あわれんでくださる神による

 「神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました。
 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(ローマ9:15-16)

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 ことわざに、「天は自ら助くる者を助く」というのがある。
 そのとおりだ。この世で生きるためにはそれ相応の努力が必要であり、その努力は必ずや実を結んで報いられる。

 しかし、今日の聖書箇所にある「事」というのは、上のことわざのようなことではない。
 すべてアダムの肉を持つ人間に必要な、魂の救いのことを指す。
 その救いは、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と仰る神に全ての決定権があるのであり、人間の側の何らかの努力やわざの結果ではない。
 これが神の恵みである。「あわれんでくださる神による」のである。
 人間としては、恵みを求め祈ること以外に何ができるだろうか。

 この世のことはもっぱら自力で行う必要があっても、救われることについては全てを神の御手に委ねるしかない。

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