富むことにも乏しいことにも

 「私のことを心配してくれるあなたがたの心が、今ついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜んでいます。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。
 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。
 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:10-13)

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 二極化とか富裕層とか、巷間言われる。
 先進国中が実際にその通りなのは明らかで、新自由主義の勝者以外はどうにもならない。
 もしこの現代にパウロがいたら、上のように「富むことにも乏しいことにも」などと言えるだろうか。
 もちろん言うだろうと私は思う。
 なぜならパウロは金銭の多寡というものに価値を置いていないからだ。
 「私を強くしてくださる方」のうちにあることで湧き上がってくる満足感が、最も価値あるものだったはずだ。
 貧しくとも富んでも、パウロは変わらずパウロであっただろう。

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 ヨハネ伝の10:28まで続けて読んできましたが、しばらくアトランダムに進めます。

 健やかな一日をお祈りします!

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