『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

自意識の謎

2022-04-10 05:51:00 | 勉強
TVの予報で
「桜が満開だ」
と言うので、
三密を避けて、
土曜の朝8時に
城山に出向いてみた。

そしたら、
なーんと、まだ三部咲きで、
あらま・・・
であった。





それでも、
朝一の「ひとり観桜会」は
人出のない静寂のなかで、
じっくりと花と対峙できた。








快晴の澄んだ空気で
吾妻山の雪兎も
クッキリと望むことができた。

ここのところ、
山頂では、まだ
雪が降るのか・・・
モモリン(雪兎)も
消えたり現れたりしている。









城山にも
フキノト・エリアがあるが、
生えながらにして
茶褐色に変質してるものが多く、
採るのをやめてきた。

この時季、
フキノト・ハンターの親指の先は、
摘み取るときの灰汁成分で
茶褐色に染まり、
石鹸水でブラシ洗いしても
落ちないのである。

でも、
それが
フキノト・ハンターの
証しでもある(笑)。

┌( ̄^ ̄)┐エヘン!








うっちゃ、けぇったら、
(家へ帰ったら・・・フグスマ弁)、
佐川便が来て、
ヤフオクで廉価落札した
新品の夏タイヤを
若いおネーチャンが
両手に2本ずつ抱えて
「ウンショ、うんしょ」
運んできてくれた。

「女の子なのに、
力仕事たいへんだねぇ」
と労うと、
愛想のいい子で
「わーっ!
こんなんで、褒められたぁ!」
と喜んでくれた(笑)。

「ご苦労様ね」
と言うと
ニコニコしながら
「ありがとうございました!」
と生き生きして
帰って行った。

階段下に
お茶やアクエリアスの
ペットボトルが
箱であったので、
1本あげればよかったなぁ・・・と、
感じのいい彼女が
帰ったあとで
ちょっと後悔した。









"ぼっちフレンチ"は
『ロティ・ド・ポール』
(ロースト・ポーク)。

小ぶりのエリンギも
丸々一本ロティスールして
添えた。

ソースは
冷凍保存してある
グランマニエ風味
(オレンジ・リキュール)
のビガラードソース。








最近の
DID(解離性同一性障害/
Dissociative Identity Disorder)
の研究状況について探っていたら、
fMRIによって脳内の
血流動態反応を視覚化して
様々な新知見が得られてることを知った。

なかでも、
正常な役者による
別人格の演技との
対照実験では、
多重人格患者が
恣意的に行っている
演技ではない・・・
ということが
脳内血流像の違いによって
明らかになったのは
画期的な結果である。

自分にも、
30年ほどの
臨床経験で1例だけ、
DIDケースの心理療法を
したことがある。

10年以前のケースだが、
あの頃、たしかに、
頭のどこかでは
(これは、演技じゃないか・・・)
と絶えず疑っていた自分がいた。

さらに驚くべきことは、
盲目人格が出現したとき、
その患者には
視覚異常がないにも関わらず、
脳内の視覚野の機能がオンにならず、
じっさいに視えなくなっている、
ということが判明した。






また、患者の主人格である
A人格が出ている時でも、
B人格、C人格は
「休眠」状態にあるのではなく、
「活動」状態にある・・・
というのも驚きだった。

さらに、
DID患者の
夢を分析した研究では、
一つの夢を三人の人格が
それぞれの「主格」の視点で
見ている、という。

それゆえ、
芥川 龍之介の有名な
『藪の中』のように、
一つの現象に対して
多視点の主観的な
状況解釈が生じる
ということである。

***

この多重人格の最新知見を
「自意識」の存在に敷衍させた
哲学者がいて、それは、
古今東西の宗教哲学で
言われていた
「大いなる一つの意識」(ワンネス)
としての宇宙意識のなかで
分裂した意識が
我われの個々の自意識かもしれない、
という卓見であった。

無論、恣意的とも言える
思考実験の仮説だが、
アナロジー(類推・類比)として、
また、フラクタル的な視点として、
考えられ得る・・・と、
首肯させられた。

また、彼は、
我われの見ている夢には、
多くの人格が現れるが、
元々はそれは自分という
ひとつのマインド(自意識)が
見ているものであり、
多くの登場人物は
交代人格(Alter)に相当するのである、
という説明も加えている。

