駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

花組芝居『レッド・コメディ』

2024年06月25日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 シアタートラム、2024年6月24日19時。

 昭和十二年、秋。東新聞社主の田岡(小林大介)の家に、作家の乾(丸川敬之)と編集者の西村(八代進一)がいる。彼らは東新聞で連載を持つ作家・手塚(桂憲一)から呼び出されたのだ。耳の遠い婆や・ツネ(秋葉陽司)や顔の爛れた謎の男・桃田(押田健史)に案内されつつ待っていると、若い小説家の川野(武市佳久)が叫び声を上げて飛び出してくる。そこに現れたのは赤姫の様相をした女形・葵(加納幸和)だった…
 脚本/秋之桜子(西瓜糖)、構成・演出/加納幸和。白粉で塗り固められた虚構の世界を支える「男」たちの、涙、怒り、嫉妬…「女形」が生むその内実を、文壇の愛憎劇に仮託して描く悲しきコメディ。サブタイトルは「赤姫祀り」、全2幕。

 かつてこちらこちらなどを観たことがあり、その後私の歌舞伎の解像度も多少上がって「赤姫」が何かも知ったことだし、漫画家の波津彬子がポスタービジュアルを描いていたのにも惹かれて、出かけてきました。
 舞台の中央に山積みにされた椅子。白塗りにタキシード姿の男たちが現れてその山を崩していき、次いで幻のように現れて踊る赤姫姿の女形たち…アングラだったか、と覚悟しましたが、ワケわからんということはなくて、演劇らしい演劇を楽しめました。
 ただ、葵の話、手塚の話、川野の話と盛りだくさんというかやや乱立しているというかごった煮な感じで、主人公は田岡なのかなとも思ったのですが彼自身は特に何もしないまま終わり、かといって視点人物や観客が感情移入して観るキャラクターが立てられていない印象の話運びに思われたため、わかりづらいということはないんだけれど、ちょっともったいない気もしました。もともとは座長の還暦に赤姫を、という企画が、コロナ禍で上演が四年越しになってしまったものだそうなので、その間にいろいろ肉付けされて盛り込まれすぎてしまったのかもしれません。
 葵を庇った桃田が負った顔の傷はお岩さんを連想させましたし、その後に出てきた手塚の妻・文子(永澤洋)とその父・兵右衛門(横道毅)なんかはお梅とその祖父を思わせました。というか私は編集者歴が長いので、書けない作家に変わってその妻と担当編集が改作、というかほとんど代筆をしちゃうエピソードがすごくおもしろかったんですけれど、それがテーマとかストーリーの本筋って感じではなかったのでアレレ、となってしまった、というのも大きいかもしれません。
 でもラストは赤紙を受けた川野が前線に出征していき、残された原稿が傑作で…みたいなものなんですよね。赤は赤だけれど、赤姫の葵の物語ではなかったの…?とさらに困惑してしまったのでした。それとも、人は去るが芸術は残る、みたいな話だったのか…??
 歌舞伎も文壇も男性ばかりのホモソーシャル社会だし、同性愛者もいるだろうし、母親に強姦される少年も世にいないことはないだろうけれど、なんか全体にどうしても、男のドリーム、男のロマンの世界だな…?とも感じました。脚本家は女性なのかもしれませんが…でも別にBLっぽくもないんですよね。葵と田岡と手塚の三角関係のドラマにしては中途半端だった気もするし…見方、間違ってますかね?
 ただ、気が触れた(と装っている)葵が突然始める歌舞伎ごっことか、イメージや回想の舞台なんかの元ネタが私も少しはわかるようになっていたので、ニヤリとさせられましたし、もっとくわしい人が観たらもっと楽しいのかもしれません。でもそうやって層やフェーズがすぐスライドするところが舞台のおもしろさだと思うので、その魔法に楽しく酔い、ストーリーの整合性を別にすれば楽しく、おもしろく観ました。
 団員のみなさんが、みんな声がいいのもさすがだと思いました。個人的には、米吉ケチャを観たときに「女子がいる…!」と思ったのと同様に、永澤さんにリアル女性みを感じました。ホント性別なんて、特に舞台ではいくらでも越境できるんだなあ…!
 フィナーレ?とパレードもあり、そういう点も芝居を観た!という満足度があってよかったです。手拍子したいくらいでした(笑)。またご縁があれば拝見したい劇団です。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする