録画してあったのを観た。
「1」は劇場で観たかもしれない。
ヤン・デ・ボン監督お得意の
ハッタリ臭い大仰なアクションだが
中身は空疎で見終わっても
心に残らない作品である。
tombは、墓や霊廟で、
raiderは、侵略者の意味である。
「地中に掘られた埋葬所」は、graveで、
「装飾した大きな墓所」が、tombである。
英語では「トゥーム」と発音するが、
仏語では「トンボー(tombeau)」と発音し、
これは、音楽用語では、
故人を追悼する器楽曲によく使われる。
有名なものは、
ラヴェルの
『クープランの墓 Tombeau de Couperin』や、
ファリャのギター曲
『Tombeau de Claude Debussy』
などがある。
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『教育随談』
夢とロマン
奈保子 今も昔も変わりなく、子どもたちの中には、「学校がつまらない」「勉強が面白くない」と言う子は少なくありませんね。
佐々木 そうだね。私もあんまり勉強は好きじゃなかったですよ。第一、字がよくないでしょう。「勉めることを強いる」っていう・・・(笑)。
奈保子 「勉める」というのは「努力する」ということですよね。
佐々木 そう。だから、なんだか、「努力せい!」って強いられてるようでイヤでしょ。
奈保子 「勉めて強くなる」という意味なら、まだ自主性があっていいですよね。
佐々木 それなら悪くない。
奈保子 人間には「知識欲」というのがあると思うんですが、「知ること」や「学ぶこと」の楽しさを、「学校がつまらない」とか「勉強が面白くない」という子どもたちは感じることができないでいるのだとしたら、残念なことですね。
佐々木 それは、やっぱり、学校や教師がツマンナイからじゃないのかなぁ。
奈保子 それで、そういう子たちに、「今の学校に足りないものは何か」と訊くと、「夢がない。ロマンがない」というんだそうです(笑)。
佐々木 ほお。そうなんだ・・・。じゃ、夢やロマンはどこにいっちゃったんだろうね。
奈保子 もはや現実にはなく、彼らが好きなヴァーチャル・リアリティの中にあるのかもしれませんね。
佐々木 なるほど。ゲームやケータイ、ネット世界の中か・・・。
奈保子 アニオタ(アニメ・オタク)の子なんかは、はっきり「二次元にしか興味がない」って、言いますものね。
佐々木 そうだね。リアルな3Dの異性には萌えないそうだもの。
奈保子 ま、それは極端な一群だとは思うんですが・・・。
佐々木 学問的興味という喩え話でね、パンダ愛好家の黒柳徹子さんが、ある小学校で、100人の子どもたちに「パンダについて何か聞きたいことがありますか?」と尋ねたんですよ。そしたら、100人のうち98人までが同じことを訊いたというんだけど、何て言ったと思う?
