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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

自粛生活

2021-07-30 06:29:00 | 音楽
全国的に
第五波の感染爆発が
起こっているようなので、
夏休み中の
プチ・マイブームにしてた
"蕎麦っ喰い"行脚も
今日から、しばらく
自粛しようと思う。

今日行く店も
決まっていて、
行ってみたい
という好奇心はあるが、
【好奇心を制すは恐怖心しかない】
との格言に従うことにした。

県内も二日続けての
80人超えとなり、
ジワリとデルタ変異株が
拡まりつつあるようだ。

ワクチン未接種であり、
全身に出来物ができるような
免疫低下状態なので、
込み合う皮膚科への
通院も見合わせて、
カミさんに朝晩
抗菌軟膏を塗ってもらい、
排膿処理をしてもらっている。

抗生物質を一週間呑んでるが
まだ化膿が治まらず、
痛みは軽減したが
完治には至っていない。

この分では、
ホーム・メディケーションで
ほぼ治ってから
皮膚科で経過診察してもらい
済生会への『紹介状』を
もらうだけになりそうである。

今度は、
オペ摘出にむけての
通院を覚悟せねばである。






蕎麦行脚を
七日も続けてみて、
どの店にも贔屓客がいて、
蕎麦好きが多いということを
痛感させられた。

というのも、
込み合うのを避けて、
口開け時の11時か半ちょうどに
出かけるも、もう、すでに、
数組が駐車場や店先で
待っているのだから驚く。

おもに「天盛り」を
七日続けてやってきたが、
店によってさほどに違いはないものの
飽きもしないから、
蕎麦は不思議なものである。

いくら鮨好きでも、
七日続けては
出かける気はしないものである。

盛夏にあって、
ひんやり喉越しがいいのと、
仄かな香りがするのと、
天婦羅のカリリとした食感との
テクスチュアの違いが
楽しめる・・・などがあって、
喰い飽きさせないのかもしれない。

それと、
〆に蕎麦湯でもって、
ツユをじんわりと味わうのも
気が緩む不思議な魅力がある。






おとついから
アルベニスのピアノ曲集を
IMSLPからダウンロードして
作品群を俯瞰している。

実際に音出ししてみると、
ギターでさんざん弾いて
飽きあきしてる
『入り江のざわめき』
『アストゥリアス』
『コルドバ』
『グラナダ』
などが新鮮に感じられた。

ピアノ曲がオリジナルで、
ギター版が編曲譜なので、
なんだか原点回帰して
勉強している気分だった。

ギターに自然に馴染むのは、
作曲者がスペイン舞曲でもある
フラメンコの様式を採り入れて、
ギター奏法を模倣しているから、
という事も弾いていると
実感できた。

曲集監修者の解説によれば、
技術的にも中級程度で、
オリエンタル、エキゾチック
な曲が満載とのことだった。

たしかに・・・
ギターで弾くよりも、
ピアノの方が技術的に
楽な感じがした。

今日は
グラナドスの
『12のスペイン舞曲』と
『詩的ワルツ集』を
ダウンロードして、
ピアノでさらってみたい。

あの名曲の
『オリエンタル』や
『アンダルーサ』が
ピアノでどう響くのか
楽しみである。





ホームの婆様の
医療情報が家族に届くが、
定期健診の結果が、
自分とは真逆で、
どこもかしこも
まったくの正常値で、
自分もこうだったらなぁ・・・
と溜息がもれた(笑)。

89歳の婆様のほうが
超「健康体」なのである。

こりゃ、
ムスコの方が、
先に逝きそうかもだわ…(笑)。

ただ、
ホームを訪ねると、
認知症の高齢者ばかりなので、
食べて寝てばかりいて、
なんたが「社会的死」という言葉が
いつも脳裏をよぎらされる。

自分もロンバケになると
「無為徒食」生活に陥りそうになり、
さらに、コロナ禍で
ステイ・ホームせざるを得ないと、
よほど意識化しないと
建設的で有意義で
創造的な時間の使い方が
できないことがある。

