駒子の備忘録

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宝塚歌劇花組『哀しみのコルドバ/Cool Beast!!』

2021年09月12日 | 観劇記/タイトルか行
 梅田芸術劇場、2021年8月25日15時(初日)。
 神奈川県民ホール、9月10日15時。

 1890年代、スペインの首都マドリード。近頃、財界で名を揚げている少壮実業家リカルド・ロメロ(永久輝せあ)の別邸では、花形闘牛士エリオ・サルバドール(柚香光)を迎えて盛大な夜会が催されていた。コルドバの街から彗星のごとく現れたエリオは、華麗な演技で国中の人々を魅了している。闘牛の師アントン・ナバロ(和海しょう)の娘アンフェリータ(音くり寿)との婚約も整い、彼はまさに栄光の道を突き進んでいるスペイン随一のマタドールだった。だがその夜エリオは、思いがけずある女性と再会する。夜会の女主人で、ロメロの恋人でもある美貌の貴婦人エバ・シルベストル(星風まどか)とエリオは、エリオがかつて故郷コルドバで闘牛士の見習いをしていた頃に思いを寄せ合った仲だったのだ…
 作/柴田侑宏、演出/樫畑亜依子、作曲・編曲・録音音楽指揮/吉田優子、高橋城、高橋恵、作曲・編曲/寺田瀧雄。1985年に星組の峰さを理主演で初演、以後花組の安寿ミラ、真飛聖、雪組の早霧せいなで再演された名作の5度目の上演。

 我らがまどかにゃんの花組新トップ娘役就任プレお披露目ということで、初日からすっ飛んで行きました。それでなくても私にとっての最初の贔屓・ヤンさんの退団公演であり(なので初演は生では未見。映像では見たことがある気がします)、柴田スキーとしてまた宝塚歌劇オリジナル絶対主義者として五本の指に入れる高評価作品の再演として、注目作でした。発表時は「また!?!?」という思いがしましたが、前回の雪組全ツからはもう6年も経っていたのですね…そして前回バージョンが個人的にあまり感心しなかったので、気を取り直して楽しみにすることにしたものでした。れいちゃんは文芸路線の方が合うんじゃないかなとも思っていましたしね。イヤ道明寺とかホント出色だったと思うんですけれど、少尉はともかく『はいからさん』の作品自体を私はあまり買っていないので、れいちゃんに漫画原作ものばかりをやらせるのはどーなのよ、とずっと思っていたのでした。でもそれでいうと次の本公演はちょっと楽しみですけれどね、こういうギミックものもまたれいちゃんにはハマると思うのです。心配なのは、私はタカヤを買っていますがしかしこれまでのところロマンスがちゃんと描けていないと思っているので、そのあたりがどうか&大劇場サイズになってどうか、という危惧はあるのでした。なのでこれまた初日から行ってアレコレ言う気満々です。ホントうざいファンで申し訳ありません。
 さらに言うと私は宝塚歌劇はオリジナル絶対主義で、たとえば「タカラヅカといえばベルばら」みたいに言われることに(残念ながら未だに、十年一日のごとく世間の評価なんて所詮この程度なわけですが)青筋を立てるタイプなのです。まずもって漫画『ベルサイユのばら』の素晴らしさがそもそも評価が足りていないと思いますし、その歌劇化は初期の数作を除いて残念ながら成功しているとは言いがたい、と考えているからです。客入りなど、興行としてはもちろん大成功している劇団の鉄板コンテンツなのでしょうが、なんせ脚本・演出のクオリティが低すぎて、恥ずかしすぎて外には見せられないレベルだと思っています。
