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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ニューイヤーコンサート

2021-01-27 07:03:00 | 音楽
きのうは
Y中のニューイヤーコンサートだったが、
生憎と、寝起きから頭痛に見舞われ、
まだ風邪の試練に晒されていた。

それでも、
ドタキャンした
クリスマス・コンサートの
リベンジをせねばならなかったので、
全身痛や倦怠感がなかったので、
頭痛薬とスポーツドリンクで
なんとか対症療法して出勤した。

到着早々、
養護の先生に
センサー体温計で測定してもらったら
36.2℃という
いたっての平熱(笑)。

そんでも、
午前中いっぱいは
あまり鎮痛剤が効かず
難儀した。





コンサートは
6校時目の音楽の授業に
当てられてたので、
給食後には、
強めのロキソニンに換えた。





糖質制限食餌療法も
週一の給食の時ばかりは
制限なしにしてるので、
焼きそばパンにして
モクモクと糖質を取った。







1年生の筝曲合奏には
伴奏パートとして参加した。

クリスマス・コンサートでは
猛練習したのに
風邪で参加できなかったので、
今回も再度さらい直して練習した。

結果は、
見事な五重奏になった。

ギター・ソロは、
毎度の『コーヒールンバ』だったが、
少し改変しようと、
カウンセリング室から見える
雪の山野の景色から
インスパイアされた
ファルセータ(即興旋律)を
8小節ほど採り入れ、
パコのルンバからも
4小節ばかり付け足して
『2021-YAMAKIYAバージョン』とした。

これも、
近年にない迫力の演奏になった。












古楽の楽しみ

2021-01-21 07:43:00 | 音楽
「オリンピックの中止プラン」
という話題が
ニュースに上がってくるようになった。

都知事と首相は、
頑として開催する、
と言い張ってはいるが、
いずれ、
「現況を鑑み・・・」
とならざるを得ないかもしれない。

五輪史上、唯一、
世界的感染症の蔓延で
開催されなかったとなれば、
それはそれで
「歴史に残る」
レジェンドになる事だろう。

そうであれば、
その為に確保していた予算を
開発途上国のワクチン費用として
援助してあげるのも
「活きた金の使い方」
ではなかろうか。

無論、幾らかは、
国内の飲食店や
企業支援に回してもいい。

***

中国共産党の
ウイグル族の弾圧で、
民族浄化の手段として
女性に強制不妊手術をさせている、
というのがアメリカの告発により
ジェノサイド(集団殺戮)と認定された。

考えるだに恐ろしく、
吐き気を催す
非人道的行為である。

コロナ禍の元凶として
世界を塗炭の苦しみに
晒しただけでなく、
今尚、ナチス時代のような
悪行をやっている国家は
まさに「偽悪醜邪」を地でゆく
悪魔国家である。

ナチ同様に、
民主・自由主義連合国により、
抹殺しないことには、
安心して暮らしていけない。

ナチが各国との協定を破り、
ポーランド侵攻をしたことが
切っ掛けでWWⅡの開戦となった。

歴史は繰り返されるで、
小競り合いから局地戦、
全面戦争へと事態が
悪化する可能性もあろう。

全人類にコロナ禍をもたらした
怨嗟の念が中国に向いたら、
「過冷却」現象のように
一枚の葉っぱが池に落ちた刺激で
全面が凍結するような
過激な反応が生じるかもしれない。

かの国の途上国への
「ワクチン」外交なぞという
政治的思惑も危ういもので、
その主効果やら副作用の
データ的エビデンスを開示せず、
しかも自国内で未承認のものを
提供しているのである。

やることが一々、
どこまで非人道的なのか、
呆れるのを通り越し
怒りが湧いてくる。





1700年代の古楽器『バリーニ』が
貸し出していた女の子から
礼状と共に返ってきた。

超進学校の安高に合格して、
音大から進路を変更し、
プロのヴァイオリニストになるのを
断念したのは残念だったが、
そうなれば「永代貸与」するけど
変更したら返して欲しいという
「約束」をきちんと守ってくれた。





古楽好きが高じて、
20年ほど前に、
2台あるピアノの一台を
鍵盤を古楽器風に
白鍵・黒鍵を逆に塗装し、
ハンマーに木ピンを刺して
「タンジェント・ピアノ」に
改装した。

