WALKER’S 

歩く男の日日

今年初めての宿 (4)

2016-06-16 | 16年四国の旅


 昨年10年ぶりに横浪スカイラインを歩いて浦ノ内の民宿旭に泊まって、やっぱりこの道はきついから2度と歩くことはないだろうと思ったけど、今年も浦ノ内に泊まることになってしまいました。なずなの予約がとれなかったから仕方なくという感じでしたが、とれなくて良かったと今では思っています。そしておそらくこれから毎年ここにやってくることになるかもしれません。なずなからだと岩本寺は遠すぎます。ここからでぎりぎり、来年以降は電車を使うつもりもありませんから。この前日の宿も桂浜の近くにある民宿まさごに固定することにしたこともあります。まさごはまだ一度も泊まっていないし、評判も全く聞いたこともありませんが、遍路宿ランキングで◎が3,○が1なので問題ないでしょうし、料金も6300円でこの付近の宿の中では最も安価だし、龍馬パスポートで500円引きのクーポンがもらえます。パスポートがブロンズになると1500円相当の豪華料理券がもらえます。いずれも次回にしか使えないから毎年行くことになります。

 「四国遍路」の著者で元朝日新聞の編集委員、辰濃和男さんの色紙が食堂に飾ってありました。横には民宿の前で撮影した写真も額に入っていました。数年前までは毎年年賀状も届いていたそうです。86才だから体調が十分ではなくなったのかもしれないと、みっちゃんが言います。
 昨年泊まった旭と比べて、それぞれちょっといい感じ、トイレは大分いいし、お風呂もきれいだったし、部屋も落ち着いて良かったし、テレビは断然見やすいところにセットされていたし、階段が安全で下りやすかったし、食堂も別棟ではなくぞうりを履かなくていい。よくよく考えればいいことだらけでポイントがずいぶん高くなった。みっちゃんも気さくですごく話しやすい。40年近く前の台風でこの集落は大波に洗われて全部駄目になった。全部それ以降に建てかえられたものだという話をしてくれました。宿帳を見るとこの半月で10人くらい、シーズンでも1月に20人前後の泊まり客しかないようです。距離がいまいち良くないところにあるから仕方のないところでしょう。高知屋からここまで来られる人は多くないし、ここに泊まると次の宿は久礼になるからそれもうまくない。

 肉じゃがは温かかったし、右の名前の判らない魚の唐揚げもできたて、温かいものはご馳走です。同宿はいなくてみっちゃんとお話ししました。もう全部の雰囲気が何ともいえず心地よい、

 2食付き6500円、旭より500円安いのもうれしい。みっちゃんの運転でスカイラインまで送ってもらいました。慣れた道とはいえ急カーブ連続の急勾配の細い道を見事なハンドル裁き、年齢は聞かなかったけれど聞いていたらちょっとびっくりするかもの若々しさ。こういう宿に戻ってこられる、お遍路の楽しみがまたひとつふえました。


今年初めての宿 (3)

2016-06-15 | 16年四国の旅

 2番目のお気に入りの宿は、ちょっと迷ったのですが、やっぱり宿毛の米屋旅館。ご主人の元気な出迎えはお遍路にとってはとてもありがたい。1日中歩いて疲れきった身体で見知らぬ宿に入る、その最初の印象はとても大きいと感じました。前期の時はたまたま奥さんもいっしょでその笑顔が何とも感じよくて心癒されるものがありました。
 家田荘子さんがおすすめ宿に推薦していたので、ぼくのページでも◎の宿にあげていたのですが、ネット上でもあまりこの宿の評判を聞くことがなくて、ちょっと半信半疑の部分もあったのですが、想像以上でした。ちょっと古いのが気になるという書き込みを見たことはあったのですが、確かに古さは感じますが、全く気になりません。鉄筋コンクリートの3階でがっちりした建物だったのはちょっと意外、どちらかというとホテルに近い感じですが部屋は和室で、お風呂トイレは部屋とは別にあります。写真は左が四元奈生美さん、右が家田荘子さんの色紙です。

 左上の鍋はすき焼き、ちゃんと牛肉です。海老フライは温かくてすごくうまい。右上はたっぷり過ぎるほどのカツオのたたき、お汁は鯛の潮汁、いやぁ、ちょっとびっくりのご馳走です。時間をかけて残さずじっくり味わいました。
 同宿は2回ともいませんでした、宿毛には新しいまなべという評判の宿があるし、秋沢ホテルも人気があるし、そのほかにもホテル旅館があるからこんなにいい宿でもなかなかお客が集まらないというのはちょっと残念です。
 2食付き6500円、ぼくは夕食だけだったので6000円、龍馬パスポート(青)で500ccのペットボトルのお茶をいただきました。


今年初めての宿 (2)

2016-06-15 | 16年四国の旅


 今年初めて泊まった23の宿の中で一番のお気に入りは、なんといっても雲辺寺を4km下ったところにある民宿青空屋です。こちらのご主人、奥さんも歩き遍路の経験者です。宿をしているともちろんなかなかお遍路には出られない、特にこちらはワンコが6匹もいるので人に預けることもままならない。ご主人は今度歩くとしたら通しで歩きたい、奥さんはワンコたちがいなくなったらその写真を首にぶら下げていっしょに歩きたいといいます。写真の左の低い垣で囲まれたエリアはワンコたちの運動場。犬や猫のいる宿を毛嫌いする人もいますが、こちらではお客さんのエリアと完全に隔離されているので全く問題ありません。奥さんの出迎えはすごく明るくてそれですぐいい宿だと判ります。設備も全部清潔できれい、洗濯乾燥は無料です。ぼくは普通乾燥機は使わないのですが軽くかけようとしたら、ご主人が来て操作の仕方を教えてくれて、自動にすればそんなに時間もかからず完全に乾くからと、きっちり乾燥にしてくれました。

 ハンバーグが少し遅れて出てきたので、天ぷらが半分くらいお腹の中に入ってしまいました。天ぷらも猪のハンバーグも熱々、お汁以外に二つのお皿が熱々というのはなかなかないことです。しかも時間差で出てくるから最初のが冷めることもない。こういうことまで気を使ってくれるのは、遊庵とうまめの木ぐらいです。
 同宿はベルギー人の男性、逆打ちで明日で区切るそうです。言葉が通じないのでほとんど会話もなく早々に自室に引き上げていきました。
 もう一人は雲辺寺の下りで追い抜いた女性、昨日は伊予三島のホテルリブマックス、そんなに健脚でなくても三島からここまでは無理なく歩けるようです。彼女が到着したのは16時15分頃でした。食堂に地図を持ってきていて明後日からの宿の相談を受けたので、一つ一つ紹介していきます。明日はいやだに温泉に予約しているので次は坂出まで歩きたい、その次は天皇寺の次に白峯に先に登れば国分寺まで、例によって坂出まで電車に乗ることを勧めます。その次は八栗寺の門前、そして88番までですが門前の宿には泊まらず、すぐコミュニティバスで引き返して高速バスで難波のホテルに泊まる。始発に乗って高野山へ、町石道を歩いても宿坊に泊まらず帰ってこられると、一連の流れを助言すると、これで先が見えました、と一安心したようでした。安心したところで彼女も自室へ引き上げたので、ぼくも一旦部屋に帰ったのですが、食堂にコーヒーのセットがあったのを思いだして再び食堂へ、お遍路ではない3人の女性が食事を終えてお酒を飲みながらご主人といっしょに歓談中、ぼくも仲間に入れてもらいました。3人のうちの一人だけがお遍路の経験者でご主人と知り合いのような感じで、田舎に遊びに帰ってきたという雰囲気、二人の女性はお遍路の経験はなく、経験者の女性がしきりにお遍路の経験談をして二人を誘っているような感じ。ご主人もお客さんの話や遍路道の話をして加わっていきます。ぼくのように伊予土居から来るお遍路さんもごくたまにいるそうです。話しぶりからして100人に一人か二人という感じ。同じくらいの割合で民宿岡田から来る人もいるそうです。標高900mの山越えといってもそのきょりわずか10kmほど、9割以上は三島からということのようです。

 ごく普通のシンプルな朝食に見えますが、シャケがめちゃくちゃ熱々ですごくうまい。朝食を断らなくて(金刀比羅宮に行かなくて)良かったぁと心底思えるくらいでした。卵焼きもとても好きな味。こんないい宿にこれから来ることがないのいうのが本当に残念で仕方ありません。別格を巡ればくることができるから、もしかして来年は108ヶ所を歩くことになるかもしれません。


今年初めて泊まった宿

2016-06-14 | 16年四国の旅

 今年の旅は今まで泊まれなかった評判の宿にできるだけ多く泊まるために交通機関を利用して距離を合わせるという、今までにない試みの旅でもありました。最初の計画では初めての宿は17軒だったのですが、思いがけずやり直すことになり来年以降に予定していた6軒にも泊まることができて、大きな収穫の年になりました。実際に体験して語るのと、評判だけを聞いて語るのとでは、説得力に差が出てきます。


 先ずは、ロッジカメリア。冷静に客観的に判断して今年初めて泊まった宿の中でポイントは一番高いと言えるかもしれません。
 新しい地図には載っているかもしれませんが、昨年9月に出た英語の地図にも載っていない新しい宿、土佐清水市下ノ加江、安宿から橋を渡ってすぐのところにあります。元は一心庵という善根宿だったのですが、庵主さんが体調を崩されて閉めていたところに、歩き遍路で4回巡った大阪のご夫婦が移ってまた宿を始めました。素泊まり3000円で、お接待で、夕食はカレー、朝食はパンが出ます。実質2食付きと考えてもいい。部屋は3つ、ぼくが泊まったのは右端の三角屋根の増築した部分で洋室ベッドでした。あとの2室は見ていないので判りませんがたぶん和室のようでした。ぼくは和室の方がいいので、不満といえばそれだけでした。それも大したものではありません。洗濯乾燥は無料、コーヒーはセルフで飲み放題、設備全て新しくて快適、ご夫婦も優しくて応対も最高、夕食の後、玄関のところがちょっとした談話室のようになっていて、そこでたくさんお話を聞かせてもらいました。英語の地図にまだ掲載されていないのに外国の人もよく見えるそうです。やはりフランスの人が多いそうです。春のシーズンはほぼ毎日満室、地図には出ていなくてもネットでかなりの人に知られているようです。
 歩き遍路のみで、自転車、バイク、車の人は泊まれません。
 コストパフォーマンスも考慮に入れれば ☆☆☆☆☆ ということになるでしょう。何しろ文句をつけるところが見あたらないのですから。カレーもすごく美味しくて満腹とまではいきませんがちょうどいい量で十分満足できました。大食の人は菓子パンかおにぎりを一つ二つ買ってくればいいだけのこと。
 



 これでもカロリーは700kcal はありますから、朝食として不足はありません。不足な人は橋を渡ったところにコンビニがあります。

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39日目 (4)

2016-06-12 | 16年四国の旅


 與田寺を12時20分に出て38分で東照寺に到着です。途中にコンビニがあったのでアイスを買って昼食にします。與田寺からの道は一度歩いているのでもう大変な目に遭うことはありません。遍路シールも時々出てきます。
 東照寺には山門はなく境内もそんなに広くはなくてこぢんまりした感じではあるけれど、その縁起を見てみれば、ちょっとびっくりの由緒あるお寺でありました。四国の札所の多くで聞かれるのは大師が刻んだ仏が祀られている、ということ、でもその多くは高野聖の宣伝による根拠のない伝説のたぐいと思われるのに対して、こちらの薬師にははっきりと手印と御名が刻まれているということだからそれらとは全然違う本当に歴史と格式のあるお寺といえるでしょう。
 
 そうして見上げる大師像は一段とありがたみがあるような。


 東照寺から13分、13時23分、讃岐白鳥駅に到着です。電車は14時05分だから十分すぎるくらいの時間でした。

 14時37分、3番札所金泉寺に到着したのですが、板野駅から道をはずしてわちゃわちゃしてしまいました。最後の最後まで締まらないことです。この時期でこの時間なので歩き遍路さんはいませんでした。4月の初めなら5番当たりに宿をとる人がいてもおかしくないでしょう。

 15時13分、2番札所極楽寺に到着、この間もお遍路さんの姿を見かけることはありませんでした。境内でも車遍路の人が数人いるだけでしたが、お参りを終えて山門のところまで戻ってくると納経所の前のベンチで外国人の若いカップルが休んでいます。大きなザックも横にあるからこれから歩くということなのでしょう。

 1番札所のすぐ手前でちわ、まお、めぐみを思いがけず発見。昨年は気づかなかった。

 15時36分、1番札所霊仙寺に到着です。やはり歩き遍路さんは見かけませんでした。全くいないということではないけれど、すでにオフシーズンに入っているという感じです。300mほど手前で若い女性を追い抜いたのですが、結局お寺には入ってきませんでした。お参り納経は初日に済ませていて1周するのが目的で山門の前まで来てそのまま板東駅に向かったのかもしれません。むしろ普通の考え方といってもいいかもしれません。1番だけ2回お参りするのはいいとしても2回納経するのは理解できません。お寺の人にお礼参りのお接待を受けてそれはそれですごくよかったという人もいましたが。
 16時22分発のバスには余裕を持って乗ることができました。初めてここでアクエリアスを買うことができました。
     前期の費用は 23日間で 149742円
     後期の費用は 17日間で 116548円  交通費込み


39日目 (3)

2016-06-11 | 16年四国の旅


 西教寺を出た後は地図が手放せません。へんろ地図はかなりアバウトな感じになっていて、大きめのパソコン地図を作製してきて正解でした。へんろ地図だけでは、たぶん正しい道をはずしていたでしょう。高松自動車道に突き当たって右折、高速道沿いの道は意外にアップダウンがあって苦労しました。そしてやっとのことで国道11号に合流、国道を離れるポイントも慎重に確認、もう迷っている場合ではないですから。農免道路の最後にちゃんと看板が出ていました。

 11時19分、西教寺から74分で釈王寺に到着です。想定タイムより2分遅れですがアップダウンがかなりあったから納得の数字です。
 雰囲気があり、格式も感じさせる佇まいです。

 境内にはいると本堂はさらに一段高いところにあって威厳を感じさせます。大師堂はありませんでした。


 12時05分、釈王寺から34分かかって四国総奥の院與田寺に到着です。釈王寺を出たところの点線の道は途中で歩きにくくなっていてそこを避けたら何となく道を1本はずしてしまいました。すぐ気づいて修正できたので大事にはなりませんでした。ぼくの持っている2010年の地図から新しく道ができていてちょっとややこしいことになっています。

 與田寺には7年前に1度来ているけれど、その時にはミニ西国があることには気づきませんでした。残念ながら電車の時間があるのでお詣りは辞退するしかありません。


39日目 (2)

2016-06-10 | 16年四国の旅


 県道に連れ出してもらってからは、そのまま県道を歩くだけなので何の心配もなく、最初の目的地、西教寺の近くまで快調に歩くことができました。県道を初めてはずれるところにはこのように大きな看板もありました。


 大正の時代にはすでに88ヶ所とは別の霊場巡りが確立されていたということのようです。


 門前にそびえる二つの大木が出迎えてくれます。9時46分、宿から184分かかってようやく西教寺に到着しました。いろいろあったので想定した時間より8分ほど遅れましたがまずまずです。


 大師堂もあってお大師さんもおられました。


39日目=1番札所へ

2016-06-09 | 16年四国の旅


 四国での最後の朝食をいただきます。
 初めてのお遍路さんがよくする質問に、1番札所まで戻るべきかどうか、というのがあります。義務も決まりもないからそれぞれの人の思いを優先させればいいと答えることにしていますが、なかなか決められないという人もいます。ぼくは今年は4番札所からお参りを始めたのでいやでも3番、2番、1番とお参りをしないことには結願にはならないので今年も1番に向かって歩きます。
 昨年は久々に一番近道の10番札所切幡寺に向かう県道を歩いたし、その前は1番札所に下りてくる卯辰越、その前は3番札所の近くに下りてくる線路沿いの道を歩いたので、今回は番外霊場を巡る道を歩くことにします。番外霊場そのものにはあまり興味はないのですが、赤線の道はできる限り押さえておきたいという変な欲求です。数は極端に少ないでしょうが、そこへ行きたいという人に質問されたとき速やかに答えるようできていればそれも一つのお接待。

 
 八十窪のおばあちゃんに、歩けるうちは歩いたらええ、とありがたい言葉で見送ってもらいました。また元気に戻ってこられるように、しっかり準備をしたいと気持を新たにします。
 民家の庭先にワンコ、実はこの時またちょっと大変な事態が起こっていました。最終日に来てまたマイゴちゃんの復活。番外霊場西教寺に向かう道で二つの短絡路の点線がありますが、そこでまた道をはずしてしまいました。最初の86-1の地図の鈴竹集会所の近くの道は、倒竹が道をふさいでかなり歩きにくくなっているところがいくつもあって悪戦苦闘したのですがそこは何とか抜けました。その後の104-2の地図の日下峠の手前の点線は入口ははっきり判ったのですがその後が最悪でした。誰が歩いても迷うような道でした。もちろん道しるべは皆無、その結果迷いに迷って出てきたのがワンコの前、篠山と違って民家があって人も出てきてくれたのでこれでなんとかはなるだろうとほっとしたときの写真です。
 出てきたおじいちゃんにとにかく県道に出たいのだと、説明したのですが、あまり要領を得ない、結局軽トラで送ってもらうことになりました。最後に来て迷惑をかけてしまいました。軽トラ1台がやっと通れる道が続いて、その道を来たのですが、それを逆に進めば普通に県道に出られていました。おばあちゃんはお茶でも飲んでいかんかとと勧めてくれましたが電車の時間もあるので不本意ながらお断りするしかありません、そうしたらペットボトルの綾鷹を持たせてくれました。
 県道に出て歩き始めたらおじいちゃんがクラクションで見送ってくれました。ふり返って両手を大きく振って答えました。峠を少し越えたところでした。


38日目 (3)

2016-06-08 | 16年四国の旅


 そして今年の四国の旅最後の宿へ、本当のラストナイトを迎えます。
 玄関に向かう途中、宿の向かいのガレージの前に、交流サロンでいっしょだった女性がいました。自転車をガレージに置かせてもらったけどシャッターがうまく閉まらないようです。徳島まで出てしまうと思っていましたが、同じ宿に泊まるということなのでいっしょに玄関に入っていきます。
 玄関にはシューズが一足、この時期ともなると、そうは満室にはならないのかと思いきや、後から逆打ちの人と、バスで来る人が加わって5人で夕食を摂ることになりました。先に来ていた男性は順打ちで初めての人、今日は志度寺あたりから来たようです。言葉からして関東の人。自転車の女性は東京の人、お遍路は3回目で逆打ちは今回が初めての男性は神奈川県海老名の人、昨日1番霊山寺を打ち終えて結願したけれど、88番から始めたので1周つなげたくて今日はここまでやってきた。最後コミュニティバスで18時過ぎに来たのも、千葉県船橋の女性、ぼく以外の4人は見事に関東勢がそろいました。彼女は順打ちの初めてで別格も回っている。全部歩く訳ではなく積極的に交通機関も利用する。明日の別格20番大瀧寺もすでにタクシーを予約していると言ったら、若女将がもったいないから私が上まで送ってあげると言って、タクシーをキャンセルさせてしまいました。ぼくなどからすれば、最後のあの山道を歩かない方がもったいないという感じだけど、もちろん口には出しません。ぼくは登りの山道であの道が一番好きかもしれません。あの道だけはどういう訳か全然疲れない、必死にならなくてもいいいしあまり汗もかかないし、知らないうちに上まで来ているという感じ、珍しくて不思議な感じのする山道です。

