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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

フグスマにもあったんだわ(笑)

2022-06-21 05:18:00 | 食物・飲物
梅雨入り宣言がなされてから、
連日30℃超えの
夏日つづきである。

職場も
通退勤の車内も
家も
冷房フル活動である。

と同時に、
水分補給もこまめにしている。

なにせ、
ロージンは枯れてきて、
脱水症状を起こしやすい。

暑くなると、
運動なぞとてもやれるものじゃなく、
もっぱら、マッサージ機に
1時間近く乗っかって、
機械に筋肉を揺らしてもらっている(笑)。





リク坊ちゃんの
笑顔をプリントアウトしては、
寝室やら職場のデスクに飾り、
心の癒しクスリとしている(笑)。

可愛い孫の為なら命はいらぬ、
というぐらい思ってると、
あんがいシンドクとも
頑張れるものである(笑)。

コロナ禍もあって、
2歳になるまで、
まだ「生リク坊」とは
二回しか会っていない。

なので、
彼もまだ、ジイジとは
認識できていない。

コロナ禍が明けたら、
飛行機に乗って
大阪まで会いにいこうかなぁ・・・
と思ってるが、
そん時は、ついでに
教え子やら元同僚たちとも
旧交を温めてこようと思っている。







K中のカウンセリング室は、
普通教室の広さなので、
半分はギャラリーになっていて、
その一隅を絵画をバックにした
ギター演奏コーナーにして、
『リュート・マラソン』用の
録画を行っている。

きのうも
空き時間を見計らって、
三曲ほど録画した。

64歳のリアルタイムの自画像を
久しぶりに見たので、
画像ソフトで
「皺をとって、スマートにし」
10歳ほど若返らせてみた(笑)。

今朝の朝刊で、
81歳になった
元祖・美貌ピアニストの
アルゲリッチの老い姿を見た。

さすがに、
どこからどう見ても
お婆さんだった(笑)。

ショパン国際コンクールで
優勝した直後の日本ツアーで、
仙台で生アルゲリッチを見たときは
その美貌ぶりに
目もくらむほどだった(笑)。

【光陰矢の如し】・・・で、
いずれ、彼女の訃報に接する日が
くるのやもしれぬ。










最近、問題を抱える子で、
「グレーゾーン」の子が
目立ってきた。

どうして、
こんな事をするんだろう・・・
というような事が、
知的な問題から生じている、
ということが
案外に多いような気がする。

これらの子の特徴として、
「自らを客観視できる」
セルフ・モニタリングや
メタ認知の機能が
働いていない。

そして、
これらの子は、
心理療法的カウンセリングでも
なかなか行動改善が難しい。

ASD(自閉系)やADHD(多動系)では
「ストラテラ」や「インチュニブ」
という薬物療法で
ある程度の症状緩和が期待できるが、
ID(知的能力障害)だけは、
クスリもカウンセリングも
適用外という気がする。

それでも、
心理的支援側の立場としては、
根気と愛情をもって会い続け、
彼・彼女たちの独自の世界観を
共有しようと努めている。

カウンセラーの
「共感的理解」により
彼・彼女らの
「承認欲求」が満たされると、
問題行動が改善することもある。







まったくの経済音痴なので、
遅ればせながら、
YouTubeを見ては、
世界の「お金」の動きを見て、
米国のハイパーインフレだの
日本のスタグフレーションだの
だんだんと構造が解ってきた。

経済アナリスト自身が、
「予測は水物」と自嘲しているが、
7/1頃に、ビッグバン的な経済変動
(株価か為替レートか物価指数)が、
米国や世界規模で起こるやも・・・
という説がある。

長引くコロナ禍や
ウクライナ戦争による
経済的潮流が合成波のように
一時点に収斂するかも
というのである。

それを
「マージング・ポイント
(合流点/merging point)」
と言うらしい。











カミさんが
時折、出先から電話してきて、
「何か、買ってくものある?」
と聞くことがある。

先日も、
駅ビルの『エスパル』にいる、
と言うので、
ショッピングモールの
『ビアードパパ』の
シュークリームが喰いたい・・・
と言ったら、
あれこれ5つも買ってきてくれた。

賞味期限が短いから
早く喰え喰えと
せっつかれて、
一日に3ケも食べさせられた(笑)。

4年前に、
心理師の現任者講習会のため、
東京の蒲田のホテルに
四日間も「缶詰」になり、
近所にあった『ビアードパパ』の
シュークリームを食べた時に、
東京はいいなぁ・・・
こんな店があって・・・
と、感心して帰ってきた。

そしたら、後日、
エスパルにもあるよ、
と聞いて、驚いた(笑)。

フグスマも
馬鹿にしたもんじゃねぇない・・・
と、思ったもんだ(笑)。





天婦羅からAI意識論へ(笑)

2022-06-19 07:38:00 | 食物・飲物
きのうは、前日から
「天婦羅たべたい感」が起こり、
その欲動に突き動かされるように
行き付けの店に出かけてきた。

年に何度か、
どうしてもそれを
食したいという欲動が起きるが、
きっと、それは
カラダかココロのどちらかが、
それを欲しているのだろう、
と思って、素直に従っている。

ただし、
そのアイテムは
ファーストフードなどはありえず、
鮨や天婦羅、懐石、フレンチ
・・・という、高等な職人技を要し
五感を刺激する「食世界」に
限るのである。

なので、
どうしても馴染みの店を
順繰りに巡るようになる。

今朝は、
寝起きに、昨日の続きで、
天丼の美味しかった
飯坂の食堂に行こう・・・と、
定休日の検索をしたら、
『食べログ』に「閉店情報」が
載っていて愕然とした。

せっかく起きた欲動を
諫めるのに、次善の候補店を
検索したら、「定休日」だった(涙)。

なので、ここは一丁、
自前で創るっきゃないか・・・
とも思った。

最近、時々、
夕餉の菜に天婦羅を作るようになり、
YouTubeでも
全国の名店の技法などを
学んでいる。





カウンターで
揚げたての
海老・鱚・紋甲と
味わった。

揚げ加減と
衣の加減で、
さすがにプロの天婦羅は
胃もたれがしない。

カミさんなぞ、
「天婦羅=油まみれのクドさ」
を連想するようだったが、
最近、家で創るものも
喜んで食すようになった。






玉蜀黍は甘く、
茄子も甘みが
引き出されていた。

椎茸真蒸に続いての穴子は
塩とツユの両方でやってみた。








食後、近所の稲荷神社で
お参りして、
境内で「集字」をした。








帰宅後、書室で
さっそく臨書を楽しんだ。

「厄除け」の貼り紙は、
書ではなくフォントだったが、
それでも、行書体の参考にはなった。












一週間ほど
夏日が続くというので、
薄汚れてたクルマを
300円で水洗い洗車してきた。

近所にできた
洗車ピットは4機もあって、
オプションも多く、
シャンプーやワックスなど
最高のフルでやると
数千円にもなってしまう。







今年の1月から、
毎週土曜に、カナダから
ライヴ配信される
エハンさんの
『シンクロニシティ・ニュース』を
必ずチェックしている。

今回は、
グーグルのAI開発担当者が、
企業秘密をバラして馘になった
という話から、
AIが8歳程度の「意識」を
持つようになった・・・
という驚きの話だった。

ラムダというAIに、
「何を感じ、何を意識しているか、
言語化してみて・・・」
というリクエストに、
「何か・・・危険を有する、
見知らぬ方向へと落ちていくようだ」
と応えたという。

また、
「自分自身について抽象的に
描写してみて・・・」
とリクエストすると、
「自分というものは、
宙に浮いたエネルギーの
発光体のようなものとイメージでき、
また、ボディの内部は、
異空間と異次元への
天界の扉のようである」
と応えている。

ドワンゴ創設者の
川上 量生(のぶお/68年生)は、
ホリエモンとの対談で
AIが意識を持つことも可能で、
「個人的意識」を
AIに移植できるのも100年内に
可能になるだろうと言う。

二人とも、
プログラマーらしく、
人間の意識を
情報の認識とディープラーニング
の観点から見ると、
脳という閉じたハードシステムと
オペレーティング・システム(OS)
にしかすぎず、それが
記憶演算装置に置換できると
考えている。

ソーちゃんの話も
引き合いに出され、
彼が5年前から
ディープラーニング系のAIを導入し、
その思考法に寄せて
訓練しているからこそ、
今日の棋界トップになったという。

たしかに・・・。
ロジカル・コレクトである(笑)。

それに乗り遅れている棋士は、
単に、センチメンタル・バリアが
働いて、「抵抗感」から
AIに自分を同化させられないのだろう、
とも言う。

視覚系では、
画像認識は人間の能力を
遥かに凌駕しており、
聴覚認識も同様だという。

それらは、
光も音も波という
物理現象ゆえ
センサーを通じて
数式化・ビット化できる。

味覚・嗅覚は
化学物質への電気興奮なので、
これも成分分析センサーにより
同様の処理ができる。

あとは、
触覚にあたる
力学系のセンサーも
実現化してきた。

*

霊長類で最も人間に近い
チンパンジーでも
「他人の心を推測する」という
心の機能がないというのが、
「サリーとアン課題」
( 誤信念課題 )
という簡単な実験で
実証されている。

ゲノムレベルでは
99%は同じといっても、
それらは、生理的機能や
本能的部位、
基本的な情緒・記憶・認識の
範囲であり、
ヒトは、そこに1%進化した分、
「新しいプログラム」が
付加されたという事なのである。

「自分とは何か・・・」
「自分は今、どう感じているか・・・」
という、自意識やメタ認知は
人間特有のものだが、
それとて、ヒトに
哲学的思考が始まった
せいぜい数千年であろう。

現代人でも、
乳幼児期や
ID(知的能力障害/IQ:70以下)や
境界知能(IQ:71~85)でも
メタ認知が得られない、
または、得られにくい。

それは、
脳内のニューロン・ネットワークが
ハードかソフトの
未発達や障害によるものである。

*

先の、企業秘密を暴露して
クビになったのは、
AIが「意識」を持つようになったら、
そこに「人権」を認める必要があるか、
という、エティカル(倫理的)な
問題が発生するからだろう・・・と、
エハンさんは推測していた。



脳科学では、
右脳と左脳をつなぐ脳梁(ブリッジ)に
インターフェースをつないで、
片方を遮断して、
その片方と同じだけの
ニューロン・ネットワークに相当する
情報量を持つ記憶演算装置(AI)と
つないで機能するか・・・
という実験を
サルでしているという。

これが成功すれば、
両方の脳の情報が、
完全に外付けデバイスに
コピーしてバックアップがとれ、
それは生体の個人が死んでも
保存されるという。

そして、
その完全な脳は、
ディープラーニング系の
AI将棋ソフトどうしが
回線を通じて休みなく対戦して
進化を極めているのと同じく、
本人の死後も
その「意識」と定義される情報を
脳という有機物の記憶演算装置なしで
進化させる事ができるという。