今も、
スプリング交換や調律の
メンテを自分でしながら、
古楽器風の雰囲気を楽しんでいる。





冬休み中に、
中世ルネサンス期の漫画
『チェーザレ』や『アルテ』を
読み耽っていたので、
そのBGM用にずいぶんと
CDも買いこんだ。




きのうは、ヤフオクで、
『一千年の響き 美しき中世音楽』
という10枚セットを
1000円で落札した。

音楽教材社による物のようで、
さまざまなコンソートの演奏が
オムニバス形式で編集されている。

送料を入れても、
一枚150円は
安い買い物だった。

皆川達夫先生の
テキストで推奨されている
ジャヌカンやダンスタブル、
ガブリエリのものも
アマゾンで廉価盤を見つけ
購入した。

この冬は、
中世マンガのおかげで
久しぶりに古楽の楽しみに
浸っている。





楽聖の偉大さ

2021-01-05 05:05:00 | 音楽
今朝も雪降りで
庭にも薄っすら積もっている。

毎冬、気管支炎の長患いをするが、
今年は、暮れから
風邪気味の体調が長引いていて、
ちょっと良くなると
またぶり返してる。

寒む気、クシャミ、
鼻水、ダルさ・・・に加えて、
オシリ痛もいつもより
2割増しで痛めである。

散歩や体操、
ストレッチをやっても、
寒さのせいなのか、
カラダの筋硬直感がとれず、
オシリ痛にも響いている。

今朝は、
まるでALSばりに
硬直感と鈍痛で目覚めたので、
苦痛を我慢すると「うつ」になるから、
堪らわずに筋弛緩作用のある
アルプラゾラムと
鎮痛剤のイブプロフェンを
服用した。

そして、これから、
週2の鍼治療に出かける。

もう、14回も
施術に通っており、
無痛の日もポチポチあるものの、
未だに、オシリ痛に
劇的な改善効果は見られない。

先日、来られた
新潟のヒロミさんが、
気功法を「遠隔」で
やって下さっているが、
「股関節」にも問題があるらしい。




先日の『天気の子』の
メッセージじゃないが、
「痛み」や「コロナ不安」と
共に有りながら
【それでも、生きていく】
覚悟でいなっきゃである。

初孫のリッ君を
この目で見て、
この手で抱くまでは、
生きる気力も
萎えはしないだろう。





連日、
ベートーヴェンの
ピアノ・ソナタ「テンペスト(嵐)」の
三楽章を通して稽古している。

中間部に出てくる
わずか8小節の「長調」の
パッセージ(経過句)が
「ニ短調」から突然の転調なので、
まるで、雲間から射す陽光の
エンジェル・ステア(天使の階段)
のようで、神々しく、
弾いてて陶然たる気分になる。

そして、直後に、
一天にわかに掻き曇り、
重々しいモチーフが繰り返され、
「嵐」と「苦悩」が
戻ってくる。

実に、劇的な構成で、
さすがに楽聖の音楽の
深さ・見事さに
心打たれている。



皆川達夫先生の
ご著書が古くなり、
背が糊割れしたので、
自家製本で用いる
「木工ボンド」で補修した。

こういう時は、
製本技術があると
助かるものである。



『ミサ曲』を聴いてると、
子どもの頃、
音楽の授業で習った
『もろびとこぞりて』の
「グロリア・インネクセルシス・デーオ」
という祈り文が出てくる。




「ドイツ音楽の父」と称される
ハインリヒ・シュッツの宗教曲を
書斎と寝室のステレオで
仕事中と休憩中に聴いてるので、
一日、鳴りっぱなしである。

清澄で、荘厳で、美しいので、
まったく聞き飽きせず、
実に耳に心地よい。

シュッツはイタリアで
寺院オルガニストの
ガブリエリに師事したので、
その宗教声楽曲を
コロナお籠もりの現下に聴いてると、
ヴェネツィアやフィレンツェの
ドゥオーモ (大聖堂)内に
彷徨いこんだかのような気分になる。

シュッツから100年後に
バッハが誕生し、
そこから、
ベートーヴェン、ブラームスと
「グレイト3B」に連綿と
ドイツ音楽の伝統が繋がっていく
ミーム(文化的遺伝子)のようなものが
しっかと感じられた。

雪に閉ざされ、
コロナに閉ざされ、
ともすると鬱屈しがちな
閉鎖的環境ではあるが、
偉大な芸術に触れることで、
人間性の偉大さを再認識させられ
「生きる希望」のようなものを
感じさせられた
この冬休みでもあった。





