北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

通勤定期を落としたら

2015-02-18 22:17:37 | Weblog

 

 ときどき夜遅くに東京の娘から妻に電話がかかってきます。

 別室でパソコン作業をしていた私には、何を話しているか分からなかったのですが、突然妻が「えーー!何それ!三ヶ月分?大きいね!」と大きな声を上げて驚きました。

 その後もなんだか困ったような話をしているようで、さすがに聞きとがめて「どうしたの?」と話に割り込みました。

 すると「定期を落としちゃったんだって。三ヶ月定期らしいんだけど。買い直すとなると高いじゃない」とのこと。娘がそれで落ち込んでいるようでした。

「それってパスモかスイカでしょ?なら再発行できるはずだよ」と私。
「え?なに?そんなことできるの?」と妻が言うので電話を替わって定期が何だったかを訊くと「パスモだよ。でも機械で買ったんだよ?それでも再発行できるの?」

「定期だったら記名方式で名前を入れて買うでしょ?パスモだったら落としたときの再発行ができるし、現金をチャージしてあればそれも記録に残っていると思うよ。とにかく拾った人が使い込んだりしないように、早めに手続きするといいよ」
「あ~、分かった。やってみる」

 とまあ、そんな会話をしたのでした。

 実は私も過去に郵便貯金のキャッシュカードと一体になったSuicaを落として、1万円以上もチャージしてあったので焦ったのですが、すぐに手続きをしてチャージした分も現金で口座に振り込んでもらったという経験があるのでした。

 そんなわけでICカード乗車券はちゃんと記名で買っておけばいろいろと便利なことがあるというお話し。

 方やで、何でもかんでもそれで自分の個人情報が拡散して行くのがいやだ、という人もいることでしょう。

 個人情報を提供することでその代わりに利便と保険を手に入れるという取引をどう思うかで、どう行動するかは本人の自由です。

 でも私は、個人情報を提供することを拒んで社会の中で独立して生きていこうという生き方よりは、一定のリスクを受け入れながらネットワークによって社会的利便を手に入れる生き方を選びたいと思います。

 社会の中で孤立しないためにも、社会とどんな関わりを持っていくかを考えるのも生涯学習でしょう。


 その後娘からは、「一日遅れたけど再発行できて、チャージしてあった分も無事に戻ってきた」という連絡がありました。

 まあ良い社会勉強にはなったことでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筆づくりに百点満点はない ~ 致知3月号より

2015-02-17 22:43:06 | Weblog

 今月号の「致知」のなかに、書道の筆作りにまい進する、筆工房亀井代表の亀井正文さんの随想が掲載されていました。

 工場でどんどん大量生産のモノができてくるこの工業時代に、なお手作りだからこそ求められる職人の一本があります。そんな亀井さんのお話をどうぞお読みください。


      ◆     ◆     ◆


 筆の道一筋四十年。
 私は明治時代から続く江戸筆工房の四代目として日夜筆作りに没頭しています。東京都の伝統工芸士に認定された平成十一年当時は、工房を構える東京・練馬区内にも十数名の筆職人がいましたが、今ではここが唯一の工房になりました。

 手掛ける筆は年間約一万本、一千種類に及びます。使い手の要望に順応することを心掛け、その一つひとつが百パーセント手作り。

 そうして手間隙をかけ、一本の筆が完成するまでに十年以上かかることも少なくありません。

 近年は武田双雲さんなど日本の著名な書道家、海外の絵師にも愛用され、述べ二万五千人の方々にご注文いただきました。

 いま心から思うのは、筆職人の仕事は、本当に良い仕事だということ。あくまで道具にすぎない筆に、使い手が墨を付け、その作品が評価された時や「亀井の筆は、やっぱり違うな」とお声をいただいた時の喜びは、何物にも代えがたいものがあり、大きな励みとなります。

 とはいえ、私はこの道を好きで選んだわけではありませんでした。当時の花形といえば自動車業界。高校卒業後、私は自動車工場で板金工として働いていましたが、二十四歳の時に椎間板ヘルニアを患い手術。板金の仕事をあきらめざるを得なくなり、やむなく家業を手伝い始めたのがきっかけです。

 当初は材料の動物毛特有の臭いで充満する職場や儲けが良いとは言い難い仕事を好きになれませんでした。しかし、続けていくうちに、その醍醐味に魅せられるようになっていったのでした。

