きのうは、
カミさんが
お昼に親友と食事会に
出かける予定だったので、
土湯ラバーの自分は
またまた温泉街に出かけて
軽食をしてきた。
しょっちゅう行ってるもんで、
途中までは、普段は通らないような
裏道の「ナンタラ街道」なる
隘路の旧道を行ってみた。
そしたら、
観音寺の裏門前に
石仏がゾロリとあったので、
小雨のなか降車して、
何体かを合掌しながら
撮らせて頂いた。
20~30代の頃、
京都に8年間棲んで、
カミさんと共に
神社仏閣のすべてを
訪れてきたので、
京都チックな風景には
憧憬を抱いてしまう。
模型のような五重塔やら
金ピカの大仏様もあって、
なんだかなぁ・・・という
お寺ではあったが、
梅雨に濡れそぼる楓や
石畳の風情は、
そこだけ切り取ると
京都らしさを感じさせた。
地蔵様や観音様の石造が
あちこちにあり、
墓地のなかにまで入って
いいお顔のものを写させて頂いた。
「慈しみの眼」と書いて
「慈眼(じがん)」と言うが、
まさしく、そのような
仏様たちだった。
仏様のみ教えに
「無財の七施」というものがあり、
その一つとして、
他者に対して「慈しみの眼」で
接するのを「眼施(げんせ/がんせ)」と言う。
他にも、
「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」
といって、
にこやかな顔で接すること、
「言辞施(ごんじせ)」・・・
やさしい言葉で接すること、
などがある。
自分のゴッド・ファーザー(名付け親)
でもあられた宗教家の
樋口 寅先生から贈られた
「和顔愛語」
という色紙は、
折にふれて室礼にも
飾らせて頂いている。
心理教育カウンセラーも
人の不幸・薄幸と
対峙することが
少なくないので、
「慈眼・和顔・愛語」は
体得していなくてはならない。
二十歳(はたち)の
学生の頃から、
ほぼ毎日、42年間で
およそ1万5千日くらい、
落語を聴いてきた。
車の中で、
入浴中に、
寝床で・・・と、
時と場所を選ばず、
落語に接してきた。
ここ数年の
ど下手な若手や
ツマラン新作は
全く無視しているが、
寄席全盛の頃の名人たちの
市販された音源は
ほぼすべて蒐集してきた。
存在そのものが
「ザ・落語」とも言える
立川 談志家元をして、
昭和の名人・桂文楽をして、
「№1」と言わしめたのが、
先代の三遊亭 金馬である。
このツートップの評に
間違いはない。
42年もの間、
繰り返し聞いても、
面白いし、笑えるし、
味があり、上手いなぁ・・・と、
感嘆するのは
「金馬」だけである。
なので、
LP25枚/SP20枚の音源は
テープに録って、
処かまわず聞いているが、
カセットのインデックス文字が
経年変化で消えかかってきたので、
油性ペンで書き直した。
金馬だけで
30本はあるので、
その単調な作業をする間、
録画した『大草原の小さな家』を
流しながら、チラ見しながら、
自分で炒った大豆をポリポリやりながらの
作業であった。
『大草原』は、
1話の最後にその地を追われ、
2話目にして原作2巻目の
『プラムクリーク』に移住している。
***
落語界の「№1」を
長らく愛し、聞き惚れてきたので、
その名人の話芸が基準になると、
下手な噺家は1分と聞いていられない。
プロの噺家にも
その手は多く
話し上手は稀有である。
哀しいかな、
素人の話でも
ど下手はすぐに判り、
それが講師だったりすると最悪で、
もう聞くも苦痛、地獄の責めで、
たいがいは退室するか
逃げるようにその場を去る。
いろんな会合や
組織、集会に
長らく所属してたり
参加していたが、
命の残り時間が少なくなってきたら、
もう、ツマランことに
付き合う義理はないと見切って、
あらゆることから“脱北”した(笑)。
きのうも
久石 譲の