そして、
ショーペンハウエルの箴言
【全ての生き物を通して
外を眺める世界の「一つの眼」】
をも引用し、
宇宙意識と個々の自意識の
関係性を述べている。

さらに、卓見だったのは、
「I(私)」には二種あって、
「純粋に経験の受け手」として
何のコンテンツも持たない「I」と、
個人史などのコンテンツ
(内容/物語)を持つ「I」があり、
この二つを混同すると
議論が噛み合わなくなると言う。

「純粋な自己意識」は
「Pure Ipseity(イプシーティ)」
と言い、
他にも
「I-ness(自己性)」
「Pure Subjectivity(純粋な主観性)」
「与格(動作の受け手)」
とも同義である。

この内容は、
般若心経の「空」の概念に近い。

カストラップ博士は、
何のコンテンツも物語も持たない、
純粋な「視点」としての自意識が、
「純粋な経験の受け手」であり、
それが受けとる経験の特質が
開示されているのが
現実の現象であるという。

また、
個々の存在は、
一つのマインドが見る夢での
交代人格と同様であるが故に、
それぞれに共通の現実を
体験していて、そこに、
二人称や三人称が生じてくる、
というのである。

この仮説は、
永年、自然科学と
宗教哲学、心理学という
学際的アプローチで
「自意識」について
思考実験を重ねてきた
魂理学者としては
矛盾なく納得できる
仮説であった。

【我われの個々の自意識は
宇宙の眼であり、宇宙は
我われを通して自分を見ている】
という考え方があるが、
最近、そのような気がする傾向が
段々と強くなってきた。

今、コロナ禍、戦争、
自然災害、環境破壊という
壊滅的な状況の
「闇の中」にいる人類が、
人種、宗派、イデオロギーの違いを
超克して、全ては根底で繋がっている、
という根源的な理解を得れたら、
あるいは、ここから、
逆転サヨナラ満塁ホームラン的な(笑)
人類の精神史の大進化が
起こる可能性がある。

先述した、
「英雄の生涯」サイクルや
「死と再生」の通過儀礼、
シンクロニシティ
(意味のある偶然の一致)
といった仮説をもとに
現実世界を俯瞰すると、
今はまさに夜明け前の
もっとも昏い(暗い)
苦節の時季・時間帯として
布置されているのかもしれぬ。

それが、
深層心理学的、
魂理学的な
現実相の分析・解釈である。



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脳科学者の洞察

2022-04-09 06:48:00 | 勉強
YouTubeで
『TED』という
識者による凝縮された
「20分スピーチ」を
魂理学の勉強で
よく視聴している。

脳科学者ジル・ボルトが
37歳で稀有な脳卒中体験をし、
その内面からの脳機能の
変容体験を記した本が
全米でベストセラーになった。





『TED』での
スピーチでは、
おしまいの方で
感極まって涙し、
それが聴衆に伝わって
笑顔で話し終えると
客席が一斉にして
スタンディング・オベーションとなった。

病前は
多くの科学者と同じように、
脳の機能が意識を司るものと
固く信じていたが、
言語野を有する左脳が
ダメージを受けると、
右脳のみの意識となり、
それは驚くべき
「神秘的」体験だったという。

「境界・定位」感覚が失調して、
カラダの物理的感覚が喪失し、
大いなる宇宙と一体化し、
天国的な解放感と幸福感に
充たされた・・・
というのである。

その証言は、
多くの臨死体験者たちが、
語っている事にも
通じるものがあった。

ただし、
幽体離脱は起きていない。

左脳マインドによる
「分類・同定・分析・統合」
などが機能不全になって
「Doing」できなくなると
純粋な「Being」状態となり、
「今、ここ」に「在る」
という事が意識され、
その多幸感の魅惑は
筆舌に尽くしがたいという。

開頭しての
ピンポン玉大の血種除去
という大手術の後、
左脳機能が回復してくるが、
すると「脳のおしゃべり」が始まり、
それと共に不安も生じ、
右脳マインドは後退するという。

