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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

怪談『夏が来れば想いだす』

2022-08-15 07:41:54 | 創作

 私が大学3年になるとき、明治の頃から百年以上も市街地にあったキャンパスが二駅も離れた郊外の山中に移転した。
 今思えば、広々とした真新しい近代的キャンパスで大学の半分を送れたのだから、それはラッキーだったのかもしれない。
 キャンパス周囲はすべて緑にかこまれていたのは言うまでもないが、モダンな建物の合間には、かつての原生林を小さな林にして箱庭のように添景として残されていた。
 中でも、ひときわ巨大な建物の図書館前には、それに見合うほどの広大な林があった。
 そして、その林の中には、今もって三体の石の地蔵がひっそりと手つかずのまま安置されている。
 私は4年生のとき、ギター部の部長となった。
 

 梅雨時のある晩。
 コンパの二次会から分散して4年のタカちゃんという女の子のアパートに三次会まで残った私を含めて七人が入り乱れてあがりこんだ時のことだ。
 ふだんは寡黙な2年のWが、何かに怯えるような口ぶりで私に言った。
「ねぇ・・・Sさん。
 俺、もしかすっと、死ぬかもしれません・・・」
 突然のただならぬ物言いに酔ってゲラゲラ笑い合っていた者たちも
「エッ?」

 と一瞬、驚いたようにWの顔をのぞきこんだ。

 そして、ひょうきんな3年のYが眠そうな目で、からかうように
「おまえ、酔ってんだろ・・・」
 と言った。
 Wは頭に「馬鹿」がつくほどの真面目な男だったので、Yでなくともそう言いたくなる気はした。
 私は頬の片側だけ笑ってみせてその先を促した。
「知ってますかSさん?
 図書館の林んなかにあるお地蔵さんを・・・」
「エッ?」
 私は移転して間もない広大なキャンパス内の隅から隅までは、とても知り得てはいなかった。
「あるのか? そんなん・・・」
「ええ・・・」
 Wは真顔で言った。
「三体の石地蔵なんです・・・」
 

 時計の針は1時をまわっていた。
 Yは酔いも加わってマナコ半眼となりコックリしかけてはまたフッと正気に返ったりしていた。
「それがどうしたんだ?」
 私が訊いた。
 Wは言葉をどこかの虚空からたぐり出すかのようにポツリぽつりと語りだした。
「俺と同じ学部で、タメの二人がいたんですけど・・・。
 いい年こいて、林んなかを探検しようということになって、偶然に、お地蔵さんを見つけたんです」
「ふーん・・・。で?」
「ほんで、一人が、たまたまカメラ持ってたんで、お地蔵さんを入れてフザケた写真を何枚か撮ったんです」
「どんな?」
 Wはちょっと気まずそうな表情を見せた。
「いろいろと、悪ふざけして・・・
 お地蔵さんをいじりまわすような・・・」
「ああ・・・なるほど」
「先月、新聞にF大生がバイクで事故った、っていう記事が載ったでしょ・・・」
「ああ、知ってる。
 たしか2年子だろ・・・死んだの」
「はい・・・」
 Wはほんの少し間をあけてから、吐き出すように言った。
「あいつが写真撮ったんです・・・」
「ほぉ・・・。そうなんだ・・・」
  

 聞き耳を立てていた副部長のI子がヒザをのり出してきてWの眼をのぞきこんで言った。
「それで?」
 私もつづけて訊いた。
「んで、どーした?」
「・・・・・・」
 話が不自然にフツリと切れた。
「それで、どーしたのよ?」
 I子がせっつくように訊いた。
「こないだ、もうひとりのタメが、夜中に急に苦しみ出して・・・。
 寮から救急車で医大に運ばれたんですけど、次の日に、劇症肝炎とかいうので死んだんです・・・」
「エ~ッ!? 知らないわよ~! そんなの・・・。
聞いてないわよ・・・」
 I子がマジに驚いたふうだった。

「ウソじゃないですよ・・・」
 Wの眼がキラリと光ったので、真面目なこの男が我々酔っぱらいをかついでいるとも思えなかった。
「新聞なんかには出ませんでしたから・・・」
「ホントかよぉ・・・」
 コックリコックリやりながらも束の間、正気に戻ったYが酔った口調でツッコミを入れた。
 Wはすかさず部屋の片隅におとなしく座っていた1年生で寮生のT郎に眼線をやった。
「なッ・・・。
 こないだ、あいつの部屋で寮葬やったよな・・・」
 物静かで気の弱そうなT郎は半泣きのような笑みを浮かべてコクンとうなずいた。
「マジなんだ・・・」
 I子はすこしばかり蒼ざめた顔でYと私の顔を交互に見比べた。

「そんで、おまえ、何ビビッてるんだ?!」
 私はズバリ訊いてみた。
 解ってはいたことであるが・・・。
「だって・・・」
 酔いの力を借りるかのようにWは本音を吐き出した。
「次は、俺かもしれないじゃないですか・・・」
 部屋なかには七人もいたのに一瞬、シンと静まりかえった。
 もはや眠気がすっかり吹っ飛んだようなYが座をとり繕うとして

