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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

秋田湯沢市の冷酒パーティ

2011-07-22 23:45:19 | Weblog
 朝一番の汽車に乗って新千歳空港へ。そこからは飛行機で秋田空港へまっしぐら。今日は釧路市と姉妹都市交流をしている秋田県の湯沢市を訪問、毎年この時期恒例の冷酒パーティに参加です。

 湯沢市は、山形県、宮城県に隣接する秋田県の最南東部に位置し、県庁所在地の秋田市からは直線距離で約70kmの距離。隣接する宮城県・山形県とは、国道13号、108号及び398号で結ばれていて、秋田県の南の玄関口となっています。また、面積は790.72平方キロメートルで、人口は約5万2千人です。




 こちら湯沢市は最近市町村合併を果たしたのですが、今の自慢は合併した雄勝町が絶世の美女小野小町の出生・ならびに終焉の地であることと、稲庭うどんの存在です。

 こちらは江戸時代に佐竹のお殿様が水戸から移封されてきて、小藩ながら京都に繋がる格式ある風がもたらされました。8月末の大名行列などにその名残を見ることができるんだそう。一度そう言う時に来てみたいものです。

    ※    ※    ※    ※

 釧路との姉妹都市交流は昭和38年からといいますからもう47年になりました。最近は職員の相互派遣など実質的な交流も盛んになり、釧路からは市の教育委員会へ派遣をして優れている秋田の教育の実態をよく勉強してもらうことになっています。

 さて、湯沢市も米の産地と言うことでご多聞に漏れず歴史と伝統ある造り酒屋さん
があります。こちらで有名なお酒は「両関」と「爛漫」でしょうか。

 かつては10以上もあった造り酒屋も今では約半分に減ったと言います。世界に冠たる醸造技術からなる日本酒の消費量が減っているのは悲しいことです。
 【参考 並行複発酵について】北の心の開拓記「日本酒万歳」


 そんな湯沢市で今日行われたのが「第33回冷酒パーティ」。市内の蔵元が造るお酒をちょいとしたおつまみだけでみんなで味わおうというただそれだけの会です。 
 それでも会場には約3百人の市民の皆さんが集まって賑やかな会となりました。地元のお酒はどちらかというと甘口ですが、さすがにコクがあって奥が深い。






 市長さんや市議会議長さんなども遅くまでお付き合いくださいました。

 湯沢市は現在、宮城県石巻市の支援に人を送り込んだり被災者の慰労受け入れなどを行っているのだそうで、震災を皆で支える東北の人たちの連帯がよく分かります。

 今日の冷酒パーティに掲げられたスローガンは「秋田のお酒を飲んで東北を応援しよう!」というもの。

 私もがっつり応援してしまいました。うー、頭痛い…。


 
   【趣ある両関酒蔵の工場】
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思い出を蘇らせる記録 ~ GPSロガー購入

2011-07-21 23:45:42 | Weblog
 日本最大の電子掲示板サイトである「2ちゃんねる」にはいろいろな会話がありますが、この中から面白そうなものだけを拾ってふたたび掲示する「2ちゃんねるコピペ」というサイトもまた独自の存在感を放っています。

 掲示板の元のやり取りでは余計な会話が間にささってくるのを排除して、ポイントとなる会話だけを残しているのでわかりやすくなっているのです。

 こんなコピペサイトに、「日本人は記録するのが好き」というタイトルの記事がありました。内容はこんな感じ。

---------------≪ ここから引用 ≫--------------
【日本人は記録するのが好き】

6 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/04/01(金) 10:15:05.59 ID:WVjV/BB/0
今回の震災が起こった時、コメンテータの一人がここは大津波が頻発する
地域でその記録は平安時代の書物にもある、といってたが本当?

失礼ながら平安時代にあの地方の文献があるということも知らなかった。


8 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/04/01(金) 10:46:12.90 ID:INjMCDBm0
>>6
「日本三大実録」ですね。
日本書紀にも古事記にもあの地方の記述はありますし、平安時代でも記録はあるでしょう。
室町時代にはすでに、日本各所の(今で言う)県民性を表した書物(人国記)もありますよ。


13 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/04/01(金) 19:36:03.00 ID:mgTZ9TT60
>>6
日本人は「記録するのが好き&そしてなぜか残しておく」ので、貞観地震の記述は残っていたんだよ。
ただし「どの程度の規模だったのか?」が曖昧だった。
ここ2~3年の大規模な地質調査(陸上&海底)で思っていたより大規模な地震だと解ったので、
津波の想定を引き上げる予定だったんだそうだ。


