富に仕えて神を疎む

 「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)

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 思うに、現代の多くの人のたましいは、何かに覆われてしまってわからなくなっているような気がしてならない。
 希代の芸術家である岡本太郎は、「世の中うまくやろうとすると、結局、人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上に乗せられてしまう。一応世間体もよく、うまくいくかもしれないが、ほんとうに生きているのではない。流されたままで生きているにすぎない。」(「自分の中に毒を持て」,p.137」)と書いている。少し前の時代の少なくない人々も同旨のことを書いている。
 この、流されて生きていることが、たましいが見えなくなっていることに他ならない。
 「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」というイエスの言葉そのものの意味が分からない人も多いかもしれない。
 人々は富に仕えて神を疎むことを選択し、口座の満たされることを望んでたましいの満たされることを放棄してしまった。
 ほんとうに人を満ち足らせるのがどちらかなのかは、この時代が過ぎゆく中でますます明らかになっていくだろう。

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 ヨハネ伝の10:28まで続けて読んできましたが、しばらくアトランダムに進めます。

 健やかな一日をお祈りします!

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