「おめぇ、考え過ぎだって・・・。
 そりゃ、偶然だろうよ!
 偶然だって・・・」
 と言ったが、それは嫌な気分を自ら打ち消したいようにも見えた。
 Wの眼は猛獣に狙われた小鹿のように怯えていた。
 タカちゃんとI子、私の4年生3人組は、なんだか重苦しい気分になって、いたたまれなかった。
 心理学科のタカちゃんが訊いた。
「W君さぁ・・・。
 そのお地蔵さんと二人が死んだのって、何らかの因果関係があると思い込んでるの?」
 Wは返事するかわりに潤んだ眼でうなずいた。
 

 その時だった。
 それまで黙っていたもう一人の1年子のM香が口を開いた。
「あの・・・。
 わたし、地元の小学校だったんで、聞いたことあるんです」
「何をッ?」
 Yがちょっとイラついたような口調で切りかえしたのでM香は遠慮がちに済まなそうに話した。
「今、キャンパスのあるあたりは、昔、刑場だったんで、罪人がおおぜい首を刎ねられたらしいんです・・・。
 死んだお爺ちゃんから聞いたんですけど・・・」
「うん・・・。それでッ?」
 Yは引きつった笑いをムリに作って唇を噛んで乱暴に訊いた。
「それで・・・。
 今、駅になってるあたりの戸矢村の人たちが死んだ罪人たちが村に祟るのを恐れて、慰霊のためにって、安政の頃に、三体のお地蔵さんを奉ったらしいんです・・・」
「・・・・・・」
 突然のM香の因縁話に誰もが言葉を失った。

「知ってた?」
 I子がWの顔を伺いながら尋ねると、彼はプルプルと小刻みに頭を振った。
「あれ、首切り地蔵・・・って、言うんです」
 M香のその一言で、蒸し暑かった部屋の空気がいっぺんに下った。
 私も思わず背中がゾクリとした。
 しばらくして、Wがうなだれてしまっているのに気づいた。

「大丈夫だって!・・・

 Wさぁ・・・。話はハナシだって・・・」 

 と私は何だかちっともワケのわからない慰めを言っていた。
 タカちゃんもすかさずフォローを入れてくれた。
「もう・・・。M香のおバカ・・・。
 先輩ビビらして、どーすんのよ!」
 とわざと明るく言った。
 1年子のM香は4年のお局様にそうたしなめられると素直にショボンとなった。
 でも、誰もがM香がウソ話をしたとは思ってはいなかった。

 それから1週間ほどして、大学は夏休みに入った。
 市街から離れた山あいにあるキャンパスは夏休みで子どもがいなくなった学校のようにさみしくひっそりとしていた。
 私はまだ日の高い夕方の5時頃に、ひとっ風呂浴びると無精ヒゲを剃って就活用に買った薄地のリクルートスーツをピシリと着込んだ。
 幸い家人は誰も帰っていなかったので、そのような奇行を問い質すものもいなかった。
 私は愛車のクーパーミニの助手席に愛器のサントス・エルナンデスを乗せると市街に向かう帰宅ラッシュの車とは逆行して郊外の大学キャンパスに向かった。
 それは、あのコンパの翌日から決行しようと密かに心に決めていたことだった。

 図書館裏の駐車場にミニをとめ、黒いギターケースをひっぱり出すと、私は、ムンッ! ・・・と、ひとつ自分に気合を入れてみた。
 そう・・・。
 これから向かうのは、あの林のなか・・・。
 M香の言った「首切り地蔵」の処だった。
 

 夏の夕方は明るいとはいえ、昼でも仄暗い林のなかは、あの一連の話を聞いてからは決して快いものではなかった。
 それは、怖がりのやつなら絶対ありえない行動かもしれない。
 いくら理系の自分でも、神も仏も、悪霊も祟りも100%否定しているワケではなかった。
 だから、まったく気味悪くないといえばウソになるだろう。
 

 でも、なぜだろう・・・。
 自分を行動に押し出すモティヴェーションはいったい何処から来るものなのか見当がつかなかった。
 今でこそ、すこしは解る気がしている。
 

 そう・・・。
 あの時のWの生きた心地がしないような生気のない哀れな顔が、先輩として、部長として、あまりにも不憫だったのであろう。
 それはちょうど映画『デッドマン・ウォーキング』での処刑前の死刑囚を間近に見たような教誨師のような心境だったかもしれない。
 私の姿は、例えるなら『エクソシスト』に出てくる悪魔祓いのメリン神父のようだったかもしれない。
 黒装束でこそなかったが・・・。

 首切り地蔵はすぐに見つかった。
 誰が巻いたのか、赤いヨダレかけをしていた。
 そして、花が手向けられていて、線香の燃えカスがあった。
 地元の古老たちが未だに信仰しているのかしらんと私は訝しく思った。
 

 とりあえず、ケースを下ろすとギターを取り出した。
 お地蔵様から少し離れたところに大きめの自然石をみつけた。
 それは腰を下ろして演奏するにはおあつらえ向きの大きさだった。
 私は、三体のお地蔵様の前に襟を正して進むと、直立して深々と礼をした。
「このたびは、わたくしの不詳の後輩めが大変なご無礼をいたしまして、まことに申し訳ございませんでした。
 さぞや、ご機感を損ねられた事でございましょうが、何も存知ませぬ凡夫の振る舞いゆえ、なにとぞお許しいただけますよう心よりお願い奉ります。
 つましては、彼らに成り代わりまして御霊(みたま)様への慰霊演奏をさせていただきますので、どうぞお聞き届け下さり、みこころ穏やかになられますよう重ねてお願い申し上げます・・・」
 と、こんなようなことを言った。
 そして、石に腰を下ろすと眼を閉じて、子どもの頃から数千回は弾き続けてきただろう『アルハンブラの想い出』という名曲を渾身の想いを込めて演奏した。
 時間にして5分ほどであったろうか。
 再度、三体のお地蔵様に対して深々と一礼して、くれぐれもWをお許しを・・・と乞うた。
 私は不思議と清々しい気分でキャンパスを後にした。

 それから、9月に入ってのある日。
 休み明けの学食で、私はクラスメイトのE子ちゃんに呼び止められた。
「あら、S君。久しぶり。元気だった?」
「おお・・・」
「ずいぶん前だけど、夏休みに入ってすぐだったけど、わたし見たのよS君のこと・・・」
「エッ? どこでー?」
「あのさぁ・・・。
 なんか、おかしな処でギター弾いてたでしょ・・・。
 わたしさぁ、ちょうど図書館の2階の奥の閉架庫にいたのね。
 そんで、たまたま窓の下見たら、偶然、S君が林んなかにいるじゃない。
 何してんだろー、あの人? あんなとこで? って、思ったの・・・。
 しかも、まわりにさ、盆踊りでもないのに仮装行列みたいな白いゆかたみたいな着物きた人がウロウロしててさ・・・。
 なんだか、おかしな光景だったわよ・・・」
 

 私は、ドキンとして、とったばかりのトレイをおっことしそうになった。
「まわりに誰がいたって?・・・」
「さぁ?・・・。
 なんだったの?
 あの人たち・・・。
 グルッとS君のまわり取り巻いてたけど・・・」
「白いゆかた? 着物みたいな?」
「うん・・・。顔んところに白い布つけて・・・」
「何人も?」
「そうよ・・・」
 それは時代劇や劇画で見る罪人の死に装束そのものだった。
 私は半袖から出てた腕全部に鳥肌が走った。

 

      

          

 あれから数十年も経つが、Wは今も生きている・・・。

 

 

 

*

 

 

 

 


怪談『バイクの老人』

2022-08-13 08:12:38 | 創作

 大学1年のときのこと。

 バイトが夜の十時ごろに終わり、私はアパートに帰ろうと、いつものようにバイクで一杯森の前にさしかかった。
 そこは慈照寺というお寺とお墓があり、鬱蒼とした木々が茂る小高い丘で、外灯ひとつなかった。
 そんな真っ暗い夜道をヘッドライトを頼りに走っていると、ひとりのお爺さんがヨロヨロと何やら風呂敷包みをもって歩いてきた。


(こんな遅く、どうしたんだろう・・・)
 と、私はちょっと怪訝に思った。

 そして、お爺さんのすぐわきにバイクをつけて、
「どちらまで行かれるんですか?
 よかったら乗っけて行きましょうか?・・・」
 と申し出てみた。
 

 お爺さんは、
「ああ・・・。すみませんねぇ・・・。
 親戚の葬式だったもんで・・・。
 駅まで行くとこなんですわ・・・」
 と言うので、私は
「じゃ、駅までお送りしますから、どうぞ後ろに乗って下さい・・・」
 と再度申し出た。

「ああ、そうですか・・・。
 それじゃ、お言葉に甘えて、そうさせてもらいますかね。
 すみませんねぇ・・・」
 そう言うと、お爺さんはバイクの後部席にゆっくりとまたがった。
「しっかりつかまっていて下さいね。
 落ちないように・・・」
 そう注意して、私はそろりとバイクを発進させた。

 

     
 

 ゆっくりとバイクを走らせながら私は
「どちらからおいでになったんですか?」
 と尋ねてみた。
 お爺さんは低い声で
「二本松からですわ・・・」
 とゆったりした調子で応えた。
「ああ・・・。そうすると終電ですね・・・」
「はい・・・」
 そんなやりとりの後はしばらく無言のままバイクを走らせた。

 5分ほどして
「どなたがお亡くなりだったんですか?」
 と少々立ち入ったことを訊いてみた。
「・・・・・・」
 すると、即答がなかった。
 私は余計なことを訊いたことに少し後悔して
「すみません。

 プライベートなことをお訊きして・・・」
 と詫びた。

 それに対しても何の返答もなかったので、星を見て

「明日もお天気よさそうですね・・・」
 と他愛もない話題に振り替えた。

 それでもウンともスンともなかった。

(葬式で疲れて、ウトウトしてるのかな・・・)

 と、ふと振り返ってみると、お爺さんの姿がない。

(ウソッ!)
 私は一瞬、キツネにでも騙された気分になった。
 そして、
(エーッ!
 ひょっとして途中、落っことしたのか!)
 とドキリとしてバイクをUターンさせた。
 