 熱々のうどんが先ずうれしい、冷めないうちに先にいただいてしまいます。そして赤飯、普段は食べられないから3杯おかわり。これを食べてようやく今年のお遍路も終わったのだと実感、そして、ここから来年が始まる。


38日目 (2)

2016-06-04 | 16年四国の旅


 長尾寺ではお参りを含めて35分の休憩、12時21分に発ちます。屋島を下ってきたときに登り口のベンチで金倉寺と昨日一宮寺でも会った外国人男性が休んでいて、少し話をしたときに今日は88番まで歩く、3時30分には着くと言ったので、一応そのようにはしたい。ちなみに、彼は昨日は一宮寺の近くの善根宿に泊まって今日はおへんろ交流サロンで野宿、荷物は15kgもあるので35kmが精一杯だということでした。
 ご覧のように、長尾寺を出る頃にはすっかり雲は消えて快晴です。気温も上がって、体調は十分なのに前山ダムまでのタイムはぎりぎりベストタイでした。時速は6.38km、ダムの手前は急坂だから調子が良くてもこんなもんです。おへんろ交流サロンに到着したのは13時10分、もちろんお遍路さんは誰もいません、と言いたいところでしたが、すぐ夫婦のお遍路がやってきました、続いて自転車の女性もやってきました。女性は東京からで4回の区切りで今回がもちろん結願、明日は高野山を目指すそうです。夫婦は花折峠の方からやってきたので出会わなかったという訳です。女性はお遍路大使の任命証と緑のバッジをもらって大喜び、ぼくは冷水と熱いお茶を何杯もお代わりして最後の締めくくりの歩きに備えます。


 女性は一足早く出発、ぼくも25分休んだので、すぐ後に続きます。花折峠へ向かう舗装道を登り始めてすぐ、昔の遍路道の登り口がありました。佐藤さんに聞いて、へえそんな道があるのだ、と知ったのはつい最近のことでした。英語の地図にはちゃんと緑の点線が記入してあったので歩くことはできるのかも、と半信半疑でしたが、ちゃんと道しるべがはっきり見えました。でもさすがに今回は時間の余裕もなく、どれくらい時間がかかり、体力的にどれだけの負担があるか全く予想がつかないので、諦めるしかありません。最後は気持ちよく終わりたいということもあったし。


 入口から22分後、峠の少し手前に出口も発見しました。これはかなりだいじょうぶそうな感じです。来年は初めからそのつもりで登りたいと思います。


 国道を離れて最後の脇道に入って14分、長尾寺の手前でも何枚か見かけた新しいさぬき市の遍路道しるべがありました。この道を歩くのは本当に気持ちがいい、またここまで戻って来られたというのと、もう明日で四国を後にするのかという何ともいえない寂しい気持が入り交じります。


