
世の中には「縁起かつぎ」が、あんがい多いものだ。
かつての私もそうだった。
ローカル新聞の「今日の運勢」蘭に、かならず目を通してからでないと出社できなかった。
後年、その習慣が自分でも嫌になって全国紙に換えることにした。
***
私の同僚・山岸 豊和は「縁起かつぎ」を通り越して、ほとんど強迫神経症の領域といってよかった。
彼はあらゆることを気にし、それゆえの神経衰弱で、たえず胃を患っていた。
彼のクダラナイ自慢のひとつに心療内科の待合室で青年コミック誌と少年コミック誌をタダで三年も読んだというのがある。
こんな人物だから女子社員はモチロンのこと、男子社員からも、ほとんど相手にされなかった。
シャツの下から二番目のボタンのように、あってもなくてもいいような存在だったのだ。
そんな「河童の屁」のような、なんの魅力もない豊和は、私とは小中高と何の因果か、一緒の幼馴染みであった。
さりとて、この男に異性として惹かれたことは、一秒たりとてないが、悪縁というか、ワキガ臭のように、嫌でも自分にまとわりつくこの腐れ縁の男が、あっけなく事故で逝ってくれた時は
(ありがとう。トヨカス・・・)
と、つい内心よろこんでしまった。
口に出して
「いなくなってくれて、ホッとしたわね・・・」
と囁いた女子社員だっていたのだから、私なぞまだ、モラリストの部類だろう。
ちなみに、彼のアダ名は小ガッコ以来「トヨカス」である。
ひどい奴になると略して「カス」と呼んで、みんなでいじめていた。
この何でも気にする男で最高傑作だったのは、
『リング』というホラー映画をテレビで見たときだった。
劇中に出てくる「呪いのビデオ」を自分も見てしまったので(テレビ放映で)ほんとうに一週間後に貞子がテレビから出てくると思って(笑)、自分の部屋のテレビを捨てに行った、というから見事な馬鹿である。
『名探偵モンク』も似たようなキャラだが彼にはアスペ特有の超人的推理力があるがトヨカスは名前のとおりスカスカの「カス」なのだ。
***
こんなカスを、蛇蠍(だかつ)のごとく嫌っていたのが親友の祐子だった。
その卑屈な態度はもとより、猫背で、ガニ股で、奥目で、出ッ歯・・・という、救いがたいほど醜い容貌を、社内一美貌のユッコは、まるで人類ではないかのように見下げていた。
ある日。
カスが私の処にやってきて、コソコソと耳打ちをした。
「あのさ。オトちゃん。
ユーコさんの誕生日って知ってるかい?」
「なにッ? おまえ、ユッコの誕生日知って、どーすんだよ?」
「いや、別に・・・」
「てめぇ、変な色気だすんじゃねーぞ。
カスがぁ・・・」
私はつい、クソ男子社員につけられたアダ名どおり「オトコ女」の口調になってしまった。本名は乙葉なのに…(😿)。
カスは醜い顔をすこし赤らめた。
私は、親友の誕生日は、口が裂けても言わん! と、カスに、はっきり言ってやった。
カスはしょぼんとしながらも、自己憐憫のようなキショイ笑みを浮かべて去っていった。
(馬鹿タレッ! 分を識れッ!)
と、私は内心で毒突いた。
***
それから幾日かして給湯室にいた私の背後から、また、カスが声をかけてきた。
「オトちゃん。今いいかい?」
「なーにッ!?
また、ユーコちゃんのことぉーッ!」
私はわざと大声で言ってやった。
カスはシドロモドロになりあたりをキョロキョロ見まわした。
(ふん。この小心者!)
私は背後に立つカスを、忌まいましく感じながらも、せっせと二つのポットに水を入れていた。
「あのさ・・・。
ちょっと小耳に挟んだんだけど、ユーコさんのホロスコープを見た康夫君が言ってたんだ・・・」
「なによ? そのホロスコなんとか、って・・・」
私はお尻で問い返した。
「ああ・・・。それね、パソコンでやる星占いなんだよ」
「それが、どーしたのよ?」
「それはね、生まれた日と時間で占うんだ・・・」
「あんた、ユッコの誕生日、盗み聞きしたのね。ヤスから・・・」
「ちがうよッ! 聞いたんじゃないよ。聞こえたんだ・・・」
カスはチビなりに大げさな振舞いで否定した。
「それより、心配になって・・・」
「えーッ? いったい、何が心配なのよッ!
