北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

職業への信頼

2005-11-23 23:26:28 | Weblog
 構造計算を偽造した建築士の話題で世間は持ちきりです。なんとも職業への信頼を裏切る行為です。

 今日は
■信頼を守る方法 の1本です。

【信頼を守る方法】
 首都圏のマンションを中心に、震度5で東海のおそれがあるマンションがあることが判明して、世間は騒然としています。

 構造計算や、それを行う建築士の能力と職業への信頼、そしてそうは言っても犯すかも知れないミスや過ちに対するチェック機能がなぜ働かなかったのか、など質さなくてはならない問題が一気に押し寄せてきたと言えるだろう。

 基本的にはミスをチェックするという前提には、少なくとも意図的なミスはしないはずという暗黙の了解があるはずだ。だから、敢えて意図して数字を偽造されたのでは、これだけの数の建築申請をさばきながらミスを見つける事はかなり難しいということだろう。

 そもそも職業意識として偽造などを行えば、職業人としての一生を棒に振る事などは分かり切ったはず、という思いが強いけれど、インタビューに答えた当の建築士の応えぶりはまったくそんな良心の呵責が感じられないものであった。

 普通はそもそも事務所内で設計したものに対して事務所の別の誰かが精査を行ってそこでチェックをかけるはずなのだが、そこまでも内部処理の段階で飛ばされてしまっていたのではどうしようもあるまい。

 問題はこうしたことから何を教訓にしてどういう対応を取るか、ということだろう。

 願わくばこれらのことを二度と発生させないためと称して、余計な精査をもう一段階かけるような組織や制度を創設しないで欲しいものだ。

 少なくとも、今回の設計不良のミスも結局は施主に責任がかぶってくるということを前例に出来れば、施主の責任において問題が解決されるのが望ましいことだ。
 そうすれば、従来の制度においても十分に機能を果たせると信じたい。

 いやしくも損害は全て偽造した本人にかかってくる事は言うまでもない。

 私としては、こうした事態はミスによるものなどを含めると決して根絶は出来ないのだ、という冷徹な視点が必要なのではないか、と思うのである。

 ただしそのミスの代償はあまりにも大きいということであり、正当な義務を行使した被害者に損害を与えることなく、加害者側が責任を取るという明確な前例を作る事が一番大事な事だろう。

 世間もあまり感情的にならずに、世の中に絶対をつくろうとしてどれだけの経費や労力が費やされているかを冷静に考える方が良いのではなかろうか。

 保証や保険という形で「リスクを社会的な常識レベルに下げる」ことを現実的な目標に据えて、感情的な「悪い事は排除して、絶対に起こさせない」という解決策を求めない方が良いのではなかろうか。

 もちろん、今回の問題の建築士への厳罰は言うまでもない。これは単に建築基準法に反したという罪だけではなく、職能に対する信頼、社会に対する信頼を揺るがしたという意味で罪一等重くするような事さえあって良いのではないか、と思うのである。

 そうしなければ社会の信頼を大事にしようと思わなくなる人が増えるような気がするのだが。
 
コメント
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