15時32分、民宿八十窪に無事到着しました。前に向かって進み続ければここまで来るのは当たり前ですが、なんだかいつの間にかまたこの道を歩いている。昨日は初めての道ばかりだったせいか、今日は見知った道ばかりを歩いて不思議な感じがすることもありました。
朝は雲が厚くて陽射しがなく歩きやすい、昨年屋島までの立ち上がりが踵の痛みのせいで駄目だったことを思い出します。それに比べたら今の何と調子の良いこと。出直しの旅は結局最初から最後まで好調が途切れることはありませんでした。この5年間の四国の旅で一番よかったことは紛れもないことです。調子が出なかった時は体調ではなく暑さのせいでした。こんなに思い通りに気持ちよく歩き続けられていいのだろうか、と却って疑問に思ったり、5年分の不調をやっとクリアにできたのだから、今までの分まで思う存分楽しめばいいじゃないか、いろんな思いが錯綜します。
とはいえ、屋島の登り始めはいつだってそんな意欲を打ち砕くかのような急勾配、階段ではこれくらいの斜面はいくつもあったはずですが、舗装道でこれだけの斜面となると、太龍寺の山門の手前、神峯寺の手前、太山寺の山門の手前、八栗寺の手前くらいしか覚えがない。しかもそれらはこんなに長くは続かない。歩幅を小さくしてひたすら我慢しながら着実に前へ進むしかない。我慢の仕様でその日の体調を推し測ることができる。今回もやっぱりとても辛かったけど一度も立ち止まることなくしっかり向き合えた感じがします。タイムは三鈴からのタイムを書いて来なかったのでなんとも言えませんが、昨年より大分よかったことはまちがいありません。境内には歩きらしい人がいたのですが、菅笠も杖も白衣も何も持っていなかったのでお遍路とは判定できません。今回下りは久々に近道は行かず登ってきた道を引き返します。昨年つまずいて転落しそうになって怖くなったのと、どれくらい遠回りになるか計っておきたかった。でも通勤時間とあって水路沿いの細い道を車がビュンビュン飛ばして
、これはこれで危険ではないかと思ったりもします。
八栗の登りに入ると下って来る人が、思わず、逆ですかと尋ねてしまいます。本当に毎日一人は出会います。3月4月なら理解できる。この時期からこんなにも多くの人がというのが解らない。八栗の最後のところで昔の山道が復元されたと聞いていましたが、ちゃんと入口に大きな説明書がありました。でも今回はパスします。結局近道より13分の遅れで到着しました。さて来年はどうしましょう。
八栗寺の境内には緑茶サーバーがあります。たっぷりすぎるほど汗をかいたので先ず休憩、何度も何度もお代わりをいただきながらチョコと塩もしっかり摂って体調を調えます。ここでの休み方が後半の歩きに大いに関わってくることは昨日の歩きで身に染みている。10時からおぜんざいのお接待がありますとお寺の人に勧められたのですが1時間もあと、残念ながら辞退するしかありません。八栗の下りはタイムを意識せずゆったり歩きます。坂道が終わってからいくぶんしっかりした歩き、結果ベストタイ、少し暑くなってきたようです。
志度寺でお参りを終えて、山門の前で休んでいたら歩きの男性が出てきたので、今日はどこまでですかと聞いたら、88番を行き過ぎて徳島まで入ってしまう、バスやタクシーも使いながらのお参り、ここから長尾寺までは歩くそうです。
志度寺から長尾寺まではきっちりベストを狙いにいきます。この区間も7年間タイが出ていなくて、今回の好調を最後に証明しておきたい。とはいっても無理に力を入れると却って動きが悪くなることもあるから基本はリラックスです。長尾寺の手前では遍路シールの多くが剥がされて迷いやすいところもあったのですが、新しいさぬき市の公式道しるべ(徳島や高知で見られるものと同じタイプ)があって問題ありませんでした。結局長尾寺まではベストを1分以上上回る60分42秒で到着、時速は6.86km。なかなかこんなスピードで歩くことはこれからもないでしょう。
長尾寺に到着したのは11時45分、車の人はツアーを含めかなり多いのですが、歩きの人は全く見えません。八栗の宿に泊まった人でも11時には長尾を出てしまうから当然のこと、でも昨年は珍しく3人もここでいっしょだった。一人は八十窪に泊まる女性、一人は長尾で泊まる外国人女性、一人は八十窪の予約が取れなくてその手前で野宿するという男性、でも会わないのがノーマル。
最後の日もいろいろあったのですが、さすがに帰宅してまだ呆然とすることが多くてなかなかすぐ書く気にはなれないでいます。