『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

やるべきこと

2020-12-27 07:23:00 | 音楽

コロナ禍の第三波が
依然として
ビッグ・ウェーヴとして
波打ち際まで
迫ってきている危機感がある。

世界では
感染者数が8000万人を超し、
死者数は180万人弱である。

致死率は
依然として2%弱なのは
どこか救われる気もするが、
自分は高齢・持病持ちの
ハイ・リスクなので、
罹れば「死」を覚悟せねばならない。

もっとも、
3.11の原発爆発体験で
一度、死を覚悟して
腹を括った体験があるので、
「なるようにしかならない」
という自然(じねん)
「自ずから然る」という諦念と
"運ばれてるような命"でもある
「命運」「運命」と
ご神慮にお任せしている。

それと、
重症の小児喘息児であったので、
幼少期に肺炎もたびたび併発して、
呼吸困難の苦しさは
自分にとっては
馴染みの症状でもある。

なので、
未知で未体験の症状で苦しむより
馴染みの症状で苦しんで死ぬのも
わるくないのかも…
と死に様を考えたこともある。

少なくも、
オシリ痛で悶絶死するのだけは、
御免蒙りたい(笑)。




今朝の朝刊で、
福大生が
また馬鹿の上塗りをしたようだ。

前日に、
世間に陳謝した学長が、
また、学内ガバナンスの
非徹底を言揚げされ
非難の的になりそうだ。

大学の学内閉鎖は
まだよしとしても、
深刻なのは、
西部、日赤、済生会と
市内の大きな総合病院が
いずれも外来診療を
停止したことである。

もし、この勢いで
街中の大原や
学生のクラスターが出た
医大まで診療停止になったら、
急性虫垂炎(盲腸)なぞの
緊急手術もできなくなり、
それで命を落とすという
馬鹿げた医療クライシスが生じてしまう。

加速度的に増加している
ウィルス禍の今現在、
「個人の予防意識」の有無は
そのような、
社会的危機を招来するのである。

国内は、
すでに「レベル2」の段階でなく
「レベル4」の
爆発的感染の状況に達している。

そこに、
イギリス由来の
「変異型」も侵入した。

来年6月頃の
ワクチンの実施まで、
どれほどの犠牲者が出て、
我が身も感染するのか…
予測不能のパンデミック社会の
今を生きている。

あらためて、
褌の紐を引き締めねばである。

「非常事態宣言」や
「ロックダウン(都市封鎖」」
という非常時戦略も
躊躇すべきではないが、
お上に我が身を委ねるのでなく、
「独立個人」として
自己防衛に心掛けねばならない、
というのは、
3.11の放射能災害で得た
貴重な教訓でもある。

【学習しない者 これを馬鹿という】





コロナ猛威に
数日後に迫る
数年に一度の「大寒波」。

嫌でも
「巣篭り」しろと
言わんばかりである。

我が家族を含め、
周囲でも、
帰省を断念という声を
其処此処で耳にする。

生来、
"ゼンソクだるま"と
仇名されてた、
"おうち大好き少年"
でもあったので、
お籠もりの方策は
いくらも身についている。

幼少期は、
本・お絵描き・ブロック・
プラモ作り・ギター・・・
だった。

さすがに
長じては、
ブロック・プラモもなくなったが、
代わりに、
お茶・書・ピアノ・料理が
ロンバケ中の気慰みになっている。

お弟子さん方の
国試対策への助力も
自己研鑽も兼ねて
楽しんでやっている。

荻生 徠徠は
町屋の旦那衆を集めては、
飲み食いしながら
学問談義をしていた・・・と、
小林秀雄の講演テープで
聞いたことがある。

未知なることを探求し、
自分とは、世界とは、
ということに啓蒙されるのを
旦那方は"女遊び"の比じゃないと
学問の面白さに興じ合ったという。



ベートーヴェン生誕250年の
メモリアル・イヤーも
そろそろ終焉が近い。

この一年、
『テンペスト』と『悲愴』の
三楽章のアナリーゼ(分析)と
習得すべく稽古に取り組んできた。

まだ、
全編暗譜にまでは
至ってはいないが、
読譜と音出しは終了した。

それにしても、
感心するのは、
どれだけやっても
飽きがこないのだ。

ほとほと、
楽聖の作品は
(大したものだなぁ・・・)
と、楽譜とピアノに向かうたびに
感じ入っている。

そして、
プロや上級ピアニストのように
華麗に流麗に激烈に
超スピードで演奏できなくも、
その作品が弾けるということが、
なんとも幸福感を感じるのである。

これが、
完全暗譜の暁に、
Y中の体育館グランドや
音楽堂のスタインウェイで
弾き鳴らされたら、
どれほど感動的だろう・・・と、
想像しながら練習するのも楽しい。

かつて、
私淑していた
皆川 達夫先生の御本には、
「下手でもいいから、
自ら、歌でも楽器でも
やってみることです。
さすれば、音楽する喜びは
この上ないものであることを
知ることでしょう」
とあった。

まさしく、
その通りである。

この歳になって、
老いて、ますます、
楽譜を読めること、
楽器が演奏できることの
幸せを味わっている毎日である。




毎日、
形ばかりの
"ぼっちランチ"をしている。

糖質制限食餌療法を
やってるからとて、
さすがに、まったく食べない
というわけにもいかず、
お肉一切れを
フレンチ仕立てにして
アート作品を創作するつもりで
"遊び心"を満喫させながら
あれこれ腐心している。





朝方、
ワインラックに
一本分の隙間が出来たので、
廉価のボルドー・ルージュでも
買って来ようと思っていた。

そしたら、
午前中に分析予約の入っていた
R先生が、今年最後だったので、
『お歳暮』として
1本携えてこられた。

【弟子の心構えが出来ると
 師匠が顕われる】
という
中国の故事格言を
ユンギャン(ユング心理学者)は
よく「共時性(synchronicity)」の
説明に援用する。

この世界、我々の事象界には、
「因果的関係」以外に、もひとつ
「共時的関係」というものがある、
ということを見出したのは
スイスの深層心理学者の
カール・グスターフ・ユングである。



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