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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『贖罪』1

2022-11-07 08:57:12 | 創作

 

『3・11』では、有史以来、未曾有の超巨大津波が来襲した。

 それに呑み込まれて命を落とした方々が二万人もおられる。

 私の親友も津波に呑まれ、30mもある巨大な渦に巻き込まれながらも、浮いていたトラックにつかまって「九死に一生」を得た。

 しかし、その彼も当然ながら、その後PTSD(心的外傷ストレス症候群)に罹り、フラッシュ・バックに苦しんだ。

 私は、心理カウンセラーとして、震災当時、18ケ所の避難所にヴォランティアとして出向いた。

 その際、首まで津波に浸かったという女子高生とも言葉を交わした。

 彼女もフラッシュ・バックに苦しんでいた。

 

 本作は、知人から又聞きした、ある津波被災者の話をモチーフにした。

 津波から奇跡的に助かった被災者には、その奇跡の数だけ、様々な苦しみを抱えていることを、この実話で知らさせた。

 それゆえに、安易に

「よかったですねぇ…」

 との、お慰めをすることが出来ないのものであることを知らしめされた。

 

 2030年±5年には、『西日本大震災』の発生確率が高いと専門家は警鐘を鳴らしている今日、『東日本大震災』の体験者として、フィクション化したノベライズでもって、「震災への備え」として頂ければ、幸甚である。

 

 1 

 
 郊外のショッピング・モール内にある、およそ病院には見えないネイル・サロンのような瀟洒なメンタル・クリニックに、圭子が初めて予約を入れたのは一週間前であった。

「田川さ~ん」
 という、女医の呼び声が、待合室に通ると、緊張した面持ちの圭子の耳はピクリと反応した。

「は、はい…」
 圭子は固くなった体に弾みをつけるかのように立ち上がった。
 瞬間、バッグが床に転がった。やはり、体はまだ緊張していたようである。

 診察室の入り口まで歩み寄ると、中には優しげな表情の中年の先生が、こちらを向いて笑みを浮かべていた。

「お願いします…」
 恐々(こわごわ)と丸椅子に腰掛けると
「どうされましたかぁ?」
 と、女医が問診をはじめた。

「はい…」
 と返事したものの、何をどこから話してよいやら、圭子は混乱した。
 それで、いささかぶっきら棒に
「眠れないんです。
 近頃、全然…」
 と説明した。

「何か、ストレスを感じるようなことが在りましたか?」
 圭子は、一瞬、体を強張らせて、訊かれるだろうと覚悟していたその問いかけに、返事をするかわりに、ボロボロッ…と、雪崩のような涙をこぼした。
 それを察して
「大変なことがお有りだったんですね…」
 と女医は言葉をかけた。 

 圭子は、コクンと小首を折ると、バッグからおもむろにハンカチを出して涙を拭った。

「ゆっくりで、いいですから、断片的にでもいいですので、何処からでも、お話しやすい処から、言葉にしてみませんか…」
 と女医は、カウンセラーのような口調で、優しく圭子に促した。

 

           


震災短編『太平洋ひとり』最終話

2022-11-06 09:33:17 | 創作

 

 眠り姫は、傍目には、気持ちよさげに海面に浮いていた。

 それは、高濃度塩水の死海で、仰向けに浮きながら本を読んでいる、あの奇態な姿のようにも見えた。

 

 意識を消失した里奈には、もう冷たさも痛さも孤独感も感じはしなかった。

 それは、彼女にとっても、高台で娘の無事を祈り続けていた母親にとっても、不幸中の幸いであったのかもしれない。

 

 里奈の体は、しだいに、オレンジ色の屋根の突端から離れだし、自ら海流に乗り始めた。

 その姿は、少しばかり閉じた「大」の字に近かったが、仰向けのままを維持していたことは、まだ生存への微かな可能性を残していた。これがうつ伏せになったら溺れて一巻の終わりである。

 今、この瞬間に、海からでも空からでも、何者かに発見されて、保温処置を受ければ、蘇生の可能性があった。

 だが、タイムリミットの砂時計は、ほんのわずかな残量しかなかった。

 

 閉じていた目蓋が微かに動いた。

 里奈の体は、失神後に、ノンレム睡眠を経ずに、入眠期レム睡眠に入ったようである。

 この時、多くの人は「入眠時幻覚」や「睡眠麻痺(金縛り)」を体験するものである。

 幸いなことに、彼女は、「幻覚」を見ることになった。

 

 天空にポッカリと浮いている自分がいた。

 体はヒンヤリしていたが、決して不快ではなかった。

 なんだかとても懐かしい気分に包まれていた。

 そう…。母親の胎内にいたときは、こんな感じだったのかも知れない。

 

 いくらか終末エンドルフィンが分泌されつつあった。

 脳内モルヒネは、確実に苦痛と恐れとを除去してくれていた。

 

 三月十一日

 午後五時四十六分

 高村 里奈の心肺は停止した。

 

 広い大海原は、すでに闇の中に没していた。

 暗い波間を、潮の流れに乗って、里奈はひとり、何処までもどこまでも、流れていった。

 

 

        

 

 

 


震災短編『太平洋ひとり』12

2022-11-05 08:10:33 | 創作

 

 人が必死の状況に陥った時、定型的な心的状況の経過を見る、ということを《タナトロジー(死生学)》の権威エリザベス・キューブラー・ロスが提唱している。
 それは、ロスの名著『死ぬ瞬間』によれば…

【否認】
 自分が死ぬことを認めたくない。それは嘘事であって現実事ではないと思う段階。
【怒り】
 なぜ自分が死ななければならないのか、という怒りを感じる段階。

【取引】
 神様に、助けてくれたら何でもする、と取引を試みる段階。
【抑うつ】
 精神運動が停止する段階。
【受容】
 間もなく自分が死ぬという現実を受け容れる段階。 

 もっとも、ロスは、必ずしも全ての人が、このような経過を辿るわけではないとも述べている。

 そういえば、里奈も、ある程度それらに似た心理を抱いてきた。
 今や、短時間で「抑うつ」と「受容」に達しようとしていたが…。
 冷点と痛点という二つの感覚点を激しく刺激されて、その身体的苦痛は今、極限に達していた。それはまさに気も遠くなりそうな苦痛だった。
 それでも、この少女は“考える葦(あし)”で在り続けていた。
 感覚と思考はヒトの別なる機能である。

(こんど…
 うまれかわったら…
 なにしよう…)
 里奈は輪廻転生後の人生に思いを馳せた。

(また…
 とうさん、かあさんの…
 こどもに、うまれてきたい…
 そうたとも、きょうだいで…)
 それは、現世と何も変わらなかった。

 そして…
(ゆうくんと…
 けっこん…して…
 あか・・ちゃん…)
 …と、夢見たところで、意識が途切れた。
 

 彼女が待ち焦がれていた睡魔と失神が混ぜ合わさったような瞬間が〝葦の考え〟を遮断した。
 体温だけでなく、心拍・血圧・呼吸数といったヴァイタル・サインも徐々に下降しつつあった。 

 体の機能低下に伴って、意識が先に消失するのは、神の恩寵なのかもしれない。
 無神論者なら、進化の産物と嘯くかもしれないが。
 兎も角も、これ以上、里奈は苦痛を意識することがなかった。
 しかし、巷間言われていたようなパノラマ現象や幽体離脱、ユーフォリア(多幸感)を体験する間もなかった。
 
 しだいに、緩やかな筋硬直が始まりつつあった。
 意識があればこそ、決して平坦ではない海面に突き出た屋根の突端にバランスよく仰向けになっていることができたが、居眠りしながら自転車に乗れない原理で、その肢体はズルッと滑り出した。
 スローモーション・フィルムのように里奈の体は、音もなくヌプリと海面に浮遊した。
「リケジョ(理系女子)」お手製の浮力装置は、たしかに機能していた。
 
 依然として、何処からも、誰からも、何の救助も得られはしなかった。
 番(つがい)のカモメのみが、ほんの一時、哀れな漂流者を物珍しそうに眺めて去っただけであった。

 

     


震災短編『太平洋ひとり』11

2022-11-04 08:11:51 | 創作

 

 カモメと思しき海鳥が番(つがい)なのか、二羽揃って、里奈の真上のほんの数メートルの処まで、フワリフワリと気流に揺れながら舞い降りてきた。
 里奈はじっとしたまま、薄目の上下に狭い視界でそれを眺めていた。

(おいで…。ここへ…)
 ひとりぼっちの洋上で、それはかけがえのない生きた友であった。

(やすんで…いいよ…)
 カモメの黒い目に里奈はこころのなかで訴えかけた。

 コーコー…と、二羽のカモメは鳴くばかりで、この洋上の不可思議な生き物に好奇心で近づいて、夫婦で「何だろうこれ?」とでも言い合っているようだった。 

 久しぶりに生き物の温もりとその息に触れたかのような気がして、里奈はほんのちょっとだけ安堵した。
 やがて、カモメは力強く二、三度羽ばたくと上昇気流にスイと乗り、彼女を置き去りにしたまま彼方へと飛び去った。

(いいなぁ…鳥は…)
 この時ばかりは、同じ恒温動物でありながら、羽を持たないヒト科の自分を恨めしく思った。 

「If … I were a bird…, I would fly …to you…」
 里奈は、漂流の身となって、初めて声に出してみた。潮水を飲んだため、その声は老婆のように嗄れていた。
 受験で覚えた仮定法の構文は、この洋上の孤独な詩人には、ぴったりくるシチュエーションだった。

(翔んできたい…)
 その行き先は、母の待つあの高台であり、彼の待つ都会であった。
 気力を振り絞って、里奈はさらに、息も切れ切れに、吟詠した。

「Fly up …to the eternity …by the wings …of love…」
 嗄れ声で吟じ終えたとき、この瞬間に死ねたら、かっこいいのに…と、元JK(女子高生)らしい虚栄心がちらりと胸の内を過ぎった。
 それは、たしか…
《愛の翼に乗りて
 永久(とわ)へと
 旅立たん》
 という古典詩の一節だった。

 いつだったか、英語が得意だった親友の綾乃が、
「この〝the eternity〟って、『死』っていうメタファー(暗喩)じゃないのかなぁ…」
 と、何気なく言ったことを、里奈はふと思い出した。

(そうだよ…。
 あやの…
 あんたが… ただしいよぉ…) 

 親友の「えへん」と、誇らしげに微笑む顔が目蓋の裏に映った。
 里奈もほんのちょっとだけ口元が緩んだ。
 


 肢体の麻痺はそうとうに進行していた。痛みと痺れが混交して、まるで自分の体ではないようなストレンジな感覚であった。
 テニスの3セット・タイブレークで、フルに39ゲーム闘った時でさえ、こんなに疲労困憊ではなかった。筋肉痛ではあったが…。
 まさに、全身バラバラになりそうな極限の痛みと痺れに近かった。

(ねむりたい…)
 と里奈は願ったが。心地よい温もりなぞ何処にもない寒空と冷水に取り巻かれた環境であった。
 
 大海原での野垂れ死に…
 嫌な言葉である。 

 震災死…
 月並み。

 孤独死…
 いくらか詩的。

 溺死…
 単なる死因。

(はやく…死にたい…)
 里奈も、とうとう希死念慮に捕らわれた。 

 鋭い大鎌を持ったマンガチックな死神の姿こそ見えなかったが、今にも来そうで、なかなか来ない「己れの死」が恨めしくもあった。
 決して、望んで死にたいわけではない。だが、嫌でも死なざるを得ない状況なら、いっそのこと、さっさと済ませたかった。
 あの月ごとの面倒な日と同じように…。 

