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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

厳中に慈を存すべし

2006-12-15 23:19:51 | Weblog
 大きな道路の雪は融けてカラカラなのですが、歩道や脇道はツルツルです。日は照っても氷の路面が融けることはありません。 

【善と悪】
 昨年新車が届いてからというもの、娘が学校に遅れそうなときに、ついその新車で地下鉄駅まで送ってあげるということがありました。

 新車のうれしさで、つい調子に乗ってしまったからなのですが、雨の日などはつい可哀想になって、そういうことをしょっちゅうするようになってしまいました。

 こちらとしてはつい可哀想になる、という気持ちからなのですが、そのうちに朝送ることがなんだか当たり前のようになってしまい、だんだん送る理由を考えて、娘だから通学途中も危ないから、などと言い訳を自分にするようになりました。

 しかし逆にその事で、朝起きるのが遅くなったりして、娘の気持ちにゆるみが見られるようになったのです。人間は油断すると、つい様々なことで人に頼るという気持ちが出てくるものです。

 実は私自身も、いつも車で送りながら「このことは子供を駄目にしているのではなかろうか」と思っていたのですが、なかなか一度始めてしまうと元に戻すことが難しく、口には出せない時期が続きました。

 そんなときに、読んでいた佐藤一斎先生の「言志晩録」にある一節を見つけました。曰く、

「父の道はまさに厳中に慈を存すべし、母の道はまさに慈中に厳を存すべし」というものです。父親であるということは、厳格の内に慈愛がなくてはならない。また母親であるということは、慈愛の中に厳格さがなくてはならない、ということです。

 やっと朝送ることを止める決心が出来ました。普段偉そうなことを言っていても、自分自身弱い者だということも改めて分かりました。実にお恥ずかしいことです。

    *   *   *   * 

「大悪は小善に似たり、大善は小悪に似たり」とも言います。

 目先のことによかれと思ったことや、自分が今現在心地よいということの先が、正しい道につながっているのかを良く見極めなくてはなりません。

 また目先に辛いことがあっても、その先に真実があると信じるならばその辛さを越えて行かなくてはならないのです。

 子育てと言うけれど、子供のお陰で気づかされることも多々あって、親の方が育てられることも多いのです。
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