどころが悪かったら
そのまま、あの世行きなので、
笑い事ではないが、
ついつい、昭和の「落語家」
林家 三平のギャグが
脳裏を過り
(あっ!!   落伍者)
と、自虐的に笑えてしまった。

最近になって、
二回も落差50㎝くらいの
ベッドから落下してるので、
何事三度で、大事故にならないよう、
寝しなにも、寝室にも掲げている
『天地書附』に一晩の無事をも
御祈念させて頂こうかしらん、
と思わせられた。

*

祇園祭りの
宵山と山鉾巡行が
ニュースで流れ、
いつもなら一月前には
玄関の室礼をそれに改めているのに、
この夏に限って、忙しかったのと
体調不良で忘れていて、
きのう、「名残り」として
味わうことにした。

ちょうど、庭の紫陽花も
梅雨明けの時季には
全部花が枯れるが、
一輪だけ枯れずにあったものを
「名残り」として活けられた。

日本人特有の美観である
「侘び寂び」として
「残心」や「名残り」を
味わうというのもある。

ギヤマンの灰皿は
誰も喫煙しないので、
蹲(つくばい)に見立てて、
冷水を張って
見た目に涼を感じるように仕立てた。

*

おとついの日曜に、
三ツ星フレンチのシェフが
ひょっこり来られて、
『ブラン・ド・ブラン』の
ヴァン・ムスゥを持ってきて
くだすった。

聞けば、
月一デジュネ(ランチ)の
5回目にオーダーした
『プレサレ』
(モンサンミシェル産仔羊)が
お客様方に好評で、
追加オーダーされたという。

「福の神」になって頂いたので・・・
という事のお礼だというので、
恐縮したが、有難く頂戴した。

体調が回復したら、
快気祝いとしてカミさんと
開栓したいと思っている。

*

読了したばかりの
狐狸庵センセイの『侍』が
軽薄短小な昨今の小説類と違って
さすがの重厚長大な筆致で
極上のフルコース・ディナーを
味わったような満足感が得られた。

全編に「侍は・・・」という主語が
用いられており、
その名は「長谷倉 六右衛門」とあり、
先に読んだ米版翻訳者ゲッセル教授の
『解説』にも支倉とあったのに、
それが「支倉 常長」の事だと、
ドクターのS先生にご指摘頂くまで
気付かずに読了した(笑)。

もとより
常長の事については
名前だけ知っていて
何の予備知識もなかったので、
読了後に、改めてウィキで
調べてみた。

まるで、小中学生の
「夏休みの自由課題」である(笑)。

そしたら、
その肖像画や
復元された渡航船などの画像があり、
前もって見ておけば、
もっと小説を別の視点で
味わえたのに・・・とも思ったが、
それらの予備知識がなかったからこそ、
自由なイマジナリーを膨らませることが
できたのかもしれない・・・とも感じた。

常長は米沢生まれというから、
亡き祖母の実家や
亡父がその実家で
山大時代を過ごしたのと
不思議な縁をも感じた。

*

 

狐狸庵センセイの作品は
ほぼ全作品を蒐集し
純文学とエンタメ物を読破してきたが、
キリシタン物は
代表作の『沈黙』を読んだだけで、
ほぼ手つかずで数冊が
書庫に長らく保管されてきた。

なので、この夏休みに
それらに取り組もうと思っていたが、
最初の『侍』は宗教文学としても
傑作で、哲学・心理学・魂理学の
いい勉強素材にもなった。

外国で
日本文学やカトリック文学を
専攻する学生の中には、
遠藤 周作「大先生」と
称してリスペクトする
コアなファンも少なくない。

宗教性の本質と
教団のポリティカルな恣意性とは
相容れないものがあり、
その矛盾を徹底的に描いたのが
「大センセイ」でもあるので、
純粋な「魂の救済」に
関心を持つ者であれば
洋の東西を問わず、
その純粋性に魅かれるのであろう。

*

第二弾で読み始めた
『銃と十字架』は
『侍』とは違って
物語仕立てにはなっておらず、
全編、「大センセイ」の講義口調で
書かれているので、
エンタメ性は全くない。

それでも、
96年に亡くなってから久しい
狐狸庵センセイの
キリシタン研究者としての一面に触れ、
その謦咳に接している
学徒のような気分が味わえている。

これも、夏休みならでは・・・であり、
そして、今、病気療養中ならではの
寝養生しながらの勉強になっている。

***

「魂の救済」の勉強は、
二学期以降も
子ども達やその親たちの
「困り感」の救済にも
役立つこと必至と思っている。

学術論文を読むだけが
勉強ではなく、
殊に、心理臨床家は
多くの物語を読むことも必要だと、
亡き河合先生もよく仰っておられた。

 

 

 


