朝はほろほろと降っていた雪は、職場に着く頃には吹雪模様。日中も断続的に吹雪となりました。
今年の札幌での初雪は平年より13日遅く、昨年からは14日遅いそうです。これで空気もきりりと引き締まった感じです。
今日は
■雪は宝物なのに の1本です。
【雪は宝物なのに】
やっと里にも初雪が降りてきた。
札幌の母なる山、手稲山では10日ほど前に山頂近くが白くなったのだが、雪はその後なかなか里へは降りてこず、連日もやもやしたような生暖かさが続いていた。
それがやっと今朝出勤の時に細かい雪がちらほらと舞っていて、これが今年の里の初雪だった。
連日の生暖かいような気温からはぐっと下がって身の引き締まる思いだが、まだコートを着るほどでもないような気がして、スーツで出かけた。
気持ちの中ではまだ冬は遠い。
* * * *
子供の頃の初雪の思い出はたいてい朝のことだった。その日は窓の外が心なしか静かで、カーテンを開けると二重窓の内側の曇りガラスの向こうが妙に明るいのだ。「あっ」と思って蒲団を蹴り上げて窓を開けると、外は一面真っ白の世界というわけだ。
そうやって降った雪も、二度や三度は降っては融けることを繰り返すのだが、ある日思い切りドカンと大雪が来て、そこから先は根雪になっていよいよ春まで雪が融けない、本格的な冬になるのである。
子供の時の冬の遊びはバラエティに富んでいて、外を長靴で走り回って、雪玉を造り、雪だるまを作り、つららの強さで優劣を競う。夏には手が届かないくらい高い物置の屋根からも、ふかふかの雪が高く積もるともう危なくはなくて、滑り落ちる事が出来た。雪だらけになって家にはいるときには母から叱られながら、全身の雪をほうきで落としてもらった事も懐かしい。
昔は除雪体制がそれほど良くはなかったので、細い道は雪が50センチ以上も積もったままのところもあたりまえにあって、そんなところで落とし穴を作っていたずらもしたものだ。
穴を掘って、新聞紙をピンと張って穴の上を多い、そこにうっすらと雪をまぶすのだ。ご丁寧に靴を脱いで足跡をつけたりもして準備は万端。そこで友達を呼び出して、落ちるように誘導するのだがそういうときに限ってなかなか思うようにこちらへ来てくれずやきもきしたものだ。
今では除雪体制が完備しているので、落とし穴が作れるような雪道もなくなってしまったし、そんなことをして遊ぶ子供もいなくなったろう。そんなことよりも面白いゲームがあったりして、子供たちにとってもやることが多いに違いない。
今のその楽しさを子供たちは大人になってからも覚えているのだろうか、とときどき思う事がある。しかし案外それは大人の単なるノスタルジーに過ぎなくて、子供たちは子供時代の楽しさを覚えているのかも知れない。
ただそれらの楽しみが、身の回りの自然界のちょっとしたことからはだんだん離れてしまっているようには思えて、寂しく思うのだ。
* * * *
北国の子供たちも大人たちも、雪国でありながらその土地に雪に親しむ文化がないのならば、遠くから観光に訪れてくれる人たちには雪国の文化を楽しいと思うことはないのだろう。
「北海道へ行ったけれど、みんな『冬は大変だ』と言って不平ばかり言っていたよ」というような土地にどうして楽しみを求めて行きたいと思うだろう。
観光客とは、我々が普段楽しみにしている事を、ほんの少しだけお裾分けして欲しくてやってくるのではなかろうか。
雪国・北国には、雪のない土地の人たちにわけてあげるような楽しみ文化がなくてはならない。「北海道観光には『もてなしの心』が足りない」と言われるのは、こんな雪国の文化を大事にせずに、冬のライフスタイルをただただ本州に近づけようとしてきたそのマインドが問われているのだと思う。
他と違う事をうらやんだりねたんだり、恥ずかしいと思う価値観をまず変えようではないか。雪かきは辛いけれど、雪があるから四季の楽しみがより鮮明にもなるのだ。嬉しい事もテーマなら、辛い事もテーマである。
世の中の平均から遠い特徴があるほど、それは他からの差別化が出来る資源性なのに違いないのだ。イモくさいコテコテの北海道ライフスタイルにこそ、観光の資源性があるのだ。
* * * *
大学生だったときの同級生に、自分のアパートから大学までの1キロほどを歩くスキーで通っている者がいて、「おまえも変わった奴だなあ」と呆れていたのだが、そいつは「ええやんか、これ面白いんやで」と意に介さない関西人だった。
やはり外から来た者ほど、宝になりうる資源性に気づいていたのだと今さらながら思う。
北海道を特徴づけるライフスタイルの最大の資源は雪だ。そうだ!雪かきにだってコツがあるのだ、やーい、内地人には分かるまい!ざまあみろ、である。