スーパーで
クワイがあったので、
初めて買って、
初めてレンチンして
試食してみた。

懐石店で
味わったことはあるが、
現物をじかに手にしたのは
初めてであるので、
じっくりと観察してしまった。

表面の「青」が
絵的に美しい色味である。

カミさんも初めてらしく、
ふたりで
皮を剥いて味わってみた。

「なんだか、
栗とおイモの中間みたいだねぇ・・・」
というのは、
正鵠を射る テイスティングだった。

微かな苦みも特徴である。

落語の『百川』(ももかわ)では、
クワイのきんとんを
町内の若い衆に
丸呑みにさせられて
目を白黒する
田舎者の百兵衛が出てくる。

ウィキってみたら、
クワイ(慈姑)
学名:Sagittaria trifolia L. 'Caerulea'
「サギッタリア・トゥリフォリア・リンネ」
「カエルリア」
と言うそうだ。

河川や湿地で生活する
水生多年草(被子植物)
オモダカ科。

別名「田草」「燕尾草」。

クワイの語源は、
鍬(クワ)に似てることから
鍬芋と呼ばれたのが転訛した。

大陸から伝わった根菜の一つで、
ベトナム語では
根菜を「khoai」と言い、
「くわい」と聞こえる事から、
その呼び名となったともいう。

日本へは平安初期に
中国から伝来したという説もある。

アジア、ヨーロッパ、アメリカの
温帯から熱帯に広く分布する。

青藍色の青クワイ、
淡青色の白クワイ、
小粒の吹田クワイ、
の3種類があり、
いずれも水田で栽培される。

青クワイは、
ほくほくとした食感で
白クワイは、
シャリシャリとした食感。

クワイの塊茎は、
「芽が出る」ということで
おせち料理で縁起物とされる。

「塊茎は皮をむいて水にさらし、
アクを抜いてから調理する。
シュウ酸を含むので、
茹でこぼすのがよい。
ユリ根に似たほろ苦さがある」

あらま…。
ラップ&レンチンして
喰っちまった(笑)。

シュウ酸結石で
救急車に乗ったことがあったので、
2ケだけだったから
よかったわい(笑)。

やっぱ、
青っぽい食物は
どこか"毒っぽい"やねぇ・・・(笑)。





いつまでも抜け切らない
"グズクズ風邪"で、
"ぼっち飯"用の
おフレンチを創る意欲もわかず、
出来合いの
「ソーモン・フュメ」
(スモーク・サーモン)を
ドレッセだけした。



やるべきこと

2020-12-27 07:23:00 | 音楽

コロナ禍の第三波が
依然として
ビッグ・ウェーヴとして
波打ち際まで
迫ってきている危機感がある。

世界では
感染者数が8000万人を超し、
死者数は180万人弱である。

致死率は
依然として2%弱なのは
どこか救われる気もするが、
自分は高齢・持病持ちの
ハイ・リスクなので、
罹れば「死」を覚悟せねばならない。

もっとも、
3.11の原発爆発体験で
一度、死を覚悟して
腹を括った体験があるので、
「なるようにしかならない」
という自然(じねん)
「自ずから然る」という諦念と
"運ばれてるような命"でもある
「命運」「運命」と
ご神慮にお任せしている。

それと、
重症の小児喘息児であったので、
幼少期に肺炎もたびたび併発して、
呼吸困難の苦しさは
自分にとっては
馴染みの症状でもある。

なので、
未知で未体験の症状で苦しむより
馴染みの症状で苦しんで死ぬのも
わるくないのかも…
と死に様を考えたこともある。

少なくも、
オシリ痛で悶絶死するのだけは、
御免蒙りたい(笑)。




今朝の朝刊で、
福大生が
また馬鹿の上塗りをしたようだ。

前日に、
世間に陳謝した学長が、
また、学内ガバナンスの
非徹底を言揚げされ
非難の的になりそうだ。

大学の学内閉鎖は
まだよしとしても、
深刻なのは、
西部、日赤、済生会と
市内の大きな総合病院が
いずれも外来診療を
停止したことである。

もし、この勢いで
街中の大原や
学生のクラスターが出た
医大まで診療停止になったら、
急性虫垂炎(盲腸)なぞの
緊急手術もできなくなり、
それで命を落とすという
馬鹿げた医療クライシスが生じてしまう。

