今月の「致知四月号」に、評論家渡辺京二さんの随想が載っていました。
渡辺さんは『逝きし世の面影』という本の中で、かつての日本特に江戸時代の庶民の美質・特質について外国人がとても高く評価している様子を著し、日本人の心に感銘を与えました。
今回の随想は、まさにその『逝きし世の面影』を書いた背景などについてご自身による文章です。必見。
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清き心、直木心を取り戻す
渡辺京二
江戸時代の日本はかつて、暗黒の時代と認識されていた。こうした"常識"に私が疑問を抱くようになったのは、当時の日本を訪れた外国人たちの訪日日記に触れたからであった。
イギリスの紀行作家イザベラ・バード、初代中日総領事のラザフォード・オールコック、日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリスらに代表される訪日記には、彼等欧米人の常識とは大きく異なる習俗や価値感のもと、生き生きと生活する日本の庶民の姿が詳述されてあり興味が尽きない。
当初、とりわけ新鮮に私が感じたのは、搾取の対象であったはずの農民が、実は豊かに楽しく暮らしていたという記述である。子供は栄養が行き渡り、満月のように肥えていた。
日本くらい下層民が豊かで幸福な生活を送っている国はないとハリスも記している。
こうした事実は日本人にも認識されてはいたが、農民の生活は悲惨だったとする戦後左翼史の主張と矛盾するため、長らく黙殺されてきたのである。
また日本語に翻訳された訪日記もわずかながら存在したが、重要な部分が欠落していた。
興味を抱いた私は、可能な限りの分権を集め徹底的に読み込んでいった。およそ十年にわたる研究成果は、大学からの依頼で引き受けた日本文化論の講義に生かされ、そして自著『逝きし世の面影』に結実した。
日本の庶民の自由な暮らしぶりは、階級社会のくびきに囚われていた欧米人の目にはさぞかし新鮮に映ったことだろう。
バーネットの『小公子』などを読むと、当時欧米の召使いは主人の前で笑うことすら許されなかったことが分かるが、日本の町人は武士に「悔しかったら刀を抜いてみろ」と侮辱したり、「二本差しが怖くて目刺しが食えるか」と粋がったり、いささかも卑屈なところがない。
日本の裁判が非常に平等で、むやみに人に危害を加えれば、武士や役人といえども厳罰に処せられたという背景もある。
農民については、武士との接点は年貢を納める時くらいで、交流が稀であったことも伸び伸び生活できた一因である。台風は大きな木にはあたるけれども、地面に生える草には被害をもたらさないと比喩(ひゆ)されているが、上層部の抱える諸問題に心患わされることなく、自由に楽しく暮らしていたのである。
一足先に工業化社会に入り、社会の性急なリズムに合わせ汲汲と働いていた欧米人から見れば、日本の庶民にはまだ時間がゆっくりと流れており、皆実に幸せそうに映ったようだ。
明治政府顧問を務めたフランスの軍人ブスケは、こうした日本では近代産業は根づかないとも記している。労働者はすぐに休んでは煙草をふかし、お茶を飲む。祭りでも始まれば出てこなくなるからだという。
大森貝塚の発見で有名なアメリカのモースは、土木作業員たちの地搗き歌(じづきうた)に関心を示した。
建設地の地固めをする時など、丸太で地面を一突きする度に皆でひとしきり唄を唄う。唄など禁じれば作業も速く進むだろうが、それでは反乱が起こり、働き手がいなくなるので管理者も黙認している。
モースは、労働を労苦とせず明るく働く日本には、貧乏人はいても西洋的な概念における貧困という現象はないことにきづかされたのだ。
また、横浜で英字紙を発行したブラックによれば、日本人の旅は実にのんびりしたものだったようだ。
道中、無数になる茶屋でしょっちゅう休む。隣り合わせになった人とおしゃべりをして、またしばらく歩く。
歩いていればいつか目的地に着くという感覚で、旅そのものを楽しんでいたのである。
庶民がこのように明るく生き生きと生きられる社会を創り上げた日本はつくづく素晴らしいと思う。ただ、それをもって江戸時代こそが世界に類を見ない理想社会と考えるのは少々極端である。
当時の日本に見られる美質は、近代社会以前の欧米にも見いだせるものが多い。そして訪日記を記した西欧人たちも、日本がまだ産業革命のような偉大な達成を成し得ていない点は冷静に捉えていた。
しかし、いまの我々が学ぶべき美質も多数ある。ここに記してきた事例から言えば、野性的で無垢な可愛らしさとでもいおうか。
辛いこと、不都合なことが起きても笑って済ませ、常に心を明るく保つ無邪気さである。
東大で教鞭を執ったドイツの哲学者ケーベルも指摘しているが、日本人がかつて持っていたこうした美質を、明治の近代化を経て失ってしまったのは非常に残念である。
日本の古典を読み返してみると、『古事記』以来、日本人は汚い心をとても嫌っていたことが分かる。そういうものを洗い流し、清き心、直き心を重んじてきたのが日本人なのである。
ただ日本人はそうした美質を、一つの方向に一斉に走り出すという別の特徴によって見失っている。
明治期には軍人が崇拝されたが、わずか十年ほどで大正デモクラシーの時代に入り、軍服を着て外を歩くのも憚られる風潮になった。その後マルクス主義が大流行したかと思えば、再び軍国主義一色に染まった。
こうした一種の軽薄さ、付和雷同性を克服するためにも、我々日本人は常に時代の風潮に疑いの目を向ける必要がある。
そうして本来の美質である清き心、直きこころを取り戻し、自信を持って未来を切り開いてゆくことを私は願ってやまない。
(わたなべ・きょうじ=思想史家、評論家)
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いかがでしょう。『逝きし世の面影』については私も感動してレビューを書いた記事がありますが、ぜひご一読されることを強くお勧めします。
そして同時に、渡辺さんが警鐘を鳴らず日本人の危うさについても気をつけたいものです。
ただ私には、日本人は危うさを感じても死地に向かう武士道的な気質があって、「分かっているんだけれど止めてくれるな」という部分がぬぐえないのだとも思うのです。
吉田松陰が詠んだ「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」という句がそれを物語っています。
大和魂をうまくコントロールするのが現代日本人の鍵なのではないでしょうか。
良きリーダーが誰か、正しい警醒家は誰であるのかをまずは見抜きましょう。
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『渡辺京二著「逝きし世の面影」に日本を観る』 http://bit.ly/pX1ZyV