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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

映画「コクリコ坂より」を観ました

2011-07-16 23:45:11 | Weblog



 スタジオジブリ最新作「コクリコ坂から」を観てきました。

 原作は1980年頃に少女漫画の『なかよし』に連載された作品ですが、当時としては不発だった作品なのだそう。

 昨年2010年1月段階で、宮崎駿さんは、こう書いています。

【企画のための覚え書き「コクリコ坂から」について、より】
 1980年頃『なかよし』に連載され不発に終った作品である(その意味で「耳をすませば」に似ている)。

 高校生の純愛・出生の秘密ものであるが、明らかに70年の経験を引きずる原作者(男性である)の存在を感じさせ、学園紛争と大衆蔑視が敷き込まれている。少女マンガの制約を知りつつ挑戦したともいえるだろう。

 結果的に失敗作に終った最大の理由は、少女マンガが構造的に社会や風景、時間と空間を築かずに、心象風景の描写に終始するからである。

 少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に「耳をすませば」の企画となった。「コクリコ坂から」も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。

 今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。 (引用終わり)


      ※     ※     ※     ※     ※


 原作の漫画は観ていませんが、映画の設定は東京オリンピックが行われる前年で、その頃の横浜を舞台にしていて、昭和30年代後半の雰囲気を思い出すことができます。

 父宮崎駿さんの企画を息子である宮崎吾郎氏が彼なりに解釈し、どこを生かし、どこを消し去り、どこをアレンジしたかというのが見所の一つ。

 どうやら吾郎監督は、高校生という年頃の恋心と前向きで真剣な生き様とまなざしをチョイスしたようです。主人公海の不安と安心の涙に、そして小さかった子供が立派に成長する姿に敬意を表する大人の姿に、不覚にも涙腺がゆるんでしまいました。

 そんなノスタルジックな恋物語を彩るのが横浜の海と港です。大きな船と小さな船の数々。

 静かな風景として、そして船が動くダイナミックな風景として。丘からの、また船側からの風景として。主たる景物として、あるいは添景、背景として…。

 豊かな表情を見せる海と港の風景にどこかで釧路を重ね合わせて懐かしさを誘う映画となりました。 


      ※     ※     ※     ※     ※


 なお、コクリコ坂からのコクリコとはフランス語でひなげしを意味する言葉で、原作の中では主人公である海のいる下宿が「コクリコ荘」という名前で登場するらしいのですが、劇中ではその説明はありません。もしかしたらどこかにあったのかもしれませんが見落としました。

 また主人公の松崎海が友達から「メル」と呼ばれていますが、これもフランス語で海のことを”mer”と言うところから来ていて、これまたせりふの中での説明がありません。

 下宿の住人たちの関係も不明確でストーリーに大きな影響を与えることはないものの、原作の色合いを生かそうとしつつ短い時間の中で説明し切れていなくて、よく分からないままに話が進むもどかしさがありました。

 下の娘が関わっているので「観たよ」と伝えたところ、開口一番返ってきた言葉は、「一回で分かった?説明が足りなくない?」というものでしたから、試写を観た段階で彼女もそう感じていたのでしょう。

 なお、コクリコ荘があるあたりの風景は山下公園の神奈川近代文学館のあたりだそう。あのあたりは壁上のマンションも多くて、映画の中のような風景にはもう会えないかもしれませんが、映画の風景探訪として横浜を旅行するときは見てみたいものです。

 
 先に引用した宮崎駿さんの企画書の最後はこう締めくくられています。


「観客が、自分にもそんな青春があったような気がして来たり、自分もそう生きたいとひかれるようなえいがになるといいと思う」と。


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