 まだ、流されて数時間しか経っていなかったが、心身共にそうとう参っていた。 
 殊に、体温低下は留めることが出来ず、危篤に陥る一、二歩前のきびしい状況だった。

 

        


震災短編『太平洋ひとり』10

2022-11-03 08:34:12 | 創作

 
 ハイポサーミア(低体温症)は、30℃を切ったあたりから、寒さの感覚や震えが消失し、意識混濁や幻覚が生じ、やがてコーマ(昏睡)へと至る。
 個人差はあるものの、雪崩に巻き込まれても窒息さえしなければ、数時間は延命していることがある。 

 小雪がちらつく三月の海で、全身濡れ鼠になった里奈の体温は気化熱によってもどんどん奪われていった。
 海難事故で救助された者が、誰もが毛布に巻かれるのは、この体温保持を図るためなのである。

 里奈はまだ口元がカチカチ振るえていた。
 それは体の振動によって体温を上げようという生体のホメオスタシス(恒常性維持)作用によるものである。

 数分おきに波を被り、小雪混じりの寒風に晒されては、さすがに十代の健康体といえども、しだいにその体力を奪われていくのは必定であった。
 元来、冷え性の里奈は、逸早く、指先に痺れを感じ始めた。
 それは、日常生活ではついぞ体験したことのない痺れであった。

(とうとう…きたな…)
 と思った。 

 きっと、その痺れが、ジワジワと中心をめがけるように登ってきて、やがては全身に広がり、そして脳に達した時に失神するのだろ…と、おぼろげな意識で悟った。
 
 極寒は、痛覚も刺激するもので、真夏にカキ氷やアイスキャンディーを大量に頬張ったときに、よくおでこに痛みが生ずるときがあろう。
 氷と水の入ったボールに塩を投入し、凝固点降下を起こさせると、0℃を下回る氷点下温度になる。そこへ手を浸してみれば、常人ならば、ものの数秒で冷たさ変じて痛みになるはずである。
 これは、熱さも過ぎれば痛くなるのと同じことである。すべての感覚の極点は痛覚に通ずるのである。

 里奈の肢体もしだいに痛覚が疼きはじめていた。それは、風邪で節々が痛んだ経験とは異なるはじめての体感であった。苦痛といってもよかった。

(早く…失神させて…) 

 彼女はアンコントローラブルな状態に陥った自分の肢体を見放し、脳にそう願った。
 意識さえ消失すれば、あとは楽に逝けるはずであった。
 それでも、里奈の苦痛は極限までは未だ達していなかった。それが証拠に、脳内麻薬であるエンドルフィンが分泌されてはいなかった。

 人間、瀕死の状態に陥ると、自らの体を外から見る幽体離脱現象やユーフォリア(多幸感)が生じる、ということを世界中の臨死体験者が報告している。
 そして、側頭葉にある〈シルヴィウス裂〉という脳の溝に電気的刺激を与えると、それと同様の現象が起こることを、1933年にワイルダー・ペンフィールドという脳神経外科医が発見した。
 それが、脳内麻薬のエンドルフィンとどう相関関係があるのかは未だ明らかにはなっていないが、いずれにせよ、蘇生した臨死体験者は、人間には死ぬほどの苦痛に瀕した場合、何らかの生化学的、電気生理学的な回避装置がありそうだ、ということを述懐している。

 たしかに、年寄りの誰もが、病身になると、眠りながらそのまま逝けたらいい、という安楽な自然死を望むものである。

 人の死に際には、もう一つ、神話的なエピソードがある。それは、個人の一生分を瞬時に振り返る〈パノラマ現象〉が起こることがある、というものである。
 これもまた、臨死体験者の証言だが、自分の数十年の生涯を、まるで早送り映像を見るかのように、または、自らが再体験するかのような経験をしたというのである。

 里奈には未だ、そのどれもが起きてはいなかった。