 しかし、行けども行けども、お爺さんの姿は見あたらなかった。
 その道を三度ほど行ったり来たりしてみたが、
その晩、とうとうお爺さんを夜道に見つけることは出来なかった。
 私は仕方なく、後ろめたい気分を抱えながらも帰途につき、その晩はなかなか寝つけなかった。

 翌日、事故らしきニュースは何もなかったので、ひとまず私は安心した。

 そして、次の晩だった。
 また、バイトが遅くなり、十一時ちかくに仕事を終えてバイクで帰ると、真っ暗な一杯森にさしかかった。
(ああ・・・。
 ゆうべ、お爺さんをここで乗せたんだっけ・・・)
 と私はふと思い浮かべた。
 

 その時だ・・・
 

 トントンと右肩をたたかれ
「ここで、おろしてくれ・・・」
 という声がした。

 

 

*

 

 

 

 

 

 

 

 

 


怪談『案山子』

2022-08-12 08:23:53 | 創作

 大谷村の外れに、その男が棲みついたのは、一年も前のことである。

 何処から流れてきたのか、その素性を知るものはいなかった。

 しかしながら、どうも、一癖のある凶状持ちのようであった。

 

 男は、腰が落ちつくや否や、集落から離れた小高い傾斜地を勝手に耕し、自給自足用の猫の額ほどの田畑をこしらえ上げた。

 そこは村の共有地とあって、それを見咎めた古老が男に掛け合うも、頑として聞く耳を持たず、そればかりか、逆に、鍬(くわ)でもって脅かしにかかったという。

 寄り合いでその事が尋常じゃないと、庄屋はじめ世話役一同は、村に何事か起こる前に、束になって力づくで、おっ放り出そう、と相談がまとまった。

 

 その強制執行が行われようとした当日の朝。

 村のあちこちで、悲鳴とも嘆息ともつかぬ声があがった。

「おめんとこもか?・・・

 おらんとこもだ・・・」

 と、村人は顔を見合わせると、怒りとも悲しみともつかぬ顔で、ぐちゃぐちゃになった畑の作物を恨めしそうに見下ろしていた。

 獣害だった。

 それも、一匹や二匹という生易しい数ではなく、まるで、山中の獣の大群が押し寄せたかのような惨憺たる有り様だった。

「こんだな事は、はぁ、見たこともねえべな・・・」

 と、百姓一筋に生きてきた古老たちも、その惨状を目にして、何か得体の知れない禍々しさを感じた。

 

 突然の惨劇に、男の放逐決議は一旦棚上げにされ、害獣駆除が喫緊の死活問題となった。

 庄屋は、隣村に棲むマタギ衆に掛け合い、米一俵で、七日の間、山狩りと害獣の駆除を依頼した。

 

       

 

 マタギ衆は一種独特のいで立ちをした山の狩人である。

 村の百姓たちとは明らかに風貌も異なり、どこか獣に同化したような野性味があった。

 その主なる武器は、熊でも猪でも、たちどころに貫いてしまう「タテ」と呼ぶ長い柄を持つ槍であった。

「コナガイ」というのは、イタヤの木で作られた長く大きな櫂(かい)のようなヘラで、これは主にカモシカなどを撲殺するのに用いられた。

 

 マタギ衆は、七日七晩というもの、それぞれが山野に散って、獣を駆るに精を出した。

 その結果は、村の若者衆たちも獲物を山から引き上げるのに駆り出され、熊五頭、猪十頭、カモシカ三頭、他に食料にはならず山に放擲したという猿が十数匹…と、たいした仕事ぶりであった。

 それぞれの獣は彼らによって解体され、「熊の胆」はクスリとなり、毛皮は鞣(なめ)して、けっこうな金になった。

 猪肉は「山くじら」として村人たちに精の出る「喰い薬」として鍋で振る舞われた。

 

 マタギ衆のおかげで、しばらく、村の作物は安泰であった。

 ところが、しばらく日を置くと、また、あちら、こちらと食害が始まった。

 そればかりか、長雨によって、ふだんは穏やかな川が氾濫し、村の半分ほどの田畑が水没し、壊滅的な被害を被った。

 

 再び寄り合いがもたれ、獣害に天災と【泣きっ面に蜂】で、どうしたものか…と、喧々諤々なされたが、もはやマタギ衆に頼む米一俵の供出はままならず、それどころか、下手をすれば、村人から餓死者を出しかねなかった。

 これといった打開策もなく、一同が疲れ果てた頃、ひとりの古老が

「こうも凶事が続くんは、村に邪(よこしま)なものが入り込んだから、村の気を乱したんでねぇか…」

 と呟いた。

 並み居る一同は互いに目を見合わせると、それぞれに黙考するように眉をひそめた。

 そして、思い当たるのは、風来坊の凶状持ちであった。

 度重なる獣害やら天災に惑わされ、彼奴(きゃつ)の放逐をすっかり忘れていたのである。

 

 そう。

 あいつは、おまんまに入った砂粒なんだ…と、その場に居合わせた誰の心にも、凶状持ちに対する怨嗟の念が焔(ほむら)のように立ち熾(おこ)った。

 

 悪いことはたて続けに起こるものである。

【踏んだり蹴ったり】とは、その事をさす。

 