『人生のメリーゴーランド』を
ピアノで練習していたら、
こんな有意義で楽しい時間を、
今まで、どーして、
義理ばった集まりで
犠牲にしてきたんだろう・・・と、
ツマラン話を聞かせられた相手や
クダラナイ会合に出向いた自分に
腹が立った。
人様の貴重な時間
(命の持ち時間)を無駄にしたり、
奪う輩(やから)は悪人だ、
と最近、決め付けている。
談志家元に頂いた
「嫌なことはしないこと」
という直筆の掛け軸を
朝晩、寝室で眺めて、
毎日の銘としている。
人間に嫌気がさして、
60年来通ってきた教会からも
スッパリ脱北して、
神様と直に向き合うことにした。
ファイナル・リサイタルを終えてから
2ケ月経ったが、時折、
これまでの6年間の歩みを
振り返っている。
ブルーレイ・レコーダーのHDDに、
そのライヴ記録があるので、
あちこちをランダム・アクセスして
眺めたり、聴いたりしながら、
「当時」を思い返している。
還暦の年の
赤のコスチュームで弾いた
『パコのファンダンゴ』は
本番のゾーンに入っていて、
アドレナリンが後押ししてか、
凄まじいばかりのキレとノリで、
今じゃ、あんなに弾けないなぁ・・・と、
過去の自分に嫉妬するようだった。
一般には有名曲ではなくも、
その迫力と本気度が伝わったのだろう。
エンディングと共に、
即、割れんばかりの拍手と
歓声が上がった。
ビデオでは、礼をした後、
足元がふらついて
よろけていた(笑)。
リュートもルネッサンス、
バロックと使い分け、
オリジナルと現代曲を弾いた。
自作の古楽器も披露し、
ピアノで『風の谷のナウシカ』まで
人前で初演した。
アンタ、ほんまに、
よくやったよ・・・
と、画面に向かって
言いたい心境だった。
「むのたけじ」じゃないが、
「自画自賛、大いにけっこう。
自賛できぬような絵なら描くな!」
である。
カミさんが
お昼に親友と食事会に
出かける予定だったので、
土湯ラバーの自分は
またまた温泉街に出かけて
軽食をしてきた。
しょっちゅう行ってるもんで、
途中までは、普段は通らないような
裏道の「ナンタラ街道」なる
隘路の旧道を行ってみた。
そしたら、
観音寺の裏門前に
石仏がゾロリとあったので、
小雨のなか降車して、
何体かを合掌しながら
撮らせて頂いた。
20~30代の頃、
京都に8年間棲んで、
カミさんと共に
神社仏閣のすべてを
訪れてきたので、
京都チックな風景には
憧憬を抱いてしまう。
模型のような五重塔やら
金ピカの大仏様もあって、
なんだかなぁ・・・という
お寺ではあったが、
梅雨に濡れそぼる楓や
石畳の風情は、
そこだけ切り取ると
京都らしさを感じさせた。
地蔵様や観音様の石造が
あちこちにあり、
墓地のなかにまで入って
いいお顔のものを写させて頂いた。
「慈しみの眼」と書いて
「慈眼(じがん)」と言うが、
まさしく、そのような
仏様たちだった。
仏様のみ教えに
「無財の七施」というものがあり、
その一つとして、
他者に対して「慈しみの眼」で
接するのを「眼施(げんせ/がんせ)」と言う。
他にも、
「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」
といって、
にこやかな顔で接すること、
「言辞施(ごんじせ)」・・・
やさしい言葉で接すること、
などがある。
自分のゴッド・ファーザー(名付け親)
でもあられた宗教家の
樋口 寅先生から贈られた
「和顔愛語」
という色紙は、
折にふれて室礼にも
飾らせて頂いている。
心理教育カウンセラーも
人の不幸・薄幸と
対峙することが
少なくないので、
「慈眼・和顔・愛語」は
体得していなくてはならない。
二十歳(はたち)の
学生の頃から、
ほぼ毎日、42年間で
およそ1万5千日くらい、
落語を聴いてきた。
車の中で、