病み上がり期「養生」の大切さ

2023-07-24 10:10:20 | 健康

 

 

夏風邪の具合が
一進一退で、
きのうの昼には軽快したかと
思ったら、夕飯中に
またシンドクなってしまった。

栄養も摂らねば・・・と、
進んで食べるようにしたのだが、
食事するというのも
疲労する事なのか・・・と、
怪訝に思った。

たしか、タモリが
「一日一食」主義で、
その理由を問われて
「三度も食べて疲れないか・・・」
と問い返した、
という逸話を聞いたことがある。

たしかに、食べる事と
消化する事にも
多大なエネルギーを
浪費するのかもしれない。

*

昨晩は、寝しなに
途中で中断していた
狐狸庵センセイの『侍』の
真ん中あたりから
読み継いだ。

そしたら、
物語の佳境に入って、
眠気がくるどころか
興奮してしまい、
巻末近くまで
読み進めてしまった。

しかし、翌日の通院予約のために
結末を少し残して、
1時頃に本を閉じたのだが、
脳が興奮していたせいか、
すこしも眠気がこず
3時頃にウトウトし始めて、
朝まで、熟睡できないままだった。

案の定、朝8時には
怠さと眩暈感まで再燃し、
これでは、真夏日の戸外に出るのは
倒れにいくようなものと判じて、
予約をキャンセルした。

そしたら、
形成外科の診療日が少ないのと
予約患者が大勢いるとのことで、
なんと次回は1ケ月後の再予約に
なってしまった。

粉瘤摘出手術の予備診察だから、
それでもかまわないのだが、
夏休み中にやっておこうという
計画は予定が狂ってしまった。

夏風邪+熱中症で
無理したら、
最悪はVVR(血管迷走神経反射)の
発作をも再発させてしまいそうなので、
大事をとって睡眠不足の解消と
安静療法の継続を選択した。

*

子どもの頃からの
ワルイ癖で、病み上がりで
ちょいと調子が良くなると、
すぐにギターを弾こうとか
遊びに行こうというので、
ぶり返す事がちょいちょいあった(笑)。

病み上がり期こそ
「自重する」という事が
大切な事が、歳とって
すこしは解ってきたようである(笑)。

なんせ、
夏休みは一か月もあるのだから、
焦らず、のんびり参ろうか・・・
くらいで、自宅療養するっきゃない。

読書とYouTubeサーフィンと
音楽を聴くことは
カラダを休めて
寝てても出来ることなので
ありがたい。

この夏も新作の『怪談』や
『長編小説』を書きたい・・・とも
思ってはいるのだが、
なんでもかんでも
出来るものじゃないので、
アイディアが湧いて
書かずにいられない・・・となるまで
そっちはほっておこうと思う。

 

 


好物は『喰い薬』

2023-07-23 09:46:54 | 食べ物・飲み物

 

 

夏風邪で
きのうも丸一日
臥せっていた。

おなかの方は
だいぶ善くなってきたが、
いかんせん、また、
ふらつきがあり、
寝がえりをうつと
回転性のメマイがする。

それでも、
BPPV(良性発作性頭位眩暈症)
の症状よりはずっと軽いので
助かってはいる。

自律神経系の失調による
症状とは思うが、
以前、鍼灸名人のマキノ先生から
同様の症状の時に
「椎骨脳底動脈循環不全」
かもしれない・・・とも、
言われたことがあった。

運動不足や肥満、糖尿病予備軍、
脂質異常症、ストレスなど
当てはまる事があり、
それらにより動脈硬化が進行して、
一過性の症状が出るという。

これが一過性で済まなくなると
「脳梗塞」の前兆だというので、
肥満も命取りになる
「万病の元」である。

*



伏せてばっかりてるので、
カミさんが
好物のイチジクを買ってきてくれた。

熊本産の黒イチジクは
高級品で、
ワンパック3ケで
600円近くする。

それでも、
好物は「喰い薬」とも言うので、
ありがたく頂いた。

*



眠ってる時以外も
ベッドで安静療法してるので、
足元のテレビに
YouTubeの『スコアサイト』で
デモ演奏を聴きながら、
未知のギター曲の譜読みをしている。

何十曲も聴いてるが、
これだ という
自分好みの曲には
なかなか出会わないものである。

*

明日は、
日赤の形成外科に
「粉瘤」の摘出術前の
診察予約をしているので、
なんとか、ふらつきや体調不良が
改善していてもらいたいものである。

こんな状態で、
30℃超す真夏日になったら、
それこそ、すぐさま熱中症で
倒れてしまいそうである。







 

 


マンジャーレ/カンターレ/アモーレ

2023-07-22 09:10:48 | 食べ物・飲み物

 