彼女の卓見は、
脳卒中を起こさなくとも、
この右脳マインドには
アクセスできるはずだ・・・と、
「今、ここ」に「在る」ような
自分なりのアイディアを
提示してみせた事である。

その中には、
自然の中に身を置く、
音楽を演奏する、
という事もあり、
我が意を得たりと思った。







"ぼっちフレンチ"に
珍しい鶏のアバ(Abats/内臓料理)を
こしらえてみた。

「肚玉(はらたま)」
とも
「キンカン」
ともいう
産卵前の体内卵と
ヒモである。

中華麺を
ヌイユ(ヌードル)とした。









同じく
中華麺をヌイユとして、
ソーモン(サーモン)・マリネを
サラダ仕立てにしてみた。

フレンチでは
「中華風」を
「シノワーズ」という。

バディアーヌ(八角)や
コリアンドル(パクチー)
ゴマ油などで香り付けすると
シノワーズになる。








『東京古楽器センター』から
ガット弦が届いたので、
休ませていた『阪蔵(さかぞう)』の
フラメンコギターに張ってみた。







福高に合格した時に、
亡き父に
買ってもらった
当時、手工ギターの第一人者だった
中出 阪蔵によるものである。

73年作なので、
すでに50年物の
ヴィンテージ・ギターになった。








ついでに、
ウクレレにも
『アクィーラ』社の
『ナイルガット』という
ガット弦の音質に近づけた
白い弦を張ってみた。

これらの楽器で、
『リュート・マラソン』の
選曲をしてみようと
思っている。












きのうは、
ジュリアーニの
『調子のよい鍛冶屋』(ヘンデル)の
『主題と変奏』から
第三変奏と第五変奏を
抜粋してみた。

はじめは
ガット弦を張ったばかりの
ギターでやってみたが、
低めのピッチが曲想に合わず、
レキントギターに代えてみたら
生き生きとした表情になった。

やはり、
曲想に相応しい
調性や音質というのが
あるものである。








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感染拡大・・・(-_-;)