 そして何より、宝塚歌劇は一次創作演劇として、漫画や小説や映画なんかが原作になっていない、もっといえば史実なんかも下敷きにしていない、完全オリジナルの作品をもっと出していくべきで、それで評価されてこそだし、その作品で世に知られてほしいし、その二次展開が外でなされるくらいであってほしい、と私は考えているのでした。ミュージカル化することには十分なオリジナリティがある、という考え方があることはもちろん私も承知していますが、私は創作、物語の根幹とはストーリーだと考えているので、その部分がオリジナルであるものをより尊ぶ考えなのでした。
 と、意外に少ないんですよね。特に大劇場公演は少ない。私が柴田スキー、ハリースキーなのは作風が好きだからでオリジナル作が多いからというのは後付けなのですが、でも偏りがある気がします。まあでもキムシンとか大野先生とかもそうか、最近ならもちろんくーみんですね。
 で、私はトップトリオが三角関係メロドラマを演じてこその宝塚歌劇だと思っているのですが(あ、これはすべて芝居についての話です。ショーはまた別だし、基本オリジナルですものね)、私が観始めた頃には新進にして二番手かつ次期トップと目される娘役が組にひとりきちんといるのが普通の状態だったこともあり(別格の女役タイプの上級生娘役にもきちんとポジションがあったこととはまた別に)、男女ふたりずつ四人の四角関係メロドラマ、かつ悲劇、そして何より完全オリジナル…というのが私にとっての至高の宝塚歌劇、なのでした。悲劇、というのはまあ単なる好みですが。で、その狭い枠からすると、結局のところ『コルドバ』『琥珀』『バレンシア』『アルジェ』あたり…?となるのでした。もちろん私はラブコメも好きなので、これはハリーですが『メラジゴ』とか、やはりハリーが柴田先生の弟子として超リスペクト、仕様踏襲で書き、かつぶんちゃんとまひるのハローグッバイのためにハッピーエンドに仕立てた『バルセロナ』なんかも大っ好きですけれどね。
 毎度前置きが長くてすみません、そんなわけで私は『コルドバ』を愛しているし今回の再演も楽しみにしていた、という話です。
 柴田先生の目が本格的にお悪くなってから、演出は中村Aが担当することが多かったと思うのですけれど、今回はカッシーが担当。これまでのバウ作品を観ていると、『鈴蘭』はなってなくて落第、『アルカディア』はギリ及第だけどなんだかなーだし『壮麗帝』はまあいいんだけどあたりまえすぎるなー、という印象で、作家としての個性とか特徴が見えない人だなと思っていました。まあ剥き出しになりすぎたりソレばっかりな作家も困るんだけど、もうちょっと、どういうことがやりたい人なのかとかどういうことに美しさ、もっと言えば萌えを感じる人なのかが見えてこないと、作家としては弱いだろう…と密かに心配していたのです。でもくーみんが『エルベ』を素晴らしくブラッシュアツプしたように、新人が古典を勉強するというのは絶対にいいことでいい結果になることも多いだろう、と期待していました。ただ「歌劇」で追加したい点がある、みたいなことを語っていたときには、この作品のモンペである私としては「このカンペキな作品のどこに何を???」とか不安も感じていたのでした。もちろん最初の再演でリカルドが二番手役になったことで、初演からかなりいろいろ変わったのでは?と思うのですが、それ以降は基本的にほぼ同じ仕様で踏襲されてきたと思うんですよね。今回も配役スター布陣は今までのパターンを踏襲してきたと思いましたし、どこにどう手を入れるんだろう、見守らなくては…!と意気込むことになったのでした。

 というわけでヤンさん版の実況CDを愛聴しまとぶん版(つまり大空ロメロ)DVDも何度も見ている者として、プロローグの拍手の入れ方はカンペキですよなんなら切りましたよ、ひとこカーッコいーい! まどかカーワーイーイー!! そしてもちろんれいちゃんのマタドール姿の似合うことよ!