 筆職人は、決して一朝一夕で務まるものではなく、基本姿勢のあぐらで数時間座り続けることに三年、一つの工程を修得するにも五、六年はかかります。私は全三十工程をものにして独り立ちするまで、実に二十年の歳月を要しました。

   (中略)

 最も苦労したのは、四十歳から三年ほど営業の仕事に携わったことでした。筆作りを終えた夜七時頃から書道家の先生のお宅を何軒も訪問し、帰宅するのは深夜二、三時。翌朝九時には工房に入る。そういう生活の中で、数多くの忘れえぬ経験をさせていただきました。

「書き味が悪いから来てほしい」と電話があって駆け付けると、お弟子さんさえ入ることが許されない書斎で、実際に書くところを見せてくれました。筆の持ち方や書き方、癖を把握することで、改良すべき点が明確になり、技術の向上をもたらしてくれました。

 その一方で私にはある危機感がありました。今はまだ父の看板で仕事をさせてもらっているけれども、もし父に何かあったら生活が立ち行かなくなってしまう。私は五十歳の時、未熟な自分に終止符を打つため、「五年間だけ離れさせてください」と直訴。父のアドバイスを得られない環境に身を置き、筆作りに打ち込んでいきました。

 結果として四年目に、父は帰らぬ人となってしまいましたが、この時の経験が筆作りに対する自信や責任感を確立したことは間違いありません。
 これまで経験してきたすべてのことは成長の糧だった。今心からそう思います。

 自分自身の歩みを振り返り、また何人もの弟子を見てきて感じるのは、「器用な人間は職人に向かない。不器用な人間こそ伸びる」ということです。

 器用な人間は無難にこなせるため、始めのうちは早く成長します。ところが、苦労を経験していないから応用が利かずに途中で止まってしまう。一方、不器用な人間はなかなかものになりませんから、「何とかしよう」と努力する。

 やはり苦労して苦労して積み上がっていった人間の方が良い仕事をするのです。

「筆作りに満点はない」というのが私の持論です。六十六歳になったいまもなお、百点だと思った筆は一本もありません。どんなによくても九十五点だと思っています。

 なぜなら、筆は使い手が愛用していく中で書き味が良くなり、育っていくものだからです。

 ゆえに、自分自身の枠にとらわれず、いかに使い手の思いに応ずることができるか。それが筆作りにおいて大切なことだと考えています。

 先人が遺してくれた古き良き日本の技術を守り、柔軟に新たな形を取り入れるーこの不易流行の精神を貫いて、五十年、百年先にも続く伝統の道を切り拓いてまいります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まずは飛び出そう

2015-02-16 23:45:08 | Weblog

 先日のシンポジウムで、工業系の学校の先生から、「最新の3D技術を習得するためには、パソコンなどの機材も新しいものを入れないとついていけないんです」という話がありました。

 実はソフトに関しては、学校教育には無料で使ってもらってよいという流れができているのですが、ソフトがあってもハードが力不足というのが、学校教育の現場の実態。

 シンポジウムの中で、「小松さん、こういう状況はどうにかならないのでしょうか」と話を振られましたが、私の答えは「なりません」という冷たいものでした。

 公共事業の予算としては、直接教育のための資金提供はできません。しかし、企業が社会貢献の一環として現場をよく知る機会を提供したり、さらには企業間の提携を仲介するとか、CSRのような形で使えるお金があるならば、それを将来の人材育成に振り向けるというような使い方はあるのだと思います。

 将来の人材育成と言うと漠然としてますが、それに携わっている人たちがどういうことに困っていたり、悩みがあるのかという情報を仲介して広げることで、それを助けられる人たちとのマッチングができるようなシステムがあればよいと思います。

 世の中は情報化時代になった、とはいえ、必要のない情報ばかりが飛び交っているだけで、真に必要な情報が真に役に立つところへは伝わっていないのが実態です。

 教育界も、自分の知っている狭い世界だけで考えて「どうしようもない」と途方に暮れるばかりではなく、様々なネットワークを使って外へ飛び出すことで救いを求めた方が良いと思うのです。

 これからの時代は、自分だけの世界に閉じこもっておらずに外へ外へと飛び出して活動を広げ、だからこそ手に入れられるチャンスや縁を活かすようなあり方を模索した方が良いと思います。

 殻に閉じこもるな、飛び出そう

 何も変わらない日々を変えられるのも自分自身でしかありません。まずは自分がなにかを変えてみようではありませんか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いじめを解決した男の子の行動とは?

