
市長が地域の皆さんとまちづくりについて語り合う「まちづくりふれあいトーク」に参加しました。
今日のお相手は、去る3月11日に発生した大地震による津波被害を受けた地区の町内会役員の皆さん約十名。
釧路は考古学的には9千年に22回の津波が訪れた形跡があるとのことで、津波被害を受けてきた地域なのですが、明治時代以降およそ近代都市を建設してきた150年の間には幸いなことに大きな津波にあった歴史がありません。
そのため市では津波ハザードマップを作って市民に配布することで、津波被害に対する避難意識の向上を図っているのですが、そうした歴史のために「釧路には津波は来ない」という都市伝説ともいうべき思い込みをしている方が多いよう。
それが3.11大震災ではテレビにリアルタイムで流される津波映像を観て恐怖に駆られ、初めて避難したという人が多く、それでもまだ津波が押しては引いている最中に「もういいだろう」と自宅に戻ったという人も何人もいたといいます。
今日の出席者の中にも「恥ずかしながら、夕方には家に戻ってしまいました」と言う方がいて、津波への危機感はなかなか浸透していないものだ、と改めて感じました。
※ ※ ※ ※ ※
会合の中で地域の役員の皆さんが一様に訴えたのが、町内会の組織率の低下という窮状。かつて200人はいた町内会の人数が今では半数以下で、かつ高齢化が進んでいると言います。
3月の津波の時も、地区のお年寄りの役員が要援護者として登録されている高齢者や障碍者を救援に行ったのだそう。
「町内会に入っていない人でも助けには行かないとならないしなあ…」
町内会が支え合いの精神でなりたっているのですが、恩恵もいらない代わりに奉仕も参加もしない、という気持ちが広がっているのは残念なこと。
しかし一方で町内会側でも、結束を高めるやり方が町内運動会だったりすると、どうも普段から参加したいという動機づけが上手くいっていないような気もします。
若者を狙って今日的なネットを使っても、多数を占めるお年寄り層には理解されそうもありません。昔ながらの知り合いの良さと悪い意味での古さ、それらと今日的な繋がり方とのミスマッチが目立ちます。
なにか工夫がありそうな気もしますが、ヨソ者にはなかなか入れない空間でもあります。何か良い知恵はないものかなあ、と思う今日この頃です。
※ ※ ※ ※ ※
知人の建築士のAさんが訪ねてきてくれました。
東北で携わった仕事のフォローのために被災地にも出向いてその惨状を目の当たりにしたとのことですが、建築士としてしっかりと現場を見ておられました。
「鉄筋コンクリートの建物だったら持ちこたえたのじゃないんですか?」と私。するとAさんは「高さと水位の関係がありますね」と言います。
「高さと水位と言いますと?」
「建物って、窓やドアが破れて中に水が入ると浮かないんですが、それらが閉まっていると建物に浮力が発生します。耐震基準が緩かった昔の建物では、基礎に打った杭と建物との間が結ばれていなくて乗っけてあるだけ、というものも多いんです。そのために、水位が高いと浮かぶ力が強くて流されてしまった建物も多かったんです」
「一階や二階が柱だけのピロティ方式なら津波の水の力を受けないことになりませんか」
「津波の高さがそこまで良いですけれど、ただしピロティ方式は基本的に地震そのものに弱いですしね」
「津波に絶対大丈夫な建物というのはどういうものになりますか?」
「残念ながら私には思いつきません。どれくらいの津波を想定するかという条件も幅がありすぎます。10m以上の津波に耐える建物を造れ、となるとやればできるのでしょうけれど、日常の利用にはあまりに過大な設計になるでしょう」
「なるほど」
「しかも建物の耐用年数はせいぜい50年となると、相手は100年~500年単位の津波に対してどこまでの性能を建物が持つべきでしょうか。あまりに過大な設計は現実味がないと思います。やはり徹底的に避難に重点を置くというのが現実的な対応のように思います」
鉄筋コンクリート製の建物でさえ浮いてしまうのだとは思いませんでした。
とにかく避難、避難、避難…。この緊張を続けるのにはどうしたらよいものでしょう。まずは自助なのですが。