17 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/04/01(金) 22:11:13.40 ID:/hmik5bc0
何が驚くって、その「竹取物語」が成立したとされる年代が
貞観地震・津波が起きた頃だということ。

物語中で、富士山が活動期だったことが判るからだって。


19 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/04/01(金) 23:26:57.36 ID:zKWlQdmF0
竹取物語って世界最古のSFなんだっけ。
宇宙人萌えジャンルすら平安時代とは恐るべし日本人。


---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 こういう記録好きのおかげで様々な過去の歴史の様子が分かります。ブログだって現代版の日記に過ぎないわけで、自分自身の記録をつけておくだけで書いた当時のことが生き生きとよみがえってきます。

 

    ※     ※     ※     ※     ※


 以前から欲しかった、GPSロガーをネットで注文しました。友人から「これ、いいですよ」と教えてもらった、液晶画面付きの製品です。



   《GPSロガー GP101》  http://bit.ly/qusR6P
 

 GPSロガーとは、今いる位置を刻々と記録してくれる機械のこと。データを後でパソコンに転送して専用のソフトで表示させると、地図上に移動した軌跡が表示されます。

 今日はどの辺で釣りをしたのかとか、自転車でどういうルートを巡ったのか、などをいちいち自分で地図に書き込む必要はありません。ただこのロガーのスイッチを入れてぶら下げておけば良いのです。

 何時にどこにいたのかや、A地点からB地点まで何分かかったのか、などといったことだって後からチェックすればよいので、ガイドツーリズムの下調査などにも威力を発揮してくれることでしょう。


   【便利な機能が満載】


    ※     ※     ※     ※     ※

 
 以前のブログ記事で「キャンプログをつけてみよう」と書いたことを思い出しました。

 家族とキャンプを何度もしていながら、ビデオや写真だけの記録しかないのは残念です。キャンプの記録って、ちょっとした子供の成長記録にもなっていたはずなのにね。

 過ぎた時も記録さえしておけば生き生きとした思い出がよみがえります。まあ日々を大事に生きろってことですかね。

 これからは機械の力でちょっとだけ、思い出の記録を助けてもらおうと思います。


【北の心の開拓記】070201 「過ぎた時を惜しむ」 http://bit.ly/mOtr1e
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市役所まるごとコーチング

2011-07-20 23:45:29 | Weblog
 市役所の最大の資源は人材。様々な形での職員研修が行われていますが、釧路では今年からコーチングという手法を取り入れることとしました。

コーチングとは、「相手の中にある可能性を引き出し、自発的な行動を促進させ、その人の夢や目標の実現をサポートするコミュニケーションスキル」のこと。

 一般的にはスポーツ指導などの分野で行われることが多いのですが、コミュニケーションを通して、相手のやる気、自発的な行動、能力を引き出し、対話を重ねることを通じて、クライアント(コーチングを受ける対象者)が、目標達成に必要なスキル、知識、考え方を備え、行動することを支援し、成果を出させることができれば、市役所などの事務作業においても活気あふれる職場になることが期待されます。

 市役所では部長、課長、課長補佐、係長、係員までほぼ全階層にわたってこの研修を受けることとして、「釧路市役所まるごとコーチング」という形で職場の活性化を図ることとしました。

 今日はコーチングを全面的に指導していただく小川安夫先生にお越しいただいて部長級を対象としたキックオフセミナーを開きました。これから自分たちが、そして部下である課長や係長がどのような研修を受けるのかを知っておくためです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 コーチングの目的は、単に目標達成のために叱咤激励をしたり、話し合ったりするためだけの行為ではありません。その究極の目的は『行動の変容』を促すことにあります。

 そして、コーチが傍にいなくても、変化に際して何をすべきかを自ら考えて、行動を起こせる状態を作り出すことを目指すのです。


 そこで今回釧路市役所では、

①階層別研修でコーチングの基礎を学ぶ

②部長職以下を通年でコーチング実践研修を行う → 庁内コーチの育成を目指す

③釧路市役所丸ごとコーチングを導入して、市役所の組織活性化を図る

④市役所と市民が協働する『市民コーチ』を養成する

⑤全国の自治体に取り組みを発信する

 という取り組みをすることにしています。コーチングを学んでいる自治体は多いのですが、コーチングから出発して組織全体を活性化させようという取り組みは釧路市が初めてなんだそうで、成果に期待が高まります。

 小川先生は全国各地でコーチングの研修をしていますが、ある自治体ではコーチング研修を頼まれた際に、「問題の職員がいるから何とかして欲しい」という要請があったのだそうで、これは本末転倒だ、とおっしゃいます。

 コーチングの最終目的は、職員一人ひとりの意識改革能力向上にあるべきだからです。


    ※     ※     ※     ※     ※






 さて具体的には、コーチングとは、上司が部下後輩の指導育成のためにおこなう相互の関わりの中で、対象者の目標達成、問題解決、技能向上を促進するコミュニケーションであり、何よりも最後には本人に『行動の変容』を促すことを強く期待しています。相手の中にある可能性を引き出し、自発的な行動を促進させるスキルこそがコーチングということです。

【コーチングの前提条件】 

 小川先生はコーチングの前提条件として、次の二つを信じようと言います。

①人間は誰もが無限の可能性を持っている。
②答えは相手がその人自身の中にある。

 ①では、その人間は可能性を最大限に発揮することを望んでいると信じることが大切です。また②でいう「答え」とは、ある目標を達成するのに、その人の能力や特徴を最も有効に発揮する方法のことで、それはその人本人がもっていて、それを引き出すことが大切なのです。。


 部下の指導と言うと、ともすると一方的に答えを教えてしまう『ティーチング』になっていることが多い、と小川先生は言います。答えを教えられることに慣れてしまうと部下は答えが与えられることを待つようになってしまいます。これでは主体性が芽生えません。

 そこでコーチングによって部下が持っている答えを問いかけを通じて引き出し、部下の自主性につなげる方が良いのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 コーチングの基本としては小川先生は三つの漢字を示しました。「信・認・任」の三つです。

 「信」とは、人間に対する絶対無条件にその可能性を信じよう、ということ。

 「認」とは、人間としての尊厳を認め、人は皆違うということを認めて、持ち味を認めて活かそう、ということ。

 「任」とは個性に応じた任せ方をしよう、ということ。

 最終的にコーチングとはテクニックではなく人間観の問題になりそうです。上司として部下をどう見るか、その可能性を信じているか、ということになりそうです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 コーチングには「効果的な問い」が命です。

 人は、自ら発見した答えによってのみ生き生きと前進出来るのです。まさに、自分の答えこそがやる気の元であり、そんなメンバーが多い組織は生き生きしてくるに違いありません。

 最後に小川先生からは、特に上司たる人たちには、部下が積極的に取り組めるように「スポンサーシップを発揮してほしい」とおっしゃいました。

 スポンサーシップとは部下に自分はコーチングを理解しているというメッセージを発すること。

 そのメッセージとは
・あなたがコーチングを導入してチームを活性化することが可能だと信じている
・あなたにはその能力があると信じている
・そんなあなたに私は気づいている。私はあなたを見ている。
 という内容の信頼のサイン。


これからは挨拶代わりに「コーチングやってる?」と訊いてみることにしようと思います。

 職員が常にそのことを思い出すように。
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木鶏クラブの信条

2011-07-19 23:45:56 | Weblog
 人間力を高めようという勉強会の「木鶏クラブ」は、月刊誌「致知」の読者が集まっているもので、今日も月に一度の会合が開かれました。

 この会については致知の発行元である致知出版社の認定が必要なのですが、このたび無事に釧路において発会することを認めていただきました。

 会の認定については要件などが制度として決まっているわけではありません。釧路の会の代表世話人が致知出版社に出かけて行って、担当の方と面談をしてその結果認定されたのだそうで、とりあえずは良かったです。

 要件を満たしさえすれば機械的に平等に認めるということではなく、人間学を標榜するだけあって、あくまでも参加しようとする【人間そのものを見て判断する】というところが良いと思います。

 
 我々の代表世話人は、会の設立を認められると同時に木鶏クラブの規約のひな型と、木鶏信条という書類をもらってきました。

 木鶏の信条とはこういうものです。

 【木鶏信条】

 ①我々は徳性を養い、人格を高めるためにここに集い、共に学ぶ

 ②我々は致知を通じて生きた人間学を学び、その学びを世に広め、後世に伝えることをもって会員たるの本旨とす。

 ③我々は常に自らのいる場を清め、高める

 ④我々は勤勉・正直・親切の徳目をめざす

 ⑤我々は心こそ運命を創るものであることを知り、高い志、感謝、素直、本気、プラス発想…の五心を尊ぶ

 ⑥我々は絶えず自反尽己(※)に勤める

 ⑦我々は一眼を歴史の彼方に、一眼を脚下の実践に努める

 ⑧我々は成功は多く辛苦の日々にあり、失敗は多く得意の中にあることを忘れず、慢心を排し謙虚に生きる

 ⑨我々は忠恕を旨とし、感謝報恩に生きる

 ⑩我々は我々を生み出しものへの感謝を忘れず、生涯現役・臨終定年をモットーに自己完成の道を歩む
                  (以上)