「喰っちゃ寝」の
駄々羅暮らしになると、
ホームの婆様と変わりないなぁ・・・
と自嘲・自虐的にもなる(笑)。

もっとも、
ブログ書いたり、
料理したり、読書したり、
と精神活動は欠かさないし、
ロンバケ明けには
多忙な教育臨床現場に
戻らねばならないから、
休暇時季はダラリと休んでも
罪悪感を感じる必要もないのだが…(笑)。

けっきょくは、
昭和生まれの
ビンボー性という
ことなのだろう(笑)。





故障したボイラーを見に
塀際の裏に廻ってみたら、
足元に死んだセミがいたので、
拾い上げてみたら
弱々しく足を動かしたので、
まだ生きていた。

土の上に
転がってたので、
そのまま朽ち果てて
アリの餌になるのも気の毒なので、
庭の樹木や下草の生い茂ってる
緑の絨毯の方に移してやった。

5~8年も地中で
幼虫として暮らし、
成虫として一夏を
地上と空中で生きて、
そして生涯を終える。

カゲロウよりは
長い生涯だが、
それでも、
その儚き人生に
"もののあはれ"を
感じずにはいられない。

そういや、
ファリャのオペラにも
『はかなき人生』
(La vida breve)
というのがあった。

その『スペイン舞曲第一番』は
有名であり、
コンサートでも独奏した。



ウィキによれば、
『アブラゼミ』の由来は、
翅が油紙に似てるから、
という説と、
「ジジジジ」という鳴き声が
油を熱した時に
撥ねる音に似てるから
『油蝉』とされた、
という二説がある。

学名は
「Graptopsaltria nigrofuscata」
(グラプトサルトリア ニグロフスカータ)

カメムシ目(半翅目)
ヨコバイ亜目(同翅亜目)
セミ科
になる。

日本には
約30種類いるようだ。

この夏も、
ヒグラシの
「カナカナカナー」
という、もの哀しげな
鳴き声は聞いた。

ミンミンゼミの
「ミーンミンミン」
もあった。

最近は、
ツクツクボウシの
「オーシツクツク」
を聞いていない。









「コロナ禍の今」を
自分なりに
いろいろと分析しているが、
深層心理学的、神話学的に言えば、
人類レベルの「英雄の旅」
という事が出来る。

今はまさに「特殊な世界」を
生きている最中だが、
これは「死と再生」の
通過儀礼の渦中でもあり、
この後には何らかの
「宝物」や「報酬」が
もたらされるのが
このサイクルの特徴である。

ヨーロッパの
人口の半分を絶滅させた
ペストの時には、
教会や貴族の権威が衰え、
民衆が力を持つようになった、
という大きな社会変動をもたらした。

今回の人類規模の厄災である
パンデミックが何らかの影響を
社会にもたらすだろう、
という見方は識者に多いが、
そのいくつかは悲観的なものであり、
例えば既に観られるような
社会のAI化が進み、
それに代用される職種の多くで
働き手が失職するだろうという。

今回のコロナ診断では
AIの方が医師よりも
優れていたと言われ、
やがて、病気診断は
AIに取って代わられるのではないか
とも言われている。

そして、
AIカウンセラーなるものも
登場したらしく、
あらゆる悩みのパターンへの
助言があたえられるという(笑)。

あらま…である(笑)。

   ┐(´ー`)┌  

こりゃ、
ショーバイあがったりかー(笑)。



音出し・・・

2021-07-10 05:55:00 | 音楽

梅雨は
日本の「雨季」である。

これが明けると
「乾季」の猛暑がやってくる。

アレグラとシムビコートのおかげで、
なんとか、喘息様の気管支の違和感も
軽くて済んでいるが、
寒暖差があるたびに
プチ・アーズマ(喘息)っ気になるのが
なんとも恨めしい気がしないでもない。

でも、幼少期の
呼吸困難で入院したような
激しい発作でないだけ
有り難いものではある。






僻地校でもある
Y中に赴くたびに、
山間の隘路を延々と往来するが、
熱海の土石流災害の直後だけに、
長雨・大雨の後に
あちこち見られる小崩落跡の前を
通過するのは、あまり
気持ちのいいものではない。

