北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ハードから自分たちの手作りへ

2005-11-28 23:30:38 | Weblog
 いててて、身体が痛いっ。でも翌日に痛みが来るのはまだ若い証拠かも…。
 
 さて今日は
■ハードからてづくりへ の1本です。

【ハードからてづくりへ】
 夕べ掛川の前市長の榛村さんからわが家に電話があって、「先日農水大臣から農地林道整備の貢献者と言う事で表彰を受けたんですよ」という電話があった。

「それはおめでとうございます」
「いや、それはそれだけのことなんだけどね、そこで同じく表彰されていた北海道の栗沢町の町長さんにお会いしたのですよ」

「おや、そうですか」
「ご先祖が入植された頃のお手本は報徳だった、と言っていましたよ。だから、僕のところにいた若い助役が戻っているので何かあったら相談に行ってください、と言っておいたよ。はは」
「そうですか、それはありがとうございます」

「僕もとうとう表彰されるようになってしまったなあ。ずっと推薦する側だったんだけどね」
 榛村さんにとっては大臣表彰でもなんでもないのかもしれないな。それもまたすごいことだけれど。

    *   *   *   * 

 ある温泉地でまちづくりに取り組んでおられる方の話を聞く機会があった。

 その温泉街では3年前に年間97万人の宿泊があったのだが、それが今年は85万人にまで減ったのだそうだ。

 聞けば航空法の改正があったために、航空会社が飛行機の小型化などで運ぶ座席数を減らしたことが大きく響いたという分析をされていた。

「座席がたくさんあるときは、アロットといって旅行代理店へまとめて割り当てる座席があって、旅行代理店は将来の便の座席数が割り当てられているので一生懸命その枠を埋めようと努力してくれていたのです」
「なるほど、埋めないと損になるですね」

「そうです、しかし運ぶ座席数が少なくなるという事は、アロットがもらえなくなるので、逆にお客さんを集めても席が取れなくなるというリスクが大きくなるのです。そうすると旅行代理店の側は、そんなリスクのある場所へのお客さんの誘導は止めてしまって、当然アロットが取れているところで客を確保しようとします。だからうちへお客さんを運ぼうという気持ちが少なくなってしまったんですね」
「それは大きい事ですねえ」

「確かに。しかし我々も反省しないといけないのは、お客さんの質の変化を見ぬいて体質を変える事が出来なかった事です」
「お客さんの質ですか?」

「そうです。私たちの温泉は1991年にピーク利用者を迎えて、今ではそのときの約四分の一にまでお客さんが減りました。おみやげ屋さんへのお客さんもスキー客も約四分の一です。我々はそれは景気のせいだと思っていました。『景気さえ良くなれば戻る』と言っていたんです」
「なるほど」

「しかしそうではありませんでした。減ったのはアロットをよく利用する、いわゆる格安ならどこでも良い、というお客さんだったのです。そうして残ってくれていたのはリピーターのお客さんでした。我々は格安客ばかりを相手にしていたので、サービスのあり方や土産物屋の品揃えなどが対応出来ていなかったのです」
「格安のお客さんとリピーターではそんなに違いますか」

「面白いお話があります。私の旅館に泊まってくださったお客様がロビーで故郷のご家族に電話をしていたのを後ろで聞いていたのですが、『今北海道の○○にいるのよ』と言っているんです。そうしたらご家族は『○○のどこにいるの?』と訊かれたのでしょう、そのときにお客様は『どこだか分からないけれど○○にいるのよ』という返事をされていました。この温泉地にいるのであれば、どこに泊まっているのかなんてどうでも良かったんです。これはショックでした」
「ホテルはどうでも良かったんですね」

「そうなのです。土産物屋だって、初めてくるお客様はご近所や親戚に配る物をお買い求めになりますが、何回も来れば自分が欲しいアクセサリーや身につける物をお求めになるでしょう。しかしそういう品揃えが出来ていなかったのです。面白いのはそういう変化について行けないのが地元で何十年もやっているお店なのであって、東京や関西から来た新参の業者さんはそういう流れの中で立派に商売をしている事です。我々もそこに学ばなくてはなりません」
 
 確かに変化について行くのは、在庫を抱えている状況では踏ん切りをつけるのが難しいのだろう。それが出来るところが変化の波に乗れるという事なのだ。

「まちづくりも同じなのです。入れ込みの数だけを頼りにすると、下水道施設などのインフラも過剰なものになってしまうのです。今まではそういうハードが出来れば大丈夫だと思いこんだ、ハード中心のまちづくりでした。これからは自分たちが出来る事からやる手作りのまちづくりが必要です。そしてそれを多くの人に知らせる情報公開です」
「何か変化はありますか」

「少し前の住民アンケートでも、この地元が『変わった』、『少しは変わった』という人がようやく半分を越しました。その後のみんなの努力でこれはもう少し増えていると思います」

 相変わらず情熱あふれるお話を聞いて、ハード整備はあくまでも手段である事を改めて感じた。目的を明確にして、その手段としてハードがあり、ハードは上手に活用されてこそ初めて意味を持つ、ということだ。

 ビジョンを支えるハードの役割の意味を深く考えよう。しかしまだまだできることはあるはずだ。

 もっともっと考えなくてはなるまい。






コメント
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