フェイスブックって、ときどき過去の写真を突然取り出して「〇〇年前のおもいではこちらじゃないです?」と聞いて来ます
思い返せば、4年前の今日は、稚内にいて部下の釣り好きを誘って声問川でチカ釣りをしていたのでした。
その時の道具を見ると、PROXというメーカーの、せいぜい1000円ちょっとの道具で釣りをしていたのでした。
そのときからワカサギ釣りにはまって、次々に道具を充実させると共に経験を積んできたのです。
最近のワカサギ釣りと言えば、電動ドリルに魚群探知機、さらに電動リールを使って効率的な釣りをすることが一つのスタイルになっています。
どこまでも短時間に数をたくさん釣るというワカサギ釣りのスタイルに馴染んでしまうと、4年前の何もわからないままに釣り竿を下げていた時が懐かしく思い出されます。
それとともに、「そこまでやりますかね」「もっとシンプルな釣りが楽しかったのでは」という声も寄せられています。
しかし、私としてはワカサギ釣りの奥の奥の姿を見極めてみたい、という気持ちがあります。
究極の世界を見ておけば、そこから求めるものを下げてゆくという事があるのだと思います。
電動リールや魚群探知機のある釣りがどんなものか分かったうえで、そういうものを使わない釣りに戻っても良いでしょう。
しかしやはり行けるところのギリギリの姿を見てみたい、という気もします。
◆
私はお蕎麦も打つのですが、手打ち蕎麦にも様々な好みがあります。
細いのが好きな人もいれば太い蕎麦が好きな人も、好みは様々です。。
ただ自分で打つ練習をするときは、できるだけ細く長く打てるように心がけて練習をしていた時期がありました。
できるだけ細く、できるだけ長く打つことができれば、それよりも太く短く打つことはいくらでも可能です。
しかし自分の好みが太く短くということで、自分の技術レベルがそこに留まっていたのでは、細く長く打つことができません。
だから可能な限り細く長くという技術の限界を知ることが大切だと思うのです。
釣りの道具仕立ても、「そこまでやらなくても良いのではありませんか」と言われても、その技術の粋を見極めていれば、そこから少しずつ戻ってくることはできるのではないでしょうか。
そういう意味で、どんなジャンルでも究極の姿を垣間見れるところまで頑張ってみることには意味があると思います。
いつかどこかで枯れたような釣りのスタイルとか、頑張らない蕎麦打ちに収れんしてゆけば良いのかな、と。
まだまだ全ての事柄で奥の奥までたどり着いたわけではありません。
しかし自分の過去を振り返ってみるのはそれなりに意味があるのだな、と思った次第。
さて、どこで枯れた自分になれるのやら。