去年だったか、
学校前にある
郵便局と道の駅では、
山側から流れる小さな流れが
土石流で氾濫して
一時、工事車両が入るほどの
被害になった。







山木屋地区の名物が
アンスリウムなので、
学校にも至る処に
それが飾られている。

そしたら、
今年の新入生クラスの
学級通信名も
<アンスリウム>になっていた(笑)。

ウィキってみたら、
Anthuriumはサトイモ科の
ベニウチワ属という。

熱帯の中南米が原産で
600種以上あり、
花に見える部分は
「苞」という。

一般に流布しているものは、
オオベニウチワで、
学名は「Anthurium andreanum」
(アンドリアナム)という
コロンビア産のようである。

小型の品種は、
ヒメアンスリウム
(A. andreanum Compactum)
というらしい。







一か月ぶりの給食は
タンメンだった。

病院食のように
減塩すぎるので、
持ち込んでる
麺ツユをすこし多めに足し
ちょうどよい加減に
調整したら、まずまずになった。

でも、給食独特の
袋入りソフト麺なので、
カップ麺のようにフヤフヤで
介護食のようでもある。

カウンセリングに来られた
K君のお母さんから
和菓子を頂いて、
三時のオヤツとして
頂いた。

夏休みの
ホーム・バカンスになるまで、
なかなか
糖質制限食餌療法は
貫けないものである(笑)。






きのうの体育館は、
25℃/70%と
蒸し暑く、
さすがに愛器の"悦ちゃん"も
鳴りがわるく、
30分で滝のように汗が噴き出した。

それでも、
家でアップライトで
さらっている箇所を
グランドピアノで
板張りの広い空間で鳴らせて
表現の「遠達性」を実感できた。

打鍵した音を
ホールの隅々まで届かす
という演奏意識は
コンサートでは必須で、
ギターでも
「そば鳴り」という表現があり、
「遠達性」のない楽器で
「手弾き」をしていては
広い会場で聴く人の
「たましいの琴線を鳴らす」ことは
できないのである。

なればこそ、
極寒や猛暑でも
ホールに見立てた体育館で
遠くまで音を響き渡らせるべく、
ギターやピアノで
音出しをしている。






痛風と思しき痛みも
いいあんばい治ってくれたが、
これからは
尿酸値を下げるべき
生活習慣の改善をしていこうと
思っている。

その為の一環として、
まずは、
「尿酸プール」なるイラストで
イメージを描いて、
この水位を下げるべく
努力をせねばである。

そして、
それを怠ると、
結晶化した尿酸画像のイメージで
これがまた痛みを誘発する、
と想像することにした。




☆--------------☆--------------☆--------------☆--------------☆
     養老大人 箴言録
☆--------------☆--------------☆--------------☆--------------☆



 二十歳やそこらで自分なんか分かるはずがありません。
 中身は空っぽなのです。
 仕事というのは社会に空いた穴です。
 道に穴が開いていたら、そのまま放っておくと、みんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。
 ともかく、目の前の穴を埋める。
 それが仕事というものであって、自分にあった穴が開いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。



 人生とは些細な体験の繰り返しである。
 歳とれば、その些細が積もり積もったものになる。






濱田先生ご逝去

2021-04-28 08:09:00 | 音楽
きょうは
フミの誕生日で
平成元年生まれなので
32歳になった。

自分が
32歳の時に生まれたから、
今のリク坊が
まさにそれと同じ感じである。

Facebookに
お祝いメッセージを送ったら、
見ていないリク坊の写真と
動画がいくつか
アップされていて、
「可愛いすぎる息子」
とあった。

この春から大阪転勤になり、
妻子に先にがけて
単身赴任しているので、
愛児ともしばらく
離れ離れで寂しかろう。

せっかく、
東京の自宅近所の
保育園に入ったばかりの
リク坊だが、
また、大阪に越したら
再入園しなくちゃである。




奇しくも、
東京・大阪ともに
二大都市は
緊急宣言発令の
真っ只中である。

なんだか、
そんな感染列島で
可愛い孫を
行き来させるのも
なんだか不憫でならない。

誰もが思うように
コロナが憎い、
である。






一日も早い、
コロナ禍の収束を
毎日、ご神前で
ご祈念させて頂いている。

あのコロナ以前の
正常な社会に
世界が戻ることができるのか…。

愛孫の無垢な顔を見てると、
大人たちの最大限の努力、
辛抱、協力、責任でもって、
それをやり遂げなければ、
と痛感する次第である。

だのに・・・
そのピーク禍にある大阪で、
公務員や教職員が
何百人と飲み会をやって
知事と市長が謝罪した。

大火事の現場で
目の前で燃え拡がってんのに、
そこで酒盛りして
何してんねん!!
である。

【状況判断できないのを馬鹿という】
という定義に
見事に当てはまる連中である。

いや・・・
大阪だから【阿保】か。




ツタヤ・ブラウジングで
110円で見つけた
『聖樹のパン』の
第一巻目に魅かれて、
続巻をアマゾンから購入して
第6巻目まで読んだ。

そこまでは、
蘊蓄とギャグと
ハートウォーミング・ストーリーが
織り交ざって
いい按排の佳作だったのだが、
6巻目からヒール(悪役)の
醜悪ジジイが出てきて、
それが主人公の母親を拉致し
返して欲しくば10人の職人と闘え
という陳腐なバトル物になり
ゲンナリしてしまった。

なんで、ステレオタイプの
喰い物バトル・ネタに
安易に走るのか…。

もう、ガッカリである。

しかも、10人も・・・。

連載を引っ張るための
作家と編集者の
"王道"かつ"鉄板"企画の
つもりだったら、
どちらもクリエイターとしては
最低である。

既に、
アマゾンには
最新刊の11巻目まで
注文してまったので、
これから、そのしょーもないバトルを
読まされるのかと思うと
うんざりしてまう。

先走りして、
買わんかったら
よかったわい。

こーいうのも、
見通しが利かなかった、
目利きが甘かった、
というのだろう。








何故か今月は
カツ丼マンスリーで、
おとついの日曜日も
カミさんとの山行きの途中で
『はないち』で挑んできた(笑)。

今月、七丼目である(笑)。

半分、意地である(笑)。

でも…
今日・明日と
オフ日ではあるが、
もう、さすがに
カツ丼を食べたいという
気は起こらない(笑)。

ひと月に七杯は
自己レコードである(笑)。

『はないち』は
"映え"のする
キュービックな
ソースかつ丼が名代だが、
通常の"煮込み"も
なかなかに佳かった。






店を出て、
何気に足元を見ると
大っ嫌いな○○(書くのもオゾマシイ)
と見紛うホースに
悲鳴を上げて、
飛び上がってしまった(笑)。

そのうねり具合に、
上半面が日に焼けて
まるで鱗みたいになってて・・・、
そりゃーもう、
チキン肌ものだった(笑)。

ホースと判っても、
直視できないほどだったが、
ブログネタにしようと、
勇を鼓して撮影してみた(笑)。

Snake-phobia(恐怖症)でない
カミさんも、
「ほんとにリアルだねい」
と感心していた。







定期購読している
フラメンコ専門店の
広告メールで、
濱田 滋郎さんが
3月に亡くなられていたことを
知った。

濱田氏は、
ギター界やフラメンコ界には
多大な貢献をされた先生で、
ギターを始めたばかりの
子どもの頃から
そのお顔を存知あげていた。

そして、
当時、ギターのレコードの
裏面の解説は
ほとんど濱田先生ので
〆られていたので、
必定、その名と顔は
インプットされていた。

後年、
京都から帰福したばかりの頃、
東京の三鷹であった
ホプキンソン・スミスの
リュート・リサイタルで
ばったり濱田先生とお会いして、
ためらわずにお声がけが出来、
先生も気さくにお話しくださって、
サインを頂いたのを
今でも懐かしく覚えている。

そのサインを
今朝、探してみたが
未だに出てこない・・・。

_| ̄|○ ガックシ・・・



備前が好き

2021-04-25 07:02:00 | 音楽
どうも
凝り性なとこがあって、
それが、今月の
プチ・マイブームの
「カツ丼」試食探訪になっている。

土曜の朝方、
漱石の『夢十夜』の
分析を仕事部屋でしてると、
フッと、今日は何処に行くべぇか
と新たな候補地を
探索したくなるので、
病膏肓に入る・・・と、
ひとり苦笑している。