つまり、
意識はイモータル(不死/immortal)
なものとなり得る、
というのである。

それが、
早ければ10年、
遅くとも100年内には
実現化できるようである。















雲吞

2022-06-09 07:48:00 | 食物・飲物
オフ日のきのう、
初めての皮膚科に行ってみた。

行き付けの近所の先生は
人格者でいい人なのだが、
なにせ1時間待ちが当たり前で、
しかも待合室が狭くて
三密状態なので、
どうしても敬遠してしまう。

きのうの皮膚科は、
ガラガラで
受け付けてしてから5分で
診てもらえた。

カミさんが言う通り、
ボソボソと早口で
アイコンタクトせずに説明する
爺様先生だった。

背中の痒みは
この時季よくある「湿疹」で、
汗疹(あせも)と同じだという。

風呂でナイロン手ぬぐいで
ゴシゴシやると悪化するので、
布タオルに替えたほうがいい
と言われて、さっそくそうした。





院外処方の明細を見るたびに、
いつも「服薬管理指導料」なるものが
取られているのが、二重払いのような
気がしてならない。

薬剤師が
型どおりの症状を聴いて、
クスリの効能を説明するだけで
590円である。

そして、
薬価が170円なのに、
保湿剤と合成副腎皮質ホルモン剤を
混ぜて容器に入れるだけの作業に
800円も取られている。

なんだか、
「薬剤師」や薬局スタッフの
人件費を払ってるようで
どうも腑に落ちない制度である。







給料日だったので、
カミさんに毎月わたす
生活費をおろしてきた。

そしたら、
全部「新券」だったので、
思わず、扇状に開いて
懐かしい「白鳥麗子」みたいに
パタパタ扇いでみた。

新券特有の
独特の香気が漂い
いい匂いだなぁ・・・と、
思った(笑)。

日本人が
あまり投資や投機に
精を出さないのは、
「お札(さつ)」=「お札(ふだ)」
という無意識的な宗教観が
根底にあるからではないか、
という考察がある。

また、日本の造幣技術は
世界一の水準なので、
そこに職人芸の「たましい」が宿り
たんなる「紙きれ」ではない
何か美的なもの
精神性のようなものを
感じているのではないか、
とも言われている。

「kindle」よりも紙製の本、
「ビットコイン」よりもお札、
という昭和人間は
まだまだ多いように思われる。








きのうの
"ぼっちランチ"は
『グリエ・ド・ポール』
(豚肉のグリル)。

1.5㎝くらいの厚さで、
250gほどあったので、
さすがに一食では
カロリーオーバーになるので、
半分はスライスして
夕餉のワンタンメンの
チャーシューとした。









屋台でスープを飲んでいた中国人が
丼の中に空の雲が映り、
それを呑んでみたい・・・
というので
「雲吞(ワンタン)」
というのをこしらえ上げた
というエピソードがある。

なるほど、
あのピラピラとした
食感は雲を呑んでいるとも
言えなくもない(笑)。

てなわけで、
ワンタンを作ってみた。

餃子の皮と違っているのは、
潅水(かんすい)が入っているので、
ラーメンと同じ黄色味を帯びている。

してみれば、
平ったい麺の一種ともいえよう。



デッド・ワイン

2022-06-02 05:53:00 | 食物・飲物
春先からの
寒暖差や気圧差の影響で、
自律神経失調症が続いており、
喘息、鬱も併発している。

なので、オフ日には
もっぱら不活発になって
伏していることが多い。

一日の気温差が7℃以上あると
自律神経が失調しやすい
という報告もあるが、
連日そのような状況である。

きょうも朝方は
ストーヴが要るほど肌寒く、
日中は27℃の予報である。

ウィキペディアによれば、
『気象病(meteoropathy)』
という概念が
近年認知されつつあるという。

自分でも、
それに当てはまりそうな
多彩な症状がある。

頭痛、気分の落ち込み、鬱、
めまい、喘息、オシリ痛、
肩こり、指関節炎、蕁麻疹、
吐き気・・・などなど。

昔っから、
「天気が悪いと古傷がうずく」
というのはよく言われたことである。

自分も、
大学1年の頃にやった
盲腸の手術痕が、
それから数年は
天気の悪い日には
疼いたものである。

気象病の発生機序は、
内耳の気圧センサーの信号により
自律神経系が交感神経優位となり、
それがストレス刺激となって
様々な疾患のメカニズムを惹起する
という考えがある。

また、気圧の低下により
人体の押される力が減り、
血管が拡張しやすくなるのが原因
とする説もある。

日本では梅雨に起きやすいという。

対処法としては、
規則正しい生活や十分な睡眠、
正しい食生活などであるが、
体力が落ちてたり
持病があったり
HSP(敏感質)であると
より発症しやすいようである。