2015-02-15 23:00:45 | Weblog

 ネットに「とある男の子が女子グループのいじめを解決した方法」という記事が載っていました。

 いじめがなかなか減らないのは、いじめられた子をかばうことで自分もいじめられたり仲間外れにされるのではないか、という恐怖があるから。

 それをこの記事の中の男の子は、それを実にさりげない行動で解決に導き、最後にはいじめっ子までも仲間外れにすることをしないというのです。

 実際のいじめの現場で敢えて声を上げるというのはとても勇気がいることです。でもそれがごく自然にやれる子がたまにいるのですね。

 しかし誰でも声さえあげれば解決するというものでもなさそうです。声を出したその子に人間としての魅力があればこそ、その声になびく人が増えることでしょう。

 「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳(かんば)し」

 こういう子供さんに次世代をしっかりとリードしてほしいものです。

【とある男の子が女子グループのいじめを解決した方法とは?】
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私たちは「ドボジョ芸人」です

2015-02-14 22:58:27 | Weblog

 昨日の「CIMシンポジウム」の後で、関係者一同で慰労会と言う名の懇親会を行いました。

 事例発表者やパネリストたちは、「もう少し話せばよかった」などと反省点も口をついて出てきますが、概ねは「まずこういう機会を作ることができて良かった」という点で一致。

 こうした印象的なイベントを通じて、業界も自分たちの会社だけではなく、業界全体や日本の将来のインフラの担い手について意識を高めてほしいと願います。


       ◆ 


 さて話は変わりますが、この懇親会にはシンポジウムに協力してくれた建設業者さんに勤める若い20代の女性技術者が何人も参加してくれました。

 建設業の現場を情報化施工などで効率化することの先には、女性の技術者やオペレーターがこの世界に入りやすくすることも狙いの一つになっています。

 そういう意味で、意欲を持って建設会社に勤める女性の技術者たちの本音がどこにあるのかは決してオジサン的興味ではなくて、関心のあるところです。

 まず「『ドボジョ』って言い方をどう思いますか?」と訊いてみると、やはり半数以上が苦笑いで困ったような顔をします。「全部濁音っていうのが美しくないですよね…(笑)」という反応がほとんどです。

 『建設小町』という言い方も登場しましたが、どうもこれも大人の男が作った単語としか思えません。女性の側から「こう呼んでもらえたらカッコよくて嬉しい」という言い方が出てこないとだめでしょうね。

 
「女性だから期待されてしまうことなんて現場でありますか?」
「ええ、ちょうど今の時期がそうなんですが、バレンタイン・デーなんですよ」

「あ、本当だ(笑)やっぱりチョコを渡さないといけないの?」
「はい、人数分作りましたよ!」

「え~?チョコを作るの?」
「うふふ、といっても、チロルチョコを三つ袋に入れ直すだけですけどね」

「あはは、でも期待には応えちゃうんだね。厳しいなあと思うことはありますか?」
「いいえ、今のところは逆に『この子を潰しちゃだめだ』というので、却ってものすごく気を使ってくれているように感じます」

 ある企業の方は、「うちにも女性で現場のサブに着けている子がいるんですが、あるとき職場の長が不在の時に調整事項が発生して、『これどうするんだ!』とちょっともめかけたんです。それで会議が開かれることになったんですが、その場のトップがサブにつけたその子だったもので、もめそうになった当人たちが『こりゃ自分たちもちゃんとまとめよう』という機運になって、一気に調整が進んだなんてことがありましたよ(笑)」と言っていました。

 女性であることが弱いことの代名詞で使われていることによるエピソードの様な気がしますが、こういう時期を経て普通に現場に女性が増えてくれば、女性ならではの感性が現場に生きてくることを信じたいと思います。


       ◆ 


「それにしても、我々にはわからない女性ならではの『あるある』やら『これだけはやめてほしい』なんてことはたくさんあるでしょうね。テレビの人気番組『アメトーーク』みたいに、皆さんにひな壇に座ってもらってネタを提供してもらうような企画をやったら出てくれますか?」

 そう水を向けたら、女性陣はみな目を輝かせて「あー!それ絶対やりたいです。思っていることをいう機会ってなかなかありませんから」と大乗り気。

 建設業界も、真面目な女性の進出を語ってばかりではなくちょっとくだけた雰囲気で彼女たちの本音を引き出して、それを現場で生かすような工夫があっても良さそうですよ。


 新年度企画案『私たちはドボジョ芸人です』。

 建設業界の皆さん、よろしくお願いします。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目指せ建設業の効率化~CIMシンポジウム

2015-02-13 23:42:41 | Weblog

 土木工事をICTと機械力を使って効率化を図ろうという「情報化施工とCIM」に関するシンポジウムを開きました。

 そもそもの問題意識は、今後我が国の人口が減ると、建設業に従事する人たちも当然減ってきます。それなのに維持管理すべきインフラは得るどころか増えてゆきます。そしてそれらの維持管理と更新に投入できる予算には限りがあって、我が国のインフラを守る体制の根底が揺らぎかけているということです。

 しかも建設業に従事する人たちも高齢化しており、熟練の技が新しく入って来る若い人たちにうまく繋がるのかどうか、と言うことも心配です。

 このような問題に対する一つの解答は、『建設業をより効率的にすること』であり、その方向の一つが機械を自動化したり、様々な建設データを有効に使って、調査から設計、施工、維持管理へとつながるトータルな流れをより省力化することにあるに違いありません。

 CIMとは、"Construction Information Modeling"の頭文字をとった略語で、建設に関する情報を使い尽くすというイメージの言葉です。

 以前はそういうことを言われても、「やれれば便利だね」というくらいの構想でしたが、最近はコンピューターの発達と、衛星を使った測量の精度が上がってきたことで、かなりいろいろなことがやれる社会環境が整ってきました。

 国としても、一定規模以上の工事では積極的にICT化された機械を使った「情報化施工」をするように指定をして、情報化施工の経験を増やそうとしています。

 しかし機械が高価な事やデータを作る手間と人材の問題、安定した利益などいくつもの不安定な要素があって、なかなかこの手の施工が一般化する機運が盛り上がっていません。

 業者さんは二極化しつつあって、「ICT化と情報化施工を進めなければ次の世代は大変なことになる」と考えて積極的に情報化施工に取り組む業者がいる一方で、まだまだ様子見のところが大半を占めています。

 しかし、もうそろそろ本腰を入れて効率化への取り組みをしてゆかないといけない時期に近づいています。

 今日はそうした取り組みの各種委員会で委員長を務められている立命館大学の建山先生の基調講演や、実際にさまざまな取り組みを行っている業者さんの報告、そして私も出演してのパネルディスカッションを行いましたが、聞いてくださっていた方には課題を共有することができたと思います。

 パネルディスカッションの中では、工業高校や土木の専門学校でもこうした動きをもっと学生に教えたいが教材や実際に現場を見る機械などが不足しているという声があり、こうしたことにもっと企業も協力して連携できる可能性があるように思います。

 難しいテーマですが、このテーマでの勉強会はこれからも回を重ねて意識を高めてゆきたいもの。

 建設業の効率化と魅力化は待ったなしです。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェイスブックによる縁の繋がり

2015-02-12 23:44:23 | Weblog

 もう長くブログを書いているのですが、もともとブログとはアクセスしてみて初めて何が書いてあるかが分かる情報ツールです。

 RSS登録という、ブログが更新されたら教えてくれるという機能もありますが、それにしても普段から見るお気に入りのブログじゃないとRSS登録もしませんね。

 私自身のブログは、掛川への単身生活の現地報告から始まって、掛川のまちづくりの感動記録や備忘録、反省の記録、未来への希望の種…と言う風に進化してきたものですが、やはり私自身を知ってくれている方でなければブログにアクセスしようとは思わないものです。。

 書いたところで人の目に触れにくいことから、私は「守りのSNS」だと思っています。

 ところがフェイスブックが出始めた時に、なんだかわからないけれど自分のブログを紹介する飛び道具として使ってみることでどういう風に縁が増えていくのかを見極めてみようと思いました。