加速度的に増加している
ウィルス禍の今現在、
「個人の予防意識」の有無は
そのような、
社会的危機を招来するのである。

国内は、
すでに「レベル2」の段階でなく
「レベル4」の
爆発的感染の状況に達している。

そこに、
イギリス由来の
「変異型」も侵入した。

来年6月頃の
ワクチンの実施まで、
どれほどの犠牲者が出て、
我が身も感染するのか…
予測不能のパンデミック社会の
今を生きている。

あらためて、
褌の紐を引き締めねばである。

「非常事態宣言」や
「ロックダウン(都市封鎖」」
という非常時戦略も
躊躇すべきではないが、
お上に我が身を委ねるのでなく、
「独立個人」として
自己防衛に心掛けねばならない、
というのは、
3.11の放射能災害で得た
貴重な教訓でもある。

【学習しない者 これを馬鹿という】





コロナ猛威に
数日後に迫る
数年に一度の「大寒波」。

嫌でも
「巣篭り」しろと
言わんばかりである。

我が家族を含め、
周囲でも、
帰省を断念という声を
其処此処で耳にする。

生来、
"ゼンソクだるま"と
仇名されてた、
"おうち大好き少年"
でもあったので、
お籠もりの方策は
いくらも身についている。

幼少期は、
本・お絵描き・ブロック・
プラモ作り・ギター・・・
だった。

さすがに
長じては、
ブロック・プラモもなくなったが、
代わりに、
お茶・書・ピアノ・料理が
ロンバケ中の気慰みになっている。

お弟子さん方の
国試対策への助力も
自己研鑽も兼ねて
楽しんでやっている。

荻生 徠徠は
町屋の旦那衆を集めては、
飲み食いしながら
学問談義をしていた・・・と、
小林秀雄の講演テープで
聞いたことがある。

未知なることを探求し、
自分とは、世界とは、
ということに啓蒙されるのを
旦那方は"女遊び"の比じゃないと
学問の面白さに興じ合ったという。



ベートーヴェン生誕250年の
メモリアル・イヤーも
そろそろ終焉が近い。

この一年、
『テンペスト』と『悲愴』の
三楽章のアナリーゼ(分析)と
習得すべく稽古に取り組んできた。

まだ、
全編暗譜にまでは
至ってはいないが、
読譜と音出しは終了した。

それにしても、
感心するのは、
どれだけやっても
飽きがこないのだ。

ほとほと、
楽聖の作品は
(大したものだなぁ・・・)
と、楽譜とピアノに向かうたびに
感じ入っている。

そして、
プロや上級ピアニストのように
華麗に流麗に激烈に
超スピードで演奏できなくも、
その作品が弾けるということが、
なんとも幸福感を感じるのである。

これが、
完全暗譜の暁に、
Y中の体育館グランドや
音楽堂のスタインウェイで
弾き鳴らされたら、
どれほど感動的だろう・・・と、
想像しながら練習するのも楽しい。

かつて、
私淑していた
皆川 達夫先生の御本には、
「下手でもいいから、
自ら、歌でも楽器でも
やってみることです。
さすれば、音楽する喜びは
この上ないものであることを
知ることでしょう」
とあった。

まさしく、
その通りである。

この歳になって、
老いて、ますます、
楽譜を読めること、
楽器が演奏できることの
幸せを味わっている毎日である。




毎日、
形ばかりの
"ぼっちランチ"をしている。

糖質制限食餌療法を
やってるからとて、
さすがに、まったく食べない
というわけにもいかず、
お肉一切れを
フレンチ仕立てにして
アート作品を創作するつもりで
"遊び心"を満喫させながら
あれこれ腐心している。





朝方、
ワインラックに
一本分の隙間が出来たので、
廉価のボルドー・ルージュでも
買って来ようと思っていた。

そしたら、
午前中に分析予約の入っていた
R先生が、今年最後だったので、
『お歳暮』として
1本携えてこられた。

【弟子の心構えが出来ると
 師匠が顕われる】
という
中国の故事格言を
ユンギャン(ユング心理学者)は
よく「共時性(synchronicity)」の
説明に援用する。

この世界、我々の事象界には、
「因果的関係」以外に、もひとつ
「共時的関係」というものがある、
ということを見出したのは
スイスの深層心理学者の
カール・グスターフ・ユングである。




努力する天才

2020-12-14 07:51:00 | 音楽
『チェザーレ』を
読みふけっていたせいか、
散歩でツタヤに寄ったら、
たまたまクライエントの方から
図書カードを頂いたばかりだったので、
中古外盤コーナーで
ルネッサンスとバロック物を
2枚買ってきた。




帰宅後に、
今年、惜しくもご逝去された
皆川先生の解説書を取り出して、
ギョーム・ド・マショーと
ピエトロ・ロカテッリの
バイオグラフィーを復習して、
さっそく聴きにかかった。