 今度は、水の引いた後、日照りが数日か続き、なんと、どこからともなくウンカが湧いて出て、水害を免れた田んぼの稲が全滅したのだった。

 どの田にも、害虫対策に菜種油を撒いていたはずなのに…。

 

 その頃、ウンカの大発生により、飢饉が起こり、百万もの餓死者が出たことがあった。

 こればかりは、人の力では如何ともしがたく、十六世紀初め頃は、「虫送り」という儀式が執り行われ、害虫の退散や鎮静を村社会で神仏に祈ったのである。

 その後、一部の知恵者の発案で、油を水面に注ぎ、その油膜で虫を包んで動けないようにし、かつ、体側にある気門を塞いで窒息させるという「注油駆除」法が広く農村に広まった。

 しかし、これは、村社会という共同体が漏れなく一斉にやらないと意味がない。

 ある田んぼだけ、それをやらずに、それが元で害虫が発生したら、村全体の死活問題となるのである。

 

「奴の田んぼだッ‼」

 と、目を血走らせたのが村長(むらおさ)だった。

 やり処のない憤怒の念は、またたく間に村人の間に感染し、それらのクラスターは更なる集団ヒステリーとなり、それこそ《人間ウンカ》と化した村人たちは、手に鎌や鋤(すき)、包丁を携え、男の棲む小屋へと雪崩(なだれ)打った。

 多勢に無勢で、いかな無頼漢でも、鋭い鋤・鎌を持った剛腕の百姓に取り囲まれては堪忍するよりなかった。

 あっけなく、取り押さえられると、男は雁字搦(がんじがら)めに引っ括くられ、猿轡(さるぐつわ)まで噛まされた。

 猫の額ほどの男の田畑は、怒りに我を忘れた村人たちに踏み荒らされ、ほんとうに油を撒かなかったのか…という検証すらなされなかった。

 

 男は、棒っ杭を十字に縛ったものにイエス・キリストのように結わえ付けられた。

 猿轡のまんま、頭には、獣の皮を縫い付けてこしらえた袋が被され、声を上げることもできなかった。

 それでも、時折、くぐもった獣のような呻きを発した。

 

 それは磔刑であると同時に、【贄】(にえ)でもあった。

 天の気、地の気を鎮めるための供物なのである。

 

 男は逃げられぬようにと、苦痛を与える刑罰の目的で、村の衆の憎しみを引き受けた木挽きによって、股下から両足を鋸(のこぎり)で切断された。

 苦痛にもがいたのも数分たらずで、大量の出血により、男は身もだえながら、ほどなく絶命した。

 それから、七日七晩、棒っ杭に十字に結わえられた男は、半身がなく、奇妙な姿で、泥田の真ん中に放置された。

 血の臭いに引かれてか、山から下りてきた野犬たちが、いくらか傷口に噛り付いたようだったが、次第に腐臭が漂い始めると、彼らも次第に寄ってこなくなった。

 そして、村人たちも、その悪臭に閉口して、そのまんま、油を襤褸(ぼろ)になった着物に浸み込ませて火をつけた。

 たちどころに黒煙があがり、腐ったカラダは燃えても尚、悪臭と異臭をあたりに漂わせた。

 ことに、爪や髪の毛が焦げて漂う臭いは、嘔吐を催すほど堪らないものだった。

 

 男は、骨となっても、埋葬されることもなく晒されていた。

 その後、どうしたことか、村に害獣の起こることはとんとなくなった。

 そして、害獣を退けたのは、人間の爪や髪の毛の焦げた異臭・悪臭を獣たちが嫌ったからだ、と言い出すものがいた。

 

 それからというもの、村では、散髪した髪や、切った爪を捨てずに取りおいて、年に一度、十字架に結わえた上半身のみの襤褸人形の足元で、それを焚いて獣払いの儀をする慣わしとなった。

 あの男を焼いて「嗅がし」たのが奏功したので、その儀式は「かがし」と呼ばれた。

 そして、いつしか、それは「かかし」という風習となった。

 

   

 

 

 

*

 

 

 

 

 

 

 

 

 


怪談『仕返し』

2022-08-11 08:09:54 | 創作

 梅雨明けの七月末。

 線状降水帯の発生によりゲリラ豪雨が局地を襲撃した。

 奥平ケ原では山林が崩落し、凄まじい土石流となって温泉街の街を直撃した。

 その映像をスマホに記録されたのが、何度もニュースで放映されたが、見るものを震撼させるような恐ろしい激流であった。

 甚大な被害が生じ、遺体で発見された方々は、五十数名を超えた。

 国土交通省より調査班が出され、人工的な盛り土が災害につながった可能性がある、という報告書が当局に提出された。

 それは、かつて違法廃棄が何年にも亘ってなされてきた山林であったのだ。

 当時、それに関わったというという会社関係者は、早々と雲隠れし、マスコミはじめ当局も、その尻尾を捕らえることが出来ずにいた。

 自衛隊の捜索活動が連日つづくなか、禍々しいニュースが飛び込んできた。

 なんと、避難所となった地区の公民館で、自宅が全壊した七家族の二十一人全員が、朝方になって、刺殺体で発見されたのである。

 その常軌を逸した猟奇的殺人事件に、被害を免れた人たちも震え上がった。

 誰が?  何のために?

 どんな意味があるの科?

 動機はなんなのか?・・・

 疑問や憶測や、果ては、オカルト紛いの噂話まで実(まこと)しやかにネット上に入り乱れた。

 人災的な土砂崩れだけでも、人々に怒りと不条理感を招来したのに、その上、得体のしれない大量殺人事件まで併発するとは・・・。

 コロナ禍に喘ぐ全国民が、我が事のように、この凶事は不快を通り超して絶望的な気分に陥(おとしい)れられた。

 十九人もの犠牲者を出した「やまゆり」事件。

 三十六人もの犠牲者を出した「京アニ」事件。

 平成の末期から令和の初めにかけて、猟奇的な大量殺人事件が起こったが、今回の二十一人もの犠牲者も、それらに匹敵する犯罪であった。

 しかも、今回は、犯人はまだ特定もされておらず、捕まってもいない。

 なので、近隣住民の不安は最大級で、コロナ禍以上に、外出を憚られる凶事となった。

 *

 泥流にまみれた崩落地帯は、捜索が難航した。

 幾日目かに、重機を操る隊員が、妙な形をした石像を掘り起こした。

 流水で洗浄してみると、それは顔がすり減った地蔵様のように見えないでもなかった。

 とりあえず、信仰の対象となったであろう何らかの遺物なので、捨ておくわけにもいかず、丁寧に取り扱って、きちんと元あっただろう姿に立ておいた。

 奥平ケ原の一体は、江戸期には農村であって、土地の古老によれば、山間によくある閉鎖的な一集落であったという。

 古地図にも、「奥乃平」という地名が記載されている。

 そして、当時の村人の構成やら、暮らしぶりは今も山腹にある古刹に古文書や過去帳として残されていた。

 *

 その異変に最初に気づいたのは、県警捜査班の警部補だった。

 真っ先に、館内の防犯カメラ映像はチェックされたが、残念ながら、そこに手がかりはなく、次いで、町内の数箇所に設置されていたカメラの映像を精査していた時のことである。

 ひと通り当夜の様子を通常スピードで再生しても、何の気配も見いだせなかったが、1/2速度で再現してみると、ある時間帯に、奇妙な影がほんの一瞬だけ映っていたのだった。

 それは、例えていえば、フラッシュを浴びた被写体が背後に見せるような瞬時の影であった。

 だが、それが何なのかは、特定できなかった。

 警部補は、他の場所での近い時間帯ではどうだろうと、1/2速度からさらにスピードをコマ送りに落として見ていた時である。

 あっと驚くことに、その一コマが現れた。

 だが、今度は、そのフォルムが最初のものとは微妙に異なっていた。

 警部補は、根気よく、他所のビデオ映像も精査した。

 すると、ある時間帯から、微妙にずれながら、格子模様の影のような物が移動しているように見えたのである。

 そう。それは、ちょうど、小学生の頃、ノートの端っこに描いたパラパラ漫画のアニメを彷彿させるような動きに見えないこともなかった。

 彼は、それらの映像をキャプチュアして、PC上でつなぎ合わせてみた。

 時系列では、何の意味も見いだせなかったが、それらをジグソーパズルのピースに見立てて、あれこれ、同一平面上につなぎ合わせてみた。 

 その画像編集に熱中して、気が付くと深夜の0時を過ぎていた。

 捜査員たちはみな帰宅し、AVルームに残る彼と、夜勤番の巡査長のみとなって署内は森閑としていた。

「なんだこりゃ・・・」

 かれは、何度目かのつなぎ合わせ作業で、偶然に浮かび出来上がったひと塊りの影の形に、背筋がゾッとした。

    

       

 

 それは、まるで、人の形をしていた。

 四肢が認められ、頭部らしきものもある。

 しかも、その右手には何やら器物を携えていた。

 映像を拡大し、シャープネス処理してみると、なんと、それは、草刈り鎌のようなものであった。

「凶器か⁈」

 と警官らしく瞬時に脳裏をよぎるものがあった。

 まだ、何者かも判らぬ、あやふやなる影である。

 しかも、わずか5ケ所で記録された5つの影をパズルのようにつなぎ合わせたものである。

 そんなものに、何の証拠能力があるというのだ。

 それでも、彼は、犯行が行われただろう時間帯に、怪しい凶器を携えた人物像を探り当てたのである。

 しかし、その捜査過程、映像解析過程、画像処理過程をなんと上司に相談したものだろう・・・。

 ただの偶然のゴーストと一笑に付されかねない。

 そこで、彼は、日頃、飲み友達でもある署内の被害者支援員として採用された同世代カウンセラーの裕子にこの事を打ち明けてみた。

 彼女とは、飲み屋でクダラナイ話でも何でも語り合える気の置けない間柄であった。

 

