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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ぼちぼち

2012-11-15 05:58:00 | 楽器製作


リュートフォルテが
値引きしてようやく落札された。

ちょっとずつではあるが
楽器陳列棚からぼちぼちと
在庫が捌けつつある。

現在も古いボディを改造した
リュートフォルテが
1本完成間近である。

この調子で暮れまで
トントンと調子よく
捌けてほしいものだ。


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『教育随談』


「火事と警報器」の原理
奈保子 同じ子が何度も繰り返し問題を起こすというケースがあると思うんですが、そういう場合は、心のなかに何かしら解決できていないことがある、と考えなくてはならないのでしょうか。
佐々木 そうですよ。それはね、喩えて言えば、火事になると、けたたましく鳴る火災報知機があるでしょ。このとき、警報器を止めても火事は消えるわけないんで・・・。そんなことは子どもでも解る。火事を消せば必然的に警報器は鳴り止むんだから。こんな当たり前のことを、教育現場では、未だに理解されてないふしがあるんだなあ。
奈保子 ほんとうですか? 
佐々木 だってね、ある生徒が万引きしたとするでしょ。それで特別指導になって停学になりますわね。でも、しばらくして今度は家出したり、暴力問題を起こしたり、あるいはリスカしたりする、なんてことがよくあるんですよ。
奈保子 なるほど。そのたびごとに、対症療法的に、場当たり的に、問題行動に対処するだけ、ということが、「火事のとき警報器を止める」ということなんですね。
佐々木 その通り。服装の乱れとか、成績の低下とか、いずれもサインに過ぎないのであって、それは「心の火事」によって引き起こされた警報器のサイレンなわけでしょ。
奈保子 ですよね。教育現場では、ともすると、表面の現象のみを改善させることに労力を使っているんですね。
佐々木 そうそう。警報器をいかに止めるかばかりに気を奪われて、肝心のその警報器を鳴らししめた「心の火事」の消化活動をしようとはしないんですよ。
奈保子 姑息的療法ばかりで、原因療法というか根治療法に取り組まないわけですね。
佐々木 火種が消えていなければ、いつかまた警報器はなるでしょ。不振火のように必ず別な形で問題は起きてくる。
奈保子 では、今、心の火種を消す消火係がSC(スクールカウンセラー)の役目でもあるんですね。 
佐々木 そうなんです。それと、先生方に「火事と警報器」の原理に気づかせることも仕事なんですよ。





女優

2012-11-14 07:53:00 | TV・ドラマ


BS再放送『おひさま』の
夏子先生役が清楚で美しく
目が惹かれたので
伊藤歩という女優の名前を覚えた。

ウィキによれば
岩手出身の32歳という。

これまで、多数の映画・テレビに
出演しているようだが、
観たことのある
『カンゾー先生』(98年)と
『のど自慢』(99年)では
まだ10代だったので
印象には残っていない。




同じく、『おひさま』で
ちょい役で登場した
中村ゆり(本名ソン・ウリ)も
目を惹いたが、こちらは
大阪出身の30歳で
父親が在日3世らしい。

そういえば、
大阪で教員をしていた頃、
教え子に在日朝鮮人の子たちが
何人かいた。


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『教育随談』

教師のあるべきようわ
奈保子 「教師の一言」は、その子にとってどれほどの重みがあるか分からないので、特に、誉めることは、教師の仕事のなかでも最も重要なことですよね。
佐々木 そうですよ。教師はいっ時にせよ、一人の人間の人生を横ぎるんだから、誉めるにせよ叱るにせよ、認めるにせよ励ますにせよ、最も適切な機会や言葉を選んで、生徒たちが伸びゆくためのチャンス・メーカーにならなくてはね。 
奈保子 以前に、講義の中で先生から「ギャンブラーは一瞬の楽しみ。農夫は一年の楽しみ。教師は一生の楽しみ」という含蓄のある格言を教わりまして、実感はないものの、なるほどな、と感じたことがあります。
佐々木 今年も講演の仕事で大阪に行く機会があってね、30年前に担任をしていた生徒たちと同窓会をしてきたんですが、オッサン、オバハンになった連中が、いまだに「先生。先生」って、慕ってくれるんですよ。なんと嬉しく、ありがたいことか。
奈保子 子どもたちとの「今、ここで」のふれあいが、何十年後かに、どこでどんな形で実を結ぶか分りませんものね。
佐々木 だから、教師というのは「一生の楽しみ」なんですよ。

奈保子 他にもいろんな格言を講義で習いましたが・・・。「生活のために教師をするな。人を育てるという神聖な使命のもとに心・技・体を捧げよ。神様は真の教師を生かさずにおくものか」というのは、大学の教壇で「神様」っていうのが出てきて、驚いたり、新鮮な感じがしました。
佐々木 ハハハ。そうでしょうね。あんまり、教育心理学の授業で「神様」は出てこないもんね。
奈保子 でも、欧米でしたら、「God knows」というのは当たり前の感覚でしょうにね。
佐々木 アメリカなんか大統領宣誓でも、裁判所の証人でも聖書に手を置いて誓うでしょ。
奈保子 「神」は見ている、何でも知っている、という共通理解が社会にありますものね。
佐々木 うん。どこかでは神さんとつながってる感覚があるんだね。 
奈保子 その点、日本人は非宗教的ですね。何か、大いなるものとのツナガリがない感じです。
佐々木 それでも、昔は自然という大いなるものとツナガッていたと思うんだけど。それも、物質文明の発達でキレつつあるのかもしれない。

奈保子 「教師は学者であれ。科学者であれ。哲学者であれ。そして、宗教者であれ」という格言もありましが、ここにも宗教が出てきましたね。
佐々木 もちろん特定の何々教ではないけどね。
奈保子 宗教性や「たましい」について無知、無関心であってはいけない、ということでしょうか。
佐々木 その通りですよ。
奈保子 ・・・とは言いますものの、実際のところは、先生方はかなりお忙しそうで、目の前の仕事に追われているように見えるんですが・・・。 
佐々木 実際はそうですよ。でも、やっぱり、走りながらでも考えていなければならない。 
奈保子 教育は、いつも現在進行形で論議をしつつ、実践しなければならないんですね。
佐々木 そうです。ともすれば、日常の雑事で自分が埋没してしまい、とても立ち止まって足元を見つめたり、フォーリスティックに自らを見直したりする暇がないけど、しかし、フィードバックなしで、単なる物理的な時間の経験によってのみで教育技量の進歩などはあり得ないし、人間としても進歩しないと思いますよ。
奈保子 シュタイナーは、教師の基本的態度として、何事においても去年と以下同文、昨日と以下同文、という姿勢は厳に避けるべきである、と言っていますね。それと、教師は、決してペダンティックな態度を取るべきではない、とも言っています。
佐々木 彼は、芸術家としての教師を重く見ていたんです。教育においても、芸術と同じセンスが要求されるんで、あらゆる道具や素材を駆使して、教師は素晴らしい人間を創造するアーティストなんだ、というんですね。


工具

2012-11-13 07:57:00 | 楽器製作


2台目のベルトサンダーが
寿命らしく、煙が出たので
工具専門店の10%割引セールで
3台目を購入した。

楽器製作で
パーツを削るのに
なくてはならない工具なので
消耗品として致し方ない。



工具を使わず
研磨を手作業でやっていたら
珍しく左指の爪先を巻き込んで
怪我をしてしまった。

ギターを弾くのには
大事な薬指だったので、
生徒にギターを聴かせている最中に
また傷口が開いて血が流れ
生徒が激しい演奏で流血したと思って
驚いていた。

だから、ギタリストは
かくばかりに血と汗を流しながら
猛練習しているのだよ、と
嘯いたら感心していた・・・(笑)。


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「教育随談」

奈保子 物のない時代には、「物を大事にしなさい」というのは正しかったかもしれませんが、物があり余ってる現代では、何もかも大事だといって抱え込んでいたら、居住空間がなくなってしまいますよね(笑)。
佐々木 そう。だから、現代人にとっては、何が必要で何が不要か、が判断できる能力が昔よりも求められるんですよ。でも、「物を大切に」というのは今ならエコなリサイクルに発想が変わっているでしょ。
奈保子 そうですね。
佐々木 これからは、あらゆる面において、旧弊の価値観が、転換を迫られるようになってくるかもしれませんよ。

奈保子 便利な生活はたしかに快適ですけど、近頃では、廃用症候群(disuse syndrome)とか、生活不活発病という新たな問題も言われるようになりましたね。
佐々木 要するに、安穏な状態に順化していると、さまざまな面での機能低下が起こる、ということですね。
奈保子 そうですね。となると、精神的な「寝たきり状態」もよくない、ということですか。 
佐々木 そうですよ。何でも使わなきゃ、ダメんなる。