2022-04-08 07:45:00 | 風景
ここの処の陽気で、
隣家の桜も
三部咲きとなり、
寝室の窓から
寝ながらにして
花見ができる(笑)。




来週は数日間は
25℃もの夏日が続く
というので、
市内の各所とも
一挙に満開になりそうだ。







ただ・・・
感染拡大が
県内・市内とも
過去最高となり、
人が密となるのは
花見といえど
避けた方がよさそうである。

さりとて、
花の時季に
うちにばかり
じっとしてるのも
ツマラナイから、
こういう時は、やはり、
野に山に出かけるべし
である。








マイ・フェイバリット・ロケーション
でもある「びっき沼」に、
今季、三たび目の
フキノト・ハンティングに
赴いてきた。

いつ来ても、
そこに変わらぬ自然があり、
しかも、自分のほか
誰もいない。

しかも、大好きな
「フキノト採り」ときては、
これ以上のリラクゼーション、
レクリエーション、リフレッシュの
「3R」はない。

きのうは、
微風に漣(さざなみ)の立つ
水面(みなも)に見入ってたら、
無粋とは思いながらも
また、ここで
ラジコン・ヨットを
浮かべたくなった。

前の前の家の
吉倉の借家時代、
大型ヨットを
数日がかりで完成させ、
子どもたちと水域に出かけては
優雅に走らせたものである。

さんざん遊びつくしたので、
ヤフオクに出したら
すぐに落札された。










フキノトは
採り放題に繁茂していた。

今までの採集地から、
やや移動した林内にも
新たなクラスターも発見して
心が躍った。

贅沢にも
開花したものには手を触れず、
これから開花しようという
蕾(つぼみ)のものだけを
二十ばかり摘んできた。

午前中に摘んで、
晩の菜に
天婦羅にしようと
冷蔵庫から出してみると、
1/3くらいは
個体自身の灰汁成分で
酸化し茶褐色になってしまい、
それらは廃棄した。

カミさんが、
いつものように
「オイシイ、おいしい」
とキレイに全部平らげた。

😋









沼とは
道路を挟んで反対側の
湿地帯には、
水芭蕉が一輪だけ
開花していた。

奥には、まだ、
残雪が見え、
花と雪の白のツーショットは
"冬の名残り"を
感じさせてくれた。





沼の飛び島には
サギが舞い降りていた。

正面から
スマホのカメラを
最大ズームにして撮ってみた。

水面に映る姿が
なんだか
"いとをかし"といった
風情があった。

こういう美しいものを多く
目に焼き付けておきたいなぁ・・・
と思うほどの
昨今のウクライナ惨禍の映像の
対局のように思えた。

夜7時のニュースを視るのが
夕食時の習わしだが、
さすがにカミさんも
「共感症になるから、
視たくない・・・」
とチャンネルを
くだらないバラエティーに
変えていた。

耳新しい事を言うので、
ネットで流行ってるのかと
ググッてみたが、
それらしきはヒットせず、
「エンパス(empath)」
というのが出てきた。

「エンパシー(empathy)
 =共感、感情移入の力」
からの造語で
「共感力、共感力の高い人」
という意味だそうだ。

メンタル・クリニックの
ドクターの記事によると、
HSPと同一視され、
うつ病を併発しやすい性質だという。









時節を先取りして、
玄関室礼を
節句飾りに改めた。

茶室の室礼も
早め早めに改めて、
その時節の到来を
心待ちにするのである。

我が家は
ダンゴ三兄弟だったので、
亡き父親が
長男フミの祝いとして
兜を買ってくれた。









2月7日から始めた
『リュート・マラソン』も
きのうでちょうど
まるまる二ケ月たった。

60日間もよく
毎日、リュートやギターを弾いて
録音・録画してきたものである。

そのモチベになったのが、
元はと言えば、
愛器の不慮の全損事故からである。

してみれば、
やっぱり
【ふたつワルイこと さてないものよ】
なのかもしれない。

もっぱら、
鑑賞的に眠ってた
4本のリュートを
フル活用して
毎日のように
古楽や現代曲を
演奏しているうちに
目覚め感、気付き感が
多々あった。

大いに勉強になった。

ここ数日は、
ウクライナ戦禍の風景に
「エンパス」になったのか・・・(笑)、
やたらレクイエムチック(鎮魂歌的)な
選曲に偏っている。

きのうも、
(さてさて・・・
きょうは、何弾くべぇかねぇ・・・)
と、脳裏に浮かぶのを
寝床ん中で待っていた(笑)。

ほしたら、
何処からともなく
『シャコンヌ』!!
というのが
内言に響き・・・
(なーるほいど・・・)
と感心した。

(ホイドは「乞食」のフグスマ弁・・・笑)

『リュート・マラソン』やってて、
ジャーマン・テオルボ
(ドイツ式バロックリュート)
持ってて、
部屋ん中にリュートの神様的存在
ヴァイスの肖像画を飾ってて、
ここまで一曲もやってなかった(笑)。

いつかはやろうとは思ってたが、
ギターとは全く調弦の違う楽器を
五線譜でなくオリジナルの
タブラチュア譜(六線のアルファベット譜)
でやるのは、「0」からのスタートで、
それこそ何週間かかるか・・・
というので腰が重かった。

大学の時の
『卒業リサイタル』('81)では、
ギターでA-Moll(イ短調)に
編曲してやった。

楽譜庫に
その譜面はまだあるが、
今回は、それより4度低い
E-Moll(ホ短調)に移調し、
さらに、ギターを
A=415Hzのバロックピッチにして
バロック・リュートっぽくしてみた。

実際のバロック・リュートでは、
低音専用のバス番外弦が
7本もあり、それを駆使して
ドスの効いた表現になるが、
ギターだと、それらを
すべてオクターヴ上でやるので
どこか重厚感に欠けるのが
「編曲もの」の哀しさである。

でも、
二か月もの『リュート・マラソン』
という集中勉強のおかけで、
40年前もの81年の演奏とは
ずいぶんと異なる
リュートらしい響きが
ギターから出せているのに
気が付いた。