 ところで冒頭のナレーションは再演以降はロメロ役者が担当することが多かったと思うのだけれど、でもチギちゃんのときはまっつだったっけ? 今回はアントン役のしーちゃんでしたね。うーん確かにええ声なんだけれど、フツーにひとこでよかった気がします。追加シーンといい、今回はリカルドというかひとこ上げ仕様なんだからさ。
 プロローグからお芝居に移る「エル・コルベドス」の歌手はいろいろなパターンがあるけれど、今回はビセント(聖乃あすか)役のほのちゃん。もうちょっとしっかり歌えるようになると組として助かるかもね…
 そして夜会と、エリオとエバの邂逅。演劇ではいわゆるモノローグを録音台詞にすることかよくあるけれど、今までここのエリオとエバの録音台詞はそれでそのまま会話になっちゃってたので「テレパシーかよ」と揶揄されたりもしていたわけですが(私調べ)、今回は発声台詞に変更になっていて、これは私はよかったと思いました。
 恋物語って、主役ふたりが初めて出会うところから描けるのがベストだと私は考えていて、それはふたりが恋に落ちる経過を観客も一緒に体験できて共感が強まるからです。すでに恋仲のところから物語が始まるのはこの点がけっこうネックだし、まして今回のように一度別れたあとの再会から見せるのは、実はけっこう難しい。「でも所詮過去の、終わったことでしょ、今の方が大事なはずでしょ」って観客に思わせないように、その過去がどんなに豊かで素晴らしいもので、突然中断させられたことがつらかったかをわかってもらって、再会しちゃったら再燃しても仕方ないなって思ってもらえるものを、ここで表現しきらなくてはいけないからです。でもれいちゃんエリオとまどかエバはそれがものすごく上手かったと思います。もちろんこの台詞の新演出も、別邸の装置が飛んで思い出のコルドバの街がバックに現れるところもとてもよかったけれど、ふたりが醸し出す情感とダンスが本当によかったです。そしてこの流れの中で交わされるふたりのキスが、本当に本当によかった…! 私、あれっ今までエリオとエバってここでキスしたっけ!?と思っちゃったくらいでした。脚本読んでも過去の映像を見てもちゃんとしているんだけれど、そこまで印象に残っていなかったんですね。でも今回のふたりのここでのキスは本当によかった。懐かしい思い出につい浸っちゃって流されてしちゃったような、やっぱり今も愛していると再確認した上でしちゃったような、懐かしさや衝動だけではない、濃く深いキスに見えたのです。でもヤバいよね…とふたりともそっと離れるんだけれど、やっぱりこのキスしちゃった事実がもう重くふたりの心に根ざすんですよそれが如実にわかる芝居だったんですよ、ひーっ! もうたぎりまくりました。
(ところでまどかは音校時代にれいちゃんのファンでお手紙書いたりしていて、それでれいちゃんの写真集のゲストに呼ばれたりもしているので、のちの「僕らは8年の歳月に勝った」みたすな台詞についつい「まどかよかったねー!!!」って思っちゃったりしましたよね…イヤまかまどもよかったしあんな解体なんてホントはおかしいんだよ、でもれいまどもいいしまかかのもいい感じなので結果オーライってのが悔しいけどでも、まどかが幸せならいいの…! あとれいちゃんがホント優しくて沁みる…! 愛も気遣いも表現してナンボだよ珠城さん!(あっ))
 ミハルの「それほどでもない…かな」はアヤネのときにはもうカットだったんだけれど、今回もなくて残念。別にあってもいい台詞だと思うんだけどなあ。もちろんここのエバはちょっとワルぶっているところもあるんだけれど、基本的には本音を正直に語っているんだと思うので。ともあれここまでで、それぞれの状況の説明なんかが見事にされていて、そしてアンフェリータがやってくる…流れるような展開です。