でも、
「○○したい」
という衝動的な欲動は、
反社会的なものでなければ、
個体に備わった本能的な
ノベルティ・シーキング
(新奇探索)欲求なので
出来るだけそれを
満足させてやりたいとは思って
行動に移している。

そうでないと、
人生、何も始まらないし
何も終わらないという
ツマラン事になってまう。

でも、
いつもいつも、
その新奇探索が
いい結果になるとも
限らない。

酷い目に遭うことも
しばしばありがちなのである(笑)。

でも、
それでも、
それをやめないのは、
それが「生きる」という事であるからだ。





・・・てなわけで(笑)、
手仕事を中断して、
そそくさと
「カツ丼探検隊」に
出発した。

目指すは、
爺ちゃん・婆ちゃんの営む
昭和オンボロぼろぼろ食堂である(笑)。

行き付けの
『亀寿司』の裏通りにある
『天山』には、
これまで、ラーメンや
チャーハンで
二度赴いている。

いよいよ、
三度目はカツ丼である。

その威容は
見事なもので、
味の甘辛加減も
ご飯の炊き加減も
まずまずの及第点であった。

ただ・・・
最後の一口になって、
ウッ…ときた。

箸が進まない。

これは、
天丼・カツ丼で
稀にある現象で、
原因はとっくに
究明済みである。

揚げ油の劣化なのである。

大衆食堂では
天婦羅専門店のようには
頻繁に油を換えることをしないので、
厨房をのぞくと
真っ黒なタールのような油で
揚げ物を作っている処が
少なくない。

定期的には
換えてはいるのだろうが、
それに怠りがあると、
揚げ物のクドさ重さに反映されて、
いわゆる「わりーアブラ」に
成り果てるのである。

いつもの
勿体ない精神で、
エーイッと
最後の一口を放り込んだが、
案の定、帰りの車中で、
胃もたれと軽いムカツキを覚えた。

これを
「湯あたり」を捩って
「油あたり」と称している。

帰宅後も
鳩尾(みぞおち)の違和感が
続いたので、
仕方なくナウゼリンを呑んだ。

カツ丼喰って
吐き気止めを呑んだのは、
今月、6店目で
初めてである。

いい味、
いい具合のカツ丼だったが、
油だけが合わなかった。

常連であれば、
「爺ちゃん、たまには
揚げ油とっかえなよー」
と言ってもやりたいが、
なんせ
ヴィジターでしかないから、
ま、しゃーないなー・・・
ってなもんである。

でも、
くどいが
美味しい部類の
カツ丼だったので、
返す返すも
残念である。







前回の二割引きセールで
100円のクーポンをもらったので、
古物店の『オーディン』に寄って
目を付けてた備前の小鉢を
100円引きの230円で買ってきた。

作風から
作家物には違いなさそうだが、
少々、手取りが重く無骨なのと、
緋色が上手く発色しておらず、
ギリ売れる際物に近いかもしれない。

でも、
使いようによっては、
懐石の先付けや
向こう皿として
白身の鯛のお造りなどを
際立たせてくれそうに見えた。

なにより、
手作りの備前が
230円なぞでは
タダ同然である。

水を潜らせてみたら、
見込み(真ん中)には
ちゃんと櫛目と窯変があり、
高台には緋襷(ひだすき)が
走っているので、
鑑賞にも値する。

緑色の胡瓜のお新香なぞも
きっと映えるに違いない。

それをアテに、
備前の徳利とぐい呑みで
吟醸酒をやるのも
いい趣向である。







教え子ピアニストの
イマダケちゃんが、
先日、献呈した曲を
さらっての感想を送ってくれた。

気に入ってくれたようで
何よりであった。

自分も、
今週から始まるY中の
体育館ピアノの"悦ちゃん"で
試し弾きしてみたいと
思っている。

自分で創っといて、
まだ暗譜できずにいるので、
なんだか可笑しく思った。

楽聖とは比較にもならないが、
ショパンがサロン演奏会で
自作自演をする時に


「難しくて弾けないや…」
って、リストに言った事がある、
というのを『音楽史こぼれ話』で
読んだことがあり、
それも何だか可笑しかった。





居間にある
クマの縫いぐるみを見て、
なんで可愛いのかと
よくよく見てみると、
三頭身だからかぁ…と、
今さらのように気付いた(笑)。

リク坊ちゃんの
裸ん坊の姿も
四頭身なので
カワイイのだろう。

"お人形さんみたい"
とは、よく言ったものである。







毎週、朝刊の
日曜版には書評が載るので、
いつもそれを参考にしている。

今回は、
知らない評論家の
『哲学漫想』なる書のコメントが
目を引いた。

3.11では
『3.11を生きる』
『震災を生きる』
『学校臨床の実際』
という三部作を
上梓して、販売もし、
各学校の図書館に
寄贈もした。

そしたら、
今度はまた数百年に一度の
未曾有の世界的感染症の時代に
遭遇した。

これについても、
これから、総括して
これまでのように
ネットで発表するなり、
一書なりとも纏めようと
画策して資料を読み漁っている。

今、毎日の車中で、
東洋哲学の碩学・
中村先生の仏教学の
連続講義のテープ10巻を
何度も繰り返し聴いている。

やはり、
その中心には
「無常」という概念があり、
この現実に対し
「空」の概念を
どうアプリケートされるか
ということに腐心している。

涅槃経では、
「一切衆生 悉有仏性」
(いっさいしゅじょう
しつうぶっしょう)
というのがある。

生きとし生けるものは、
すべて生まれながらにして、
仏となりうる素質をもつ
ということである。

金光教にも、
誰もが神の氏子であり、
生神になれる…
という教祖の言葉がある。

比較宗教学をやっていると、
人類共通の「理法」というのが
最大公約数的にあることが解かり、
それが「真善美聖」という
四文字に収斂される。

その反語が
「偽悪醜邪」である。

共産主義では
宗教を徹底的に
弾圧した歴史があるが、
それは理念・理法に生きよう
という人間は、途轍もなく
強い力を発揮するから、
それを恐れたのである。





隠れた名ピアニスト

2021-04-23 06:58:00 | 音楽
昨日の事、T中で
カウンセリングを終えて、
帰り支度をしていると
廊下側から珍しく
ショパンのワルツが聞こえ、
5時前だったので、
今時分なんだろう…と、
怪訝に思った。

てっきり、放送で
CDを流してるのだと思ったが、
演奏ミスがあって、
あれ?! と思い、
廊下をのぞいて見たら
多目的ホールにあるピアノで
女生徒が数名に囲まれて
弾いてたので驚いた。

さっそく、
そばに駆けつけて、
じっくり聴かせてもらうと、
それは見事な演奏で、
明らかにレッスンを受け
発表会にかけたような
水準に仕上がっていた。

ルバート(テンポの揺らし)も
デュナーミク(強弱法)も
自然体で、しかも訴える力があって
とても魅力的な演奏だった。

取り囲む友人たちも
その魔法のような指使いに
目を奪われ、
今ここで湧き出る生音に
酔い痴れているように
聴き入っていた。

演奏が終わると
拍手喝采で、
思わず自分も絶賛した。

そしたら、やはり
長年レッスンを受けていて
母親は音大出だという。

さもありなん、である。

「才能あるから、
あなたも音大に行きなさい」
と思わず、
口出ししてしまった。

傍に、よく知った
担任の先生がおられ
「この子は勉強もできて、
バスケットもすごいんです」
と言うので、
「あなた、バスケなんて
やってる場合じゃないよ(笑)。
もっとピアノに打ち込みなよ」
と言ったら
JCたちが笑っていた。