「山ちゃん。これ、ヤバイよ・・・」

 と、スマホに落とした画像を見るなり、裕子は固まった。

「・・・・・・」

「画像処理のプロセスは兎も角・・・。

 なんだか、この人物から、殺意が伝わってくるもん・・・」

 ビールを呷(あお)りながらも、裕子の視線はスマホの男? から離れなかった。

「なんだろうね? こいつは、いったい・・・」

「うーん。なんだか、この世の者ではなさげな感じだねぇ・・・」

 さらりと裕子が言うのに、警部補の彼は、無意識に眉が寄るのにも気付かずにいた。

「バケモンっていうこと?」

「うん。少なくも、ポケモンじゃあないね(笑)」

 と、裕子は平気で冗談をかました。

 *

 警部補のたっての頼みで、裕子は彼の調査に同道することになった。

 そこは、崩落を免れた、山腹にあるあの古刹であった。

 寺には過去帳の他、江戸時代まで遡るさまざまな古文書も納められて代々保管されていた。

 ふたりは兎も角、手当たり次第に、宗門人別改帳やら過去帳一切を広げて、雑魚でもいいから投網に入ってくれよ、というような頼りない気持ちでそれらに目を通した。

 持参したコンビニ弁当を4つほど空にした頃だろうか、裕子が、村で起こったとある事件について記されていた数行を発見した。

「山ちゃん。これ・・・」

 と言って手渡されると、焼けた奉書紙にうねった行書体の筆字で書かれた箇所だった。

 

 要約すると・・・

 庄屋の娘「お糸」なる者が失踪し、数日後に、村はずれの水車小屋で、辱しめを受けた姿で遺体が見つかった。

 下手人はすぐに上がり、それは村に放浪してきた廃屋の炭焼き小屋に居ついた若者だったという。

 男は、お上に引き渡されることなく、村人の私刑によって殺害され、無縁仏として寺に葬られた。

 ところが、その後になって、娘に恋慕した村の百姓の倅(せがれ)が、かどわかして凶行に及んだことが明るみになり、村人たちは、怒り狂って私刑にした男の霊を供養したとあった。

 そして、その祟りを恐れて、陰陽(おんみょう)者によって封印塚の石碑を建てたという。

 

 警部補の頭の中で、禍々しい場面が展開した。

 怒りに冷静さを失った庄屋が、村の衆を焚きつけて、怪しいと睨んだ炭焼き小屋の男を、有無も言わさずに、娘の仇とばかり、殺害したのだろう。

 男は、身に覚えのあるはずもなく、

「わしゃ、知らん。

 わしゃ、何もしとらん。

 わしやない・・・」

 と、弁明したかもしれない。

 しかし、復讐の炎は、村人が冷静に分別することを許さず、恐らくは、農民道具の鎌か何かで殺害されたのだろう。

 ひょっとすると、首を跳ねられたのやもしれぬ。

 そして、無縁仏の墓所に・・・。

 そこまで想像すると、警部補はブルッと身震いした。

 あの崩落で、封印塚が崩れたんだ・・・。

 そして、時代を経て・・・

 

「山ちゃん。顔が青いよ」

 と裕子に声かけられて、彼はハッと我に返った。

 そして、言った。

「そんな事って、あるだろうか・・・」

「・・・・・・」

 警部補は、時空を超えた己れの荒唐無稽とも思える推理を飲み友達に聞かせてみた。

「さぁ・・・。どうだろう・・・

 でも、なぜ、あの七家族なんだろう・・・」

 警部補は、もし自分の勘が当たっていれば・・・という前置きをして

「手を下した者の末裔・・・

 っていうのは?・・・」

 と言って、裕子の顔を見た。

 裕子は、彼の視線をはずすと、しばし、遠くへ視線をやり、やがて向き直って、二度三度、ちいさく頷いた。

 彼の推理の正誤は、目の前に散乱する過去帳を辿っていけばいいだけだった。

 しかし、ふたりは、それを確かめることをやめにした。

 なぜなら、間違いなく被害者たちの家々に行き着くだろう、ということを、確信したからである。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

 


怪談『華厳の女』

2022-08-10 09:22:32 | 創作

 日光『華厳の滝』は、その雄大壮麗さで、日本一の滝とも賞されるものだが、また、自殺の名所としても名高い。
 この場合、英語で言えば、「フェイマス」ではなく、「ノトーリアス」(悪名高い)のほうが相応しいだろう。
 
 明治の頃。
 旧制一高の学生・藤村 操(16歳)が、投身自殺したことは、その現場に残した遺書『巌頭之感』によって当時の学生・マスコミ・知識人に波紋を広げた。

 巌頭に立つに及んで、
 胸中何等の不安あるなし。
 始めて知る、大なる悲觀は、大なる樂觀に一致するを。

 ・・・と、今も、傍らの木にそれは書かれて残っている。

         

 私も、幼い頃、家族旅行で日光に赴いた際、「いろは坂」で悲鳴をあげ、「東照宮」で息を呑み、そして、エレベーターで降りた「華厳の滝」の不気味さは、今もしっかりと記憶に残っている。
 事前に、両親に"自殺の名所"という事も聞かされていたので、エレベーターで仄暗い「観瀑台(かんばくだい)」に着いたときは、あたかも、地獄の一丁目に着いたかのような恐怖感すらあった。

 そして、先日、50年ぶりに、思い付きで、ふとその観瀑台に、また立ってみたくなった。
 人生の節目である「還暦」を過ぎて、いささか、現生での暮らしに疲れもし、いささか、厭世観を感じての事なのかもしれなかった。
 あるいは、既に、両親は亡く、子どもたちも自立して、ふと自分の人生を顧みたくなったのかもしれない。
 