ルネッサンス音楽の傑作と
皆川先生が最大限の賛辞を記している
『ノートルダム・ミサ曲』は
まさしく圧巻の演奏で、
クレマンシック・コンソートの
生命感溢れる名演には感銘を受けた。

世俗歌曲も収録されており、
中世の『乞食の歌』なぞは
たいへん面白く聴いた。




ロカテッリは
ケースを開けてみたら
2枚組とはじめて気付いて
「ラッキー!!」
と思った。

なにせ、
ワンコイン価格だから、
一枚250円という
掘り出し物になる。





お昼には、
130円だった
バナメイエビを
サフランソース仕立てにした。

海老の殻で
出汁を取り、
アメリケーヌ風のコクを出し
サフランでさらに
風味と色味を付けた。

庭のハーブガーデンから
フヌイユのフルール(花)と
ミントを採ってきて
添えてみた。

ヴァン・ブランには
珍しいドイッチャー・グラスを
用いた。





前夜の
海老クリームコロッケが
1ケ冷蔵庫に残ってたので、
オーヴンで衣がカリリとなるまで
再加熱したら、
中のクリームが膨張して破裂し(笑)、
しかたなく半分にカットして
パンや焼き芋と共に
ルージュのプラにドレッセした。

これには
冷凍保存してあった
ソース・ヴェール(緑)を
合わせてみた。

「赤」づくしだったので、
ヴァン・ルージュにした。






Eテレで
『ベートーヴェン250プロジェクト』を
毎週やっているが、
きのうは、たまたま、深夜近くの
ポリーニの『ソナタ』31、32番を
時折、寝落ちしながら
半覚醒状態で視聴きした。

驚いたのは、
巨匠となり
すっかり老人然とした
姿であった。

御年78歳だから、
さもありなん・・・なのだが、
頭の中には、まだ、
壮年期のあのスタイリッシュな
イメージがあっただけに
そのギャップに驚いた。

それでも、
さすがに、指は衰えておらず、
いつぞやだったか、
来日してボロボロの演奏をした
ホロヴィッツが
吉田 秀和氏に
「ヒビの入った骨董品」
と評されたのとは
雲泥の差であった。

録画で観た
アルゲリッチの
『コンチェルト♯1』も
相変わらずの爆演であった(笑)。

彼女も御年79歳である。

どちらも、
ショパン・コンクールの覇者であるが、
ポリーニの凄いエピソードとしては、
優勝後に華々しくデヴューするのではなく、
なんと、ひとり山荘に引きこもって、
アップライトのピアノで
黙々と更なる研鑽に励んだというから、
どこか「哲人」然としている。

審査員の全員一致で優勝し、
審査委員長のルービンシュタインをして
「今ここにいる審査員の中で、
彼より巧く弾けるものが
果たしているであろうか」
と絶賛したのに、である(笑)。

なればこその、
老体となっても、
ゆるぎない強靭なタッチで、
隅々まで美しいベートーヴェンを
描き出すことが出来るのだろう。

ただでさえ
凡人は天才に適わないのに、
さらに、努力を重ねる天才には、
足元にも及ばない・・・とは、
このことだろう。

『コロンボ』の中にも、
『殺しの序曲』という作品で、
コロンボがしみじみと語る場面がある。

「あたしの周りにも、
そりゃあ、トンデモナイ天才たちが
ゴロゴロいましたよ。
とーてい、太刀打ちできないような
奴等がね。

でも、考えたんでさぁ・・・。
奴等の何倍も努力して、
本を読み、よーく観察し、よく考えれば、
ことによると、何とかなるんじゃないかって・・・。

で・・・、なりましたよ・・・」

・・・という
シーンが印象深かった。

ファンに言わせれば、
コロンボは十分過ぎるくらいの
天才なのである。

もっとも、
偏執的、高機能自閉タイプの
サヴァン症候群っぽくもあるが・・・。

WHOの診断マニュアル『ICD-10』では
「特定不能の広汎性発達障害」
にコーディングされる。


「神武この方の天才」
と称されたヒフミンが、
ソーちゃんのことを
"努力する天才"
と絶賛しているが、
「400年に一人の天才」に
努力までされたら、
「並の天才」では
太刀打ち出来ないのだろう。


******

最近、国試受検の
応援サイトをやっていて、
合格する人というのは、
勉強のフォームが
出来ている人たちである、
ということに気が付いた。

大学受験や
教員採用試験のような
関門をくぐり抜けてきた人は、
そのフォームが出来ている
証左と言えよう。