 そして、結願所大窪寺の山門です。時刻は15時13分、前山ダムから98分45秒、ベストを2分も上まわる最高の歩きで締めくくることができました。


38日目=花折峠

2016-06-02 | 16年四国の旅


15時32分、民宿八十窪に無事到着しました。前に向かって進み続ければここまで来るのは当たり前ですが、なんだかいつの間にかまたこの道を歩いている。昨日は初めての道ばかりだったせいか、今日は見知った道ばかりを歩いて不思議な感じがすることもありました。
 朝は雲が厚くて陽射しがなく歩きやすい、昨年屋島までの立ち上がりが踵の痛みのせいで駄目だったことを思い出します。それに比べたら今の何と調子の良いこと。出直しの旅は結局最初から最後まで好調が途切れることはありませんでした。この5年間の四国の旅で一番よかったことは紛れもないことです。調子が出なかった時は体調ではなく暑さのせいでした。こんなに思い通りに気持ちよく歩き続けられていいのだろうか、と却って疑問に思ったり、5年分の不調をやっとクリアにできたのだから、今までの分まで思う存分楽しめばいいじゃないか、いろんな思いが錯綜します。
 とはいえ、屋島の登り始めはいつだってそんな意欲を打ち砕くかのような急勾配、階段ではこれくらいの斜面はいくつもあったはずですが、舗装道でこれだけの斜面となると、太龍寺の山門の手前、神峯寺の手前、太山寺の山門の手前、八栗寺の手前くらいしか覚えがない。しかもそれらはこんなに長くは続かない。歩幅を小さくしてひたすら我慢しながら着実に前へ進むしかない。我慢の仕様でその日の体調を推し測ることができる。今回もやっぱりとても辛かったけど一度も立ち止まることなくしっかり向き合えた感じがします。タイムは三鈴からのタイムを書いて来なかったのでなんとも言えませんが、昨年より大分よかったことはまちがいありません。境内には歩きらしい人がいたのですが、菅笠も杖も白衣も何も持っていなかったのでお遍路とは判定できません。今回下りは久々に近道は行かず登ってきた道を引き返します。昨年つまずいて転落しそうになって怖くなったのと、どれくらい遠回りになるか計っておきたかった。でも通勤時間とあって水路沿いの細い道を車がビュンビュン飛ばして
、これはこれで危険ではないかと思ったりもします。
 八栗の登りに入ると下って来る人が、思わず、逆ですかと尋ねてしまいます。本当に毎日一人は出会います。3月4月なら理解できる。この時期からこんなにも多くの人がというのが解らない。八栗の最後のところで昔の山道が復元されたと聞いていましたが、ちゃんと入口に大きな説明書がありました。でも今回はパスします。結局近道より13分の遅れで到着しました。さて来年はどうしましょう。
 八栗寺の境内には緑茶サーバーがあります。たっぷりすぎるほど汗をかいたので先ず休憩、何度も何度もお代わりをいただきながらチョコと塩もしっかり摂って体調を調えます。ここでの休み方が後半の歩きに大いに関わってくることは昨日の歩きで身に染みている。10時からおぜんざいのお接待がありますとお寺の人に勧められたのですが1時間もあと、残念ながら辞退するしかありません。八栗の下りはタイムを意識せずゆったり歩きます。坂道が終わってからいくぶんしっかりした歩き、結果ベストタイ、少し暑くな
ってきたようです。
 志度寺でお参りを終えて、山門の前で休んでいたら歩きの男性が出てきたので、今日はどこまでですかと聞いたら、88番を行き過ぎて徳島まで入ってしまう、バスやタクシーも使いながらのお参り、ここから長尾寺までは歩くそうです。
 志度寺から長尾寺まではきっちりベストを狙いにいきます。この区間も7年間タイが出ていなくて、今回の好調を最後に証明しておきたい。とはいっても無理に力を入れると却って動きが悪くなることもあるから基本はリラックスです。長尾寺の手前では遍路シールの多くが剥がされて迷いやすいところもあったのですが、新しいさぬき市の公式道しるべ(徳島や高知で見られるものと同じタイプ)があって問題ありませんでした。結局長尾寺まではベストを1分以上上回る60分42秒で到着、時速は6.86km。なかなかこんなスピードで歩くことはこれからもないでしょう。
 長尾寺に到着したのは11時45分、車の人はツアーを含めかなり多いのですが、歩きの人は全く見えません。八栗の宿に泊まった人でも11時には長尾を出てしまうから当然のこと、でも昨年は珍しく3人もここでいっしょだった。一人は八十窪に泊まる女性、一人は長尾で泊まる外国人女性、一人は八十窪の予約が取れなくてその手前で野宿するという男性、でも会わないのがノーマル。