白衣を着た
爺様カウンセラーの
余計なお世話かもしれなかったが、
なかなかの才能だったので、
精進しだいでは
すごいピアニストになれると
ほんとに思った。

なかなか、
音楽が自然体で、
しかも、それが胸を打つ、
というのは
稀有な才能の部類なのである。

こういう人は
3.11やコロナ禍のような時には、
演奏家として、
世と人のお役に立てる
人間になれるのである。

もっとも、
当人にその気がなけりゃ、
単にピアノが上手な素人さん
で終わってしまうが…。

なんだか、
ダイヤの原石を
見つけたような気がして、
その才能を伸ばして
磨いてやりたいなぁ・・・
という気がした。




ついでに、
自分も白衣を着たまま(笑)
JCたちの前で
『幻想即興曲』の出だしや
『ナウシカ』を弾いてみせた。

生徒たちが
まず驚くのは、
「すごい!
指がめっちゃ速い!」
というものだった(笑)。

そして、
「あ、ナウシカだー!」
と、あの哀愁の旋律に
すぐ反応してくれた。

一緒にいらした担任も
「ピアノが弾けるって、
いいですねぇ・・・」
と羨ましそうだった。

思わぬ処で、
ピアノを囲んでの
楽しい「音楽の場」であった。

楽器があって、
弾く人と聴く人がいて、
そこに「音楽の場」が生まれる。

そして、それは、
目に見えぬ力でもって、
コロナ禍の哀しみも
鬱陶しさも
その場では忘れさせてくれ、
「こころ」や「たましい」を
芯から癒してくれるものである。

それだから、
「音楽の力」は
偉大なのである。





今も、たびたび、
震度3程度の余震は
ちょいちょいあるので、
学校の箱庭用のドール類が
いくたんびに
パタパタ倒れている(笑)。

きのうも
それらを立て直してから
仕事を始めた。









裸ん坊の
リク坊の写真が
ミカちゃんから送られてきて、
カミさんとふたりで
「リク坊、
相変わらず、
好奇心旺盛だねい・・・」
と笑い合った。

この子が
まだ言葉を話さないから
不思議なものである(笑)。

大阪に引っ越して、
向こうの保育園で
毎日過ごしてたら、
次に会う時は
関西アクセントに
なってるんだろうなぁ・・・と、
想ったら、それも不思議な感じである。







アマゾンのブラウジングをしてたら、
ショージ君の
オムニバス文庫の新刊で
『大衆食堂』のエッセイを
集めた一冊が出されていた。

ショージ物は
全巻蒐集しているので、
今さら、そのオムニバスを
買うつもりはないが、
その新しい装丁には
やはり味があった。






一度は読んでいる
『午後の定食屋』という一文も
あらためて、その一説を見ると
やはり味わいのある
名文と名挿画である。

「あらまほしき」という言葉に
すぐにピンとこなかったので、
ググッてみたら、
「〜であってほしい」
という意味だった。

文法的には、
ラ変動詞「あり」の
未然形「あら」と
希望の助動詞「まほし」が
一語になったものだそうだ。

『徒然草』の引用があった。

「少しの事にも、
先達はあらまほしきことなり」
(ちょっとしたことにも、
先導役はあってほしいものである』

なかなか、
おいそれと普段のブログには
使えない言葉である(笑)。







6年間催していた
『復興支援リサイタル』に
毎年来てくれて、
ご祝儀で資金的援助も
してくれていた
大学ギター部後輩の
同期マドンナ三人組と
年に一度の会食会を
5年も続けている。

学生時代の三人の呼び名から
『アンムクライ会』と称してる。

自分が言い出しっぺなので、
毎年、幹事を務めてるが、
今年は会場をどこにすべぇ・・・と、
ないアタマをひねっている(笑)。

4人で卓が囲めて、
尚且つ、最高水準の店といったら、
もう限られているので、
どうしても同じ店に
複数回行くようになる。

今回の≪案内メール≫である。


*******


今年も、
「アンムクライ会」の季節が
やって参りました(笑)。

三婆様方、
如何お過ごしでござんしょうか。

世間は、コロナ、コロナで、
もう、うんざりでござんすねぇ。

つきましては、
5月の日曜日のご都合を
お知らせくだされませ。

誰かまた、音頭とって、
三人のスケジュール調整
してくれっと、ありがでない(笑)。

***

今年の予定は、
三度目の『多可橋』です。

これまで、過去二回は、
「ミニ会席 2400円」
「懐石 5000円コース」でしたので、
今回は、さらに一つ
グレードアップした
「8500円コース」に
挑戦したく思います(笑)。

どなた様も
年金暮らし目前の
慎ましき暮らしの中(笑)、
まことに恐縮ですが、
コロナ憂さを晴らすのに、
パーッと景気よく
散財したく思う所存でありまする(笑)。

当日の日程は
例年の通り、
10時半「佐々木家」集合、
茶室にて小茶話会、
11時半「多可橋」、
1時「佐々木家」にて小茶話会、
2時「お開き」という予定です。


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