 注)自反尽己…自反とは指を相手に向けるのではなく、
   自分に向ける。すべてを自分の責任と捉え、自分の
   全力を尽くすこと。


    ※     ※     ※     ※     ※


   【孤独の時の過ごし方がカギ】


 
 「自反尽己」なんて言葉は初めて聞きましたし、今日の勉強会の中でもそれぞれのメンバーのいろいろな話が聞けました。

 後藤新平はこう言ったそうです。「財を残すは下。されど財なくんば事業保ち難く。事業を残すは中。事業なくんば人育ち難し。人を残すは上なり」と。

 これをもう少し砕けて言うと、「よく『金を残して死ぬ奴は下だ。仕事を残して死ぬ人は、まあ中だな。人を残して死ぬ人は上だよ!』と言っていた。(三島通陽著「音なき交響楽」より) 」ということになるのだそう。

 人を残すなどと簡単にできることではありませんが、まずは自分自身を高めることから始めたいもので、それも人と交わることで磨かれたいと思っています。

 中国の古典「大学」には「君子は、必ずその独りを慎むなり」とありますが、これは「立派な人物というものは自分独りでいるとき、つまり他人が見ていないときでも己をしっかり律していく」という意味です。

 「大学」ではこの「慎独(しんどく)」を非常に重視して、立派な人物になるための一番の基本としているそうです。

 月に一度くらい、こういう勉強会をするのは良いものです。 
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故郷の側が主体的に選ぶ時代

2011-07-18 23:45:36 | Weblog
「故郷再生 行動する首長会議」の二日目。今日は分科会に分かれて各地の首長同紙によるワークショップが開かれました。

 私もある分科会に参加して、各首長さんたちのお話を聞いていました。ここでのテーマは「蘇るふるさとイズムについて語る」というもの。なんだか難しいテーマです。

 いろいろな話が出た中で印象的だったのは島根県のある町の町長さんの発言。

 曰く、「派遣村にはショックを受けた。それは帰るべき故郷がない人たちがいるということ。昔は都会で食いっぱぐれれば故郷である農村に帰って暮らすという受け皿機能を農村が果たしていた。コメを送ってくれるのが田舎の故郷だと思って、よその土地にいる人たちにはコメを送っている」

 また、「都会の自治体とも職員交流をしていろいろな情報を入れる努力をしていますが、都会はもう年寄りの住むところではない、と思い始めています。それは、図書館だとか公民館だとか、年寄りが時間を過ごすような施設はもう満員であふれかえっているからです。これ以上年寄りが増えれば、そんな施設を利用できないお年寄りもどんどん増えるでしょう。なにより病院で死ぬなどという贅沢はやりようがなくなります」とも。


 すると別な首長が、「あなたのところでは団塊の世代が故郷の田舎に帰ってきますか?私のところでは、『奥さんが嫌がって帰ろうとしない』という人が多いと聞きます。そのために親や残した家の面倒を旦那さんが一人で来て見ているんです。これもまた問題だと思います」と発言。

「都会で便利で効率的な生活を心地よいと思ってしまった人たちは田舎の不便で効率の悪い暮らしをすることができないんだろうな」

 
    ※     ※     ※     ※     ※





 私が思うに、都会が便利で効率的だというのは、各種サービスのスペシャリストがいて、物事を効率的にやってくれるので早いし値段も安くできるということなのでしょう。

 そしてその裏返しが田舎のふるさと。ここでは人口が少なくてスペシャリストが食べてゆくだけの仕事がないためスペシャリストがい残ってくれません。
 
 田舎ではそのために「お百姓」という、多能工的な生き方をせざるを得ませんでした。農作業の傍らで草鞋を編み、家も自分で直し、木を切り炭を焼き、道普請もする。何でも自分でできなければ誰もやってくれないのが田舎の暮らしです。