『シャコンヌ』とは、
バロック期の変奏曲の一種だが、
七小節ワンセットが
14回も繰り返される。

大学時代、
この曲を初めて聴いたという
同級生で化研だった
イシダ君は
「なんだ、この曲はっ!!」
と感動して落涙した、
というエピソードがある(笑)。











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ストレスの海・・・( ;∀;)

2022-04-07 06:19:00 | ノンジャンル
私的春休みも
あと一週間となった。

カミさんは
きのうが始業式で
通常校務がはじまった。





今朝の朝刊で、
中学生の13%が
中等度以上の「コロナうつ」
だというので、臨床の実態と
ほぼ一致していた。

300人の中規模校でも
40人弱もいる、というこである。

SCが予約ビッシリの
フルタイムになるのも
当然かもしれない。

小学生も9%もいるというので、
新学期の「中一ギャップ」の
環境変化因子も加わると、
「うつ性不登校」も
一割近く出る可能性もある。

学校にいて、
カウンセラーが暇という事は
有り得ず、ドテキャン以外は
ほとんどフルタイムで
働いている。

心身の不調感を
言語化できる子たちは、
積極的に傾聴することでいいが、
それが不得意な子たちには、
箱庭や絵画、音楽などの
表現療法(アートセラピー)を
施行している。

表現・表出により、
内的葛藤や苦悩を
ある程度「放出・解放」させつつ、
支持的な言葉かけで
「安全感・安心感・大丈夫感」を
醸成していく。

また、時折、
「ジブリ物が好き」
という子には
ギターを手に取り
『いつも何度でも』や
『さんぽ』や
『海の見える街』の
サワリを弾いてあげると、
みな柔和な顔になってくれる。






「まん防」解除後、
「第六波」が未収束のうちに、
「第七波」のツインピークを
呈してきた。

県内も、
300人台まで下がった思ったら、
きのうは600人台に
跳ねあがった。

市内も
20人台から
60人台となった。

「第五波」収束後は、
「0人」の日が続いていて、
やれ安心といたが、
またしても戦々恐々の
緊張感を強いられている。

まさしく、
その「心的負荷」は
ストレッサーの第一因子である。








見まい、見まい・・・と、
思いつつも、ついつい、
定時のニュースは
チェックする習慣があるので、
トップニュースの
「ロシア軍の蛮行」を
連日、見ざるを得ない。

今朝は、
プーチンの正面の顔が
アップになった時は、
その狂気を含んだ目つきが
ゾッとさせられるほどに
悪魔的だった。

市民虐殺の事実を否定し、
「ウクライナによる挑発」
と断ずるに至っては、
殺人鬼を思わされた。

国連の人権理事会で、
ロシアの外相が
演説する段になると、
各国が揃って退出した。

虐殺者が
人権の何を語るというのだ。







ロシアの暴虐・蛮行は、
「バタフライ効果」となって、
世界中に負の連鎖的影響を
もたらしている。

世界の穀倉地帯と言われる
ロシア・ウクライナの
1/3の小麦の供給が滞り、
それに依存している国々が
食料危機に陥っている。

日本も例外でなく、
今朝のジョーク欄での
『かっぱえびせん』のように、
「やめられない
 とまらない」
状態は笑えない。

戦争・食糧危機・値上げ・・・と、
これまた、生活者には
心的負荷となること
必至である。

そこに、
個人的要因が加われば、
すぐにでも
「デプ(うつ)り」そうである。






このストレスの海に
溺れないようにするには、
ストレス・コーピング(対処法)の
スキルを持たねばならない・・・と、
昨年の中学生への「ガイダンス」で
全員に教えた。

好きな事を
一生懸命やりなさい。

ない人は
探してでもやりなさい。

・・・とは、
非常時ならではの
「修羅場の飛び道具」的な
アジテーションである(笑)。

言ってる自分が
いちばん実践しているから、
いくらか説得力が
あったかもしれない(笑)。

***

【金で解決できるものは
 金で解決せよ】
という箴言から、
ふだんケチケチしているが、
こういうストレスフルな時局では、
貯めるよりも
嗜好品に消費することで
いくらかでも
セラピュウティックにはなる。

