17年来勤務している
K校の保健室で、
3.11の支援物質の
ジャンパーをもらってきた。
好みのアーミー系色なので
さっそく着てみることにした。
ただ、サイズがLで
まだ、メタボチックなので、
ややキツめかもしれない。
リパーシブル・タイプで
ひっくり返すと黒にもなる。
休日、よくパジャマの上に
ちょいとひっかけて出かけるので、
それにも使えそうである。
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『魂理学対談』
(2012年9月 京都 嵯峨野にて)
奈保子(臨床教育学科大学院生)
今回のセミナーのテーマは、特にテーマを設けずに、アトランダムに思いつくままということで、お話を伺いたいと思いますが、それでよろしいでしょうか。
佐々木 はい。何なりと・・・(笑)。何なら、今回は、せっかく京都に来たので、奈保子ちゃんも京都生まれだし、京都弁でやりましょか?
奈保子 ええッ?! いいんですか・・・。
佐々木 よろしいで・・・(笑)。
奈保子 先生も京都には10年以上住んでいらしたんですよね。
佐々木 はいな。そうでっせ(笑)。
奈保子 ほなら、今日は、遠慮のう京都弁でさせてもらいますゥ。
佐々木 よしなに・・・(笑)。
宗教性を生きる
奈保子 現代は、科学や経済の発展で、テクノロジーやお金を心の拠り所にしている人が多いように感じるのですが、それが、現代人にとっての神話となっているような気がします。
佐々木 そうかもしれへんね。神話というのは、つまり、それらとのつながりが自らの存在の安心につながる、という意味でしょ。
奈保子 はい。文明的な外的事実ばっかりに心奪われていると、本来の神話はまるっきり荒唐無稽なものということになって、現代ではまったく価値のないものになってしまっていますね。
佐々木 …かもしれまへんな。それでいて、神話を軽んじて、便利で快適な生活をしながらも、どこか言いようのない不安やら、ストレスやらに苦しめられているのが現代人やないかなあ。
奈保子 本来、頼りにならないはずのものを頼りにするから、心の深いところでは、心許ない、言い知れぬ不安を感じるんでしょうね。
佐々木 やっぱりね、死んであの世に持っていけへんものは、個人の存在を支える神話にはなり難いもんやと思いますね。
奈保子 河合先生は、個人の「物語」が大事、と言わはりましたが、個人の「神話」と置き換えてもいいですよね。
佐々木 そうです。各人が、生きる上で、どういう物語を生きるか、あるいは、どういう個人的な神話を持っているか、ということが大切なんですよ。
奈保子 それは、外的価値にではなく内的価値にこそあるんですね。
佐々木 はい。お金に変えられないものこそ、大切なもんでしょ。
奈保子 最近の若い世代には政治的には無党派層が増えてきましたが、日本人は、いまだに無信仰、無宗教の人が多いですよね。
佐々木 そうでしょうね。冠婚葬祭時のパートタイム宗教的儀式は別にして、特定の宗教教団に属しているのは1~2割くらいじゃないかな。
奈保子 そういう宗教的なものと関わりがなく、自分の生や死を見つめていくのって、難しいような気がするんですが、あんがい、ほとんどの人はノホホンと、その日その日を暮らしているように見えるんですが…。
佐々木 特定の宗教は持たなくとも、日本人って、わりとふだんの暮らしのなかに宗教性が宿っているでしょ。
奈保子 たしかに、「いただきます」とか「ごちそうさま」とか、「おかげさまで」というような言葉には、宗教的な畏敬の精神がありますね。
佐々木 それと、各地のお祭りでは「お神輿」がけっこうあるでしょ。あれだって、神様なわけでしょ。
奈保子 そういえば、子どもの頃は、下賀茂神社の「糺(ただす)の森」で、よう妹と遊びました。
佐々木 …でしょ。なんやかや言うても、けっこう神社仏閣が生活の近くにありますよね。それに、年越しや正月や七・五・三やらの祭礼にはお参りに行くし、彼岸の墓参りもけっこうするでしょ。
奈保子 なるほど。そういう意味では、日本人もけっこう宗教性があるんですね。
佐々木 それでも、自分の死と向き合うという大事業には、やはり、個人的なファンタジーであったり、神話なりが必要やと思うんやけどね。
奈保子 死の床で、無信仰の人たちは、最後には、家族とのツナガリを心の支えとするように思うんですが、これが宗教に替わるものじゃないか、と思うんですが…。
佐々木 家族とのツナガリは、愛でしょうし、それから、来世で会えるとか、子孫に自分の命、あるいは遺伝子が伝わるという「永続性」のファンタジーを抱くんやないかと思いますよ。
奈保子 そういう意味では、大部分の日本人は「家族教」なのかもしれませんね。
佐々木 いや。やっぱり、「お金教」のほうが多いんとちゃうかしら(笑)。
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