 ビセントを連れてくるエリオの妹ソニア(美羽愛)はあわちゃん。カワイイよね。そしてエリオとビセントとの対峙。ところでニン的にはれいちゃんはむしろビセントでほのちゃんはエリオの方がやり易いタイプなのかな、とは観ていてちょっと思ったかな。あと、ふたりともちょっとテクニックが足りない気もしました…特にれいちゃんは、全体に役作りをよく考えてすごく丁寧に演じているのはわかるんだけれど、ちょっとしんねり、辛気くさくなりすぎていた気もしなくもなかったです。まあ個人的な解釈の差とか好みの違いによるものかもしれないけれど。あえて大芝居に作りたくない、繊細な身の詰まった芝居にしたい、という意図も感じましたけれどね。でもだからこそやはり派手さが足りなかった気がしたんですよね…
 当代一のマタドールともてはやされてはいても、当人は浮かれたところがなくてわりと真面目で一本気でむしろおもしろみがないくらいのいたって朴訥な青年で、というのがエリオのキャラクターなんだと思うんだけれど、そしてマタドールとしても冷静さとか計算高さは大事なことでそれがしっかりできるタイプなんだけれど、でもエバのこことなると…というか実は恋に本気になると熱く激しく前後も左右も見えなくなっちゃう男だったんです、って落差がキモの作品なんじゃないかなと私は思っているので、そこがちょっと弱かった気がしたのです。終盤で母親たちにキレるところとか、ちゃんと熱くなる場面はあるんだけれどね。「♪生まれてきたのはこのためと…」というリプライズのあとのダンスとかね。でもとにかく全体には静かで沈んだトーンで、緩急がなく感じられちゃったかもしれないな、とは思ったのでした。
 お祭りの場面で、大好きだった『ルパン』のちゃぴのドレスをまどかが着てきて全私が狂喜乱舞。そして決闘、そのあと「エル・アモール」へ。というか音くりちゃんのアンフェリータが絶品でしたね!? 純真でなんの疑いも持っていない、なんならちょっと間抜けにも見えかねない方向で作ることもできるし、ちゃんとエリオを、というか男を牽制することができる賢さがあるややこまっしゃくれた娘に作ることもできるし、夢見がちのちょっとすっとんきょうな方へ持っていくこともできるキャラクターだと思うんですけれど、音くりのアンフェリータはそういうバランス、兼ね合いがとってもよかったと思うのです。カマトトでなく、かわいそうすぎず…何もなければいい夫婦になっていただろうにエリオよ…!
 そして素晴らしい四重唱へ。れいちゃんもまあがんばってはいましたが、しかし基本的には歌はしんどいのはどうもつらいな、この先も心配だな…そういえばエバとの再会の歌でもまどかがサポートする小節が増えていましたもんね。最近だとゆりかちゃんとかベニーとか、わりとトップになってから歌が改善した派だと思うんですけれど、れいちゃんはこのままなのかしら…しかしここのエバの赤いドレスも『ルパン』のちゃぴのだよ嬉しいわ!
 ここはイメージシーンのはずなんだけれど、最後にエリオとエバの会話になるのがいいですよね。冷静に考えると、この立場のふたりがこんなふうに会える時間や場所があるのだろうか、と思っちゃうんだけれど。ここでエリオが言う「明日、コルドバに発つ」は、一応彼としてはエバとの決別を込めて言ったもののようでしたね。今までそういうふうに感じたことがなかったので、改めてれいちゃんエリオの生真面目さ、まっとうであろうとする姿勢に胸つかれました。けれどエバは「私も行くわ」と答える。さらに明らかに動揺するエリオ、「邪魔はしないわ」と言って撤回はしないエバ。追い込まれて歌う「ソル・イ・ソンブラ」リプライズもまた、故郷で立て直そう、ちゃんとしよう、というエリオの決心の歌に聞こえました。でも彼がそうやって運命に抗おうとすればするほど、運命もまた同じ力でねじ伏せにくるんだよね…!というドラマチックさを感じさせました。すごいお話だなあ…!!