入浴中に、
寝床で・・・と、
時と場所を選ばず、
落語に接してきた。
ここ数年の
ど下手な若手や
ツマラン新作は
全く無視しているが、
寄席全盛の頃の名人たちの
市販された音源は
ほぼすべて蒐集してきた。
存在そのものが
「ザ・落語」とも言える
立川 談志家元をして、
昭和の名人・桂文楽をして、
「№1」と言わしめたのが、
先代の三遊亭 金馬である。
このツートップの評に
間違いはない。
42年もの間、
繰り返し聞いても、
面白いし、笑えるし、
味があり、上手いなぁ・・・と、
感嘆するのは
「金馬」だけである。
なので、
LP25枚/SP20枚の音源は
テープに録って、
処かまわず聞いているが、
カセットのインデックス文字が
経年変化で消えかかってきたので、
油性ペンで書き直した。
金馬だけで
30本はあるので、
その単調な作業をする間、
録画した『大草原の小さな家』を
流しながら、チラ見しながら、
自分で炒った大豆をポリポリやりながらの
作業であった。
『大草原』は、
1話の最後にその地を追われ、
2話目にして原作2巻目の
『プラムクリーク』に移住している。
***
落語界の「№1」を
長らく愛し、聞き惚れてきたので、
その名人の話芸が基準になると、
下手な噺家は1分と聞いていられない。
プロの噺家にも
その手は多く
話し上手は稀有である。
哀しいかな、
素人の話でも
ど下手はすぐに判り、
それが講師だったりすると最悪で、
もう聞くも苦痛、地獄の責めで、
たいがいは退室するか
逃げるようにその場を去る。
いろんな会合や
組織、集会に
長らく所属してたり
参加していたが、
命の残り時間が少なくなってきたら、
もう、ツマランことに
付き合う義理はないと見切って、
あらゆることから“脱北”した(笑)。
きのうも
久石 譲の
『人生のメリーゴーランド』を
ピアノで練習していたら、
こんな有意義で楽しい時間を、
今まで、どーして、
義理ばった集まりで
犠牲にしてきたんだろう・・・と、
ツマラン話を聞かせられた相手や
クダラナイ会合に出向いた自分に
腹が立った。
人様の貴重な時間
(命の持ち時間)を無駄にしたり、
奪う輩(やから)は悪人だ、
と最近、決め付けている。
談志家元に頂いた
「嫌なことはしないこと」
という直筆の掛け軸を
朝晩、寝室で眺めて、
毎日の銘としている。
人間に嫌気がさして、
60年来通ってきた教会からも
スッパリ脱北して、
神様と直に向き合うことにした。
ファイナル・リサイタルを終えてから
2ケ月経ったが、時折、
これまでの6年間の歩みを
振り返っている。
ブルーレイ・レコーダーのHDDに、
そのライヴ記録があるので、
あちこちをランダム・アクセスして
眺めたり、聴いたりしながら、
「当時」を思い返している。
還暦の年の
赤のコスチュームで弾いた
『パコのファンダンゴ』は
本番のゾーンに入っていて、
アドレナリンが後押ししてか、
凄まじいばかりのキレとノリで、
今じゃ、あんなに弾けないなぁ・・・と、
過去の自分に嫉妬するようだった。
一般には有名曲ではなくも、
その迫力と本気度が伝わったのだろう。
エンディングと共に、
即、割れんばかりの拍手と
歓声が上がった。
ビデオでは、礼をした後、
足元がふらついて
よろけていた(笑)。
リュートもルネッサンス、
バロックと使い分け、
オリジナルと現代曲を弾いた。
自作の古楽器も披露し、
ピアノで『風の谷のナウシカ』まで
人前で初演した。
アンタ、ほんまに、
よくやったよ・・・
と、画面に向かって
言いたい心境だった。
「むのたけじ」じゃないが、
「自画自賛、大いにけっこう。
自賛できぬような絵なら描くな!」
である。
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