『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『太平洋ひとり』5

2022-10-29 07:17:17 | 創作

 里奈は、どう死のうかと思案した。

 JK(女子高生)お得意のWC(リストカット)をするか、いっそNC(ネックカット)をするか…。
 カッターなら自室の勉強机の引き出しにある。
 里奈は揺らぐ甲板のようなフローリングを歩み、それを取り出した。
 ベッドに戻ると、窓に背を向けてチキチキと、ブレードを伸ばし、腕をまくりあげてみた。
 うっすらと青みがかった静脈が見えた。
 冷たい刃先を手首に当ててみた。

 
 ダッパーン…と、うねりが外壁に打ち付けた。
 ジュクジュクと泡を立てて、濁流がドアの下の隙間からさらに流れ込んできた。
(グズグズしていられない…) 
 と、頭では思うのだが、つい今朝方まで、都会での〈花の女子大生〉生活を夢見心地で待ち暮らしていたのである。
それが、その日の午後に、手首を切って自殺しよう、という百八十度「暗転」の人生を実現する勇気がどうして湧いてくるだろうか。 

 手首に銀色の刃先を当てたまま、後から後から涙がこぼれた。
 悲しかった。悔しかった。怖かった。
(なんで、私が…
 今、死ななきゃならないの…。
 いったい、どんな悪い事をした、っていうの…)
 それは、巨大地震と巨大津波を起こした自然か神に向かっての恨み言、泣き言であった。

(なんで…)
 と再び疑問が繰り返した刹那、里奈はカッターをケータイ同様に部屋の隅に叩き付けた。
 死ねなかった。
 そう易々とは命を絶つことができなかった。

「だいじょーぶッ!
 だいじょーぶだからッ!
 ぜったい助かるから…
 自衛隊…」
 という母親の叫び声がこの期に及んで脳裏に浮かんだ。
 それは不安と恐怖で、悲観の極みに陥り、束の間、死神にとり憑かれた彼女を救う慈母の言霊でもあった。 

 そうだ。たとえ万に一つの可能性だとしても、生きてさえいれば、生存確率は0%ではないはずだ。
 自衛隊…
 海上保安庁…
 漁船…
 報道関係ヘリ…
 アメリカ軍…
 理系大学に合格した里奈は、咄嗟に、感情から理性モードへとスイッチを切り替えた。
 それは瞬時のことであった。 

 捨て鉢になって、泣き言と恨み言を言って自殺しようなんて…。
 里奈は、自室に迫り来る海水と溺死の恐怖と闘っていた。
「頑張って、里奈ぁーッ」
 と、檄をとばす母の声を耳に聞いた。
「だいじょーぶッ!
 だいじょーぶだからッ!
 ぜったい助かるから…
 自衛隊…」
 と、里奈は、母親の必死の叫びを復唱していた。 

 心が折れたらゲームセットになる。
 テニス選手だった里奈は、経験でそのことをよく熟知していた。
(敵に怖れてはダメ。
 相手をよく見極めなきゃ…)
 死の虎口を撃破するのには、自らを鼓舞せねばならなかった。

(死んでたまるかッ)
 里奈は、〈勇猛な自分〉が心の奥底から湧いて出てくるのを頼もしく感じた。

「♪オッモッい~ぃ、こぉーんだぁらー、試練ッ、の道ぃを~ッ♪」
 なぜだか、ふいに、遠く昔、父の膝の上で見た古い野球アニメの主題歌が口をついて出てきた。
 それは、自分へのエールだった。
 同時に、父の膝の温もりと、いくらかヤニ臭い口元まで、記憶の底から甦ってきた。
 なつかしい気持ちに浸りながら、里奈は父と一緒に唱和した日々に想いを馳せた。

 

        

 


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