散歩&買い物&
ツタヤ・ブラウジング・・・は、
ロンバケ中の日課だが、
愛読してる新刊を見つけて
買ってきては、
「ごろ寝の友」としている。

きのうは
『ゴルゴ13』が出てた(笑)。

帰宅したら、
ポストにジャーナル(学会誌)が
届いていて、
これもゴロ寝の友とした(笑)。

漫画しか読まないカウンセラーは
トンデモナイが、
学会誌しか読まないやつも
ドンデモナイと思ってる(笑)。





きのうは、
『復興支援リサイタル』の
シーズン中には
第二屋外練習場だった
小倉字観音に
フキノト・ハンティングに
出向いてみた。

そしたら、
一足遅かったようで、
どれも花が咲いてたり
フキにまで育っていた。

あらま・・・である。

😞

それでも、
カタクリの群生は見事で、
それはもう・・・
天国的な光景だった。

この春はじめてだったので、
ことさらに感激した。

この絶景を見たら、
もう、ビッキ沼にも
四季の里にも
行かずともいいな・・・
と感じたほどである。











6年続けた
『復興支援リサイタル』の
シーズン中には、
一年中、気が休むことなく、
練習やマネージメントの
毎日だった。

誇張でも大袈裟でもなく、
「命削って、やってまんねん」
と人様には言いたい
気持ちだった(笑)。

セラピスト&ギタリストの矜持が
何をかやらせずには
おかなかったのである。

だから、
音楽が純粋に楽しい、
というのではなく、
苦しみを伴う
「苦楽(くるたの)しい」
状態だった。

その6年間を終えて、
肩の荷が下りたようだったが、
そしたら、コロナ禍となった。

当たり前に、
コンサートが開け、
人々がマスクなしで
会場に聴きに来て下さっていた。

今思うと、
ウソみたいな現実が
あったのだ。


*********
😢  (´;ω;`)
*********

フェイスブックで続けている
『リュート・マラソン』のために、
きのうはダウランドの名曲で
ブリテンが『ノクターナル』の
主題として採り上げた
『永遠の眠りよ来たれ』を
編曲・浄書した。

リュート歌曲の伴奏譜を参考に
ソロにしてみたが、
結果・・・
ブリテンの編曲と
ほぼ同じようになってしまった。

いつかは、
この曲のソロに取り組もうと
思ってたので、
ウクライナで戦死された
無辜の人々のための
『レクイエム』として
追悼演奏させて頂いた。


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野は春

2022-04-06 05:47:00 | 藤井 聡太
買い物がてらの
散歩路の土手沿いに
菜の花が咲きだした。




澄んだ川には
鯉のツガイが
悠々と泳ぎ、
水面(みなも)を
鴨のツガイが
これまた優雅に
漂っていた。






初夏には
アスパラが芽を出す
野っ原も
今はツクシンボが
ニョキニョキと
背を競い合っている。








スーパーの
惣菜コーナーで、
出来立ての「塩むすび」が
まだ温かだったので、
ついつい手が伸びてしまった。

赤穂の天然塩だけの
いたってシンプルな
オムスビだが、
空腹時には
妙に美味そうに見えた。

そういや、
誰かが何処かで、
言ってたが・・・
究極の空腹になると
日本人は塩むすびが
真っ先に浮かぶそうな。

あ、そうそ・・・
故・桂小南のマクラの随談で
『断食体験談』で
聴いたのだった。

お昼のハラペコ時だったので、
オニギリ2ケと
特大ハムカツで
車内ですまそうと
さっそくパクついたが、
この塩むすび・・・
374㎉で丼一杯分の量があり
1ケでオナカにズドンときた(笑)。

加えて、
特大ハムカツだったので、
その2大コンビで、
掻き揚げ「天むす」の
入る余地がなかった(笑)。

それでも、
スイーツは別腹で・・・(笑)、
熱々カリカリの
『鯛夢』の鯛焼きは
1ケ完食できた(笑)。







カミさんが
スーパーの店先で
一目惚れして(笑)
買ってきたという
ソラマメにインスパイアされて、
まだまだハシリで高値ながらも
小ぶりのタケノコを買ってきた。

タケノコ・ハンターとしては
買うのは忸怩たる思いも
ないではないが、
地中に埋まっている
「白子」という貴重物は
まだ別格なので、
良しとした。

半切にしてみると、
手のひらにのるほどのサイズで、
これでワンコインは
いい値段だなぁ・・・と思った。

こんなサイズなら、
近所の放置竹林や
周辺の路上で、
時季になれば
なんぼでも収穫できるのである。

それでも、
ハシリを味わうのも
味覚の楽しみなので、
半分をソラマメとの煮物、
半分を筍ご飯、
姫皮を酢の物にした。

ソラマメの厚く硬い皮を剥くのは
なかなか手間だったが、
開いてみると
内側が見事なクッションになっており、
その手触り感は
まるでビロードのようであった。

それに包まれるようにして
あのエメラルドグリーンの
愛嬌のあるお豆ちゃんが
眠ってるのである(笑)。






ゆんべは
入浴前に楽譜書きをしてたら、
突然に、心悸亢進が起こり、
心臓がバクバクなり出して
慌て魂消た。

先週は、
入浴中に起こって、
あわやVVR(血管迷走神経反射)の
アウラ(前兆)のような感覚もあり、
すぐに安静を保った。

年に一度の健診で
心電図も取っており
去年も異常がなく、
2ケ月に一度の特定健診での
血圧も安定しているので、
これは「三寒四温」による
日間・日内変動による
自律神経失調症と思われた。

なにせ、
サイコソマティック(心身)の
ハイリー・センシティヴな
HSPなので、
昔から自律神経失調症の気がある。

若い頃は、
吐き気として現れることが
多かったが、近年では、
老化による症候変質で
メマイ感や倦怠感が多い。

花粉の飛散が
激増している日には、
全身症状がでやすいのもある。

英語では
「hay fever」
と言うくらいだから、
抗原抗体反応で
微熱や倦怠感などの
ワクチン副反応のような
全身症状が出ても
オカシクはないのである。

突然の心悸亢進の時には、
まずは、横になって
安静を保ち、
経口補水して、
自律訓練法(自己催眠)で
リラクゼーションをはかり、
「御神米」を頂いたり、
トランキライザーを呑んだりもする。

ネットで調べたら、
【発作性頻拍症】の対処には、
眼球圧迫法、
バルサルバ法(息止め後、解放する)、
頚動脈マッサージ法
(糖尿病・脂質異常症はダメ)
などがあるようだ。

簡単で有効なのは、
冷水に顔を入れて
息をこらえる方法だという。

今度やってみようっと(笑)。

今朝方、
全身痛があったので、
寒暖差による風邪性の
自律神経失調症だったかもしれない。

それと、ここのところ、
喘息気味の花粉症だったので、
気管支拡張剤を含む
シムビコートを多用しており、
コーヒーもけっこう飲んでた。

これらも、
動悸・心悸亢進を
引き起こすという。

**

「発作」という英語は、
JCクライエントの
PNES(心因性非てんかん発作/
psychogenic non-epileptic seizure)で
「スィーズィア/Seizure」と覚えた。

「発作性」は、
数回体験した
BPPV(良性発作性頭位めまい症/
Benign Paroxysmal Positional Vertigo)で
「パロキスィマゥ/Paroxysmal」と知った。






七戦ある王将戦を
四連勝で勝ってしまい
王将を奪取したソーちゃんの
「棋戦」予定地だった
全国行脚が続いている。

最終回は、
佐渡にまで
ジェットフォイルで
赴いた。








それこそ、
シーズン前には
市をあげてのイベントとして
期待感で盛り上げってたであろうから、
棋戦がなくなって
地元民もガッカリしたに違いない。

なので、空振った対局地は
「祝勝会」「囲む会」として
「藤井王将」を招聘している。

そこに、真摯に出向いて、
礼儀正しく礼を尽くす新王将は
十代にしながら
すでに「名人」の風格がある。

なので、今年は、
A級順位戦で
是か非でもトップになって、
渡辺名人への挑戦権を獲得し、
ほんとの「名人」位に
就位してもらいたい。




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