千客万来、打ち合わせが段々重なるようになってきました。体が二つ欲しい~。
今日は
■郷土愛一徹 の1本です。
【郷土愛一徹】
昼前に市内の某企業をお訪ねした。中国で氷による冷熱施設を作ろうとしたという噂を聞いたのである。
しかし実際にお訪ねして状況を聞いてみると、現地でのビジネスはまだ道半ばだとのこと。
行政や商習慣も日本とはかなり様子が違うので、戸惑うことも多いようだ。中国でのビジネスは余程腹を据えてかからなくてはならないようだ。
* * * *
その帰り道に旧道庁の赤レンガ前を歩いていて、「さっぽろ赤レンガカフェ」という看板を目にした。
以前友人から、札幌の観光案内をするボランティア組織が出来た、という話を聞いていたのだが「これがそうか」と思って、中を覗いてみた。
中にはオレンジのジャンパーを着た中高年の男性と女性の二人がいて談笑している。
おそるおそる「あのう、こちらが札幌の観光ボランティア案内をしてくれるところですか?」と訊いてみると、そうですとのこと。
「そもそも、観光ボランティアになるには資格があるのですか?」と訊いてみると
「商工会議所が認定する観光ガイドの資格がありますが、それがなくてもボランティアは出来ますよ」とのこと。
そこで「観光ガイドの試験は難しいのですか?」と訊くと、嬉しそうににんまりして「こういう教科書がありましてねえ…」と厚さ1センチほどの札幌の観光案内のいわゆる教科書のような本を取り出して見せてくれた。
「この中から質問が出されて、紛らわしい答えが混じっている中で答えをチェックして行くんです」
どうやら設問方式は四者択一か五者択一らしい。
「たとえば、北海道神宮には三柱神様が祀られていますが、このうちお酒の神様は誰かご存じですか?」
「(うっ!神様といえば私、のはず。しかし北海道神宮にお酒の神様なんていたっけか?)オオナムチノミコトが祀られているのは知っていますが、後二人はどなたでしたっけ?お酒の神様…ですか?うーん…」
なんともなさけないことになった。
「へへへ、それはですねえ、この教科書の中に書いてあるんですよ、えーと…あれ?どこに書いてあったかなあ、うーん…」
まあ向こうも少しあやしいものだ。
教科書をやや調べてから、「あ、分かりました。違う本でした」とこれまた小さな冊子を取り出した。
「これはこの大きな教科書が出る前に、私たちのグループが作った本なのですよ」と嬉しそうに語り始めた。
「だいぶ苦労して作ったんです。ええと、お酒の神様は…そうそう、スクナビコノミコトですよ」
「そうでしたか、私もまだ不勉強でした」
「観光ボランティアをするからには、紹介される施設を実際に見て回らないと行けないので、これが結構大変です。でも自分自身が見ていないと案内をすることなんか出来ませんからね」
「外国のお客様も多いのですか?」
「時々いらっしゃいますが、まあ写真を撮って差し上げるくらいなものですね。会話まではなかなか出来ませんよ」
「これはまったく無料での奉仕活動なのですか?」
「そうです。私たちはもうリタイアした世代ですから、なにか地域にお返しをしたくてやっているんです」
「私は少しくらいならお金をもらっても良いのではないかと思いますが…」
「お金をもらってしまうと、相当の質が要求されますから、そこまでのことにはしないでおこうと思っているのです。だからただでしてあげられる範囲のご案内だけです」
「市は皆さんに協力的ですか?」
「最近やっとテレビ塔へ案内する時にガイドはタダになりました。それまではお金がかかるので、その前まで連れて行っても『どうぞ、いってらっしゃい』だったのです。それがやっと、お客さんは自身の分を払って、私たちは無料で登ってガイドをすることが出来るようになりました」とのこと。
行政がこういう活動に対して素早く反応するというのはなかなか苦手なものだ。札幌ではこれらの活動の仲介をまちづくりTMOがやっているので、行政との連絡がスムースなのだろう。
「でもですね、まだまだ市には言いたいことがあるんです」
「おや、なんでしょう?」
「大通り2丁目に『ベンソンの水飲み』というのがあって、これは姉妹都市のポートランドから贈られたものなのですが、これが今は水道管が繋がっていなくて水が出ないのです。姉妹都市友好の意味が分かっていなくて恥ずかしい限りなんですよ。水道行政と観光行政と姉妹都市行政の狭間なのでしょうか」
こういう形で市の行政を見てくれている市民はありがたいものだ。やはり自分たちの地域の財産が何であるか、という視点を自分の中に持った人達は、世間や身の回りの社会にどんどん敏感になって行くのだろう。
こういう声に素早く応えられる身軽な行政であるのか、それとも官僚化してしまって素早く対応出来ないか、札幌市はどちらなのだろうか。
これからは大通公園を歩くたびに、この水飲み場から水が飲めるかどうかを確かめて歩く楽しみが出来た。ちょっと皮肉に過ぎるかな。