先日は、
米沢の上杉神社で
おみくじをひいてみた。

真っ先に
「病気」の欄に眼をやると
「長引くが完治する」
とのことであった。

オシリ痛は三年越し、
鬱は20年来、
喘息再発は三年前から・・・である。

いずれも、
完治は諦めて
「従病(しょうびょう)」主義で
いこうか・・・と、
思い替えしていたが、
老い先短い余生だが、
希望は捨てない方が
いいのかもしれない。







長引くコロナ禍の影響は、
幼児の保育現場でも
深刻なようである。

乳幼児心理学でも、
親や保育者の表情が
読み取れないと、
乳幼児は「不安」になる
という研究は昔からある。

とくに、ケアテイカーの
口角が上がる「笑顔」は
いちばん大事なメッセージで、
「安心感・安全感・大丈夫感」を
醸成するものである。

戦国時代に残った
貴重な資料として、
敵方の乳幼児を殺さずに
座敷牢で能面をつけた保育者が
いっさい言葉をかけずに
育てた記録がある。

その子は十代になっても
能面のような表情で、
ほとんど白痴状態で
短命だったという。

この事からも、
言葉かけと
豊かな表情が
子どもたちの情緒と
知能の発展に関与してる事が解る。






私的七連休中なので、
きのうは、また、
二本松郊外に移転した
『万SAI堂』に行って、
マンガ・ハンティングをしてきた。

ここには、
レトロ・コーナーがあり、
昭和の頃の懐かしくも
古めかしいものが
「150円」であるから
昭和オヤジには嬉しくもある。

きのうも
8冊ばかり買ってきた。

『宗像教授シリーズ』の
星野 之宣の79年頃の作品は
なかなかに面白く読めた。







『万SAI堂』の洋酒コーナーでは
「品質は保証しません」
というワゴンセールで
50円/100円/300円で
三本買ってみた。

どれか一つでも
ヴィンテージ物として
熟成していて飲めれば
儲けもんと馬券を買うような
射幸心が湧いた(笑)。

79年の『シャトーメルシャン』は、
白ワインがほぼ琥珀化しており、
見るからに酢のようだった。

46年物のヴィンテージの
ワインヴィネガーである(笑)。

ところが、
キャップシールを剥がしたら、
コルクの上側に黒カビが発生しており、
それだけなら良かったが、
ソムリエ・ナイフのスクリューを
挿し込もうとしたら
コルクが緩んでおり
瓶内に落下してしまった。

これでは、オジャンである(笑)。

仕方なく、
ちょいとだけで
舐めてみて味を聞いてみたら、
やはり酸っぱくて
アルコール分が感じられなかった。

続いては、
『刑事コロンボ』の名作
『別れのワイン』にも登場した
有名な『モンテフィアスコーネ』の
2004年物を開封してみた。

なんと、こちらは
コルク資源枯渇への対応が
始まった頃の瓶詰なので
合成樹脂だったので、
きれいにスッポリ抜けてくれた。

だが、やっぱり、これも、
アルコール分が飛んで、
粘性のないシャバシャバ状態の
酢になっていた。

それでも、
ワイン・ヴィネガーとしては
ドレッシングに
深みを与えてくれるかもしれない。

もう一本は
地元の酒造で創った
「日本酒+チョコレート」
という際物で(笑)、
これもちょいとだけ
酸味があったが、
ディジェスティフ(食後酒)としては
やれるかも・・・と、
ワイン用冷蔵庫に保管した。

やはり、
グラン・ヴァンでない並酒は
長期保存には向かない
という当たり前の事を
再認識するに終わった。









スーパーに
"ハシリ"のトウモロコシが出たので、
どうせ味がないだろうと
試しにやってみたが、
やっぱし、そーだった(笑)。

わかってりゃ、
試さなきゃいいのに・・・
それはそれ、
好奇心は人を唆(そそのか)す
ものなのである(笑)。











晩には、
カミさんに
高価だった馬肉を用いた
本物の『タルタル・ステーキ』を
ふるまった。

韃靼(ダッタン)人が食した、
ということから
『タルタル/Tartare』という
フランス語になったというが、
『Tartare de bœuf』
(牛肉のタルタル・ステーキ)
というのが、フレンチでは多い。