 さて、続く場面がカッシー追加のワンシーンです。初日、私はなるほどねと思いなかなかニヤニヤしましたが、少々違和感もあり、その後いろいろ考えて、最終的にはこれは蛇足ではないか、少なくとも柴田先生がご存命だったら許可しなかったのではないか、と考えるようになりました。以下ちょっと語ります。
 私はこれまで、リカルドは妻帯者で、でも妻はたとえば病身で療養中で夜会の女主人役が務まらないとか、夫と不仲でマドリード以外に離れて暮らしていて夫の事業や社交には無関心であるとか、そういうことを勝手に想像していました。そしてそれはマドリード社交界では周知な事情、公然の秘密なわけ。この時代のこの階層のこの年格好の男性が結婚していないのは不自然だと思うし、社交の場に男が妻を同伴しないのには何か事情があるに決まっているからです。
 エバは未亡人で、リカルドとは恋仲で、公認の愛人で、リカルドの別邸に母親(彼女もまた大地主の夫を失った寡婦なのでしょう)と住み、彼の社交上のパートナーを務めている。彼女には亡夫の遺産があって経済的には困らないけれど、それで田舎に引っ込んで暮らすとかならともかく、首都の社交界では男性の庇護や後ろ盾がないとポジションが得られないのでしょう。そしてカトリックなので女性は離婚も再婚も認められないのではないのかしらん。男性はたとえば妻を亡くしたら後添いを娶ることはできるのに、寡婦は二夫にまみえさせないというダブスタ。つまりエバの人生はそういう意味ではもう終わっているのです。そもそもシルベストル氏と結婚した時点でもう詰んだのです。
 そこに、師匠の娘との結婚という、誰からも祝福される幸福な未来が約束されている状態のエリオと、再会する。お互い、過去の初恋の成就のために今の境遇を、そして将来を捨てるのか、という問題になるわけですが、エバの方には本当はもう捨てるものなどないのだ、実業家の愛人として豪奢な暮らしを送ることなどそもそも虚無にすぎないのだ…という状況であることが、この物語のキモなのではないかしらん、と思うのです。男女は平等でない。エリオの方が捨てるものが多い、犠牲にするものが大きい。そこがポイントなの。だからエバにもリカルドとの幸せな再婚の予定があって、エバはそれを捨ててエリオに走るのだ、としても、物語としてはあまり意味がないのではないかなあ…そういうイーブンさは求められていないと思うのですよ。
 まあリカルドが独身だとして、これが初婚ってことはありえないと思うのでやはり妻を亡くしているのかもしれませんが、それでエバと恋仲になってほぼ公認の仲になって、まあ今さら結婚は面倒だしどっちでもいいやと放っておいたところにエリオが現れたものだから、あわてて結婚を持ち出す…というのは、わからなくはありません。また、リカルドは再演以降は二番手役になっているので、主役の恋仇としてまたスターの役として格を上げる必要があるというか、ヒロインに対して真剣なのだ真面目なのだいい男なのだということをアピールさせたい、という配慮が働くのもわかります。でも、横浜で同伴した初見の親友があっさり喝破したように「さっさと結婚しておかなかったリカルドが悪い」というのは正論だし、たとえ結婚していてもそれで相手を縛れるものでもなんでもないことはセバスチャン伯爵夫妻(ところではなこはともかく小うららちゃんのメリッサはなんかしんなりしていてあまり好感が持てなかったな…エバとは違うタイプのファム・ファタールであるべきキャラではないのだろうか…)が証明してしまっています。
 何よりこの、「求婚こそ本気の証」みたいなのって、あまりに現代的な発想な気がします。19世紀ヨーロッパの話だぜ…? 婚姻関係に収まりきらない恋愛のドラマにこそおもしろみを見て数々の作品を書いてきた柴田先生の作品だぜ…??
 さらにいうと、結婚を持ち出すことで男の真剣さを表現し、それに扮している男役スターのフォローをする現代的な配慮はわからなくはないものの、エバはシルベストル夫人だろうがロメロ夫人だろうが要するにもう自分生来の姓を名乗ることがなく、相手が誰であれ妻とは所詮男の所有物であり付属品にすぎないわけで、所詮結婚なんてさー…ってなっちゃうのが真に現代的な視点ですよね。その意味では、旅に出ようとか家を買おうとかは言うけど結婚しようとは言わないエリオの方がやっぱり「純粋に愛している」ってことになって強いんじゃん、ってことになっちゃうだけなんじゃないのかしらん? いやリカルドがどんなにがんばってもエリオが勝たないと困る話なので、それはこれでいいんですけれどね。
 私だったら、妻がいるし離婚はできないから君とは結婚できない、だが君を愛しているし私には君が必要だ、君を離したくない、離れないでくれ…ってすがりつく愛しくもサイテーなひとこリカルド、って演出にしますけどね(笑)。そしてリカルドはなみけーフェリーペ(優波慧)を差し向ける…それで彼の真剣さや情熱、いじましさ、それ故の姑息さ、悲哀は描けると思うのですが、どうでしょう?