カスのあんたが・・・」
カスはいつもの卑屈な笑いを浮かべると、もやもやと言った。
「ユーコさん、1月9日の夕方の4時59分に生まれたんだって・・・」
(チッ・・・)
私は心ん中で舌打ちした。
反吐より汚い、と思っている男に、自分の誕生日を時間まで知られていることをユッコが知ったら、どーしよう、と思った。
「その誕生日の何が心配なのよッ!」
私の一言ひとことにはすべて怒気を孕んでいた。
カスは私の毒気に気押されたのか、恐るおそる自説を開陳しはじめた。
「あのですね・・・。
1月9日の4時59分はですね、語呂合わせでは『逝く時刻』となるんです。
占い者によっては『生き地獄』という人もいますが・・・」
「てめェ、いっぺん殺したろかぁーッ!」
私はトヨカスの首を本気で締めにかかった。
「ホゲホゲ・・・。ぐめんらはい・・・ぐめんなはい・・・」
奴の顔が十分に充血したところで乱暴に解いてやった。
157センチのオンナ男を、175センチのオトコ女が、締め落とすのはワケなかった。まして、私は柔道三段である。
「おまえ、腐った頭で、んなことばっかり考えてっから、いつまでたってもイジメられんだぞ。
いっぺん、脳ん中の水とりかえろッ!」
そう言っても、まだ腹のムシが収まんなかった。
両手に持った水入りポットの片っ方で、モジャモジャ頭をガキッと思い切りぶっ飛ばしてやったら、奴がかがみこんだので、ようやくスッキリした。
「このタコッ!!」
そう罵声をノータリンに浴びせて、私はオフィスにもどった。
総務課の窓際席では、ユッコが眉間にしわを寄せて、カチョカチョ…と、PCのキーを叩いていた。
それから数週間は何事もなかったが・・・
今日の昼休み、またまた、カスが声をかけてきた。
私が露骨にグイと睨みつけると、カスは女子中高生がやるような、複雑に折った手紙のメッセージを、だまって私の机におくと、ぴゅうと飛んで出ていった。
めっちゃ、うっとかったが、そいつをピラピラと開いてみた。
***********
オトちゃん。
しつこくてゴメン。
これが最後だと思ってどうか捨てないで読んでください。お願いします。
やっぱり祐子さんのことがどうしても気になって・・・。
こないだのこと、まだ祐子さんにはお知らせしてないと思いますが・・・。
こないだ言いたかったことは、僕の知っている霊能者の先生が、祐子さんの誕生日と時間をみて
「この人は車を運転しない方がいい。
そうでないと、命にかかわる事故に遭うかもしれない」
と言ったからなんです。
笑わないでくださいね。
この先生は、普段はふつうのサラリーマンなんだけど、透視能力があって、難病の人を何人も霊視で治したり、倒産しそうな会社をいくつも立て直したりして、今はまだマイナーな人なんだけど、「鎌田の生神様」って呼ばれてる人なんです。
その人がたまたま、母の知り合いでウチに遊びにきた時に、ちょっとした悪ふざけのつもりで
「この人は、どんな人と結婚するんですか?」
って、祐子さんの誕生日の数字だけ見せたんです。
そしたら、イキナリさっきの答えだったんで驚いたんです。
ほんとにバカみたいな話ですけど、オトちゃんも祐子さんの親友なら、どこか心に留めておいてもらいたくて、手紙を書きました。
ほんとに、気を悪くしたら、ゴメンね。
*********
なんだか、あまりにクダラナイ内容で、私は読んだことを後悔して、いささか脱力気分になった。
(馬鹿は死ななきゃ治らない、か・・・)
ホントにそう思った。
その手紙から一週間後、トヨカスは海沿いの国道で、酔っぱらい運転のダンプに正面衝突されて、あっけなく車ごとペチャンコになって死んだ。
トヨカスの訃報を会社で聞くと
(なんでぃ・・・。
おっ死んだのは、てめぇの方じゃん・・・。
バッカでぃ・・・)
と真っ先に思った。
そして、会社では何事もなく、ふた月が過ぎた一月九日の日曜日だった。
その晩は、ユッコの誕生パーティーが、小さなフレンチ・レストランを借り切ってやることになっていた。
ユッコは、夕方近く、わざわざ私んちに寄って、車で拾ってくれた。
「ねぇ、まだ時間があるから、ちょっと遠回りして、海でも見てから行かない?」
とユッコは言って、街外れの国道に向かった。
三十分ほど走ると、ちょうど日没で、オレンジ色の硝子の粉を一面に散らしたような眩い海を見ることができた。
「キレイね・・・。
なんだか、誰かに素敵な誕生日プレゼントをもらったみたい・・・」
ユッコはウットリしていた。
「そうね。
二十五年まえの今頃・・・。あんた、この世に出て来たのね・・・」
と私が言うと
「ひとをウンコか、貞子みたいに言わないでよ!」
と笑った。
車は郊外のレストランに向けて、海岸通りを走っていた。
窓を全部あけ放って、潮風を全身に浴びながら走るのは、爽快感そのものだった。
ふたりの髪が、疾駆するプジョーの車内で、サワサワとなびいていた。
次の瞬間。
対向車線を走っていた大型トレーラーが、中央分離帯からユラリと外れたかと思うと、プジョーの鼻先に突っ込んできた。
ドガーンッ!! ボゴンッ!! ※○×▲××× ・・・・・・
私が気がついた時は、すでにレスキュー隊が到着していて、つぶれた車内から二人を引っ張り出そうと、バーナーでボデイを焼き切る作業をしていた。
居眠り運転のトレーラーは、運転手側のドア近くに衝突したらしく、ユッコの体はメチャメチャになっていて、ほとんど人の形を成してなかった・・・。
私は顔面からおびただしい出血をしており、右手、右足は複雑骨折したようで、ブラブラ状態だった。それでもまだ、痛みを感じるだけの意識があった。
頭も動かせない状態で、目だけが、辛うじて動かせた。
私の膝の上に、ユッコの千切れた左手首が、ゴロンとのっていた。
金のブレスレット時計は、ガラス板が粉々に砕け散って、文字板が露出していた。
時間は4時59分で止まったままだった。
1月9日4時59分・・・。
カスが言っていた「逝く時刻」・・・
「生き地獄」・・・
私の動かない右の足元には、スピードメーターが転がっていた。
かすみがちな目に、トリップ・カウンターの数字が、見えた。
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それは、
「死にに行くよ・・・」
と読めた。
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