心の貧しさについて

 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)

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 山上の説教のはじめ。

 私は、次のようなタイプの人を個人的に2,3人知っている。
 それは、自分の内面を見ることを極度に怖がるタイプである。ただ、内面の何を怖がっているのかは、外側から窺い知ることはできない。
 こういう人は、実は、今の言葉で言う「リア充」だ。彼らはもっぱら外に目が向いているが、むしろ、外側へと目を反らしている、と言ってもいいかもしれない。
 薄々ながら、内面の貧しさに気付いているような気がする。

 しかし心の豊かな人というのも、まずいないだろう。
 人にはさまざまな側面があるので、見られたくない側面、心貧しい側面があるはずだ。
 そのような心貧しい部分に自身が気付くかどうか。そのことをここでイエスは投げかけている。
 これに気付いてはじめて、その人は天の御国を追い求め始めるだろう。「リア充」自慢をやっている場合ではないことに気付くかもしれない。

 天の御国とは、御父と自分との和解である。というより、その和解があるので天の御国になる。
 このことは、とりもなおさず、御父と和解した自分が自分自身とも和解することを意味する。
 欠点も醜いところも多いこの貧しい内面を見て、今はそれがうれしい。
 天の御国に至るこの心貧しさへの気付きをもたらしたくて、イエスは第一声を発している。

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 健やかな一日をお祈りします!

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