 闘牛場での再度の再会。顎クイもなく手の甲でエバの頬を打つリカルド。慇懃無礼な「…失礼」、サイコーか! 現代仕様で暴力反対!とかいってここの平手打ちがカットされていたらどうしよう、とか実は心配してたんですよね。残っててよかった、一安心しました。
 これは必要なんです。もちろん暴力ですよ、でもリカルドはエバに対してそうするだけの権利があると思っているし、エバもそう思っていて、そこにはエリオは口出しできない。フェリーペのダメ出しがまた効くんですよね、本当に鬼よくできている脚本です…! なみけーがまた、単にちょうどいい王子さまみたいなポジションのフェリーペじゃなくて、賢明さが見える優等生的な、しっかりした人物像を醸し出しているのがまた上手い。君ならアンフェリータを幸せにしてくれるだろう、任せたよ…!
 スモークの中での「サフランの香り」の幻想のダンス、震えましたよね…! こういう場面こそが宝塚歌劇の真骨頂だと私は考えているのでした。リカルドの歌詞が変わっていて怖い…「♪私の花を手折ることはさせぬ」…良い…!!
 婚約破棄場面、しーちゃんがまた上手い。からの「ひまわりの歌」の音くりオンステージ状態、たまらん! 「でも私、やっぱり結婚したかったな」…これこそ全米が泣きますよ、だからこそやはりリカルドには安易に求婚させてはダメだったのでは…
 糾弾場面の脚本がまた素晴らしい。誰にでも間違える権利はあるのです、その人の人生はその人のものなのだから。でも「俺は嫌だね!」が響く…
 そして「秘密」と題された場面へ。ところでやはりこれはもはやアナクロすぎて失笑なんでしょうかポカーンなんでしょうか…
 これまた親友は「赤い○○シリーズとかかと思った」と言ってのけましたが、まあ初演はギリ昭和でしたしね…昭和を20年ほどの遅れでやっている感のある一時期の韓ドラがこんなんばっかでしたけど、でも19世紀スペインではけっこうリアルでもあったと思うんですけれどね…でももしかしてそろそろ通じない、いいと思えない、という空気の方が勝ってくるなら、この作品は寿命を終えたということなのでしょう。寂しいですけれどもね。
 教会で祈って待つエバは、白いベールをしなくなっちゃったんですね。お祈り用だけれど花嫁のもののようでもある、というのが象徴的で好きだったんだけれどなあ…あと、最初の真紅のドレスから始まってここのピンクのドレスに向けて、エバの服の色はどんどん明るく薄く娘らしくなっていくものだと思っていたので、途中に白とブルーのあのちゃぴのドレスが入ったのはやはりおかしい気がしました。
 終局は、ホントはセリが欲しいところですよね…! しかしれいちゃんの倒れ方が本当に芸術的でした。まとぶんのときは『WSS』方式でマタドールたちに担がれて去る演出だったような気が…? 梅芸では知人が前方席すぎて床に倒れたエリオが全然見えなかったといっていたものでした。会場によってはちょっとアレだったかもしれません。でも、ホントひどい(褒めてます)、素晴らしいラストシーンだと思います。エバは今度こそ尼僧院にでも入ってしまうのかもしれません。すまんな、リカルド…! でもホラ客席が「ロメロ夫人になり隊」で埋まっているから…!

 というわけでまどかはさすがのキャリアでしっかりエバを演じきっていました。歌も確かで頼れます。あいかわらず感情が高ぶると台詞が早口でノメるのは難点なんだけれど、「恥ずかしいわ、私…」というあの台詞はかなり色っぽい、愛の告白の言葉ですよね…! まあまあタッパがあるはずなんだけれどれいちゃんともバランスが良く、これからがさらに楽しみです。
 ひとこも渋い、素敵な、そして色っぽいおじさまぶりで、以前は線の細さを心配されていたかと思いますが押し出しがどんどん出てきて、良きスターさんになってきましたよね。歌も頼れます。
 ほのちゃんは意外に出番がないんですよね。もうちょっとエリオと親友にしていいライバルでホントはちょっと屈託もあって…みたいなキャラを表現できるとよかったしおいしかったと思うんだけどなー。がんばれー。
 マタドール仲間たちも、私はこのあたりにくわしくありませんがよくキャラ分けされているようで、声がいい人が何人かいたし、目立っていけるといいのではないかしらん。令嬢たちも街の娘たちもそれぞれ綺麗でよかったです。
 あとはほのちゃんと決闘するおじさま役を務めちゃうはなこね、頼れるよね…!