 老後の趣味にと、退職金の一部を張り込んで、やや分不相応な高級一眼レフカメラを新調したばかりだった。
 デシタル仕様のそれは、オートフォーカスは無論のこと、オートズーム、連写も動画も思いのままである。

 夏の終わりとはいえ、まだ暑さを肌に感じる頃だが、観瀑台まで降りると、さすがに、瀑布のミスト効果で涼しく、いや、肌寒く感じるほどだった。
 
 私は、半世紀も前に、両親と兄とここに佇んだことを、しきりに思い浮かべようとしたが、いくら待っても、その映像はついぞ浮かんではこなかった。
 

            
 中禅寺湖の淵からこぼれ、大音声で岩にぶつかり飛び散る瀑布の飛沫を眺めていると、老境にかかる自分も、いずれ、砕けて散る水塊の如しだなぁ・・・と、思わないでもなかった。

 幾枚か、パシャパシャと、気の赴くままに、レンズを向けてはシャッターを切った。
 そして、滝壺周辺に小さく湧いた虹には、ズームをかけた。
 
 落下する轟音を聞きながら、水の流れを下から上へと逆にファインダー越しにパンした時である。
 頂上の木立に何やら人影のようなものが見て取れた。
 私は、一瞬、幼い頃、亡父から教えられた藤村 操のエピソードが脳裏を過ぎった。
 
 ズームをかけると、まぎれもなく、それは人だった。
 女だった。
 
 私は鼓動を激しくさせながら、キャリーバッグの中から小型の望遠レンズを取り出して装着した。
 素早く、標的を狙い、ズームをかけると、その表情が眼前に浮かびあがってきた。
 
 年頃、三十路近いだろうか・・・。
 その表情は、まるで、何かに憑りつかれたかのように、虚空の一点を凝視していた。
 そして、その歩みは、確実に瀑布の虎口にむかっていた。

(こりゃ、やるな…)
 と、不穏な気分に襲われた。

 女は、流れ落ちる瀑布の岩場の最前線まで、歩み寄ると、その視線を滝壺へと落としていた。
 そして、次の瞬間。
 ゆらりと頭が前に突き出たかと思うと、そのまま、真っ逆さまに、木偶(でく)人形のように落下した。
 
 ファインダーをのぞきながら、いつの間にか、自分は女の最後の「生」を記録するかのように「連写モード」のシャッターを切っていた。
 
 カシャカシャ、カシャカシャ、カシャカシャ・・・。
 
 高性能カメラは無機的な音を立てながら、事の結末までを追った。
 女は、滝壺ではなく、その脇の岩場を目指し、頭っから突っ込んだ。
 
 人が、目の前で、落下死、転落死するのを、私は生まれて初めて目撃した。
 それは、まるで、望遠レンズのファインダーを通して、ヴァーチャル映像を見ているかのようでさえあった。
 
 本来、私が真っ先にすべきことは、警察への通報であったのだろうが、私は目の前の大ハプニングを撮る卑しい"一野次馬"に成り下がっていた。
 巌の真上から、真下の巌までの時間は3秒ほどだったろう。
 
 望遠レンズ超しには、さすがに、その衝撃音を拾うはずもなかった。
 しかし、幾多のハリウッド映画を見てきた世代には、その衝撃の効果音が、自ずと脳内で変換された・・・。
 
 ・・・ドッバーンッ!!
 ・・・ゴキリッ!!

 板飛び込み選手のように、頭部からの着地である。
 連写シャッターを離したときには、空を舞った木偶人形は、首から腕から脚から足首まで、ほとんど正常な付き方ではない、てんでバラバラな方向にむいた"壊れた"木偶人形に変わり果てた。
 そう。それは、文字通り、"いのち"を持たぬ木偶人形に似ていた。

 突如、良心のアラーム警報に、我に返り、私は、フィンダーから目を離すと、すかさず、「110」をタップした。
 もう、その修羅場からは、一刻も早く離れたい、という気分で胸に悪心を感じるほどだった。

 エレベーターが100m上昇して、地上に着き、その扉が開くと、私は、今見たばかりの「地獄めぐり」から、酷いヴァーチャル・リアリティから、ふだんの日常に解放された感覚におそわれた。
 でも、それは、幻想ではなく、れっきとしたファクトだった。

 *

 その晩、帰宅すると、私は、家内には、今日の出来事を一切語らず、書斎に籠もると、デジカメの「画像」再生を試みた。

 電子機器は、数時間前の惨事を刻銘に記録していた。
 1秒間に5枚の高速連写モードだったらしく、女が巌頭の地面からその足が離れ、ゆらりと虚空に舞い始め、長黒い髪をなびかせながら、落下する水流と並行に、頭部から真っ逆さまに落ちて行った。
 それらが、スティール(静止)画像で鮮明に映っていた。

 スマホの要領で、7インチの背面液晶モニター上を、私は厳粛な気持ちで、人差し指でゆっくりとスクロールしていった。
 そして・・・
 その激突の直前の一枚を見て、身が凍った。

 女は、たなびく黒髪の頭部をねじって、こちらを・・・
 いや、撮っている私の方を向いて、憎しみのこもった目で、にらんでいた。

 

 

 

 

*