きのうは、朝から、
市役所、年金事務所に
亡母関連の書類手続きの連絡やら、
予約やらして、介護ホームからは
保険証やら手帳やらを
引き取ってきた。
その後、イツメンの叔母ちゃんと
びっき沼に水芭蕉を見に行って、
ついでに、フキノトウも沢山採ってきた。
さすがに山は肌寒く、
道端には残雪が点在していた。
お昼は
土湯峠の道の駅で
天玉そばをやってきた。
昔の駅そばみたいな
懐かしい味であった。
…
午後からは
デュオの最終練習をした。
K君が、わざわざ
亡母の御霊前に…と、
果物を持ってきて下すったので、
お返しに、採りたてのフキノトウと
道の駅で買った
地産物の椎茸を持っていってもらった。
もう、直前だが、
試しに、『パスピエ』を
破綻覚悟で、これまでの
1,5倍の速度でやってみたら、
2度とも、案外に上手くいった。
そして、曲本来の緊張感や
疾駆感が表現出来て
弾いていても面白かった。
なので、本番でも
アップテンポでやることにした。
ゆっくりやっても、
間違う時は、間違うもんねぇ…。🤣
果敢なチャレンジも必要だ。🥹🌟
...
きのうは、合わせに2時間、
ひとりで2時間やったので、
今朝は、体中が痛く、
指なぞは曲がらないほどに
ギシギシいって激痛である。
まさに、
ヘロヘロのズタボロ状態だ。
67歳の老体を酷使してまで
やる意味があるのか・・・と、
愚問がしょっちゅう脳裏に浮かぶ。
そのたびに・・・
【奏でられる者は
奏でなければならない
世の為 人の為・・・】
という、箴言が
反論を突きつけてくる。
してみれば、
ギタリストっちゃぁ・・・
難儀なものである・・・。
先日、一泊した兄が
二階の練習場にやってきて、
コンサート直前の散乱する
手描きの楽譜やら
頒布会のCDの山を見て、
何やら感じたらしく・・・
「お前の息子たちは
親父をリスペクトしてんだろうな・・・」
と、ボソリと漏らしていた。
ある意味、
音楽という神々のおわします最高峰へ
アタックしているようなもので、
いつ滑落するやもしれぬ
危険性と隣り合わせなのに、
いまだに、果敢に
挑戦し続けているからだろうか・・・。
・・・とすれば、
ヘロヘロ、ボロボロの
ジジイ・アルピニストでもあり、
ジジイ・アスリートでもある(笑)。
…
普段は疎遠な母方従弟のH君が
おとついの夕方、突然、弔問に来られ、
しばし、茶飲み歓談をさせて頂いた。
そして、
挙式時に亡母が養母の役目を果たした
その時の義妹関係になるMからも
お花が贈られてくるという。
ご霊舎が段々と華々しく
賑やかになってきた。
…
月曜の朝に、
母が亡くなったばっかなので、
なにかと、非日常的タイムゾーンに在り、
ソーちゃんの名人戦の初日を
コロッと忘れていた。
無理もない・・・(笑)。
昼過ぎに気づいて
Abemaを視てみた。
勝負は二日目なので、
今日の夕刻あたりが
クライマックスの見ものである。
後手番ながら、
先勝を期待したい。
…
Tちゃん先生からメールがきて、
旅行の最終日に、
京都駅の雑踏の下り階段で転倒して、
圧死事故を免れて肉離れで済んだのは、
神様によるお奉り替えで、
亡母が自分の命を削って
守ってくれたのでは……
という信仰的解釈を聞かされ
腑に落ちるものがあった。
なので、それに
こう返信した・・・。
***
此度は、介護施設の中で、
来客者がコロナのキャリアで、
そこから、介護士に感染し、
母だけがホーム内で
感染してしまいました。
この事について、ずっと、
腑に落ちないものがありました。
何故、母だけが
感染しなくてはならなかったのか・・・。
それと、施設側からは、事実説明のみで、
「申し訳ございませんでした・・・」
という言葉は
一度もありませんでした・・・。
長らく、お世話になったので、
あえてその事は不問にしてきました。
先生のお考えのように、
母がコロナを引き受けて、
私の事故死の運命を
身代わりになってくれた・・・と、
神様がそう奉り替えくださった・・・と、
考えれば、腑に落ちるものがあります。
そうだとすれば、神様の奇しきお働き、
母親の愛を感じずにはいられません。
今日現在、肉離れの痛みは消退し、
通常どおり、歩けるまでに回復致しました。
きのうの納骨までの一連の流れで、
皆が口を揃えて、
「何もかも、うまくいってるね・・・」
と言っておりました。
自分も、これが、お繰り合わせを頂く、
というものか・・・と、驚嘆している処です。
母自身が信心で得た
神徳・人徳というのも
大御蔭に繋がっているのだとも感じました。
命日となった4月7日が
先生の御尊父のお誕生日というのも、
偶然の一致すぎる感がありますね。
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