復讐という不義

 「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」(マタイ5:38-39)

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 聖書の中で最も有名かもしれない聖書箇所。

 「目には目で、歯には歯で」という律法には、やられた限度内での復讐が認められている。
 ほんのちょっとでも復讐できると、案外それでせいせいとするものだ。
 だから、人間のできていない私などは、「目には目を」は、なかなか都合のいい律法じゃないかなどと思う。とてもよく思う。
 ところがイエスは違うのだ。上の「目には目を」を、「左の頬も向けなさい」というところまで厳しくして突きつけるのである。つまり、復讐の放棄を要求し、それどころか「悪い者」にはもっと打たせろというのである。
 こうしてイエスは、復讐という肉の罪を指摘しては容赦なく糾弾し、神の義とはこれほどのものだと私たちを突き放す。せいせいする、などという気持ちもまた、肉の罪なのだろう。
 この神の義を前にして、一体誰が胸を張って立つことができるだろうか。ただただひれ伏すほかなくなってくる。私たちは、すべて不義なる者なのである。
 そして、「左の頬も向けなさい」を到底できない自分の不義を遂に受け容れたとき、その人は神の義に満ち足りるのである。

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 健やかな一日をお祈りします!

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