今年の札幌での初雪は平年より13日遅く、昨年からは14日遅いそうです。これで空気もきりりと引き締まった感じです。
今日は
■雪は宝物なのに の1本です。
【雪は宝物なのに】
やっと里にも初雪が降りてきた。
札幌の母なる山、手稲山では10日ほど前に山頂近くが白くなったのだが、雪はその後なかなか里へは降りてこず、連日もやもやしたような生暖かさが続いていた。
それがやっと今朝出勤の時に細かい雪がちらほらと舞っていて、これが今年の里の初雪だった。
連日の生暖かいような気温からはぐっと下がって身の引き締まる思いだが、まだコートを着るほどでもないような気がして、スーツで出かけた。
気持ちの中ではまだ冬は遠い。
* * * *
子供の頃の初雪の思い出はたいてい朝のことだった。その日は窓の外が心なしか静かで、カーテンを開けると二重窓の内側の曇りガラスの向こうが妙に明るいのだ。「あっ」と思って蒲団を蹴り上げて窓を開けると、外は一面真っ白の世界というわけだ。
そうやって降った雪も、二度や三度は降っては融けることを繰り返すのだが、ある日思い切りドカンと大雪が来て、そこから先は根雪になっていよいよ春まで雪が融けない、本格的な冬になるのである。
子供の時の冬の遊びはバラエティに富んでいて、外を長靴で走り回って、雪玉を造り、雪だるまを作り、つららの強さで優劣を競う。夏には手が届かないくらい高い物置の屋根からも、ふかふかの雪が高く積もるともう危なくはなくて、滑り落ちる事が出来た。雪だらけになって家にはいるときには母から叱られながら、全身の雪をほうきで落としてもらった事も懐かしい。
昔は除雪体制がそれほど良くはなかったので、細い道は雪が50センチ以上も積もったままのところもあたりまえにあって、そんなところで落とし穴を作っていたずらもしたものだ。
穴を掘って、新聞紙をピンと張って穴の上を多い、そこにうっすらと雪をまぶすのだ。ご丁寧に靴を脱いで足跡をつけたりもして準備は万端。そこで友達を呼び出して、落ちるように誘導するのだがそういうときに限ってなかなか思うようにこちらへ来てくれずやきもきしたものだ。
今では除雪体制が完備しているので、落とし穴が作れるような雪道もなくなってしまったし、そんなことをして遊ぶ子供もいなくなったろう。そんなことよりも面白いゲームがあったりして、子供たちにとってもやることが多いに違いない。
今のその楽しさを子供たちは大人になってからも覚えているのだろうか、とときどき思う事がある。しかし案外それは大人の単なるノスタルジーに過ぎなくて、子供たちは子供時代の楽しさを覚えているのかも知れない。
ただそれらの楽しみが、身の回りの自然界のちょっとしたことからはだんだん離れてしまっているようには思えて、寂しく思うのだ。
* * * *
北国の子供たちも大人たちも、雪国でありながらその土地に雪に親しむ文化がないのならば、遠くから観光に訪れてくれる人たちには雪国の文化を楽しいと思うことはないのだろう。
「北海道へ行ったけれど、みんな『冬は大変だ』と言って不平ばかり言っていたよ」というような土地にどうして楽しみを求めて行きたいと思うだろう。
観光客とは、我々が普段楽しみにしている事を、ほんの少しだけお裾分けして欲しくてやってくるのではなかろうか。
雪国・北国には、雪のない土地の人たちにわけてあげるような楽しみ文化がなくてはならない。「北海道観光には『もてなしの心』が足りない」と言われるのは、こんな雪国の文化を大事にせずに、冬のライフスタイルをただただ本州に近づけようとしてきたそのマインドが問われているのだと思う。
他と違う事をうらやんだりねたんだり、恥ずかしいと思う価値観をまず変えようではないか。雪かきは辛いけれど、雪があるから四季の楽しみがより鮮明にもなるのだ。嬉しい事もテーマなら、辛い事もテーマである。
世の中の平均から遠い特徴があるほど、それは他からの差別化が出来る資源性なのに違いないのだ。イモくさいコテコテの北海道ライフスタイルにこそ、観光の資源性があるのだ。
* * * *
大学生だったときの同級生に、自分のアパートから大学までの1キロほどを歩くスキーで通っている者がいて、「おまえも変わった奴だなあ」と呆れていたのだが、そいつは「ええやんか、これ面白いんやで」と意に介さない関西人だった。
やはり外から来た者ほど、宝になりうる資源性に気づいていたのだと今さらながら思う。
北海道を特徴づけるライフスタイルの最大の資源は雪だ。そうだ!雪かきにだってコツがあるのだ、やーい、内地人には分かるまい!ざまあみろ、である。