夏風邪の症状が
頭痛・めまい・体痛…と、
移動していたが、
真夜中の3時頃には
激しい膨満感に苦しめられ
VVR(血管迷走神経反射)を
起こしかけた。

枕元にある『御神米』で
御神号奉唱しながら
おなかを半時もさすっていたら、
なんとか楽になったが、
気が付いたら夜が明けていた。

大建中湯を呑んだら
さらに落ち着いたが、
腹風邪の時によく起こる
全身の倦怠感に包まれている。

**

きのうは
めまいも治まり、
体の痛みだけだったので、
朝からバファリンを呑んだら
楽になって、ランチに出かけよう
という元気が出た。

戸外は真夏日には届かない
28℃くらいだったが、
それでも熱中症の予防に
ネック・クーラーと
短パンのポケットに
アイスパックを忍ばせ
太腿の付け根を冷やしながらの
お出かけだった。

毎年、高齢者が1000人も
熱中症で亡くなるというので、
真夏の外出は油断がならない。

*

行先は、行きつけの
老舗鰻屋である。

出汁巻玉子を頼んだら、
裕に玉子5ケ分くらいの
たいそうな量だった。

それでも、
熱々の焼きたてだったので、
箸が進み、うな重が出来るまでの
いい前菜になってくれた。

*

うな重は
いつも「松竹梅」の
鰻半身の「梅」にしている。

「竹」になると
鰻が一尾になり
白飯が見えないほどに
鰻が敷き詰められるが、
そうなると、どこをとっても
鰻飯になるので、
途中で食べ飽きることがある。

無論、値段も1.5倍になり
物価高のきょう日は
懐の負担も違ってくる。

「うまき」の単品も
うな重の「梅」と同じくらいするので、
安価な「出汁巻玉子」を頼んで
京都の『京極かねよ』の
『きんし丼』みたいに
鰻にのっけてみた。

出汁巻玉子と白飯で
『出汁巻玉子膳』としても
楽しめた(笑)。

 

*

この夏休みの
ロンバケ・コンセプトは
人生を楽しむ名人の
イタリアーノに倣い
「マンジャーレ/カンターレ/アモーレ」
(食楽/音楽/愛楽)
しようかと思っている。

「愛楽」はテキトーな造語だが、
お盆に孫が帰省してくれたら、
コテコテに可愛がりたいと
手ぐすね引いて待っているが、
コロナ禍の第九波と
幼児のヘルパンギーナや
SRウイルスが流行しており、
大丈夫か心配もしている。

**

帰宅したら、
Amazonに注文していた
マンガ・書籍・岩塩・ケッパーが
置き配のボックスに届いていた。

新刊書を読むときは、
いつも、頁の真ん中辺を開いて、
鼻を当ててはクンクンと
刷りたてのインクの香りを嗅ぐ(笑)。

昭和の人間ならではの
旧弊な贅沢感を味わう
喜びのようなものである(笑)。

*

「カンターレ」の一貫として、
去年の『リュートマラソン』には
採り上げられなかった曲集を
アナリーゼと練習をしては、
ぽちぽちと録画録音をしている。

時々、指が痛くなったり、
背中が凝ったりして、
嫌になることがあるが、
(楽しくないならやめぇ!)
と、自分に号令をかけている。

そして、いつもいつも、
(楽しいか?)
と自問しながら、
やるようにしている。

楽しくないなら
「音楽」じゃないもんね(笑)。

イタリアーノたちは、
発声し、唄うこと自体を
楽しんでいるように見えるが、
楽器でクラシック音楽をやる以上は、
エレガントにソフィスティケートされた
演奏にすべく、どう歌いたいのか…
考え、試し、何度も弾き重ねる、
ということが要る。

楽しい時に思わず出る
「鼻歌」と違うのは、
そこに「聴き手」の存在が
念頭にあるからである。

なので、
独善的な自己陶酔的な
表現であってはならず、
古典音楽に通底する
雅味がなくてはならない。

それが解かるようになるには、
多くの楽聖たちの秀作を
マエストロの演奏で聴き、
その譜面と演奏から
学ばねばならない。

***

医大の献体の会
『志らぎく』の会報が届いた。

以前に、
ご高齢の役員の方から、
是非、役員に…と推挙されたが、
75歳までは
現役SCを務めるつもりなので、
「現職」を理由に固辞させて頂いた。

毎回、会報が届くたびに、
献体された方々の御芳名と
解剖実習後の学生たちの
真摯なレポートに目を通している。

自分は、2歳から
重症の小児喘息で
10年余り、20回以上も
医大の小児病棟に入院して
命を継いで頂き
今日があるので、
その恩返しと思っている。

『鶴の恩返し』
だと美しいイメージだが、
肥満したジジイだと
『豚の恩返し』
になってまい、
あんまし、美しくねぇなぁ…(笑)。

**