 フェイスブックが面白いのは、誰かが「いいね!」を押した記事はその人の友人登録をしている人も見られるようになるという機能です。この機能のお陰で、私自身の記事も、直接の友達による「いいね!」を通じて友達の友達にまで記事が紹介されていくというわけです。

 自分が共感したり応援してあげたくなる記事には、(いいねえ)と思うだけではなくて「いいねボタン」を押してあげることで見える範囲と、共感の輪が広がります。

 そしてこの機能のお陰で、世間的にちょっとツボにはまった記事ならばグンとアクセス数が伸びることがあります。フェイスブックの面白いところです。


       ◆ 


 さらに私はフェイスブックでの記事をあげるときに、ブログのアドレスを短縮する「bit.ly」というツールを使っているのですが、これを使うことでどういうアクセス状況か、と言うことをもう少し詳しく見ることができます。

 昨日の「子供の体重と同じ重さのお米をお祝い返しに使う」という記事は思いのほかアクセスしていただきました。

 私はツイッターでも同じことをしているのですが、ツイッターはあまり真面目にやっていないので、やはりほとんどがフェイスブックによる伝搬ということのようです。

 自分が面白いと思った感動が少しでも多くの人に届くというのは嬉しいものですね。

 これからも、どんな風に縁が繋がるのか、という自分を使った実験を続けてみようと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出産祝いのお返しは…これか!

2015-02-11 23:45:57 | Weblog

 

 娘夫婦から孫誕生のお祝いのお返しが届きました。

 お返しの品は生まれた子供と同じ重さのお米という趣向。包みを開けると生まれた時の顔写真と共に、名前、生年月日、体重が描かれています。

 二人目の孫は体重3,166グラムで生まれてきたので、ちょうどその重さのお米が入っています。これを抱きかかえれば生まれた時の孫を抱いた気分になるというものです。

 お米は魚沼産のコシヒカリ。やはりもらってうれしいブランド米ならではのビジネスなのかもしれません。

 重さに対する費用がリズナブルで日持ちもして、しかも食べればなくなるということで、お米は実に都合の良いお返しの品なのかもしれません。

 慶弔に合わせるというのはなかなか優れたビジネスアイディアだなあ、と感心しました。これがお茶だったら3kgは多いですし費用もばかになりません。

 

 しきりに感心していると、「上の孫の時もこれだったでしょ?」と妻から言われたのに、「あれ?そうだったかな?なんで覚えていないんだろ」

「ああ、釧路にいた時だからちらっと見せただけかも」
「そういうことかぁ」

 やっぱりその場面にいないと印象深く覚えてはいないものですね。

 同じくお米が届いた義母からは、「お米届いたよ。上の子にそっくりだね」という電話がかかってきました。

 まずは新しい赤ちゃんの健やかな成長を祈ります。
 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落語は人を救う~笑生十八番師匠と大和屋琴似寄席

2015-02-10 23:56:11 | Weblog

 

 今夜は地元琴似の大和屋さんで開かれた「大和屋琴似寄席」に行ってきました。

 本来は毎月第一火曜日の夜に開かれるこの会ですが、今月はちょっとずれて第二火曜日。

 毎回登場する笑生十八番(しょうせいおはこ)さんが今日も登場。つい先日もススキノの「蕎麦屋たいせつ」さんで「たいせつ寄席」で十八番師匠を観たばかりで、どうも最近は十八番師匠の追っかけになりつつあるようです。

 今回は地元の料理屋さんで寄席が定期的に開かれているというので、まずは地元のお店を知ることが主眼でしたが、楽しい会でした。

 夜六時頃に大和屋さんに到着して、二階で食事をしてそれから演目が始まります。ワンドリンクがついて落語付きで3千5百円はリズナブル。今度は両親を連れてきて楽しんでもらうのも良さそうです。

       ◆  

 特に今日は十八番師匠の生き様を取材した本、「落語は人を救う~笑生十八番伝」の出版記念寄席でもあって、十八番師匠がこれまで縁を築いてきた応援団がこぞって来たものだから、80人以上の観客が訪れました。

 笑生十八番師匠こと原正さんは、島根県松江市の生まれ。北大水産学部で学ぶ中で、北大落語研究会に所属しここでちょっと好きだった落語に本格的に出会います。

 卒業後に職を転々とする中で最後に出会ったのが落語で、「これがあった。これしかない」という思いで、ご本人は「命を懸けて落語をやっています」というがシャレでも笑いでもなく本当の気持ち。