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37日目=鷲峰寺、光貴寺、法然寺

2016-06-01 | 16年四国の旅


15時38分、栗林公園近くの三友荘に到着しました。
 昨日の書き込みが途中になってしまったので先ずはその続きから。
 郷照寺から白峯寺へ向かう近道は一部遍路道を外れるのでベストタイムはなく、従って気負う必用もありません。ただ初めての道では唯一地図を作ってこなかったのでやや心配だったのですが、前に見た福田さんのお地蔵さんのシールを見つけ問題なく遍路道に入ることができました。舗装道から山道へ入るところに遍路小屋があって思わずへたりこみます。休むことなく上まで行くつもりだったのですが、やはりこの暑さでこの山道となるといつものようにはいきません。その後の階段もいつになくきびしいものになりました。タイムは想定していたものより1分遅れ、誤差の範囲内ですが、後半の調子は想定外。そして次の根香寺までも自分ではそれなりに動けていた積もりが3分も遅れてしまいました。山道から県道に上がってきたところで逆打ちの人と出会う、本日3人目、結願は7月、考えただけで恐ろしい。
 最後、根香寺から国分寺まではよく晴れてさらに暑くなんとか乗り切ったという感じ、電
車の時間があるので本堂しかお参りが出来ませんでした。うたんぐらは4回目にして初めて同宿者なし、物足りないような気楽でいいような。
 そして今日は番外三山を巡る旅、7割以上が初めて歩く道です。まず、坂出の商店街で野宿らしき若い男性を追い抜く、かなりくたびれている感じ、逆にぼくは朝一で快調にとばす。天皇寺までベストを1分上回りました。お参りを終え用を足したところで先程の男性ではなく青空屋で同宿だった女性が到着、一昨日は弥谷温泉、昨日は坂出まで来たいと言っていたからその通りになったようです。挨拶だけして彼女は水屋へ、ぼくは八十場駅に向かう。余裕を持って早めに出たので1本早い電車に乗れました。国分寺には7時45分に到着、山門の前で小柄な外国人女性が荷物の整理に大童、大師堂でお参りを終え戻ってきて、ディドユースティヒア?と訊いたら、ヤァー、と明るく答えてくれました。少し出たところでカーリーヘアの女性も見かけたから二人でいっしょに泊まったようです。次の鷲峰寺までは2㎞ちょっとなのですが一番迷いやすい道でした。へんろ地図だけでは大半の人が入れない分かりにくいポイントがありました。ぼくは大きな地図を作っていたので、何度か立ち止まって地図と周りの景色を見比べながら道を外すことはありませんでした。鷲峰寺へは22分で到着、想定していたタイムと同じです。鷲峰寺は参道から山門を抜けて本堂まで一直線の登りでいい雰囲気のお寺です。ろうそく、線香立ても一応ありました。納札入れを覗くと昨日の日付がありました、この5月のものだけで5~6枚、月山神社ほどではないけれどお参りに来る人は確実にいる。
 8時41分、次の番外に向けて出発、7㎞ほどの道のりです。勿論地図を片手に確認しながら進みます。おおむね問題なく進み、途中男性と挨拶、お参りですか、こんなところを?番外霊場に向かっています。ああ、そういうことですか、と納得してくれました。そして2㎞ほど手前で見つけたのが上の写真、国分寺の1㎞先から一宮寺までの25㎞の間で唯一見かけた遍路シール、道しるべです。ないと覚悟の行程で見かけると意外なほどうれしいものです。

 菩提院光貴寺は農業経営高校の隣にありました。鷲峰寺から71分、またも想定タイムと同じです。本堂は新しく立派な建物、大師堂もあり、それぞれろうそく、線香もできます。こちらの納札の新しいものは7日前のものでした。ここで最初の休憩、じっくり30分以上休んで塩も水もたっぷり摂って、気合いを入れ直して次の番外に向かったのですが、ここからが苛酷でした。11時を過ぎて陽射しが容赦ない。5㎞ほどでへたりこみました。ちょっと日陰で段差のあるお誂え向きの処がありました。さらに4㎞ほど先でも一息入れました。普通なら考えられないことです。この日の高松の最高気温は31℃、真夏日にお遍路はいけません。でも法然寺には想定タイムより2分早く到着しました。法然上人二十五霊場の御朱印帳を購入、もちろん御朱印も頂きます。今年の旅で最初の納経です。