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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『贖罪』13

2022-11-19 09:20:53 | 創作

  
 抗うつ剤と安定剤、眠剤によって、体調は大分に回復してきた。

 両親が揃っている実家での休養の日々も、うつの改善には理想的な環境であった。 

 両親は、娘の〈こころの病〉については大いに心配し、あれやこれや余計な励ましをせずに、じっと見守る賢明さを持ち合わせていた。
 そんな家族の支えもあって、圭子は自ら「罪」と感じる事に、勇気を振り絞って対峙することが出来た。

  

 魘(うな)されて目を覚ますと、両足に老婆にしがみ付かれたような痺れたような感覚が再生された。 

 執拗な夢でのフラッシュバックに圭子は憔悴する思いがした。 

 事実、鬱を患ってから、5㎏も体重が落ちた。

 彼女は、思った。
 せめて、あのお婆さんが誰なのか分かったら、後日、墓前でお詫びも出来るものを…と。

 でも、祈るだけなら、我が家の仏壇に向かって、仏様に許しを請うて、お婆さんの魂にお詫びをすることだって出来るはずだ…と、気が付いた。 

 そして、朝晩、仏壇に線香を焚いて、圭子は自分流のお祈りを日課にするようになった。

 両親は、娘の親しい誰かが亡くなられてのお勤めだと解していた。

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 


震災短編『贖罪』12

2022-11-18 09:22:03 | 創作

 

 初診から六週目に、ようやく、女医は患者をトラウマと対峙させるべく、院内の心理師にサイコ・セラピー(心理療法)を任せた。 

 圭子は、いよいよその時が来た、と腹を括った。

「こんにちは。
 カウンセラーの高梨です」
 と、優しげな目をした初老の男性が挨拶した。

「はじめまして。
 よろしくお願いします…」
 と、圭子は、カウンセラーの醸しだす仄暖かなオーラを感じとって、いくらか安心した。

「ドクターからメモを拝見いたしました。
 ずいぶんお辛い体験をなさいましたね…」
 いきなり核心から迫られてきた。

「えぇ…」
 とは言ったものの、やはり、二の句が出ずにいた。

(泣いてもいいんだ…)
 と、圭子は、自制のサイド・ブレーキを外すことにした。 

 すると、苦もなく涙があふれた。

 カウンセラーもまた、その涙が溢れるにまかせ、すぐには問い質すことはしなかった。 

 哀しく辛い出来事を、カウンセリング室という自由にして護られた空間で、再体験して、その感情を十分に味わうことがグリーフワークの第一歩でもあった。 

 それは、習熟したカウンセラーによって、安全感・安心感・大丈夫感を提供された場でこそ出来る「こころ」と「たましい」の治療でもある。


 高梨は、ひとしきり、涙が出切るのを待って、
「ご自身を責めておられるんですね…」
 という言葉をかけてみた。

 クライエントは、鼻水を啜(すす)りながらコクリと頷いた。 

 

       


震災短編『贖罪』11

2022-11-17 08:42:55 | 創作

 

 初診から一月ほど経ち、ようやく安眠がコンスタントにとれるようになり、食欲もぼちぼち出てきはじめた。 

 ただ、ナイトメア(悪夢)とフラッシュバックには、しばしば悩まされた。 

 あの老婆の断末魔の顔。目。そして木っ端のように流されていく様。それが、何度も何度も、圭子の脳裏に浮かんでは消えるのだった。

 良心の呵責。
 自責の念。 

 その二つが、彼女を際限なく攻め立てた。

 場合によっては、自分もあの場で死んでしまった方が良かったのか…。
 その方が、こんなに苦しまずに楽だったかもしれない…とも思った。

 それは、大災害時に頻出する「サバイバーズ・ギルト(生存者の罪悪感)」でもあった。

 時間が解決するより仕方がなかった。 

 しかし、その間、心身の平衡を崩さないように、クスリとカウンセリングのサポートが必要であった。  

 そして、あの非道な自らの振る舞いは、守秘義務のまもられる相手でなくば、とてもカミングアウト出来るものではなかった。

 

       

 

 

 

 


震災短編『贖罪』10

2022-11-16 07:56:46 | 創作

 

 女医は、圭子から渡された一枚の紙片に目をやると、素早くその文字に目を走らせた。
 そして、読み終えるや、しばし、絶句した…。

 これは、患者は、大変な自責観念に捉われているだろう、ということが容易に想像がついた。

「ありがとうございます…。
 これを書かれるのは、大変だったでしょう…」 

 女医が患者の目の奥を見透かすように語ると、その目は潤み、やがて大粒の涙が幾重にもあふれ出た。

「お辛いでしょうね…」
 という言葉かけに、患者は黙って首を折った。 

 女医は、クスリによっての不眠と食欲の改善、抑うつ感、悲哀感の軽減を待つことにした。

「田川さん。
 この事については、お体の調子が整ってから、お話し合いしましょうね」
 そう、言って、パソコンに向き合うと、女医はカチャカチャとキーボードを叩いて、何事かを打ち込んだ。  

 圭子は、また2週間分の薬を処方され、帰途についた。

 道々、どこかホッとしたような軽い安堵の気分を感じていた。 

 それは、あのメモを元に、あれこれ訊かれでもしていたら、とてもじゃないが、冷静に応えられるどころか、パニックに陥ってどうなってしまったか、想像だにつかなかった。
 しかし、いつかは、あの出来事と真正面に向き合わねばならないことは、どこかで覚悟をしていた。

 

       

 

 

 


震災短編『贖罪』9

2022-11-15 08:27:30 | 創作

 

 抗うつ剤であるパキシルが効いてくるには、個人差もあるが、だいたい四週から六週を要するものである。
 その間、抑うつ症状は、抗うつ作用のある安定剤ソラナックスが役立ってくれる。

 パキシルには、副作用として吐き気を伴うことがあるが、圭子は幸いにしてそれは免れた。

 彼女の抑うつの病態は、BDI(ベック式抑うつ評価尺度)によれば、軽度から中等度にレイティングされた。
 まだ、うつ特有の希死念慮(自殺願望)までは生じていなかった。

 しかし、人間、不眠が続き、セロトニンの代謝不全が高じると、うつは重篤化し、この恐ろしい希死念慮に取り憑かれる。
 それによって、自殺する人は年間、一万人以上はいるだろう。
 うつ病が侮れないのは、希死念慮があるからなのである。

 だが、いかなパキシルのような特効薬的なSSRI(選択的セロトニン再吸収阻害剤)をもってしても、抑うつ症状は軽減・改善されても、圭子の受けたトラウマ(心的外傷)の類はサイコセラピー(心理療法)の援用がなくば、容易に払拭できるものではなかった。
 いわば、薬物療法と心理療法は車の両輪といっていいだろう。

 圭子は、血の涙を流しながら、事の顛末を手書きした。