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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

清水博正

2012-11-20 08:26:00 | TV・ドラマ


先日、NHKの歌謡番組で
古賀メロを歌った盲目の歌手の
声が印象的だったので検索してみたら、
『のど自慢』で高校生で
グラチャンになり
プロデビューしたという。

女性的声で、しかも
毛筆的なかすれがあり
独特の味があった。

この声で
他の古賀メロも
聴いてみたいとも思ったが、
残念ながらCDはリリースされていない。



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『魂理学対談』


矛盾を生きる

奈保子 亡くなられた数学者の森毅先生が
「今時の学生は、すぐに答えを知りたがる。
 問題なんて、しばらく抱いて温めておいたらええんや・・・」
 と言うてはりましたが、なるほどなあ…と、思いました。
佐々木 蓋し名言やね。
奈保子 今、日本も含めて、世界中があらゆる意味で混沌としているので、この言葉がいっそう胸に迫るように思うんですが…。
佐々木 日本では、東日本の復興やら、尖閣問題やら、原発問題やら…、ようけあるもんねぇ。
奈保子 政府も不安定な状態が続いていますし…。
佐々木 世界では、パレスチナ問題が深刻でしょ。それに、ヨーロッパの経済不安もあるし…。
奈保子 まだ、人類は安定期を迎えているとはとても言えそうにありませんね。
佐々木 そうやね。共産主義はソ連の崩壊で失敗したように思うたけど、中国がまだ市場経済導入してガンバッてるもんね。
奈保子 民主主義国家や自由主義国家は、貧富の格差が拡がっていますでしょ。
佐々木 そういう意味では、まだ、人類は「第三の道」を21世紀になっても見出せないでいるんやね。
奈保子 理想的な主義・体制への過渡期なんでしょうね。
佐々木 そうやと思いますよ。今は、産みの苦しみの時期なのかもしれない。
奈保子 近い将来、第三の道に到達するでしょうか。
佐々木 さあ、どうかわからへんけど…。矛盾のない一つのモデルによって考える時代いうのは、もう終わったんとちゃうかな。
奈保子 サボリ流(森毅流)に言うたら、矛盾を抱きつつも、それに挑戦していくことが、今世紀の課題なのかもしれませんね。
佐々木 そうやね。



冬の虫たち

2012-11-19 08:43:00 | 風景



寝室の窓の外に
綺麗な蜘蛛が
巣を張っている。

いつもなら、すぐに
取り払うのだが、
この寒いのに懸命に生きている
小動物が健気にも思い、
しばらく様子を観察している。

『シャーロットのおくりもの』
という傑作児童文学を読んで以来、
どこか蜘蛛には感情移入している部分が
あるのかもしれない。

芥川の『蜘蛛の糸』も
けっこう心に残った作品なので
蜘蛛だけはいつも殺さないでいる。


カミキリは子どもの頃から
好きな昆虫だったが、
今年、大切なイチジクの樹に
幼虫が寄生して
半分枯らされてしまったので、
ここ数日で、見つけるや否や
4匹も殺してしまった。

今は、カミキリが
我が天敵なのである。




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『魂理学対談』

宇宙意識への接近
奈保子 神話のなかには、「ものごとの始まり」を描いているものが世界中にたくさんありますね。
佐々木 そうやね。「天と地」や「光と闇」、「昼と夜」なんかの分離のテーマが語られるのが「始まり」のテーマでもあるんやね。
奈保子 やはり、ものごとを分離したり、区別したりするということは、人間の「意識の始まり」でもあるんでしょうか。
佐々木 宇宙創生の混沌としたケイオティックな状態では、まだ何ものも生まれないんですね。
奈保子 区別のないところには、意識はないんですね。
佐々木 そうです。
奈保子 宇宙の歴史で言えば、ビッグバンの直後に最初の素粒子が登場し、やがて物質が誕生し、そして生命が誕生して、意識が誕生しましたね。
佐々木 そうやね。教育の話で言えば、ダブラ・ラーサ(tabula rasa)という言葉を聞いたことがあるでしょ。
奈保子 「生まれながらの子どもは白紙の状態である」ということですね。
佐々木 そうそう。これは、元々ロックの言葉やけど、我われの「たましい」は外部からの刺激による経験で初めて観念を獲得するんで、その経験以前の「たましい」の状態を白紙に例えたんやね。
奈保子 何もないところに「違い」や「区別」ができるのと似ていますね。
佐々木 そう。創生神話と似てるでしょ。
奈保子 人の意識も、宇宙の創生と同様に、誕生とともに進化していくものなんですね。
佐々木 ヒトもミクロ・コスモスやからね。

奈保子 違いや区別がある相対的世界と反対の絶対的世界とは、「何も始まらなくて何も終わらない」恒常的、定常的世界ということでしょうか。
佐々木 そうかもしれないね。純粋な「存在」というか、「ただ在る」だけの世界かもしれない。そうじゃないかもしらんけど…。
奈保子 そういう存在は、ある意味、何か…、神を彷彿とさせますね。
佐々木 あるいは、宇宙、そのものというか…。
奈保子 そこで、フラクタル的に考えてみますと、ヒトがミクロ・コスモスだとすれば、マクロ・コスモスである宇宙の意識(cosmic sence)も自己分析である程度、推し量れるのでは、というファンタジーを抱いてしまいますが、いかがでしょうか。 
佐々木 「宇宙意識」=「神の意識」と考えたら、大それたファンタジーではあると思うんやけど、面白い試みではあるね。
奈保子 ヒトは神の相似形、と説く宗教もありますものね。
佐々木 でも、人間の悟性の限界というのがあるでしょ。例えば、n次元という4次元以上の多次元世界が数学的にあり得ることだとしても、それを感覚できないとか…。生命の仕組みは解ったとしても、0からは生命を作れないとか…。
奈保子 たしかに、人間の脳で理解できる範囲でしか察することが出来ないのであれば、広大無辺の宇宙の「群盲の象」の毛ほどに過ぎないのかもしれませんね。
佐々木 残念ながらね。それと、人間中心原理やご都合主義というバイアスもかかるでしょ。
奈保子 やはり、宇宙意識や神意識には、接近はできても到達は不可能なんですね。当たり前かもしれませんが…(笑)。
佐々木 それでも、我われは宇宙そのものであるし、神の分身かもしれないじゃないですか。
奈保子 なるほど…。
佐々木 宇宙を知りたい、神を知りたい、というのは、自分を知りたい、という欲求なのかもしれへんでしょ。




支給品

2012-11-18 06:51:00 | 生活


17年来勤務している
K校の保健室で、
3.11の支援物質の
ジャンパーをもらってきた。

好みのアーミー系色なので
さっそく着てみることにした。

ただ、サイズがLで
まだ、メタボチックなので、
ややキツめかもしれない。

リパーシブル・タイプで
ひっくり返すと黒にもなる。

休日、よくパジャマの上に
ちょいとひっかけて出かけるので、
それにも使えそうである。



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『魂理学対談』
(2012年9月 京都 嵯峨野にて)

奈保子(臨床教育学科大学院生)
 今回のセミナーのテーマは、特にテーマを設けずに、アトランダムに思いつくままということで、お話を伺いたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。
佐々木 はい。何なりと・・・(笑)。何なら、今回は、せっかく京都に来たので、奈保子ちゃんも京都生まれだし、京都弁でやりましょか?
奈保子 ええッ?!  いいんですか・・・。
佐々木 よろしいで・・・(笑)。
奈保子 先生も京都には10年以上住んでいらしたんですよね。
佐々木 はいな。そうでっせ(笑)。
奈保子 ほなら、今日は、遠慮のう京都弁でさせてもらいますゥ。
佐々木 よしなに・・・(笑)。


宗教性を生きる

奈保子 現代は、科学や経済の発展で、テクノロジーやお金を心の拠り所にしている人が多いように感じるのですが、それが、現代人にとっての神話となっているような気がします。
佐々木 そうかもしれへんね。神話というのは、つまり、それらとのつながりが自らの存在の安心につながる、という意味でしょ。
奈保子 はい。文明的な外的事実ばっかりに心奪われていると、本来の神話はまるっきり荒唐無稽なものということになって、現代ではまったく価値のないものになってしまっていますね。
佐々木 …かもしれまへんな。それでいて、神話を軽んじて、便利で快適な生活をしながらも、どこか言いようのない不安やら、ストレスやらに苦しめられているのが現代人やないかなあ。
奈保子 本来、頼りにならないはずのものを頼りにするから、心の深いところでは、心許ない、言い知れぬ不安を感じるんでしょうね。
佐々木 やっぱりね、死んであの世に持っていけへんものは、個人の存在を支える神話にはなり難いもんやと思いますね。
奈保子 河合先生は、個人の「物語」が大事、と言わはりましたが、個人の「神話」と置き換えてもいいですよね。
佐々木 そうです。各人が、生きる上で、どういう物語を生きるか、あるいは、どういう個人的な神話を持っているか、ということが大切なんですよ。
奈保子 それは、外的価値にではなく内的価値にこそあるんですね。
佐々木 はい。お金に変えられないものこそ、大切なもんでしょ。

奈保子 最近の若い世代には政治的には無党派層が増えてきましたが、日本人は、いまだに無信仰、無宗教の人が多いですよね。
佐々木 そうでしょうね。冠婚葬祭時のパートタイム宗教的儀式は別にして、特定の宗教教団に属しているのは1~2割くらいじゃないかな。
奈保子 そういう宗教的なものと関わりがなく、自分の生や死を見つめていくのって、難しいような気がするんですが、あんがい、ほとんどの人はノホホンと、その日その日を暮らしているように見えるんですが…。
佐々木 特定の宗教は持たなくとも、日本人って、わりとふだんの暮らしのなかに宗教性が宿っているでしょ。
奈保子 たしかに、「いただきます」とか「ごちそうさま」とか、「おかげさまで」というような言葉には、宗教的な畏敬の精神がありますね。
佐々木 それと、各地のお祭りでは「お神輿」がけっこうあるでしょ。あれだって、神様なわけでしょ。
奈保子 そういえば、子どもの頃は、下賀茂神社の「糺(ただす)の森」で、よう妹と遊びました。
佐々木 …でしょ。なんやかや言うても、けっこう神社仏閣が生活の近くにありますよね。それに、年越しや正月や七・五・三やらの祭礼にはお参りに行くし、彼岸の墓参りもけっこうするでしょ。
奈保子 なるほど。そういう意味では、日本人もけっこう宗教性があるんですね。
佐々木 それでも、自分の死と向き合うという大事業には、やはり、個人的なファンタジーであったり、神話なりが必要やと思うんやけどね。
奈保子 死の床で、無信仰の人たちは、最後には、家族とのツナガリを心の支えとするように思うんですが、これが宗教に替わるものじゃないか、と思うんですが…。
佐々木 家族とのツナガリは、愛でしょうし、それから、来世で会えるとか、子孫に自分の命、あるいは遺伝子が伝わるという「永続性」のファンタジーを抱くんやないかと思いますよ。
奈保子 そういう意味では、大部分の日本人は「家族教」なのかもしれませんね。
佐々木 いや。やっぱり、「お金教」のほうが多いんとちゃうかしら(笑)。



トゥームレイダー2

2012-11-17 08:58:00 | 映画


録画してあったのを観た。
「1」は劇場で観たかもしれない。

ヤン・デ・ボン監督お得意の
ハッタリ臭い大仰なアクションだが
中身は空疎で見終わっても
心に残らない作品である。

tombは、墓や霊廟で、
raiderは、侵略者の意味である。

「地中に掘られた埋葬所」は、graveで、
「装飾した大きな墓所」が、tombである。

英語では「トゥーム」と発音するが、
仏語では「トンボー(tombeau)」と発音し、
これは、音楽用語では、
故人を追悼する器楽曲によく使われる。

有名なものは、
ラヴェルの
『クープランの墓 Tombeau de Couperin』や、
ファリャのギター曲
『Tombeau de Claude Debussy』
などがある。


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『教育随談』

夢とロマン
奈保子 今も昔も変わりなく、子どもたちの中には、「学校がつまらない」「勉強が面白くない」と言う子は少なくありませんね。
佐々木 そうだね。私もあんまり勉強は好きじゃなかったですよ。第一、字がよくないでしょう。「勉めることを強いる」っていう・・・(笑)。 
奈保子 「勉める」というのは「努力する」ということですよね。 
佐々木 そう。だから、なんだか、「努力せい!」って強いられてるようでイヤでしょ。
奈保子 「勉めて強くなる」という意味なら、まだ自主性があっていいですよね。
佐々木 それなら悪くない。
奈保子 人間には「知識欲」というのがあると思うんですが、「知ること」や「学ぶこと」の楽しさを、「学校がつまらない」とか「勉強が面白くない」という子どもたちは感じることができないでいるのだとしたら、残念なことですね。
佐々木 それは、やっぱり、学校や教師がツマンナイからじゃないのかなぁ。
奈保子 それで、そういう子たちに、「今の学校に足りないものは何か」と訊くと、「夢がない。ロマンがない」というんだそうです(笑)。
佐々木 ほお。そうなんだ・・・。じゃ、夢やロマンはどこにいっちゃったんだろうね。
奈保子 もはや現実にはなく、彼らが好きなヴァーチャル・リアリティの中にあるのかもしれませんね。
佐々木 なるほど。ゲームやケータイ、ネット世界の中か・・・。
奈保子 アニオタ(アニメ・オタク)の子なんかは、はっきり「二次元にしか興味がない」って、言いますものね。 
佐々木 そうだね。リアルな3Dの異性には萌えないそうだもの。 
奈保子 ま、それは極端な一群だとは思うんですが・・・。

佐々木 学問的興味という喩え話でね、パンダ愛好家の黒柳徹子さんが、ある小学校で、100人の子どもたちに「パンダについて何か聞きたいことがありますか?」と尋ねたんですよ。そしたら、100人のうち98人までが同じことを訊いたというんだけど、何て言ったと思う?
奈保子 どうしてパンダは白と黒なのか、ということですか。
佐々木 その通り。ところがね、同じことを大人に聞いても「一匹いくらくらいするのか」とか「今何匹くらいいるのか」としか聞かないんだって。
奈保子 はぁ・・・。夢がないですね(笑)。
佐々木 そうでしょ。子どもたちは、パンダの目のまわりがどうしてあんな黒くなくちゃいけないのか、動物学者でも分からないことを真剣に訊いてくるんですよ。
奈保子 学問というものは、本来、そういう驚きや不思議な気持ちから出発したはずなのに、今の学校における教育は、知識体系をいかに効率よく詰め込むかに躍起にばかりなっているから・・・。
佐々木 そう。だから、「夢がない。ロマンがない」となるのかもね。ある哲学者の言葉だけどね・・・「Good teacher explains, Superior teacher demonstrates, Excellent teacher inspires.」というのがあるんですよ。
奈保子 なるほど。言い得て妙ですね。

佐々木 学校でも勉強でも、人間にとって、何事も無駄がなく合理的というのは、息苦しくなるものでしょ。私は重症の小児喘息だったので、二十数回も入院したことがあるんですが、その経験から言うと、病院の食事って、正直言って、あんまり美味しくないんですよ。
奈保子 そうなんですか。入院したことないんで・・・(笑)。
佐々木 それは、なんでかと言うと、カロリーや栄養についてばっかり考えられていて、如何に美味しく食べてもらうか、ということをあんまり考えてないからなんですね。
奈保子 そうかもしれませんね。
佐々木 だから、思ったんですが、教育も同じことで、我われが学んだ学問がいかに美味しく、しかも栄養に富んだものであるかを、子どもたちに興味深く語ってこそ、その好奇心を刺激することができるし、そこに教えるものと学ぶものとの「たましい」がぶつかり合う喜びが生まれてくるんですよ。
奈保子 そうだと思います。
佐々木 教育とは、本来、教えても、学んでも、楽しいものであるはずでしょ。料理人だって、自分の料理を客に喜んで食べてもらえたときが一番幸せだ、って言うものね。
奈保子 人は誰でも、不味いものよりは、美味しいものを食べたがるものですものね。
佐々木 それはね、たぶん本能的に、美味しいものは「命」にとってよいものだから、と知っているからだと思うよ。
奈保子 病気のときに、美味しいものを食べると元気になるような気がするのも、そうかもしれませんね。
佐々木 だからね、教育でも、美味しく食べさすことができれば、それが身に入った子どもたちは、生きる力が湧いてくるはずなんだ。
奈保子 先生は、教員時代にそういう工夫をされたんですか。
佐々木 キザな言い方をすれば、私は授業の中で、子どもたちが真剣に考え込んでいる表情がたまらなく好きだったし、自分で答えを見いだしたときの喜びの顔は、この上もなく美しいと思ったんですよ。だから、自分が好きになった学問をどうしても美味しく食べてもらいたい、と常々考えていました。
奈保子 料理が得意な奥さんは、ジャガイモ一つで何種類も料理ができますものね。
佐々木 そう。まして有能なシェフなら、その素材の持つ旨みや、自然が与えた個性を知り尽くして生かすことができるんだよ。
奈保子  うちの母は、私が子どもの頃、ニンジンやピーマンが嫌いだったので、よく、その原形が見えなくなるように料理して食べさせられました。
佐々木 賢いお母さんだったんだね。形を変えたって、野菜の持つ旨みや栄養はそのままでしょ。教育もそうありたいんですよ。
奈保子 なるほど。料理と比較すると明瞭に理解できますね。
佐々木 ・・・でしょ。ほんとうに有能なプロフェッショナルの教師は、子どもたちに勉強しているなんて意識を持たさせないんですよ。なんだか楽しい一時が終わって、何か美味しいものをおなかいっぱい食べたような幸福感だけが残るんです。そして、いつの間にか、栄養がしっかり身についている。
奈保子 素晴らしい・・・(笑)。
 今日、さかんに論議されている教育問題は、そのどれもが、子どもたち自身が語っているように「学校や家庭、そして今の社会全体に、夢やロマンが無くなってしまった」ため、起こってきたようにも思えるんですが、如何でしょうか。
佐々木 子どもたちが、そう教えてくれているのかもね。夢を忘れてしまった大人を見て、子どもたちは失望しているのかもしれない。
奈保子 自分もあんな大人になってしまうのか・・・と。
佐々木 大人は、あの世までは持っていけない金や名誉を自分の夢と錯覚している、と子どもたちは教えてくれているんですよ。
奈保子 二十一世紀を迎えて、しばらくなりますが、なんだか少しも喜びに満ちあふれた気持ちに社会がならないのは、何も不景気のせいばかりではありませんね。
佐々木 そう。どんなに機械文明が進んでも、コンピューターには夢を生みだせはしないんです。どんなに世の中が進んでも、それは人間だけができることなんだから・・・。親も教師も、大人はすべからく、死ぬまで、夢を持ちロマンを求めて、その生き様を子どもたちに見せるてやるべきなんです。





ビックリ!

2012-11-16 08:12:00 | TV・ドラマ


今朝7時のニュースで、
土日のキャスターの
守本さんが痴漢で逮捕された、
というので驚いた。

時折、『クローズアップ現代』でも
キャスターとして登場していたが、
同僚の国谷裕子さんも、
土日のパートナー江崎史恵ちゃんも、
さぞかし驚いたことだろう。

魔がさしたのか、
よほどストレスが溜まっていたのか、
それとも根っからの***だったのか。

同僚の痴漢事件を一々
ニュースの冒頭で陳謝しなくてはならない
他のキャスターたちも気の毒である。

  
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『教育随談』

教育の未来
奈保子 「過去を顧みれば楽観論者になるが、未来を思えば悲観論者になる」という格言を以前に習いましたが、こと教育に関して言えば、昔よりも今の方がずいぶんよくなったということですね。 
佐々木 それはそうでしょ。つい60年前は、軍国教育があったわけでしょ。
奈保子 『おひさま』という連続ドラマで見ました。
お国の為、天皇陛下の為と、子どもや若者たちを戦地へやり、その幾万もの尊い命を犠牲にしてきたんですものね。
佐々木 そうです。かつて、この国にそういう学校や教師がいた、ということを忘れるべきじゃないんです。 
奈保子 人を教えるという行為は、一つ間違えると、個人の生命を奪うだけでなく、国をも滅ぼすことにもなりかねないんですね。
佐々木 そう。本来、教育というのは、それだけ重要な聖職なんですよ。
奈保子 でも、どうでしょう。今の子どもたちは、かつての子どもたちのように、唯々諾々として学校や教師の言いなりになるでしょうか。
佐々木 いや、ならないと思うよ。そういう意味では、子どもたちは進化しているかもしれんね。
奈保子 毎年、12万人もの子どもたちが不登校になるというのも、一種のレジスタンスかもしれませんものね。 
佐々木 あるいは逆に、親を殴ったり、教師を殴ったりして大暴れするしね。 
奈保子 きっと、昔の子のように、調教のような教練に黙して耐えるような愚かなことをしないんでしょうね。
佐々木 不登校も暴力も、いいことだと言うつもりはないけど、でも、「何かおかしい」と感じていながら、口では訴え切れない子どもたちの精一杯の表現なのかもしれないものね。
奈保子 少なくとも、軍国教育の手先である教師によって黙って殴られていたかつての子どもたちより、彼らのほうが人間として見込みがあるかもしれませんね。
佐々木 同感だね。教師が間違いを犯したなら、それはおかしい、と言える生徒を育てるのが本当の教育ですよ。大人の顔色や世間の顔色ばっかり伺って、自分の考えを言えないような人間は、いつか己の人生を全うできず、人に命を委ねかねないでしょ。
奈保子 教育というのは、一個人、一国家の問題だけではなく、ある意味、人類全体の「進化と繁栄」の為には最重要課題なんですね。
佐々木 そうなんですよ。文明の繁栄は、決して、ごく一部の天才によってのみもたらされたものではないわけで、彼らの成し遂げた仕事を理解し、応用発展させた大勢の人間が存在してこそあり得たわけでしょ。
奈保子 はい。一般教育とか、大衆教育によって、底辺を教化してきたことが、人類を発展させてきたとも言えるかもしれませんね。

佐々木 残念ながら、我われは、千年も二千年も生き続けることはできないけど、時間は無限の未来へ向かって一億年でも千億年でも確かに過ぎてゆくでしょ。私は、宇宙も人間も、ひとつの「完成」へと向かっているように思うんですよ。現在は未来への通過点であり、完成のための試行錯誤中であると思うのね。だからと言うか、今のや社会は様々な矛盾を含み、苦しみ悩みが多く存在する時期なんだと・・・。
奈保子  なるほど。進化の目的が、完成であるとすれば、その究極に近い時点では、人間は神に近い存在になっているかもしれないんですね。
佐々木 そうかもしれない。その時は、現状とは全く違う世界が展開されて、それは恐らく原始時代と現代以上の違いかもしれないでしょ。
奈保子 今の私たちが、その時代の人間じゃないというのが、残念ですね。
佐々木 たしかにね。でも、空想や想像ばできるでしょ。
奈保子 はい。争い、貧困、差別などが一切ない世界は、今の私たちの心の中にも希求してやまないものですものね。
佐々木 そう。それに、野蛮な原始時代や、戦争の悲惨さが記憶に新しい近代を思えば、現代は政治的機能不全や不況下とはいえ、十分豊かで素晴らしいと言えるかもしれない。
奈保子 ですが、現実には、依然として世界には罪や悪がはびこり、人類が進化的時間の流れから見て、いまだに精神的進化の段階が原始か初期の状態に留まっているようでもありますね。
佐々木 生物学的レベルでも、未だにヒトの体には、盲腸とか、耳介筋とかの痕跡器官(退化器官)が残っているでしょ。これは、生物進化の過程において発展途上で、未完成であることを示してんるんですよ。
奈保子 あっ、そうか・・・。ならば、精神が未発達、未完成なのも仕方ないかもしれませんね。
佐々木 だから、「過去を顧みれば楽観論者になるが、未来を思えば悲観論者になる」という言葉が身にしみるでしょ(笑)。
奈保子 ほんとですね。
佐々木 でもさ、そんなに未来を思って、現在に対して悲観することもないんですよ。未来というのは修正できる過去でもあって、それは相対的なもので、必ずや現在となるわけですから。だからね、未来に憧れて現在に失望するよりも、現在の中にこそ永遠性を見いだしたほうが賢明なんです。
奈保子 文明や人間の完成した未来像を夢見追いつつ、「永遠なる今」を確かに生きることが大切なんですね。
佐々木 That's right! Bloom where God has planted you.
奈保子 神があなたを植えた所で咲きなさい・・・という意味ですか?
佐々木 そう。おかれた処で咲きなさい、とも訳せます。
奈保子 なるほど、素敵な言葉ですね。
佐々木 私はね・・・、今の教育が、将来への「捨て石」になってもいいのかな、とも思ってるんですよ。たとえ、我われの仕事が百回失敗したとしても、その百回がうまくいかなかった事を証明したとすれば、それはある意味では、成功なのかもしれないからね。
奈保子 そうかもしれませんね。