北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

わが家の雪を公園まで運んでみた

2015-01-25 23:12:42 | Weblog

 

 一戸建ての家の大変なことの一つが冬の雪かき。

 融雪槽をつけてはみたものの、やはり使えばお金がかかるわけで、最近はよほどのことがない限り使わないようにして、敷地に降る雪は家の裏の敷地に運ぶようにしています。

 しかし今年はどうも雪が多く、そろそろ家の敷地もあふれかけるようになって、家の前に山積みにしていました。

 このままでは雪山がたいへんになるということで、近くの児童公園まで雪の塊を運んでみました。

 ここ数年、近在の住民が大きなそりに雪を積んで、公園まで運んでくる姿が増えました。

 本来地域の公園は地域の悩みや苦労をオープンスペースとして受け止めるべきだ、と思っているので、私はこれは良い傾向だと思っています。

 私の家には雪を運ぶための大きなそりはないので、スノーダンプでできるだけ大きな塊を運びます。そのためには、雪もふわっと積んだのではだめで、積むたびにぎゅうぎゅうと踏み固めて固くしておく方が良いのです。

 こうしておけば、大きな塊が切り出せますし運ぶ途中で崩れて割れたりもしにくいのです。雪国の一つの知恵ですが。


       ◆  


 そうして何度か雪の塊を運んでみましたが、近くの公園といっても距離にして約100mはあります。この距離を大きくて重たい雪をえっちらおっちらと運ぶのはやってみるとなかなかの難儀です。

 公園はもうここに雪を捨てる人たちによって道ができていますが、このゆるいスロープでも重たい雪となると持ち上げるのが大変。10回ほど運んだところで疲れてしまって今日はそこまで。

 思いのほか重労働だということが分かりました。雪も締め固めるととっても重たいのです。


 公園に雪を捨てることが地域の中で認められるのなら、公園に近いところに住んでいる人は冬が楽に違いありません。

 そのことが地価に跳ね返るかと言うとまだそこまでは行っていないようですが、公園の近くほど暮らしやすいということの一つが除雪なのだと私は思います。

 
 そう思って公園周辺の家々を見てみると、真面目に道路の雪を公園にまで持っている人がいる一方で、何もせず道路の公園側にうずたかく積むだけで道路を広げようとしていない人もいます。

 公園に運ぶことを思いつかないのか、そこまでする気はないのか、体力が伴わないのか、いろいろな理由があると思いますが、まあ各家庭にはそれなりの事情があるのでしょうね。

 まだまだ冬の一番厳しい時期が続きます。地域の暮らしは地域の力で支えつつ春を待ちましょう。

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