昨日は久しぶりに
テニスクラブで
16ゲームダブルスをやったら、
今朝は筋肉痛であちこち痛いのなんの。
それで朝、5時頃目が覚めたので
昨夜、録画した『三銃士』を観ていた。
原題の「Musketeers」という単語は
初めて見るので、辞書で調べてみたら
「銃兵」とあった。
1844年のアレクサンドル・デュマの原作で、
仏語では「Les Trois Mousquetaires」
(ル・トロワ・ムスケテレ)と
読むのだろうか。
ガスコーニュ出身の若者ダルタニャンが、
銃士になるべくパリに出てきて、
有名な三銃士アトス、ポルトス、アラミスに
出会って華々しい活躍をする。
ダルタニャンは実在の人物で
三銃士にも実在のモデルがいたらしい。
ダルタニャンの子孫は現存していて、
かつて飲んだことのある
マルキ・ド・モンテスキューという
アルマニャック産ブランデーの
製造元のようである。
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『教育随談』
「たましい」が追いつかない
奈保子 最近、iPS細胞などが作られるようになり、医学や生物学がグンと発展しそうな勢いですが、それでも「生命の神秘」や「こころの神秘」を解き明かすにまでは、まだまだ至らないでしょうね。
佐々木 そりゃ、そうでしょうよ。「心理学」や「生物学」がいかに発展しようとも、さほどに<精神>と<生命>は未知なる世界ですよ。
奈保子 それでも、教育に携わる人間は、この神秘で不可思議な心と命をもった対象に、限られた時間内に、何らかの刻印を残すことが仕事であるわけですね。
佐々木 はい。でも、その相手は草野球のキャッチャーのように、なかなかこちらの“直球”や“変化球”をうまく受け取ってはくれないもんですよ。
奈保子 なるほど。それでも尚、根気よく、いい球を投げ続けなければならないわけですよね。
佐々木 そうですよ。
奈保子 こんなことを伺うのは失礼ですが、先生にも失敗はございましたか?
佐々木 そりゃ、数々ありましたよ。正直言って、自分の経験の無さや、読みの浅さ、怠惰などから、幾人かの子どもたちにとっては益のない教師であったかもしれないし、藪カウンセラーだったと思ってます。
奈保子 でも、謙虚に、そういうふうに反省されていらっしゃるんですね。
佐々木 だって、「相田みつを」じゃないけど、「人間だもの」・・・。神様じゃないからね・・・。失敗があるのは仕方ないと思って、そのことには「心で詫びる」ほかないでしょ。でもね、同じ失敗は繰り返さないようには肝に命じてきたつもりですよ。
奈保子 心理学者のハイム・ギノットが「原子を分解できた人間が、次代を担う子どもたちに教育する術を知らないというのは実におかしなことである。」と、言ってますね。
佐々木 そうだね。科学技術の発展は目覚ましいけど、はたして「こころ」や「たましい」はそれに追いついているんだろうか、と思いますよ。
奈保子 特に、教育は文明の進歩の一端を担う使命を持っているはずですから、科学と同じレベルで進歩してしかるべきですよね。
佐々木 そうそう。でも、学校環境って、旧態依然としているでしょ。文科省のアタマも硬いしね。
奈保子 先日、河合俊雄先生の講演を伺ったときに、スイスに留学したときに、夢の中では自分はまだロシア辺りを走っている汽車に乗っていた、という話を聞いて、(ああ、なるほどなぁ・・・)と思いました。
佐々木 体は着いてるんだけど、「たましい」が追いついてきてないんだ。
奈保子 そうです、そうです。
佐々木 同じような話を、お父さんの河合隼雄先生からも聞いたことがありますよ。
アマゾンの密林に日本人の学者が調査に行ったとき、途中で地元のガイドやポーターたちがなかなかついてこないんで、賃上げ要求でもするつもりかと引き返してみたら、みんなひと塊になって休んでいて、どうしたのか尋ねると、「お前たちがあんまり速く行くので、自分たちの魂がついていけなくて、いま追いついてくるのを待ってるんだ」と言うんだね(笑)。
奈保子 なるほど。面白いですね。
佐々木 でも、それって、現代の我われの姿にも似ていないか、って思うんですよ。
奈保子 たしかに・・・。速すぎる産業や経済や科学技術の発展に「たましい」がついていけてないかもしれない、ということですね。
佐々木 その通り。我われの周囲は今やパソコンやらケータイやらタブレットやら、ハイテク装置に取り囲まれて、その恩恵抜きにしては語れないでしょ。だけども、便利なことは有り難いが、何だか、我われの「たましい」が取り残されて、置き去りにされて、物質文明だけが先に先に、と行ってしまっているような気がしてならないよね。
奈保子 人間はパソコンやケータイをやるためだけに生きているのではありませんものね。
佐々木 ・・・でしょ。そんなもの人生にとっての道具にすぎない。
奈保子 でも、なんだか、現代人は、目的と手段が転倒してしまって、それに時間を奪われている気がします。
佐々木 そうそう。なんだか、ミヒャエル・エンデの『モモ』みたいでしょ。
奈保子 ほんとですね。考えてみれば、恐ろしい世界ですね。
佐々木 そうだよ。それでもね、3.11は、我われの忘れかけていた「不自由さ」を、今の子どもたちにも知らしめてくれた。生まれた時からすでに、家に、テレビ・電話・冷蔵庫・パソコン・車などすべて揃っているのが当たり前の状態なのが、今の子どもたちでしょ。かつては、こういう世代を「新人類」と呼んでいたんですがね。
奈保子 『オールウェイズ』世代には、子どもの頃、そういうものはなかったんですか?
佐々木 初めはなかったけど、段々と家に入ってきたんで、そのときの喜びや感激を知っているんです。
奈保子 なるほど。今の子のように、あるのが当り前で、何も有り難いことがない、というのは、ある意味で、つまらなくもあり、いったい何に喜びを見出すのだろうか、と思ってしまいますね。
佐々木 だから、浅薄な意味での「自分探し」とか「自己実現」なんていうのがブームになったりするんですよ。
奈保子 物が豊富になり便利になって、実存的不安に陥ったんですね。
佐々木 そう。それをマザー・テレサが来日した1983年頃に、直感的に「物足りて心貧しき日本人」という警句を吐いたんです。
奈保子 はあ、すごいですね。「たましい」の世界に生きる聖人の慧眼には、そう映ったんですね。