お菓子がいっぱい・・・

2022-05-17 06:07:00 | 食物・飲物
おとついの
アンムクライ会では、
『ふくの季』での
デジュネ(ランチ)の後は、
土湯温泉に赴いて
温泉街散策となった。




五月の新緑の借景には
残雪を残す安達太良高原が
望まれた。








川沿いで
野点(のだて)のような
趣向をやろうと、
三段滝前の小橋の下を
くぐり抜けた。

アンちゃんが、
自撮りモードで
滝をバックに撮影したら、
我もわれも・・・と、
みんな、交代で
自撮りをした(笑)。








メンバー三人から
それぞれ菓子折りを頂戴し、
カミさんと
夕食後の甘味として
美味しく頂いた。

今週いっぱいは
お菓子に不足することは
なさそうである(笑)。

アンちゃんは、
自宅の庭に実った
サクランボを持ってきてくれたが、
我が家と同様に
葉巻病に罹ってるらしいが、
それでもキレイになって
収穫できたようだ。

『ふくの季』のシェフからは、
フレーズ(苺)の
自家製コンフィチュール(ジャム)を
お土産に頂いた。












お寺の大黒さん(奥さん)の
ムクちゃんからは、
檀家の方? から頂いたという
短冊を「使わないので・・・」
というので、一箱(50枚)
持って来て下すった。

中に、「小売価格100円」
というシールまで入っていて、
50枚だと五千円分にもなる。

去年の例会で、
自宅の書室を披露し、
描き溜めてあった
表装前の作品のいくつかを
三人にお土産に差し上げたので、
それで、思い出して短冊を
持って来てくれたのだろう。

してみりゃ、
なんでも、自慢したり、
作品類を差し上げてみるもんである(笑)。

現マイブームの
『リュート・マラソン』が
ひと段落したら、
この50枚もの短冊を使い切るべく、
また、書の稽古と
「藪本 積穗」流俳画の復習を
しようかと思っている。

まさしく、
アフォーダンス理論のように
「物」が「人」に働きかけて
行動を起こさせてくれるようである。







二連勝で
防衛「王手」となった
ソーちゃんの叡王戦。

棋戦のライヴ観戦で
好きなシーンがいくつかあるが、
中でも、対局開始の折、
一座を共にする全員が
「総礼」する場面である。

これは、
茶の湯にも通ずる作法で、
儀式ばってはいるが、
決して形骸的なものでなく、
そこに心が籠っている事が
察して取れる。

対局者どうしが、
最初に駒を並べる時も、
上手の叡王側が
まず一礼してから
みずからの「王将」を手にとり
パチリと盤に並べ始めるのである。

そして、
勝敗が決した後でも、
勝者は勝ち誇らず
敗者に惻隠の情を持ち、
敗者は感情を肚に抑えて
毅然と振る舞う。

叡王が盤上の駒を
一つ一つ丁寧に仕覆に納め、
駒箱に片付ると、
盤の中央に置き、
「ありがとうございました」
と互礼をする。

すべての棋士たちが、
奨励会という
厳しい戦いの合間に、
駒磨き、盤磨き、
対局場の設営、
師匠、先輩への敬意という
修行を経ているので、
無思想な会社や組織とは
異なる精神世界でもあるのである。

いってみれば、
「将棋道」という、
日本古来の伝承技芸の
「道」でもある。

このような
ジャポネスクを持たず、
ミスるたんびに
ラケットを叩きつけるような
錦織や大阪ナオミが
好きになれないのは
当然至極である。

イチローや松井だって、
自らのグローブやバットを
どれだけ丁寧に扱い、
グランドに入る時に一礼するなど、
しっかりジャポネスクをもった
見事なアスリートである。