奈保子 話は変わりますが・・・。スマホなどの所有率が増加して、子どもたちの日常は益々膨大な情報量に晒されて、同時に、刺激も増えて強くなってきていますが、このことの弊害という面ではどうでしょうか。
佐々木 そうですね・・・、単に、ケータイ依存症の増加ばかりじゃなく、近頃の犯罪の特異性とかも関連しているかもしれんね。
奈保子 ・・・と言いますと?
佐々木 今の青少年犯罪の一つの特徴は、集団心理によってエゴ・インフレーション(自我肥大)を起こした逸脱行動がよくあるでしょ。
奈保子 ああ、たしかに・・・。ホームレス襲撃事件や大学運動部の集団レイプ事件などがありましたね。
佐々木 そうそう。何か、勢いとか弾みでやってしまう集団事件が多いでしょ。それと、過去には問題歴がない子たちが、衝動的、突発的に重大事件を起こすことが多いし、その動機が不明瞭なんだよね。
奈保子 それから、脱法ハーブとか薬物乱用も増えていますよね。
佐々木 それは、ドラッグが街で簡単に入手しやすくなったのと、ダイエットや遊び目的とかで使われるようになったからでしょうね。
奈保子 問題になっているMDMA(通称:エクスタシー)なんかは、脳内のセロトニンを過剰放出させて多幸感をもたらすんですから、ハマッたら中毒になりそうですね。
佐々木 なるでしょうね。それとね、近頃は、他者への共感性が欠如した子たちがけっこう事件を起こしているでしょ。
奈保子 そうですね。それで一時、PDD(広汎性発達障害)への偏見が助長されないか懸念されましたが。
佐々木 彼らは対人障害があり、そのことを悩む力も欠如しているので、いきなり行動化に走ることがあるんですね。
奈保子 学校臨床でも、その点は十分に気を配って接しないといけませんね。 



三銃士

2012-11-12 08:50:00 | 映画


昨日は久しぶりに
テニスクラブで
16ゲームダブルスをやったら、
今朝は筋肉痛であちこち痛いのなんの。

それで朝、5時頃目が覚めたので
昨夜、録画した『三銃士』を観ていた。

原題の「Musketeers」という単語は
初めて見るので、辞書で調べてみたら
「銃兵」とあった。

1844年のアレクサンドル・デュマの原作で、
仏語では「Les Trois Mousquetaires」
(ル・トロワ・ムスケテレ)と
読むのだろうか。




ガスコーニュ出身の若者ダルタニャンが、
銃士になるべくパリに出てきて、
有名な三銃士アトス、ポルトス、アラミスに
出会って華々しい活躍をする。

ダルタニャンは実在の人物で
三銃士にも実在のモデルがいたらしい。

ダルタニャンの子孫は現存していて、
かつて飲んだことのある
マルキ・ド・モンテスキューという
アルマニャック産ブランデーの
製造元のようである。




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『教育随談』

「たましい」が追いつかない
奈保子 最近、iPS細胞などが作られるようになり、医学や生物学がグンと発展しそうな勢いですが、それでも「生命の神秘」や「こころの神秘」を解き明かすにまでは、まだまだ至らないでしょうね。
佐々木 そりゃ、そうでしょうよ。「心理学」や「生物学」がいかに発展しようとも、さほどに<精神>と<生命>は未知なる世界ですよ。
奈保子 それでも、教育に携わる人間は、この神秘で不可思議な心と命をもった対象に、限られた時間内に、何らかの刻印を残すことが仕事であるわけですね。
佐々木 はい。でも、その相手は草野球のキャッチャーのように、なかなかこちらの“直球”や“変化球”をうまく受け取ってはくれないもんですよ。
奈保子 なるほど。それでも尚、根気よく、いい球を投げ続けなければならないわけですよね。
佐々木 そうですよ。
奈保子 こんなことを伺うのは失礼ですが、先生にも失敗はございましたか?
佐々木 そりゃ、数々ありましたよ。正直言って、自分の経験の無さや、読みの浅さ、怠惰などから、幾人かの子どもたちにとっては益のない教師であったかもしれないし、藪カウンセラーだったと思ってます。
奈保子 でも、謙虚に、そういうふうに反省されていらっしゃるんですね。
佐々木 だって、「相田みつを」じゃないけど、「人間だもの」・・・。神様じゃないからね・・・。失敗があるのは仕方ないと思って、そのことには「心で詫びる」ほかないでしょ。でもね、同じ失敗は繰り返さないようには肝に命じてきたつもりですよ。

奈保子 心理学者のハイム・ギノットが「原子を分解できた人間が、次代を担う子どもたちに教育する術を知らないというのは実におかしなことである。」と、言ってますね。
佐々木 そうだね。科学技術の発展は目覚ましいけど、はたして「こころ」や「たましい」はそれに追いついているんだろうか、と思いますよ。
奈保子 特に、教育は文明の進歩の一端を担う使命を持っているはずですから、科学と同じレベルで進歩してしかるべきですよね。
佐々木 そうそう。でも、学校環境って、旧態依然としているでしょ。文科省のアタマも硬いしね。
奈保子 先日、河合俊雄先生の講演を伺ったときに、スイスに留学したときに、夢の中では自分はまだロシア辺りを走っている汽車に乗っていた、という話を聞いて、(ああ、なるほどなぁ・・・)と思いました。
佐々木 体は着いてるんだけど、「たましい」が追いついてきてないんだ。
奈保子 そうです、そうです。
佐々木 同じような話を、お父さんの河合隼雄先生からも聞いたことがありますよ。
 アマゾンの密林に日本人の学者が調査に行ったとき、途中で地元のガイドやポーターたちがなかなかついてこないんで、賃上げ要求でもするつもりかと引き返してみたら、みんなひと塊になって休んでいて、どうしたのか尋ねると、「お前たちがあんまり速く行くので、自分たちの魂がついていけなくて、いま追いついてくるのを待ってるんだ」と言うんだね(笑)。 
奈保子 なるほど。面白いですね。
佐々木 でも、それって、現代の我われの姿にも似ていないか、って思うんですよ。 
奈保子 たしかに・・・。速すぎる産業や経済や科学技術の発展に「たましい」がついていけてないかもしれない、ということですね。 
佐々木 その通り。我われの周囲は今やパソコンやらケータイやらタブレットやら、ハイテク装置に取り囲まれて、その恩恵抜きにしては語れないでしょ。だけども、便利なことは有り難いが、何だか、我われの「たましい」が取り残されて、置き去りにされて、物質文明だけが先に先に、と行ってしまっているような気がしてならないよね。 
奈保子 人間はパソコンやケータイをやるためだけに生きているのではありませんものね。 
佐々木 ・・・でしょ。そんなもの人生にとっての道具にすぎない。 
奈保子 でも、なんだか、現代人は、目的と手段が転倒してしまって、それに時間を奪われている気がします。
佐々木 そうそう。なんだか、ミヒャエル・エンデの『モモ』みたいでしょ。
奈保子 ほんとですね。考えてみれば、恐ろしい世界ですね。 
佐々木 そうだよ。それでもね、3.11は、我われの忘れかけていた「不自由さ」を、今の子どもたちにも知らしめてくれた。生まれた時からすでに、家に、テレビ・電話・冷蔵庫・パソコン・車などすべて揃っているのが当たり前の状態なのが、今の子どもたちでしょ。かつては、こういう世代を「新人類」と呼んでいたんですがね。 
奈保子 『オールウェイズ』世代には、子どもの頃、そういうものはなかったんですか?
佐々木 初めはなかったけど、段々と家に入ってきたんで、そのときの喜びや感激を知っているんです。
奈保子 なるほど。今の子のように、あるのが当り前で、何も有り難いことがない、というのは、ある意味で、つまらなくもあり、いったい何に喜びを見出すのだろうか、と思ってしまいますね。 
佐々木 だから、浅薄な意味での「自分探し」とか「自己実現」なんていうのがブームになったりするんですよ。 
奈保子 物が豊富になり便利になって、実存的不安に陥ったんですね。 
佐々木 そう。それをマザー・テレサが来日した1983年頃に、直感的に「物足りて心貧しき日本人」という警句を吐いたんです。
奈保子 はあ、すごいですね。「たましい」の世界に生きる聖人の慧眼には、そう映ったんですね。



独立愚連隊

2012-11-11 05:48:00 | 映画



BSで佐藤充主演の
『独立愚連隊』を観た。

昭和36年のモノクロ映画である。

佐藤充はその後も
戦争映画では常連の
俳優である。

独特の顔立ちと
存在感がある。

映画そのものは
いま一つの内容だった。


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『教育随談』

私が先生になったとき
奈保子 以前、先生の講義で「教育というのは、<車やミカン>を作るのではなく、<人間>を作るのだ」ということを伺ったんですが、非常に直接的で今でも印象に残っているんです。 
佐々木 ああ、あれはね、実は、出典があって、『金八先生』というドラマの2作目で、武田鉄也演じた金八が土手の上でね、子どもたちが遊んでいる様を見ながら、自戒を込めてつぶやくセリフなんですわ。
奈保子 あっ、そうだったんですか。私は見ていないので、知りませんでした。
佐々木 ちょっと不遜な言い方でもあるんだけどね。
奈保子 でも、教育に携わる人間にはインパクトがありますよね。
佐々木 そうかもね。
奈保子 その言葉と一緒に、「人間の幸福」に寄与しない教育や学問があるとしたならば、それは間違っている、というのもノートに書いた記憶があります。
佐々木 よく、覚えているね。感心、感心。
奈保子 人の心を知ることができ、世の中のあらゆる所で「人として生きてゆける人間」を育ててゆくことが教育である、とも習いました。
佐々木 奈保子ちゃんも教職とったんやね。
奈保子 はい、一応は・・・(笑)。
佐々木 じゃ、「私が先生になったとき」いう詩もやったでしょ。
奈保子 はい、覚えています。

私が先生になったとき
自分が真理から目をそむけて
本当のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちにどうして夢が語れるか

私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに胸をはれと言えるか

私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに仲良くしろと言えるか

私が先生になったとき
自分の闘いから目をそむけて
どうして子どもたちに勇気を出せと言えるか

佐々木 これは、宮沢賢治の詩や、って言う人がいたんやけど、ネットで調べてみたら、賢治はこんなん書いてないいうのが正しいみたいやね。
奈保子 そうなんですか。でも、詠み人しらずでも、いい詩ですよね。
佐々木 うん、なかなかようでけてる。
奈保子 なんだか、これを習って、<教員免許>は教師として「必要条件」だけど、決して「十分条件」ではない、ということがよく分りましたもの。
佐々木 それはえらいね。どこの学校にも、マニュアル通りの「サラリーマン」としては立派な「教師」はようけおるけど、「サラリーマン」の部分を取り去ったら、何も残らへん寂しい人もようけおるからね。
奈保子 「立派なサラリーマン」である前に、まずは「立派な人間」であってほしいものですよね。 
佐々木 でしょ。せやから、「立派なサラリーマン」だった人ほど、定年後に空の巣症候群(empty nest syndrome)になってもうて、びっくりするほどボケちゃう人がいるんよね。
奈保子 それは「人間として全人的に生きる」ことを忘れて、あまりにも自分イコール「立派なサラリーマン」としてアイデンティティを仕立て過ぎたからですね。
佐々木 そうなんやね。

奈保子 優秀な人間は放っておいても伸びるから、真に教育・支援を受けるべき子どもたちは、能力を持ちながら開花できない者、開花の遅れている者、真に能力のない者、あるいは病んでいる者たちである・・・ということも、講義で伺い、心に残っています。 
佐々木 よく、問題児の支援委員会とかで、「教育の限界だ」なんて言うて簡単に生徒を切り捨てようとする先生がおるんですわ。そのたびごとに、私は、教育のプロがなに甘ったれたこと言うてんねん、ってよう喧嘩しました。
奈保子 先生でも怒りはるんですか。 
佐々木 怒る、怒る。あんまりすごい剣幕なんで、相手はビビッて縮こまるみたいよ(笑)。  
奈保子 そうですよね。臨床の最前線では「いのち」の生き死にを扱っているんですから、言葉が真剣で重みと迫力があるでしょうね。 
佐々木 こっちの全存在をかけて怒るから、相手から見たら、マジ殺されると思うんじゃないかしら(笑)。
奈保子 言葉の力ですね(笑)。 
佐々木 そうやねん。こっちはそれで喰うてるわけでしょ。空疎な言葉で生徒とやりとりしてる先生では相手にならへんわね。
奈保子 話を戻しますと、確かに、新鮮で高級な材料を用いれば素晴らしい料理が作れるかもしれませんが、でも、それがイコール美味しいものとは必ずしも限りませんね。
佐々木 うん。いい喩えやね。料理の腕前が悪ければ、いい素材だってダメにしてまうでしょ。
奈保子 逆もまた真なりで、高級な食材でなくても、味付けさえ確かなら、ふくよかな香りと温かな味のある美味しいものだって作れます。
佐々木 そやねん。料理も教育も一緒ですわ。

奈保子 変な質問かもしれませんが、先生が17年間、教員をされてきて、よかったと思うことはどんなことですか。
佐々木 それはやっぱりね、子どもたちが伸びゆく時の「美しさ」や、人として変容してゆく時の「素晴らしさ」・・・それと、その時に見せる何ものにも代えがたい「笑顔」を観たときかなぁ・・・。  
 それはね、喩えるなら、息子たちが幼い頃に、初めて、つかまり立ちが出来た時に見せた満面の笑顔のようなもので、親ならば胸キュンになるあの瞬間と同じようなもんなのかもね。