 実はこれからの超高齢化社会を生きるヒントはこの辺りにありそうです。

 都会でお年寄りが増えすぎて対処できないとすれば、その受け皿はやはり地方の故郷であり田舎にならざるを得ないのではないか。

 ただしそれは姥捨て山ではありません。都会が要らないお年寄りを押し付けてくるのではなく、田舎のふるさとが受け入れられる人だけを受け入れるという、主体はふるさとの側でありふるさとが選んだ人を受け入れる。

 そうすると、受け入れてもらうためには田舎で暮らせるような考え方やスキルをもっていないといけません。そのためのスキルもふるさととの人間関係性も、リタイアしてから獲得するのではなく、現役のある程度のところからもう準備を始めておかなくてはいけないのではないか。

 
 そしてそうした人たちを受け入れることで都会から故郷の田舎に財政的な流れが造られるような運動も必要になるかもしれません。

 これらのことは、全体として都市と田舎の故郷の問題に見えますが、個人の問題となると、自分も都会で余される前にいつでも受け入れてくれる故郷をしっかりと持って、いつでも帰れるようにしておく準備が必要になるかもしれないのです。

 そうした運動体になるのが、今回集まった首長連合であるかもしれません。

 故郷の田舎が堂々と都会と渡り合って折り合いをつける、そんな時代がもうすぐ来るかもしれません。都会の側にも、いやとか言いすむ自分自身に覚悟が要りそうです。 
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【おまけ】都会のオアシス機能

2011-07-18 13:09:01 | Weblog
 東京の六本木界隈で打ち合わせをする必要があって、休めるところを探していたところセンスの良さそうな空間を見つけました。




 場所は東京ミッドタウンの前の素晴らしい立地で、最初は単なる喫茶店だと思ったのですがなんとここはドイツの自動車メーカーであるメルセデス・ベンツのショウルームでした。

 こちらには"DOWNSTAIRS" という喫茶コーナーがあって、アイスコーヒーを注文して椅子に座るとテーブルの上には電源と電子タブレットが置いてあります。






 きれいな女性の店員さんに訊ねてみると無料で卓上のタブレットは使えるし、ベンツの会員になると無料で自分のパソコンでの無線LANが使えるようにもなる、とのことで早速ちょっとした個人情報を登録して会員になりました。

 今日都会では電源難民と通信難民が多い中で、このような形で涼しい空間と電源、それに無線LAN、そして美味しいコーヒーが飲める空間を提供することが都会のオアシスに求められる機能なのだと改めて感心。




 また同時に、これを売りにする自動車のショウルームが登場したというセンスもある種の驚きです。車の説明を受けるだけのショウルームではもう時代遅れになったのかも知れません。

 さすがにベンツはセンスが良い。


 
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古代文明と日本の故郷

2011-07-17 22:11:00 | Weblog
 今日から明日にかけては、東京で開催される「ふるさと再生・行動する首長会議」政策研究フォーラムに参加です。

 フォーラムのテーマは「地域主権時代のふるさとイズムの構築に向けて~ポスト3.11 新たなふるさとの創造」

 基調講演をしてくださったのは美術史学がご専門で、東京大学名誉教授にして国立美術館理事長、東京国立近代美術館館長の青柳正規先生。お題は「古代都市国家の文明論」です。

 以下先生のお話をまとめてみました。 


    ※    ※    ※    ※




 日本は世界でも稀なダウンサイジングする国家としての道を歩むことになるだろう。人口が2割減るとしてもそれは企業の売り上げが2割減るのではなく、構造的な改革をする必要がある。

 国の成長が3%必要だ、などというのは昔からの成長路線のトレースに過ぎない。そもそも、日本のGDP500兆円が3%成長するというのは、フィリピンという一国が誕生するくらいのオーダーなんだ。そんなものを続けて行けるわけがない。年金が払えないから成長せざるを得ない、などという理屈から成長が必要だと言っている。

 経済の成長は経済学者が言うからそうなるのではない。一般市民の気持ちが左右させる。気持ちが明るくなれば消費は増えるし、気持ちが冷え込めばすぐに消費も少なくなる。

 政治や行政がどんなまちづくりをしようか、という方向性が変わるだけで市民の気持ちは明るくも暗くもなるものです。


    ※    ※    ※    ※


 日本という国は世界から見ると大変粒の揃った国民で、こんな国は稀なのだが、日本ではどうも手段が目的化しがちだ。経済市場主義もバブルの直前までは夢があって、それが忘れられないのだろう。経済発展のその先の生活が充実するという目的が忘れられてしまっているのではないか。

 補助金が増えるなどと言うことはもううまくいくわけがない。補助金の効果も薄れている。財政赤字は増えるばかりだ。ここで発想を転換しない限り、悪いループに入り込んでしまう。

 少し頭を冷やして古代ギリシャやローマを思い起こせば、各都市が非常に元気があったので良い地域になっていた。そこから今へのヒントを思い起こしたい。


    ※    ※    ※    ※


 地中海というのは春先に海が湖のように穏やかな時期があって、ちゃちな船でも行き交うことができる、そんな海だ。この当時の古代ギリシャで誕生した文明は現代への基礎としてしっかりと生き残っている。

 過去に於いてそれまでにはない、飛躍的な成果や知恵を生み出したのは古代ギリシャ時代に生きた人たちが実に多い。しかしその後ローマ時代になるとてローマ人は、「そういうギリシャの生活は良くないし、旨い物もないじゃないか」と核心をついたことを言っている。

 つまり知恵というものが市民一人ひとりの生活を向上させるためにはもう一ひねり加えて知識と知恵を再度シャッフルさせなくてもう一つ上を目指さなくては行けなかったことをローマ人たちは知っていたのだ。

 ローマ人には飛躍的な賢人という者は出なかったが、そうした知恵を実に現実的に上手に取り入れて、近代に至るまで後世の国々がなかなか凌駕出来ないほどの高いレベルの生活を手に入れていた。

 現代風に言うと、ノーベル賞を取る者はいなかったがそんな先端的なことは分からなくても市民によい生活をさせることはできたのだ。


    ※    ※    ※    ※


 人生の目的というのは「思い出作り」にほかならない。親しい人が死んだ時に悲しいのは、思い出を共有出来る人がいなくなるからに他ならない。祭や文化財があるのはそれらに思い出が付着しているから大事にするのだ。

 大震災で罹災した人たちが必死になってアルバムを探すのは、まさに思い出を求めているからだし、その風景を見て胸が締め付けられるのは、思い出が我々にとってこれほど大切なものか、と確認させられたからではないか。

 日本にはないけれど、ギリシャでは記憶の末梢という刑があるくらいだ。

 しかし新しい思い出作りばかりに意を注ぐと、昔ながらの思い出は消えてしまう。最近では「Always」のような映画は流行りやすくなっているが、その前には戦前があったし明治、江戸だってあったのだ。

 ジョージ・オーウェルは「過去を制するものは現代を制する」「過去を制するものは未来を制する」と言った。そのことの意味をもう一度かみしめたい。

 
    ※    ※    ※    ※


 地中海ではギリシャ人やフェニキア人などが各地の海岸で植民都市を作り上げた。インターナショナルと言うよりはインターシティだった。今日も国レベル同士のインターナショナルなつきあいだけではなく、都市間外交とも言うべきインターシティを一生懸命やった方がよいのではないか。
 
 中国で四川省の大地震があった時には行政の情報系統はほぼ潰れたが、中国では共産党によって情報が繋がってさまざまな指示も出された。ヨーロッパであればキリスト教会がそうした役割を担っている。

 このような社会の多重性が社会のリスクを少なくする。ところが日本ではその効率化を推し進めすぎたために、地域コミュニティや祭コミュニティなどの代替コミュニティが失われても平気だった。そのため行政が潰れると動きが取れなくなってしまうという、このことこそ反省すべきなのではないか。

 ローマ人は、ギリシャのように文化を押し進めると繁栄はするが社会が脆弱になることを知っていたので、ギリシャ化することを避け続けた。
 
 日本人も理念が先行するのではなく、社会そのものを見つめてしっかりした社会を理解した上でその再生に努めるべきだと思う。  (講演録ここまで)


    ※    ※    ※    ※

 古代文明から現代を照らしてみると、悠久の昔から変わらない真実と今日の社会が抱える変化との組み合わせがよく分かります。

 自分たちの故郷はどうなるのでしょう。いや、私たちは何をなすべきなのか。

 明日もパネルディスカッションが開かれます。
 
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映画「コクリコ坂より」を観ました

2011-07-16 23:45:11 | Weblog



 スタジオジブリ最新作「コクリコ坂から」を観てきました。

 原作は1980年頃に少女漫画の『なかよし』に連載された作品ですが、当時としては不発だった作品なのだそう。

 昨年2010年1月段階で、宮崎駿さんは、こう書いています。

【企画のための覚え書き「コクリコ坂から」について、より】
 1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である(その意味で「耳をすませば」に似ている)。

 高校生の純愛・出生の秘密ものであるが、明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したともいえるだろう。

 結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。

 少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。

 今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。 (引用終わり)


      ※     ※     ※     ※     ※


 原作の漫画は観ていませんが、映画の設定は東京オリンピックが行われる前年で、その頃の横浜を舞台にしていて、昭和30年代後半の雰囲気を思い出すことができます。

 父宮崎駿さんの企画を息子である宮崎吾郎氏が彼なりに解釈し、どこを生かし、どこを消し去り、どこをアレンジしたかというのが見所の一つ。

 どうやら吾郎監督は、高校生という年頃の恋心と前向きで真剣な生き様とまなざしをチョイスしたようです。主人公海の不安と安心の涙に、そして小さかった子供が立派に成長する姿に敬意を表する大人の姿に、不覚にも涙腺がゆるんでしまいました。

 そんなノスタルジックな恋物語を彩るのが横浜の海と港です。大きな船と小さな船の数々。

 静かな風景として、そして船が動くダイナミックな風景として。丘からの、また船側からの風景として。主たる景物として、あるいは添景、背景として…。

 豊かな表情を見せる海と港の風景にどこかで釧路を重ね合わせて懐かしさを誘う映画となりました。 


      ※     ※     ※     ※     ※


 なお、コクリコ坂からのコクリコとはフランス語でひなげしを意味する言葉で、原作の中では主人公である海のいる下宿が「コクリコ荘」という名前で登場するらしいのですが、劇中ではその説明はありません。もしかしたらどこかにあったのかもしれませんが見落としました。

 また主人公の松崎海が友達から「メル」と呼ばれていますが、これもフランス語で海のことを”mer”と言うところから来ていて、これまたせりふの中での説明がありません。

 下宿の住人たちの関係も不明確でストーリーに大きな影響を与えることはないものの、原作の色合いを生かそうとしつつ短い時間の中で説明し切れていなくて、よく分からないままに話が進むもどかしさがありました。

 下の娘が関わっているので「観たよ」と伝えたところ、開口一番返ってきた言葉は、「一回で分かった?説明が足りなくない?」というものでしたから、試写を観た段階で彼女もそう感じていたのでしょう。

 なお、コクリコ荘があるあたりの風景は山下公園の神奈川近代文学館のあたりだそう。あのあたりは壁上のマンションも多くて、映画の中のような風景にはもう会えないかもしれませんが、映画の風景探訪として横浜を旅行するときは見てみたいものです。

 
 先に引用した宮崎駿さんの企画書の最後はこう締めくくられています。


「観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるようなえいがになるといいと思う」と。


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選ばれる友達になろう

2011-07-15 23:45:51 | Weblog
 今日は札幌市内で朝から丸一日かけて国機関や道庁などに対して、釧路市が抱える懸案事項を説明して事業に協力していただくように要請・提言をしてきました。

 昔ならば「陳情」と言ったものですが、「国と地方は同等であるべきだ」という考え方の下で、下から上にお願いをするような「陳情」という物言いではなく、地域の実情や課題を解決するための「要請」「提言」というべきだ、として言い方が変わったものです。

 言い方は変わったとしても、首長以下市の幹部が国の局長、部長、道庁の部長さんたちと直接会って意見を交わす機会は大切です。

 こういう地道な活動一つ一つを積み上げて協力者を増やすことが課題解決の長い道のりです。市の思いも十分に伝わったことでしょう。

 朝9時から17時までびっちり活動した皆さん、お疲れ様でした。


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 夜は友人を呼び出して飲み会につきあってもらいました。

「札幌に来てるのか、分かった、誰呼ぶ?」「あ、任せる」

 そういって気の合う友達に声をかけてもらう一方で、最近フェイスブックで仲良くなった人や、昔会って最近は会っていない人にも声をかけた緊急飲み会。何人も集まってくれて嬉しかったです。

 かつてはmixiなどが地域SNSとしてネットで仲良くなって、あとは現実に会う出会いと対話の場になっていましたが、いまやそのポータル的役割は私の中ではフェイスブックに変わってしまいました。

 フェイスブックの良いところは、実名での発言が安心できるところと、発言に共感した証を「いいね!」ボタンで残せるところ。

 誰かの発言に、「そうだ、その通り!」と思っても、それをコメントとして書き込むにはかなり勇気がいるのですが、それを「いいね!」とクリックすることで賛意と共感を簡単に伝えることができます。この積み重ねで互いの信頼関係も醸成されて行くのです。

 今日初めて会ってフードライターの方とも一気にうち解けることができました。事前のネットでの会話があればスムースに入り込めて、周りが「えー?二人は初めて会ったの?」とびっくり。面白いね。


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 人生も年齢を重ねてくると、一緒に飲んで時間を過ごして楽しい友人というものを見極められるようになります。

 互いに自分の世界を持って、久しぶりにあったときに互いの生き様を見せやっこして、尊敬の念を確かめ合うことができる、そんな友人は何人いることでしょう。

 「いつかそういう友達をつくろう」「そのときが来たら」「暇になったら」…いつか、いつか、いつか…。

 そのときは今、この時しかないんだな、やっぱり。

 友達は選びましょう。そして選ばれる友達になろう。

 
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リーダーと古典

2011-07-14 23:45:27 | Weblog
 今日は朝から汽車で移動して、千歳~小樽~札幌というルートで空港・港湾関係でお世話になっている関係機関へ要望活動をしてきました。

 港も空港も、国境を越える交通および物流においては、税関(Customs)、出入国管理(Immigration)、検疫(Quarantine)の三つの手続きが必要で、普通これらは頭文字を取ってCIQと呼ばれています。

 国際空港ならばそうした仕事は日常なので常駐者がいることになりますが、地方空港に外国からのチャーター便が来るというということになると、その度にCIQの手続きを行うことになります。

 これらによって、不法密入国や麻薬の持ち込みなどの水際阻止、インフルエンザや口蹄疫などの水際防除などがはかられているためきわめて重要な仕事です。

 しかしこれらは地方空港では常駐するほどの仕事量ではないので、毎度札幌や千歳からの日帰りの出張で対応することになります。地方空港に外国からの飛行機が直接乗り入れるというのは簡単に聞こえますが、多くの裏方と縁の下の力持ちによって支えられていて、心から敬意と感謝の念を禁じ得ません。

 我々の要望が少しでも業務改善に繋がるよう連携しながら地方からの声を上げて行きたいところです。


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 さて、移動の車中で読んでいた月刊「致知」の8月号。

 今月の特集は「リーダーの器量」と題して、岩倉具視を団長に大久保利通、木戸孝允、伊藤博文など明治新政府の要人たちが維新間もないまだ世情不安定な時期に、結果として632日間にも渡る世界旅行をしたことを「壮挙」と評価。

「当時のリーダーはリーダーたるにふさわしい器量を備えていた」とした上で、「何よりも特筆すべきは、彼らのあふれんばかりのバイタリティであり楽天性である。そのバイタリティと楽天性が野放図に流れず、『武』と『学』の鍛錬によって陶冶されている。彼らの人間的迫力、人間的器量はそこに起因している」と絶賛。

 いつの世もリーダーに欠かせない資質とは、「一にバイタリティ、二に楽天性、三に絶えざる自己修練」なんだと喝破しています。

 どんな組織もどのようなリーダーがいるか、で浮沈、盛衰が左右されます。

 そんな人間的器量を養うにはどうしたらよいか。この特集では安岡正篤さんの「経世瑣言」から引用してその要諦を明らかにしています。

 すなわち、「まず第一に古今のすぐれた人物に学ぶことです。つまり私淑する人物を持ち、愛読書を持つことが、人物学を修める根本的、絶対的条件であります」

「次に大事な条件は、怯えず、臆せず、勇敢に、己を空しうして、あらゆる人生の経験をなめ尽くすことです。人生の辛苦艱難、喜怒哀楽、利害得失、栄枯盛衰を勇敢に体験することです。その体験の中にその信念を生かしていって、初めて知行合一的に自己人物を練ることができるのです」
と。


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 安岡先生の言う、「愛読書を持つこと」という愛読書とは流行の本ではなく、やはり古典と呼ばれる書物でしょう。古典とは、かつて読んだことがある本ではなく、常に座右にあって開くたびに気づきを与えてくれる書物です。

 人生に悩んだり迷ったりしたときに答えを求めて開くと、求める答え以外のところに気づかされることも多いもの。

 心のタガは油断するとすぐにゆるんでしまいます。それを古典を読むことで常に締め直すことができます。心のタガがゆるんでいると気づかされるのも、締め直されている状態に気づくからに違いありません。

 私にとっての座右の書、今は「言志四録」です。 
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