『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

やっちまったい・・・

2021-06-30 07:25:00 | 藤井 聡太
きのうは、
楽しみにしていた
ソーちゃんの『王位戦』
第一日目を
なんと! 忘れて見逃すという、
大チョンボをしてしまった(笑)。

第五週目なので、
今週は昨日一日だけの
勤務日だったので、
その事に注意を払ってたら、
スケジュール帳にも
カレンダー2ケ所にも
赤丸印してあった
『王位戦』を忘れるとは・・・。

なんだか、
老化のボケなんか・・・
アタマん中に鬆(す)が入ったのか・・・
こないだの勘違い出勤みたいに、
おらぁ、ニンゲンやめたくなっただ(笑)。

でも、
仕事を忘れまいとして、
その事に集中していたので、
ご新規さん含めて
五件ものカウンセリングこなすのに
余裕がなかったんかなぁ・・・。

なんだか、
むかーし、教員時代に、
父兄参観後の個人面談を
10人もやって
ヘロヘロになった時、
(あ、そーいや、
今日は給料日だった・・・)
と思い出した体験が
脳裏によみがえった。

あの時、
今日は給料日を忘れるほど、
仕事に集中して、
頑張ったんだなぁ・・・オレ、
と、自分を褒めたいような
気分になった(笑)。

きっと、
昨日もそうだったのかもしれない。


学校で何度も
システムノート開いてるのに、
そこに記載してある
『ソータ王位戦』が
日にちを跨いで印てあったんで
見落としたのかもしれない・・・。





気が付いたのが、
帰宅した6時10分前で、
慌ててアベマ中継を付けたら、
なんともう「封じ手」の場面で、
豊島竜王が翌日の指し手を書いて
封印する儀式が行われていた。

形勢を見ると
48手目の中盤入口で
「32 対 68」と
トヨピーがリードしていた。

さすがに、
1勝6敗の相手で、
中盤前で
それほどのリードを許すのは
ソータにしては
珍しい不利な形勢である。

なので、
今日は、そこから
どう挽回できるのか
ハラハラドキドキの
一日になりそうだ。

トヨピーとは
5番勝負と
7番勝負の二つ行われるので、
最低でも7回以上の対局が
行われる。

そこで、
果たして、宿敵にしてラスボスに、
どれほどの戦果があげられるのか、
十代『ソータ劇場』の山場である。

これを凌げれば、
年内に十代「三冠」という
途轍もない「金メダル」に値する。





わずか10分しか
試聴できなかったが、
それでも、封じ手の儀式と、
初日終了で、王位のソータが
駒を片付け、
「一同総礼」という
茶会にもある清々しい儀礼を
能舞台で鑑賞できたので、
いくらか溜飲は下がった。









きのうは、
T中に自前のプリンターを
搬入した。

これまで
1階のカウンセリング室で
プリントアウトできず、
2階の職員室まで
取りに行っていたが、
それも運動になって
よかろうと思っていた。

ところが、
先週、職員室側の不具合で、
1階と2階を3回も往復したので、
過去にもあったこともあり、
うちに余ってる予備の物を
搬入した。

長らくキャノンで統一しているが、
使用してる3台とも形式が違うので、
インク・カセットも
全部違って不便感がある。

自社製品で
なんで形式を統一しないのか、
と腹立たしくもあるが、
販売戦略の都合なのかもしれない。

そして、
純正品はバカ高く
ランニングコストが悪すぎるので、
1/3価格のエコ・リサイクル品を
アマゾンやヤフオクで仕入れている。






きのうは、
学年トップで
福高志望の子の
母親カウンセリングが
ご新規さんであった。

将来は、
医学部志望の受験生なのに、
大スランプに
落ち込んでいるという。

聴けば、
「哲学病」のような
実存的問題に悩んでいるようだった。

自分にも身に覚えがあるので、
なんとか力になりたいので
夏休み前に本人に
カウンセリングに来るようにと
母親に促した。

人は何のために生きるのか・・・
自分とはいったい何なのか・・・
なぞといった
厄介な事に捕らわれたら、
受験勉強なぞ手につく筈もない。

賢いからこそ
そういう本質的な命題が
浮かびもし、
純粋だからこそ、
それを振り払えず
苦しむのだろう。

そしたら、
昼休み時間になったら、
廊下でオバカな男の子たちが
悪ふざけで
「♪アソコに毛が生えた~ッ!♪」
と大声で何度も歌い
女子生徒が悲鳴をあげて
「それ、やめて~!!」
と大騒ぎしていた(笑)。

この子らは、
実存的問題で悩むなんて
一生ないんだろな~と、
癒されもし、
可笑しくなった。

来年には、
母校の後輩になるやもしれぬ
"哲学少年"を善導すべく、
宗教哲学的なふだんの勉強や
研究が役立ちそうである。

最先端の宇宙論や
量子力学の不思議ワールドも
"実存病"には効きそうである。





歌人にして
能書家の碧水先生の
色紙が幾枚かあるが、
時折、その独特の書体を真似て
臨書している。

先日、
ネットでご注文いただいた
『たましい』三部作は、
いずれも碧水先生の御歌の
解説本である。



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_/                                  _/
_/ 養老大人 箴言録 _/ _/ _/
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 死んだらどうなるのかは、死んでいないから分かりません。
 誰もがそうでしょう。
 しかし、意識がなくなる状態というのは、毎晩経験しているはずです。
 寝るようなものだと思うしかない。



 極端に言えば、自分にとって死はない、という言い方ができるのです。
 そうすると、自分の死とは何か、というのは、理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかもしれません。
 これは口と似ています。
 口とは何か、というと、実は実体がない。
 そんなバカなと思われるかもしれませんが、実際に解剖学の用語からは削られてしまっています。
 少し考えればお分かりいただけるはずです。
 例えば唇は存在しています。
 それを指せばそこにあります。
 舌下も存在しています。
 では、唇でも舌でもない口はどこにあるのか。
 それは穴でしかない。
 実体がないのです。



 死刑囚一人に対して複数の死刑執行人がいるというやり方は珍しくありません。
 銃殺ならば何人も死刑執行人が並ぶ。
 ボタンを押す場合でも複数の人間がボタンを押したりする。
 これも殺す側の心に配慮したからそうなるのです。
 毎回、マンツーマンで、自分が殺した、とわかったら、例え相手が極悪非道の殺人鬼ばかりでも、執行人の神経がもたないでしょう。



「みんなのため」には、本当はいろんなことをしなければならないのです。
 皆が同じ事をするという事とは違います。
 それが誤解されてしまっている。
 いろんな洗濯肢が消されて一つの事を押しつけてくる。



 動物実験をしている科学者にさえ、どこかに心理的な抵抗があるのです。
 私の知人で、 ニワトリの胎児を使って実験をしていた人がいました。
 その彼が、いざ自分の子供が出来たという時に、大丈夫かな、と心配をしていた。
 あんなにニワトリの胎児を使って実験したのに、自分の子はきちんと生まれるのだろうか、ということです 。
 それは科学的ではないかもしれません 。
 しかし、そういう気持ちを持つのは当たり前のことですし、人間はそれでいいのだと思います。



 都市は自然を排除していくことで作り上げられました。
 人間の脳が考えたものが形となって現れたのが都市です。
 そこでわざわざ飛び降り自殺をする人が絶えないというのは、一種の復讐のような行為と解釈することができないでしょうか。
 いったい、なんておかしなものを作ってくれたんだ、ということなのです。



 何かの拍子、例えば経験や学問などによって壁が壊れることもあります。
 その時に、向こう側にこれまで見たことがないような新しい世界が広がっているかもしれません。
 それはロマンではないでしょうか。



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