 だがカガリリには仕事がなかった…それになんかこう芝居だとこう…うーむ…
 圭子姐さんもやや無駄遣いでしたが、まあ仕方ないでしょう。占い師は再演までは男性役だったんですよね? なのでびっくとかでもよかったのかもしれません。

 パッショネイト・ファンタジーは作・演出/藤井大介。
 本公演の感想はこちら
 基本的には華ちゃんのところをまどかにゃんが、あきらのところをひとこが、マイティーのところをほのかがやっていた感じでしょうか。華ちゃんが紫を着ていたところをまどかはすべてピンクを着せてもらっていて、気遣いが嬉しいです。そしてまどかなら「歌えるの? 踊れるの??」ってハラハラしなくていい…! 最高…!!
 リベリの星空ちゃんだったところに入ったのは初音夢ちゃん、こちらも可愛かったです。カチャのところがびっくかな?
 退団者場面の結婚式のところがまどかスーパーアイドルタイムになっていましたが、昔のヤッちゃんの歌なんだそうですね。原曲はシンディ・ローパーだとか。はーカワイイ!
 銀橋がないので中詰めのフォーメーションはなかなかにナゾでしたが、とりあえず女豹が本当に娘役ちゃんになっていて美里玲菜ちゃんと二葉ゆゆちゃん、カーワーイーイー! ロケットボーイははなこ。
 あきらのしっとりした歌がひとこのご陽気な歌になっていて、しかしそこからのベスティアとエストームのダンスはふたりの作画が同じになっていて妖しさ増し増し。れいちゃんのお衣装の露出も少し増えているのがポイント。
 メカメカはなみけー、ほのか、はなこたちの場面に。しかしなみけーってやっぱ上手いというか、一日の長があって目を惹かれました。
 白燕尾の場面、あきら同様にひとこが娘役を割って出てきてカッケー!とたぎりました。さらにここのシャツの色がれいちゃんだけピンクになっていて、そのあとのデュエダンで濃いピンクのドレスのまどかと揃ってとてもいい感じでした。
 エトワールはびっくと鞠花ゆめ。若草萌香でもよかった気もしますが…まあ歌手は大募集中ではありますね。

 梅田初日カテコが、さおたさんのご挨拶といいれいちゃんのご挨拶といいホントまどかに手厚くて、ありがたくって涙が出そうでした。きっといいコンビになり、いい組になりますよ。今のところちょっといろいろ層が薄く感じられることは否めないけれど、ひとりひとりが埋めてくると思いますしね…!
 横浜では珍しく五日間も公演しますが、千秋楽までどうぞご安全に…!!



 
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2 コメント

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Unknown (とおやま)
2021-10-07 12:04:04
お邪魔します。
冒頭のナレーション、2015年雪組公演では望海さんでした。まっつは2014年に退団していますので。

私、宝塚で咲妃みゆちゃんの演じた人物の中でエバだけがどうもしっくりこなかったんですが、
ウエット過ぎた役作りが原因だったんだなと気づきました。
まどかくらいのしっとり感がちょうどよい気がしました。
まどかちゃんは、十分な舞台キャリアなのですから、セリフが走る癖は本当に直した方がよいと思います。
誰か注意しないのかなあ、もったいないなあといつも思うのですが。
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これまた失礼しました! (とやおまさんへ)
2021-10-08 11:01:12
あっ、またまた記憶違いですみません…ええ声だった記憶がいろいろ改善されていますね…申し訳ありませんでした。
そうですね、ゆうみちゃんのエバはだいぶウェットな役作りだった気がします。
そしてまどかのあの癖はファンの私でも気になります…治るといいなあ…(><)

●駒子●
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