昨日、友人と飲みながら「これからはどういう生き方が価値を持つだろうか」という話になり、そこで「自分の価値を高めるには」という話題になった。
自分の価値はどうやったら高まるのだろう。
まずは、自分の価値を決めるのは自分自身の思いこみではなく他人の評価だと思うことにしよう。だから他人にとって価値のあることをすればよい。
他人のために尽くして、役に立つと思われるのが一番だ。
もちろん、ボランティア活動などはその最たるものだが、皆がそうした時間を取れるわけでもない。
そうではなくても有用な情報を発信してあげるだけでも良いだろう。
それには、他人が行けないところへ行って、見られないものを見て、感じられないものを感じて、考えの及ばないことを考えることだ。
他人とは違うということは自分自身の個性なのであって、自分の脳や目や耳や筋肉など、他の誰でもない自分の肉体と能力をこき使って他の誰でもない自分の経験を積み、そしてそれを積極的に発信しよう。
回りがそんな生き方をしていなくても、他人と違う生き方を指向しよう。
それが誠実な気持ちで続けられていれば、きっと個性が磨かれてくるはずだ。
迷った時は人と違う方を選ぼう。
そうすればだんだん迷わずに人と違った方を選ぶようになる。
◆
実は、そういう生き方をしていると、他人の評価による価値などどうでもよくなってきて、自分自身が確信を持って行動することが自分の価値を高めていると気づくようになる。
それが思いこみでなく自己満足でもなく、真理だと確信した時には、もう他人の評価も視線も気にしなくて良くなるのだ。
◆
孔子は論語の中で「七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず」と言った。
自分がやりたいようにやっても、世間の常識からはみ出ることが無くなった、というのだ。
孔子ほどになると、自分の行動を俯瞰して客観的に見ることができるもう一人の自分に気がついていたのだろう。
凡人たる自分でも、そうこうこともあるものか、と思いながら理想を追求したいものだ。
自分の価値はどうやったら高まるのだろう。
まずは、自分の価値を決めるのは自分自身の思いこみではなく他人の評価だと思うことにしよう。だから他人にとって価値のあることをすればよい。
他人のために尽くして、役に立つと思われるのが一番だ。
もちろん、ボランティア活動などはその最たるものだが、皆がそうした時間を取れるわけでもない。
そうではなくても有用な情報を発信してあげるだけでも良いだろう。
それには、他人が行けないところへ行って、見られないものを見て、感じられないものを感じて、考えの及ばないことを考えることだ。
他人とは違うということは自分自身の個性なのであって、自分の脳や目や耳や筋肉など、他の誰でもない自分の肉体と能力をこき使って他の誰でもない自分の経験を積み、そしてそれを積極的に発信しよう。
回りがそんな生き方をしていなくても、他人と違う生き方を指向しよう。
それが誠実な気持ちで続けられていれば、きっと個性が磨かれてくるはずだ。
迷った時は人と違う方を選ぼう。
そうすればだんだん迷わずに人と違った方を選ぶようになる。
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実は、そういう生き方をしていると、他人の評価による価値などどうでもよくなってきて、自分自身が確信を持って行動することが自分の価値を高めていると気づくようになる。
それが思いこみでなく自己満足でもなく、真理だと確信した時には、もう他人の評価も視線も気にしなくて良くなるのだ。
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孔子は論語の中で「七十にして心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず」と言った。
自分がやりたいようにやっても、世間の常識からはみ出ることが無くなった、というのだ。
孔子ほどになると、自分の行動を俯瞰して客観的に見ることができるもう一人の自分に気がついていたのだろう。
凡人たる自分でも、そうこうこともあるものか、と思いながら理想を追求したいものだ。