私も観光ガイドの試験を受けてみようかなあ、と思うのであった。
今日は
■郷土愛一徹 の1本です。
【郷土愛一徹】
昼前に市内の某企業をお訪ねした。中国で氷による冷熱施設を作ろうとしたという噂を聞いたのである。
しかし実際にお訪ねして状況を聞いてみると、現地でのビジネスはまだ道半ばだとのこと。
行政や商習慣も日本とはかなり様子が違うので、戸惑うことも多いようだ。中国でのビジネスは余程腹を据えてかからなくてはならないようだ。
* * * *
その帰り道に旧道庁の赤レンガ前を歩いていて、「さっぽろ赤レンガカフェ」という看板を目にした。
以前友人から、札幌の観光案内をするボランティア組織が出来た、という話を聞いていたのだが「これがそうか」と思って、中を覗いてみた。
中にはオレンジのジャンパーを着た中高年の男性と女性の二人がいて談笑している。
おそるおそる「あのう、こちらが札幌の観光ボランティア案内をしてくれるところですか?」と訊いてみると、そうですとのこと。
「そもそも、観光ボランティアになるには資格があるのですか?」と訊いてみると
「商工会議所が認定する観光ガイドの資格がありますが、それがなくてもボランティアは出来ますよ」とのこと。
そこで「観光ガイドの試験は難しいのですか?」と訊くと、嬉しそうににんまりして「こういう教科書がありましてねえ…」と厚さ1センチほどの札幌の観光案内のいわゆる教科書のような本を取り出して見せてくれた。
「この中から質問が出されて、紛らわしい答えが混じっている中で答えをチェックして行くんです」
どうやら設問方式は四者択一か五者択一らしい。
「たとえば、北海道神宮には三柱神様が祀られていますが、このうちお酒の神様は誰かご存じですか?」
「(うっ!神様といえば私、のはず。しかし北海道神宮にお酒の神様なんていたっけか?)オオナムチノミコトが祀られているのは知っていますが、後二人はどなたでしたっけ?お酒の神様…ですか?うーん…」
なんともなさけないことになった。
「へへへ、それはですねえ、この教科書の中に書いてあるんですよ、えーと…あれ?どこに書いてあったかなあ、うーん…」
まあ向こうも少しあやしいものだ。
教科書をやや調べてから、「あ、分かりました。違う本でした」とこれまた小さな冊子を取り出した。
「これはこの大きな教科書が出る前に、私たちのグループが作った本なのですよ」と嬉しそうに語り始めた。
「だいぶ苦労して作ったんです。ええと、お酒の神様は…そうそう、スクナビコノミコトですよ」
「そうでしたか、私もまだ不勉強でした」
「観光ボランティアをするからには、紹介される施設を実際に見て回らないと行けないので、これが結構大変です。でも自分自身が見ていないと案内をすることなんか出来ませんからね」
「外国のお客様も多いのですか?」
「時々いらっしゃいますが、まあ写真を撮って差し上げるくらいなものですね。会話まではなかなか出来ませんよ」
「これはまったく無料での奉仕活動なのですか?」
「そうです。私たちはもうリタイアした世代ですから、なにか地域にお返しをしたくてやっているんです」
「私は少しくらいならお金をもらっても良いのではないかと思いますが…」
「お金をもらってしまうと、相当の質が要求されますから、そこまでのことにはしないでおこうと思っているのです。だからただでしてあげられる範囲のご案内だけです」
「市は皆さんに協力的ですか?」
「最近やっとテレビ塔へ案内する時にガイドはタダになりました。それまではお金がかかるので、その前まで連れて行っても『どうぞ、いってらっしゃい』だったのです。それがやっと、お客さんは自身の分を払って、私たちは無料で登ってガイドをすることが出来るようになりました」とのこと。
行政がこういう活動に対して素早く反応するというのはなかなか苦手なものだ。札幌ではこれらの活動の仲介をまちづくりTMOがやっているので、行政との連絡がスムースなのだろう。
「でもですね、まだまだ市には言いたいことがあるんです」
「おや、なんでしょう?」
「大通り2丁目に『ベンソンの水飲み』というのがあって、これは姉妹都市のポートランドから贈られたものなのですが、これが今は水道管が繋がっていなくて水が出ないのです。姉妹都市友好の意味が分かっていなくて恥ずかしい限りなんですよ。水道行政と観光行政と姉妹都市行政の狭間なのでしょうか」
こういう形で市の行政を見てくれている市民はありがたいものだ。やはり自分たちの地域の財産が何であるか、という視点を自分の中に持った人達は、世間や身の回りの社会にどんどん敏感になって行くのだろう。
こういう声に素早く応えられる身軽な行政であるのか、それとも官僚化してしまって素早く対応出来ないか、札幌市はどちらなのだろうか。
これからは大通公園を歩くたびに、この水飲み場から水が飲めるかどうかを確かめて歩く楽しみが出来た。ちょっと皮肉に過ぎるかな。
私も観光ガイドの試験を受けてみようかなあ、と思うのであった。