奈保子 どうしてパンダは白と黒なのか、ということですか。
佐々木 その通り。ところがね、同じことを大人に聞いても「一匹いくらくらいするのか」とか「今何匹くらいいるのか」としか聞かないんだって。
奈保子 はぁ・・・。夢がないですね(笑)。
佐々木 そうでしょ。子どもたちは、パンダの目のまわりがどうしてあんな黒くなくちゃいけないのか、動物学者でも分からないことを真剣に訊いてくるんですよ。
奈保子 学問というものは、本来、そういう驚きや不思議な気持ちから出発したはずなのに、今の学校における教育は、知識体系をいかに効率よく詰め込むかに躍起にばかりなっているから・・・。
佐々木 そう。だから、「夢がない。ロマンがない」となるのかもね。ある哲学者の言葉だけどね・・・「Good teacher explains, Superior teacher demonstrates, Excellent teacher inspires.」というのがあるんですよ。
奈保子 なるほど。言い得て妙ですね。
佐々木 学校でも勉強でも、人間にとって、何事も無駄がなく合理的というのは、息苦しくなるものでしょ。私は重症の小児喘息だったので、二十数回も入院したことがあるんですが、その経験から言うと、病院の食事って、正直言って、あんまり美味しくないんですよ。
奈保子 そうなんですか。入院したことないんで・・・(笑)。
佐々木 それは、なんでかと言うと、カロリーや栄養についてばっかり考えられていて、如何に美味しく食べてもらうか、ということをあんまり考えてないからなんですね。
奈保子 そうかもしれませんね。
佐々木 だから、思ったんですが、教育も同じことで、我われが学んだ学問がいかに美味しく、しかも栄養に富んだものであるかを、子どもたちに興味深く語ってこそ、その好奇心を刺激することができるし、そこに教えるものと学ぶものとの「たましい」がぶつかり合う喜びが生まれてくるんですよ。
奈保子 そうだと思います。
佐々木 教育とは、本来、教えても、学んでも、楽しいものであるはずでしょ。料理人だって、自分の料理を客に喜んで食べてもらえたときが一番幸せだ、って言うものね。
奈保子 人は誰でも、不味いものよりは、美味しいものを食べたがるものですものね。
佐々木 それはね、たぶん本能的に、美味しいものは「命」にとってよいものだから、と知っているからだと思うよ。
奈保子 病気のときに、美味しいものを食べると元気になるような気がするのも、そうかもしれませんね。
佐々木 だからね、教育でも、美味しく食べさすことができれば、それが身に入った子どもたちは、生きる力が湧いてくるはずなんだ。
奈保子 先生は、教員時代にそういう工夫をされたんですか。
佐々木 キザな言い方をすれば、私は授業の中で、子どもたちが真剣に考え込んでいる表情がたまらなく好きだったし、自分で答えを見いだしたときの喜びの顔は、この上もなく美しいと思ったんですよ。だから、自分が好きになった学問をどうしても美味しく食べてもらいたい、と常々考えていました。
奈保子 料理が得意な奥さんは、ジャガイモ一つで何種類も料理ができますものね。
佐々木 そう。まして有能なシェフなら、その素材の持つ旨みや、自然が与えた個性を知り尽くして生かすことができるんだよ。
奈保子 うちの母は、私が子どもの頃、ニンジンやピーマンが嫌いだったので、よく、その原形が見えなくなるように料理して食べさせられました。
佐々木 賢いお母さんだったんだね。形を変えたって、野菜の持つ旨みや栄養はそのままでしょ。教育もそうありたいんですよ。
奈保子 なるほど。料理と比較すると明瞭に理解できますね。
佐々木 ・・・でしょ。ほんとうに有能なプロフェッショナルの教師は、子どもたちに勉強しているなんて意識を持たさせないんですよ。なんだか楽しい一時が終わって、何か美味しいものをおなかいっぱい食べたような幸福感だけが残るんです。そして、いつの間にか、栄養がしっかり身についている。
奈保子 素晴らしい・・・(笑)。
今日、さかんに論議されている教育問題は、そのどれもが、子どもたち自身が語っているように「学校や家庭、そして今の社会全体に、夢やロマンが無くなってしまった」ため、起こってきたようにも思えるんですが、如何でしょうか。
佐々木 子どもたちが、そう教えてくれているのかもね。夢を忘れてしまった大人を見て、子どもたちは失望しているのかもしれない。
奈保子 自分もあんな大人になってしまうのか・・・と。
佐々木 大人は、あの世までは持っていけない金や名誉を自分の夢と錯覚している、と子どもたちは教えてくれているんですよ。
奈保子 二十一世紀を迎えて、しばらくなりますが、なんだか少しも喜びに満ちあふれた気持ちに社会がならないのは、何も不景気のせいばかりではありませんね。
佐々木 そう。どんなに機械文明が進んでも、コンピューターには夢を生みだせはしないんです。どんなに世の中が進んでも、それは人間だけができることなんだから・・・。親も教師も、大人はすべからく、死ぬまで、夢を持ちロマンを求めて、その生き様を子どもたちに見せるてやるべきなんです。