 いわゆる芸能人としての落語家は、普通は一門に入門をして落語協会などの会に所属し、そこで二つ目、真打などと出世した中で「落語家」を名乗りますが、十八番師匠は「私は独学の落語家です」と言って憚りません。

 「面白かった、また観に来ます」という客を相手にして、話すことで縁が広がってそれが仕事になっています。

 よく、「落語家です」と言うと、「ははあ…、で本業は何なんです?」と訊かれるそうですが、本業が落語家。片手間ではありません。

 落語の演目を芸能として聴くのか、落語家の生きざまを見届けようとしているのか、それは観客一人一人の心の中の問題。

 でもこうして住んでいる地域に、地元を発信しようというお店があって、ある縁で落語が聴けるというのですから、やっぱりまずは地元から味わいたいものです。

 
 
【大和屋琴似寄席】 
 http://kotoni-yamatoya.jp/about.html
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊張を練習で克服する

2015-02-09 23:38:12 | Weblog

 

 中学生だった頃の冬に、ちょっとふざけた遊びをしたことがありました。

 当時通っていたのは旭川の市立明星中学校。6時間目が終わると当番で教室の掃除をしたものです。ふざけた遊びとは、長さ7~80センチの掃除用箒の柄を持って、空中に投げ上げて一回転させてまた柄をつかむという単純なもの。ちょっと練習すれば誰だってできるようになります。

 ところが中学生のそのとき遊びは、その一回転を、二階の窓から手を外に出して、二階の空中で行うというもの。部屋の中だったら簡単にできることが、二階の窓の外だととっても緊張するのです。

 もちろん失敗して箒を落としたら、一階へ降りて玄関から外に出て校舎をぐるっと回って教室下の雪山を漕いで取りに行かなくてはなりません。

 部屋の中と同じくすれば何ということはない動作が、(失敗したら大変だ)と思うだけで平常心を保てずドキドキしたことを今でもはっきりと覚えています。また案の定、何度か落として外へ取りに走った覚えがあります。

 もしもマンションの高層階に住んでおられるのならお勧めしませんが、もし家に二階があって外に手を出せる窓があるなら是非一度やってみてください。成功したとしてもとても平常心ではいられないような極度の緊張が襲うことでしょう。

 これって平常心を保つための訓練として使えるなあ、と思ったのもつかの間、すぐに先生にバレて叱られ、「二度としないように」と厳命される羽目になりました。

 まあ子供のいたずらですが、子供心に冷静さを保つことの難しさを知った遊びでした。


        ◆ 

  

 大人になった我々には、「緊張をいかに取り除くか」というのは、かなり重要なテーマです。。

 大勢の前で話をしたり、皆に見られている中でパフォーマンスを行うというのはとても緊張するもの。

 ネットや本屋さんでは、「緊張しない方法」についていくつもの記事や本を探すことが出来ます。
 
 どれも本当の要素を多分に含んでいますが、私が人前で話をするときに考えていることは、「技術の問題」と「心の問題」の二つに分けられるように思います。

 「技術の問題」でいうと、やはり練習をすることしかありません。最近某飲料製品のCMで、アイススケートのオリンピック金メダリストの羽生結弦さんが、「出来なかったら出来るまでやる。 出来るようなったら完璧に出来るまでやる。 完璧に出来るようになったら何度でも完璧に出来るまでやる」というセリフを述べていますが、一流アスリートの技術とはそういうことなのでしょう。

 「心の問題」で言うと、それだけ練習をしているのだから大丈夫だという安心感を持つことと、やはり場数を踏むこと、そして「所詮たいして注目されてなどいない」「だから失敗して非難されても自分のせい」と楽観することです。

 「過去と他人は変えられない、変えられるのは自分と未来」なのですから、他人がどう思おうとそれを変えることはできません。そういう達観があればむやみに不安になることはありません。


 でも緊張するシーンを敢えて作って、ドキドキするストレスを感じる瞬間ってたまにあった方が心が鍛えられるように思います。たまになにかの試験を受けたりするのも心の成長には効果がありますね。

 これもまた生涯学習でしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする